ヒュウウ、と音を鳴らしながら風が吹き荒んでいた。その風の上を、小さな雪粒が無数に舞っている。
「雪⋯⋯すごーい⋯⋯」
確かに数日前から、今日は珍しく雪の予報だった。けれど、わたしたちの心配事といえば練習はどうなるかな、ということくらいだった。初雪も済んだし、野球部は寮生が多いし、斯く言うわたしも寮だし。
しかしどうだろう。
授業終了間際からちらほらと降り出した雪が、今となってはかつてないほどに視界を埋め尽くしているではないか。グラウンドへ向かおうと校舎を出かけた足を止め、ただその光景を見上げ、感嘆とも呆れともつかぬ白い吐息を吐く。
そんな時、背後からいくつかの足音と、「「さっみ〜〜〜」」という声。聞き慣れたそれに、わたしは振り返り笑む。
「一也くん、もっちー先輩。お疲れ様です」
「おう。今日は一人か?」
寒さに肩を竦ませ軽く手を上げた先輩が問う。母数の多い部活ゆえ、いつも何だかんだ同じクラスの誰かと一緒に部活に向かっているし──今日の一也くんともっちー先輩のように──、何だかんだ他クラスの部員と何処かしらで遭遇するのだ。
「春乃ちゃん、日直で。男の子たちは掃除当番でした」
「そーか」
「そんなことより名前、お前ちゃんとあったかくするもん持ってきてんの? まぁ練習自体どうなるかわかんねぇけど」
「うん、持ってきてる、いつもの装備!」
「いつものじゃ無理だろこれ。すげぇ雪だぞ」
身を縮こめ眉を寄せる一也くんは、その首に巻いたマフラーを示す。
「俺着替えたらこれも使え」
「え、でも、マフラー二個になっちゃうよ、顔出ない⋯⋯」
「いーんだよ、それくらいで。練習中誰にも使われなかったらマフラーだって暇だろ。目が出てりゃいーし」
などという良く分からない言い分に笑っていると、校舎側から降谷くんが近付いて来るのが見えた。
「あ、降谷くんも来た。見て見て、すごい雪降ってるよ!」
「ああ⋯⋯うん」
「わ、反応が普通だ」
「⋯⋯雪は見慣れてるから」
「あ、そっか」
茹だるような夏。熾烈な暑さにダウンしていた彼が、この雪には眉一つ動かさずに平然としていた。整った切れ長の双眸が、舞い落ちる雪を静かに見上げている。
「でも確かに⋯⋯こっちに来てからは一番降ってる」
「わたしこんなに降ってるの初めて見たかも⋯⋯吹雪ってこれのこと?」
隣を見上げると、彼はふるふるとちいさく首を振った。
「吹雪はもっとすごいやつ」
「もっと?」
「そう」
「どんな?」
「ぶわーーって」
「い、今もぶわーって感じだけど⋯⋯」
「もっと」
話しながら、皆の足は自然とグラウンド方面へと向かっていた。校舎を出た瞬間、直接風が吹き付け、外気に晒される素肌に雪が当たる。寒さと痛みに同時に見舞われ、目を細めて両腕を抱く。隣を窺うと一也くんももっちー先輩も同様に身を竦めていた。
「なんか降谷くんだけ寒くなさそう⋯⋯北国の人は寒さにも耐性あるの?」
「⋯⋯どうかな。けど今は僕も寒いよ。慣れてるだけ」
「寒いのって慣れるもの?」
「こっちの人だって暑いのに慣れてる」
「そ⋯⋯っか?」
決して慣れているつもりはないのだけれど、夏にバテバテになってしまった彼にしてみると、それは同義なのだろう。
「そういえば沢村くんも雪の降るところから来てるよね」
「⋯⋯僕のいた地域は雪が少ないところだから、多分アッチのほうが雪と生きてたと思う」
「北海道でも少ないところあるの?」
「うん。広いし。だから色々」
「積もらないの?」
「積もるよ。でもスキーはできない」
「?」
「体育で冬にやるんだ。僕らみたいな地域はスキーじゃなくて、スケート」
「体育って⋯⋯授業で? 全員?」
こくりと、彼が頷く。
決して口数の多くない彼にしては、今日はよく喋る。久方ぶりの雪に、どこか郷愁に駆られてでもいるかのようだ。
「じゃあ降谷くんもスケート滑れるの?」
「⋯⋯人並みには」
「すごーい! わたし一回だけ行ったことあるんだけど、全然出来なかったよ」
感心して告げると、横から「ぷっ」という笑い声が聞こえる。「はい、今笑った人?!」と振り向くと、マフラーに口元を埋めながら、一也くんがけたけたと笑っていた。
「だってすっげー想像できんだけど。すっ転びまくってるとこ」
「ヒャハハ」
「⋯⋯どうせ想像通りですけれども」
そう口を尖らせると、降谷くんだけが極々僅かに頷いて「最初は、みんな転ぶ」とフォローを入れてくれる。その言葉に一也くんが視線を流した。
「つーかお前らって案外会話噛み合うんだな。お互いちんぷんかんぷんなこと言ってそうなのに」
「「???」」
一体どういうことだ。一也くんこそ何をちんぷんかんぷんなことを言っているのだろう。と、降谷くんと揃って首を傾げる。しかも一也くんのみならずもっちー先輩までもが今の言葉に笑っていて、非常に腑に落ちない。
──その時だ。
一際強く吹いた風に、会話が閉ざされる。眼前で雪が舞い散る。遠くの景色が霞む。ひと粒ひと粒などとても追えぬ速度で縦横無尽に空を覆うそれに誘われるように、気が付けばぽつりと溢していた。
「降谷くんは⋯⋯こんな景色の中で、野球やってたんだね」
雪の降り頻る中、野球をする彼らを想像する。悴む手足をものともせず、凍てつくような空気で肺腑の奥まで満たし、真白な吐息を置き去りにして駆ける。
青道でも皆が毎日追い続けている白球が白雪に紛れて霞むその光景は、見たこともないくせに酷く幻想的に思えた。
──まぁ、のちに聞くと、いくら北国とはいえ雪で視界が悪ければ当然怪我の元になるのでボールは使わないらしいのだけれど、この時のわたしは知る由もない。
程なくして寮の前に着く。これから各々の部屋で準備をし、練習へと向かうのだ。「それじゃあ、またあとで」と口を開きかけたその刹那、一也くんの手が真っ直ぐに伸びてきて、口を噤む。
「頭。積もってる」
「ん、」
ぱさ。ほろってくれた頭上の雪が地に落ちる。「こんなもんかな。ちゃんと帽子被れよ」と、彼は最後にくしゃっと頭を撫でた。
「てか悠長に話しながら来ちまったけど、何よりもまずグラウンドの状態どうだろうな。練習できんのかこれ⋯⋯ちょっと先に監督んとこ行ってくるわ」
「うん」
一也くんの足跡が、離れていく。
四人ぶん、八つの足跡が異なる歩幅で連なっていた道。そこから、一也くんの足跡だけが、離れていく。そして降谷くんと、もっちー先輩と、わたしと。散り散りにそれぞれの場所へと離れていく足跡を見て、ひとり、足を止める。
薄雪に残る足跡が、どこか見知らぬそれぞれの未来に繋がっている気がして。
◇足跡を束ねる◆