あいをいたわる

「あれ?! まだクーラーつけてるの?」
「え? 暑くない?」
「ぜんぜんあつくない⋯⋯」


 むしろ上着羽織ってきたけど⋯⋯と脱いだばかりのカーディガンを見せる名前に、御幸は「え、もう上着?」と返してきた。

 それから「名前は寒がりだよな」とか、「相変わらず肉ねぇなあ」とか言いながら、名前が愛用するクッションを放って寄越す。

 それを受け取り、名前はソファで寛ぐ御幸の横に腰を下ろした。

 本日は久しぶりの休日──もちろん御幸の──である。日頃会えないことで生じる種々のストレス寂しさ鬱憤等々を、今日という日で成仏させるのだ。そう意気込んで御幸の部屋を訪うた名前を、何故か外気よりも若干涼やかな部屋の空気が出迎えたというわけである。
  
 
「肉ってどっちの?」
「どっちも」
「どっちも? そりゃあ一也に比べたら筋肉はまったくと言っていいほどないけど、でも代わりに脂肪があるよ」
「名前のそれは女の子としての肉だろ。身体あっためる用じゃないんじゃね?」
「ふふ、何言ってるの。あっためる以外の用途なんてある? 銃弾でも弾くの?」
「そんな肉で弾けるかよ、拳銃舐めすぎ」
「あははっ、ていうか肉って言い方は直す気ないんだ」


 御幸のよく分からない言い分に笑ってから、名前は立ち上がる。薄手でおおきな毛布をクローゼットに取りに行き、御幸の隣に戻る。
 

「寒いか?」
「少しね。でも大丈夫だよ。世界は暑い人に合わせないと。わたしはこうしてあったかくなれるし」


 毛布に包まってみせる。衣服で暑さを凌ぐにはどうしても限界があるが、寒さであればそれなりに凌げる。

 野球に生きる御幸の身体には、驚くほどの筋肉がくっついている。筋肉による熱産生の割合が名前とは桁違いなのだ。よってこの毛布の登場も今回に限った事ではない。クーラーの設定が強い真夏にも、もちろん冬にも。年中お世話になるのである。
 

「一也はこれの熱産生がすごいんだよなぁ。基礎代謝も抜群なんだろうし」
「?」


 半袖から覗いている逞しい二の腕をぺたぺた触りながら、己の肉体との相違を改めて実感する。

 これ程の筋肉を纏った人間としての生活が、名前には想像ができない。もし仮に名前と御幸の魂が入れ替わったら、名前は漲りまくるパワーを扱い切れずに多くの弱きもの──有機物にしろ無機物にしろ──を破壊してしまうことだろう。

 と、いうことは。

 名前はいつも、いつもいつも。御幸に大切に大切に触れてもらっているということだ。力加減を誤らないように。壊れてしまわないように。壊してしまわないように。

 その事実に人知れず笑みを浮かべる。そんな名前を御幸が自分の足の間に引き寄せた。毛布ごと包み込むように抱きしめられる。
  

「わ⋯⋯?!」
「じゃあ今日はここにいろよ。あったけぇんだろ」
「⋯⋯ふふ、あったかいし幸せ。でも一也は暑いんじゃない?」


 後ろからすっぽりと包まれながら、首を捻って御幸を見る。御幸はあっけらかんと名前を見返した。

 
「全然。その分部屋の温度下げりゃいい話だし」
「⋯⋯なんとなく本末転倒な感じしない?」
「しない」
 

 きっぱりと言い切る御幸の潔さときたら。
 真冬にがんがん暖房を焚いたぬくぬくの部屋できんきんのアイスを食べる北国の民のような言い草だ。
 

「省エネしなよー」
「お前がいないときにはな」
「どーして?」
「心地がいいから」


 間髪入れずに答えた御幸は、匂いを嗅ぐように名前の首筋に顔を埋める。

 
「細っこいくせにふわふわでもちもちでさ。⋯⋯って言ってもお前は自分の身体抱きしめらんないから分かんねぇのか。何かもったいねぇな」
「あはっ、何かよくわかんないこと言い出した。やけに甘やかしてくれるし⋯⋯疲れてるの?」
「それをお前で癒すための休日なんだよ」


 名前を抱きしめる腕が、些か強さを増す。その腕に頭を凭れながら「⋯⋯わたしも、一也で癒やされに来たんだよ」と瞼を閉じる。

 ──もったいないのは一也のほうだ。

 そう名前は思う。
 こんなに屈強な身体を持っているくせに。きっとマガジンだって真っ二つに破れるし、フライパンだって曲げられるし、りんごだって握り潰せる。そのくせに。

 愛で労るみたいに、名前を抱きしめる。

 そのぬくもりに包まれる狂おしいほどの愛おしさを、知らないのだから。


「⋯⋯って、や、一也、どこ触って⋯⋯っ」
「だって丁度いーとこにあんだもん。超欲求不満だったし」
「ま、って、映画観るんじゃ」
「んー、予定変更。映画はもし時間があれば後で、なかったら今度にしようぜ」
「こ、今度⋯⋯?!」
 

 名前は焦ったような声を上げた。
 今日という日はまだ長いというのに。何なら本日はお泊りの予定だったから明日もあるとあうのに。つまり映画を観る時間くらい絶対あるはずなのに。

 “今度”だなんて。

 抱き潰される未来が安直に視えてしまって、名前は慌てて御幸を振り返る。それには委細構わず、御幸の手が名前の身体をなぞり出す。


「なあ、だめ? ずっとお前に会いたかったんだけど」
「⋯⋯っ」
 
 
 口ではああ言いながらも、こんなふうに甘えられては断る理由があるはずもない。

 日頃数え切れないファンを沸かせる御幸という男の、底なしの体力気力根力その他諸々をこの時ばかりは少しだけ恨めしく思いつつ、名前は御幸の後ろ首に手を掛けた。

 この身に御幸の心をあたため得るだけのぬくもりが宿っていることを願いながら。




◆あいをいたわる◇

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