ばいばい


 この気持ちに名前をつけるとしたら、それはきっと、羨望だった。


「名前先輩」


 慣れた手つきでドアに鍵を掛けつつ、声を掛ける。卒業証書が入っているのであろう賞状筒を後ろ手に持ち、窓から遠くのグラウンドを見下ろす背中が、ぴくりと反応した。

 彼女はこの窓が好きだという。御幸が野球をしている姿が遠目にもよく見えるから、と。

 いつの日かこんなことを言っていた彼女は、あの日と同じ場所で、まるで御幸が来ることを予想していたかのようににこやかに振り返った。


「御幸くん。どしたの?」
「どうもこうも、今日が最後でしょ。まさか会わないまま帰るつもりだったんですか?」
「まさか。その証拠にほら、こうして御幸くんが来てくれたじゃない」


 ──こういうところが、嫌いだった。

 決して自分からは御幸に近付こうとしないところ。何度身体を重ねてもそれは変わらず、何かを恐れるように徹底されていた。稀に生じる心の隙間は気紛れに御幸で埋めるくせに、絶対に心のすべてを晒さない。

 嫌いだ。疎ましい。

 なのに、そこが急所でもあった。

 御幸を好いているのか好いていないのか俄には判然としない彼女に、御幸だけを見させたかった。たまに見せるとびっきりの笑顔が、たまに見せる甘えた仕草が、どうしようもなく愛おしかった。

 嫌悪と好意が乱れるこの気持ちの名前が、御幸にはついに決められない。

 もし名前があるのなら、恋でも、愛でもなければいいのにと思う。恋でもなく。愛でもない。そうであればよかったのにと思う。そしたらきっと、卒業なんかに振り回されないのに。


「ね、ここにいると思ったの?」
「や、教室にいなかったから」
「ふふ、教室探してくれたんだ」


 窓枠に背を預けている彼女に近づき、覆い被さるようにしてキスを落とす。彼女の細い手が首に回る。手にはまだ賞状筒が握られているのだろう、背中に軽い無機質な感触がする。

 何度か角度を変えて唇を食むだけのキスを交わし、御幸は吐息とともに吐く。


「ほーんと悪い子だよな。成績優秀な図書委員長が職権乱用してこんなことしてるって誰も思わねぇよ」
「ふふ、わたし、御幸くんが敬語使ったり使わなかったりするの大好き」
「俺は先輩のそーいうとこ嫌いだよ。敬語どうこうじゃなくて、俺のこと好きって言えばいいのに」


 返事を聞く前に再度唇を塞ぎ、舌を滑り込ませる。口内の柔らかさを楽しみながら胸元のリボンを解く。滑らかな音を立てて滑り落ちるそれを辿り、ブレザーとブラウスのボタンを外していく。

 コトン、と何かが落ちた音。
 次の瞬間には彼女の指先が御幸のネクタイに掛かり、難なく解かれる。その感触に下腹部がぞくりと疼くと同時に、賞状筒が床に落ちた音だったのだと理解する。

 キスが深くなっていく。漏れる吐息の甘ったるさに急かされるように、半端に肌蹴たブラウスの合間でブラジャーを引き下げる。押し上げられるように顕になった双丘に手を沿わせる。キスと胸への刺激で反った背筋を支えるように手を回し、そのままスカートの中に手を入れ、ショーツの上から柔尻を揉む。

 性急すぎる自覚はある。あるのだが、今日は余裕が持てなかった。何故だろうか。今日が卒業の日だからだろうか。

 彼女が、いなくなる日だからだろうか。

 瞬く間に硬くたちあがった膨らみの先端を口に含み、強めに吸っていた時だった。


「ん、御幸くん、どうしたの⋯⋯っ」


 御幸の眼鏡を外し、撫でるように髪に手を通しながら、彼女は少し掠れた悩ましげな声を落とした。

 それには答えず、御幸はショーツの上から敏感な箇所をなぞる。


「⋯⋯ちょっと先輩」
「っな、に」


 上気した頬で見上げてくる瞳を一瞥してから、今度は耳朶を甘噛みして呟く。


「⋯⋯──濡れすぎ」
「っ、」


 彼女の身体がびくりと反応したその瞬間、ショーツの隙間から濡れそぼる箇所へ指を滑らせる。今日は酷く濡れていて、花芽を触るつもりが気づけば二本の指を埋め込んでいた。


「っ、っあ」
「マジ何これ⋯⋯ちょっと無理やりなの好きなんすか?」
「やだ、ぁ⋯⋯っ」


 背に回された両腕が、きつく御幸を抱きしめる。縋るように込められたその力が、御幸を掴んで離さない。

 苦しい。

 胸の奥が、苦しい。


「⋯⋯痛ぇな」


 ぐっと彼女を抱え上げ、机の上に横たえる。窓に手を付かせて後ろから突くのも捨て難かったが、万が一誰かの目に留まっては困る。まあ、図書室でこんなことをしている御幸が言えた口ではないのだが。


