金平糖を知ってるかい


「わぁ、綺麗な子⋯⋯」
「あ゙? 何見てんだコラ」
「うわ、口悪っ!」
「は? 勝手に見といたくせして次は悪口かよ、性格の悪ぃ“窓”だな」


 これが、名前と五条が最初に交した言葉だった。


「げ、夏油くん、何この子めっちゃ綺麗な顔でめっちゃ口悪いよ〜〜〜怖いよ〜〜〜」
「すみません⋯⋯少し激しい任務が終わったばかりで気が立ってるみたいで」


 見た目を褒めたつもりが罵られ、わざとらしくめそめそと夏油に泣きついていた名前は、夏油の言葉を聞いて「あ、そうだったんだ。お疲れさま」と笑顔をみせた。

 店先の勿忘草が、ゆるりと吹き込んだ風に揺れている。


「きっと休憩もしてないんでしょう。お茶でも飲みながら話そうか」
「いや、そこまでは⋯⋯」


 夏油が断りを入れようとした、その時だった。

 ぐう、ぎゅるる。

 空腹を報せる場違いな音がけたたましく響いた。名前は一瞬目を丸くしてから苦笑いを零し、夏油は深く溜め息を吐いた。


「悟⋯⋯お前はどこまで失礼な奴なんだ」
「だって腹減ったもん」


 けろりと答えた五条に、名前は「何か用意するね。奥の部屋で待ってて」と身を翻した。


「傑、アイツと知り合いなの」
「アイツって⋯⋯名前さんか?」
「なんか仲良さそうじゃん」
「⋯⋯前に一度、こうして情報提供を受けただけさ。仲が良さそうに見えたなら、それは名前さんの人柄によるところが九割方を占めてる」


 店の奥にあった和室で足を存分に伸ばしていた五条は、さして興味もなさそうに「ふうん」と呟いた。


「で?」
「? うん?」
「すっとぼけんなよ。ここには客として何回来たわけ」
「⋯⋯驚いたな。その目はそんなことまでお見通しなのか?」
「オマエがデレデレし過ぎなんだよ」
「はは、デレデレしてる訳ではないさ。悟も食べれば分かる」


 街中のちいさな定食屋で働いている名前は、“窓”だった。年の頃は五条たちの三つほど上だろうか。

 その彼女から「呪霊を見た」と高専に連絡が入ったのだが、タイミング悪く補助監督は全員出払っていた。そんな時たまたま近くで任務にあたっていたのが五条と夏油であり、任務を終えた足で情報収集にあたり、そのまま討伐に向かえ、という命が下されたのだ。まったく人使いが粗い。

 しかも来てみると、夏油は五条が見たこともないような優しい目を名前に向けている。オイ、何だその目は。気色悪くて吐くんだけど。

 そんな気持ちを溜め息に紛れさせた。





「お待たせー! ちょっとタイミング悪くて⋯⋯簡単なものしか用意できなくてごめんね」


 カチャカチャと盆の上で音を立てながら、名前が戻ってくる。ほくりと鼻腔を擽る匂いに、五条の腹の虫が再度鳴いた。

 机に置かれたのは、握り飯に味噌汁、大根おろしが添えられた厚焼き卵、そして漬物だった。芳しい香りと薄ら立ち上る湯気に、五条と夏油の喉元がこくりと上下する。


「⋯⋯なんだ、松坂牛とかじゃねぇんだ」
「残念ながらそんな高級品はお取り扱いしてませーん! ウチは庶民派なの!」


 しかしそうは言っても、腹は正直だった。目の前の食物を喰わせろと胃が収縮し、ちいさな痛みさえ覚える。夏油は夏油でさっさと手を合わせ、「いただきます」と握り飯を頬張っている。


「名前さん」
「うん」
「美味いです」
「ふふ、よかった」


 笑った名前を、切れ長の夏油の目が優しく映す。ああ、違うな。五条は思う。夏油のこれは恋ではない。

 どちらかというと、──愛を享受する側の。

 五条も握り飯を手に取り、おおきく齧り付く。ああ、美味い。吐息が落ちる。任務で摩耗した身体に、それは恐ろしく深く浸透した。気づけば夏油も五条も一言も発さず、夢中で食べていた。何かを補い埋めるように。








「ハァー食ったー、ウマかった」
「はい、お粗末さまでした」


 結局散々おかわりまで頂戴し非常に満腹になった五条は、そのまま畳の上に上体を投げ出した。行儀の悪いことこの上ない。夏油が「悟」と嗜めるが、名前は目線で「いいよ」と告げた。


「お腹も満たったし、そろそろお仕事の話をしてもいいかな?」
「そーだった、完全に忘れてたわ」


 寝転がったまま、五条はまじまじと名前を見つめる。
 どれだけ目を凝らしても、どこにでもいる“普通”の女だ。まったく鍛えられていない体躯に、人を疑うことを知らなさそうな瞳。

