「ん? どーした苗字? 難しい顔して」
学校の昼休み。昼食を終え自席で雑誌──来たるべき日に備えるため初めて男性向けの雑誌を買った──を捲っていると、どこからともなく声が掛かる。誌面に集中していたわたしは相手を確認もせず、ぼんやりと返事をしていた。
「もうちょっとで誕生日で、どーしたものかと⋯⋯」
「ははーん、キャップにねだるモン考えてんのか?」
「ううん、違くて、わたしじゃなくて一也くんが誕生日で⋯⋯って、うわ、沢村くんだ、やば」
ようやく声の主を認め、慌てて口元を押さえる。よりにもよって、色んな意味で声の大きさ部内ランキング堂々第一位の沢村くんにバレてしまうなんて。三十秒前に戻るか、もしくは今すぐに彼の記憶から「御幸一也の誕生日」というワードを抹消してしまいたい。
しかしそんなことが叶うはずもなく。沢村くんは「ああ、あの人そろそろ誕生日なのか。で、何がやばいって?」と首を傾げている。
これが察しが良くて気も利く小湊くんあたりなら何ら問題はないのだけれど、こういう時に限って何故沢村くんなのか。
溜め息も出てしまうというものだ。
出来ることならはぐらかしてしまいたいところだけれど、彼の場合放っておくと却って騒ぎ立ててしまうだろうか。「おい聞いたか?! キャップもうちょいで誕生日なんだってよ! 何かしよーぜ!」とか言って。
有り得る。大いに有り得る。最早その未来しか見えない。
そうなってしまうと、計画──サプライズプラネタリウム計画だ──の一部変更を余儀なくされる。“サプライズ”に特段拘泥しているわけではないのだけれど、一年に一度の特別な日であるし、出来ることなら計画通りに遂行したい。
そう思い、むしろ素直に打ち明けてしまうことにする。
「その⋯⋯一也くんね、去年自分の誕生日忘れてたの。今年は去年より忙しいから、きっと今年も忘れてると思うんだ。だからそれを逆手に取って今年はちょっとだけサプライズにしたかったんだけど、も〜〜〜沢村くんに聞かれちゃうなんて⋯⋯一生の不覚⋯⋯絶対内緒にしておけないじゃん⋯⋯!」
「んな! 俺だって秘密のひとつやふたつ守れる男だぞ?!」
失敬な! と頬を膨らませてから、沢村くんは腕を組み「うーん」と眉を寄せる。
「けどそっか、キャップの誕生日ね⋯⋯はーん」
はーん、って。その顔。絶対悪いこと考えてるでしょ。と、じとっと見上げる。一体どんな良からぬことを考えているのだろう、この子は。
しかし彼はわたしの視線に気付きもせず、左の拳で右の手のひらをぽんっと打つ。
「よし分かった! 俺が協力して進ぜよう。苗字にはいつも世話になってるしな。苗字から許可が下りるまで他言はしないってここに誓うぜ。あとは何だ? 欲しい物のリサーチか?」
「あ、ありがとう⋯⋯でも、うーん、どうだろう⋯⋯一也くん欲しいものとかなさそうじゃない?」
「いやー、流石にあるだろ、例えば──⋯⋯」
顎に拳の先を当て天井へと視線を移した彼は、そのまま十秒ほど固まってから、これでもかと首を捻った。
「⋯⋯御幸一也の欲しい“もの”? あれ? ねぇのかな?」
「ね、何だか思い付かないでしょ。欲がないというか、野球しか見てないというか、欲を野球に全振りしてるというか⋯⋯」
「いや、全振りはねぇよ。だってあの人はお前が──」
ぷつりと途切れた言葉。続きが気になり首を傾げると、彼は焦ったように言葉を継いだ。
「いや! うん、そうだな、キャップは物などいらん。お前がいてくれるのが一番だと思うぞ、うん!」
「⋯⋯?」
「まぁそれはいいとしてだな! あの人の欲しいものが分かんなくて男向けの雑誌なんて見てたんだな。ちなみに何載ってんだ?」
そう話を振られ、手元の雑誌をぱらぱら捲る。
「えっと⋯⋯お財布、スニーカー、アクセサリー、おしゃれな服に鞄などでございます」
「なんか⋯⋯どれも違うな⋯⋯」
「ねぇ。プロにでもなればネックレスとかもいいんだろうけど⋯⋯在学中は私服すら着る機会ほとんどないし⋯⋯いっそのことアンダーシャツとか靴下とかパンツとかがいいかな? 絶対使ってもらえるし」
「いやー、もったいなくて着れねぇだろ」
「え、だって飾っておくわけにもいかないじゃん。あ、アイマスクとか?」
「お、実用的! けどあの人結構持ってるよな、しかも変なのばっか」
「そうだよね。あと使ってもらえるって言ったらミット磨くワックスとか⋯⋯? 誕生日っぽくないけど⋯⋯」
これまで幾度となく考えた。考えたのだけれど、いつも同じようなアイデアが浮かび、同じように却下となり、そして同じように「欲しいものなさそう」という結論に至るのだ。
何巡目かの堂々巡りを無事に終えたわたしに、沢村くんが「元気出せよ!」とでも言うように声をかけてくれる。