「⋯⋯いい眺め」


 手の甲で口元を隠し目を逸らす彼女を見下ろす。
 零れ出た乳房の中央では薄桃色が色味を増し、捲れ上がったスカートからはもちりとした白い大腿と、愛液に濡れたショーツ。片足をショーツから抜き、最も濡れているところに張り詰めたものを擦り付ける。


「御幸く、──っひぁ、んっ、!」
「挿れただけで軽くイッちゃうんだ。もっとこーいうのしてればよかったな」
「や、ぁ、あっ」


 容赦なく奥を打つ。律動に合わせて揺れる乳房を少し強めに愛撫すると、彼女の喉から声にならない嬌声があふれた。

 それを唇で塞ごうと上体を屈めたとき、彼女のてのひらが御幸の頬を包んだ。

 ──この触れ方が、好きだ。

 細い指のくせに、この手に包まれるとあたたかくて、柔らかくて。御幸の決して柔くも薄くもない皮膚に、まるで壊れ物に触るように指先を置く。

 頬にあてがわれた彼女の手に手を重ね、腰を打ち付けながら御幸は目を細める。


「⋯⋯今日で最後なんだけど。何か、言うことねぇの?」
「はぁ、ん、あぁ」
「ねぇ、先輩」
「むり⋯⋯っイッちゃ、う」


 今日の彼女は一段と感じやすいようで、何度も御幸の腕の中で果てた。その度にその細い体躯を抱きしめる。この時間が永遠に続けば良い。本気でそう思った。ずっと、続けばいいのに。

 しかし御幸にも限界が訪れる。

 机の上で断続的な呼吸と嬌声とを繰り返す乱れた彼女の蕩けそうな瞳と目が合って、下腹部がずくりと疼く。次の瞬間には、ひどい快楽が全身を駆けていた。





 どのくらいの時間が経っただろうか。

 御幸は椅子に深く腰を掛け、膝の上に乗せた彼女をあやすように抱きしめていた。

 御幸の呼吸は随分と前に整っていたが、腕の中の彼女は未だ少し速い呼吸をしている。落ち着くようにと背を擦りながら、そういえば随分と悪い場所で激しくしてしまったと思う。


「悪かった。背中大丈夫?」


 そう問うが、返答はない。
 ひと呼吸。ふた呼吸。さん、よん、ご。五回の呼吸を挟んで、彼女はぼんやりと顔を上げた。


「ん⋯⋯? あれ、いま何か言った? なに⋯⋯?」
「はは、何でもないっす。無理させてごめん」


 こてり。彼女の頭が御幸の胸に戻ってくる。微かに香るのは、出会った頃から変わらないシャンプーだ。

 ああ、どうして。彼女はこういう寄りかかり方をするのだろう。心のどこも寄りかからないくせに、こうして、身体はすべて御幸に預けて。


「ほんと狡ぃよな」


 御幸は、彼女のようになりたかった。

 彼女のことなど好きでもなんでもないです、という顔で。そのくせ宝物みたいに彼女に触れて。卒業という誰にも抗えない時の流れとともに、一生消えることのない、恋という傷跡を残す。深い深い傷を。

 だからきっと。この気持ちに名前をつけるとしたら、それは、羨望なのだ。


「ねぇ御幸くん」
「ん?」
「さっきの『今日で最後なんだけど。何か、言うことねぇの』って、まだ聞きたい?」
「え、あんの? 言いたいこと」
「あはっ、そりゃあありますとも。そこまでドライな人間じゃないもん」
「あ、自覚あったんだ」
「ま、失礼」


 可笑しそうに肩を揺らしてから、彼女は御幸の胸に鼻頭をむぎゅりと押し付けた。


「⋯⋯一年なんて、きっとあっという間だよね?」
「は⋯⋯」


 一年。それは、御幸が卒業するまでの期間でもある。

 短い言葉だった。真意は分からない。分からないが、少なくとも彼女には一年間はこの関係を続けるつもりがあるということで、少なくともこの一年間を不安に思っているということだ。

 そのことに考えが及んだ御幸は目を見張った。

 ──え、マジで。そんなふうに思ってんの? 卒業なんて知りませんって顔して? 俺との今後の関係もまぁなるようになるでしょみたいな態度だったのに?


「うわ、ははっ、そんな可愛いこと言えるんですか? ちょっともう一回言って」
「⋯⋯やだ。いまの一回だけ」
「もう、いっつも何そんな恐がってんですか。何も減りゃあしないってのに」
「⋯⋯だって溺れちゃいそうじゃない。御幸くんに」


 きょとりと目を開いてから、御幸はおおきく笑った。


「はっはっはっ、手遅れ手遅れ、もう溺れてるよ」





◆ばいばい◇


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