 でも、コイツにも呪霊が見えんのか。こんな美味い飯を作って、普通の暮らしを普通にしているコイツにも。

 名前の呪術界との関わり方が、五条には奇妙に感じられた。この世界で生きてきた五条とは全く異なる。

 そんなことを、ぼうっと考えた。



「──⋯⋯というわけです。被害はまだ出てないと思うな」


 気がつくと名前の話は終わっていて、ふむ、と呟いた夏油が立ち上がるところだった。


「傑?」
「聞く限りは三級、辛めに見ても二級といったところだろう。私一人で十分だ。近場だし、さっさと片付けてくるよ」
「や、俺も⋯⋯」
「食い過ぎて動けないヤツは黙っててくれないか。というかそもそも悟、全く話を聞いてなかっただろう」
「ハハッ」
「いや、笑い事ではないんだが」
「だって満腹なんだよ、俺。あー、頭回んねぇ」


 サングラスを外し、顔を擦る。頭が回らないどころか、眠気まで襲ってくる始末だ。ごろりと寝返りを打った悟の上から、名前の笑い声がかかる。


「ぷっ、くく」
「⋯⋯何笑ってんの」
「いや、なんか可愛く見えちゃって⋯⋯ふふ」
「あ? もっぺん言ってみろ」
「やだ、怒るもん」


 けらけらと肩を揺らす名前と、仏頂面で見返す五条。その二人を、部屋の敷居のちょうど狭間で夏油が振り返った。


「──満たされるだろう、悟」
「?」
「腹じゃなくて、もっと別のところがさ」
「──⋯⋯」
「だから私は、たまに此処に来るんだよ」


 表情を変えぬ五条の心が、僅かに揺らぐ。

 五条と夏油。それぞれ欠如しているところは違うが、何故だかその侘びしく穴の空いた部分に、じわりと沁みるのだ。一体何が沁みているのか、上手く言葉にはできない。しかし確かに、何かが沁みるのだ。胸の奥のほうからじわりとあたたかな何かが溢れる感覚に、“満たされた”と感じる。

 不思議そうな面持ちで夏油を見送った名前は、そのまま暫く夏油が立ち去った空間を見つめてから、畳に寝そべったままの五条を覗き込んだ。


「ねぇ五条くん。甘いもの好き?」
「うん」
「じゃあこれ。あげる」


 エプロン──この店から支給されているものだろう──のポケットから、名前の片手に収まるくらいの小瓶が出てきた。それを受け取り、翳すようにして見る。

 透明がかった、美しい青。

 ぎしりと詰まったそれを見て、五条はぽつりと零す。


「⋯⋯金平糖?」
「うん。五条くんの瞳みたいだから。勿忘草の色の金平糖。あげる」


 サングラスを外したままで、五条は名前を見遣った。


「はぁ⋯⋯? アンタ頭そっち系?」
「だって本当に綺麗なんだもん。瞬きするたびに、金平糖みたいな光が落ちちゃいそう」
「いや、マジで何言ってんの。完全にそっち系じゃん」
「失礼だなあ。せめて豊かな感受性と言ってくれないかな。ていうかそっち系ってなに? どっち系?」


 むくれ面を作った名前は、しかしどこか愉快そうにも見えた。上機嫌で食器を下げに行ったのがその証拠のように思う。

 名前はそれからすぐに小振りな水差しを持って戻ってきて、窓際に置かれていたちいさな花瓶に水を注ぎ始めた。

 その花には、見覚えがあった。


「⋯⋯それ、店先にも咲いてた」
「わ、よく見てるね。もしかしてお花好き?」
「俺が花好きなように見えんの?」
「ふふ」


 丁寧に水を入れ終えてから、名前は花瓶を手に取り振り返る。


「これがね、勿忘草なんだよ。気に入ったならこれもあげようか」
「いや⋯⋯枯らしちまうから」
「そっか」
「でも、」


 ──たまに見に来るかもしんねぇ。


 その言葉は音にはならず、五条の心の中で呟かれて、消えた。


「ん? なに?」
「いや、何でもねぇよ」


 ふい、と五条は視線を逸らす。

 勿忘草が、揺れた。







「やっほー! 久しぶりー!」
「五条くん。 二週間ぶり!」
「今回はちょっと遠くに長期任務でさー、疲れたぁ」
「お疲れ様だったね。もう店番終わるけど、ご飯食べていく?」
「うん! ⋯⋯あ、今日は僕の他にもお客さんいるんだけどいいかな」


 五条が背後を指す。名前はぴょこりと首を傾げ、示された先を窺った。


「あら、若い。もしかしてこの間話してた生徒さん?」
「そ! 僕の可愛い可愛い生徒たち。恵に悠仁に野薔薇でぇす!」


 ババーン! と紹介された三人は、五条のテンションの高さに三者三様の顔をした。その中でげっそりとした顔の野薔薇が言う。


「なにこのテンションの上がり方、キモいんだけど」
「ちょっと野薔薇、なになにー? 僕はいつも元気なGTでしょ」
「え、うざ⋯⋯」


 可笑しそうに笑う名前が、皆を奥の部屋へと案内する。「寛いで待っててね」と背を向けた名前を、五条が追いかけていく。


「僕も何か手伝おうか?」
「えー、いいよ。それより休んでてほしいな」
「えー、でもさぁ」


 とかなんとか。そんなやり取りをしながら遠くなっていく二人の背中を見て、悠仁はきょとりと目を丸くした。 


「何アレ、恋人? え? 五条センセって彼女いんの? いないっつってなかったっけ?」
「さぁな」


 窓際では今春も、勿忘草が揺れている。





【金平糖を知ってるかい】終

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