「まぁここで考えてても仕方ねぇからな。俺が聞いてみてやるよ!」
「ほんと⋯⋯? バレないようにできる?」
自然とおつかいを頼む母親のような声音になってしまった。大丈夫だろうか。うっかり「苗字があんたの誕生日プレゼント迷ってますよ!」とか言っちゃったりして。
しかしわたしの心配などどこ吹く風。彼は「任せろ!」とどーんと胸を叩いた。
◆
その日の夜のことだ。
自主練と風呂を済ませた俺は、いつもの如く御幸先輩の部屋の床で寛ぎながらスマホの画面を見ていた。
ちなみに先日の試合で脇腹を痛めてしまい、今現在思うように練習に参加できていない先輩は、放課後になるとクリス先輩のもとに通い毎日のように会っているというのだから羨ましい事この上ない。
いや、話が逸れた。
とにかく、先輩の部屋で寛いでいるという話だ。
「んー、どうするかなー」
「⋯⋯沢村お前、さっきから何迷ってんだよ? うんうん呻っててうるせぇんだけど。用がないなら部屋に戻れ」
「またまたー。俺がいなきゃいないで寂しいくせに」
「いや全然、静かになって嬉しいけど。で、何迷ってんだ?」
「ああ、これっす。先輩はどれがいいと思います?」
「あ? どれ?」
ギシリと椅子を軋ませて先輩が振り返る。俺はうつ伏せの姿勢から起き上がって胡座をかき、スマホを差し出してみせた。
「親がふるさと納税するってんで、俺にも好きなもん選ばせてくれてるんすけど⋯⋯ありすぎて迷っちまって」
「へー、俺初めて見るわ」
「色んなのあるんすよ。うーん、やっぱ正月に実家帰ったとき用の高級肉か⋯⋯ほらこれ、タブレットとか日用品もあるんですよね」
「へぇ」
案外興味深そうに画面を見る先輩を見上げて、俺はそれとなく問うてみる。
「先輩は? 何か欲しいものないんですか?」
「欲しいもの?」
「あんまりそういうの聞いたことねぇから」
「欲しいものねぇ⋯⋯あるぜ」
画面から視線を俺に向けた先輩を、真っ直ぐに見上げて。その表情に思わずぱちくりぱちくりと瞬いてから、「⋯⋯へー」と零す。
「へーってお前。聞いといて興味なさ過ぎんだろ」
「や、俺その顔見て分かっちまいましたもん。あんたが欲しいもの」
「はぁ?」
「どーせ野球のことなんでしょ。怪我したひ弱な身体を強靭にしたいとか」
「おい」
頭頂に躊躇なく手刀が振り下ろされる。結構痛い。そこを左手で擦ってから、俺はにかりと先輩を見上げる。
「わははは! なーんて! 嘘っすよ」
「は?」
きょとんと目を丸くする先輩に、もう一度大きく笑う。多分暴かれたくないであろう本心を、盛大にバラそうと思う。残念でした。その顔を俺に見せたのが間違いでしたね!
「キャップは苗字のこと大好きっすね!」
「な⋯⋯」
「そうかそうか、彼女にしただけじゃ足りないと⋯⋯欲しがりな男っすねぇ。っつーことで、俺はこれで! お邪魔しやした!」
「は、おいこら待てお前」
背中に何か言葉がぶつかった気もしたが、よく聞こえなかったのでそのまま部屋を出る。途端、夜風がゆるりと俺を出迎える。穏やかだが冷たい、秋の夜風だ。しかしその冷たさは気にも止めず、自分の部屋へと戻る廊下を上機嫌で歩く。
──俺、分かっちまったもん。
俺が欲しいものを聞いたとき、あの人の目がやわらいだ。それは俺たちには決して向けられることのない。
あの人が苗字にだけ見せるもの。
いつもあの人を追い掛けて、いつもあの人に認めてほしくて。だから、分かる。あの人が苗字に向けるあの瞳。
苗字はあの人にとって、酷く特別な存在なのだ。
ということは、昼間の俺の予想は見事に的中したということだ。
──“一也くん欲しいものとかなさそうじゃない?”
──“いやー、流石にあるだろ、例えば──”
例えば、──お前とか。
あの人が欲しがりそうなものを考えたとき、俺の頭の中には「野球に纏わること」と、そして「苗字」。そのふたつしか浮かばなかった。だから教室では「欲しい“もの”? ねぇのかな?」などとはぐらかしてしまった。
明日になったら、もう一度言おう。
あの人はお前がいてくれるのが一番だ、と。それでも苗字が何か“もの”をあげたいと言うのなら、あの人が欲しいものではなく苗字があげたいものをあげろ、と。それがあの人にとって、きっと、何よりも嬉しいプレゼントだ。
そして俺は明日から、遍く部員に「御幸一也誕生日箝口令」を敷くべく駆け回るのだ。普段何かと世話になっている苗字の、偶の願いを叶えるために。
そして、あの人が一番幸せに祝われる誕生日になるように。
数日後、俺のこのグッジョブのおかげで苗字が計画していた当日の予定が滞りなく進んだわけなのだが、それはまた別のお話だ。
◆君が持つ鍵は透明だ◇