結んで結んで結んだら

「は〜〜〜マジで心配」
「大丈夫だってばぁ⋯⋯わたしそんなに信用ない?」
「お前のことは信用してるけど、それ以外の人間は信用できねぇ」
「もう⋯⋯」


 名前の胸に凭れてぶうぶうと垂れる御幸の背中を、あやすように擦る。


「一ヶ月だけだよ。一也がキャンプに行ってる一ヶ月の間だけ。何もあるわけないよ。むしろ、一也こそ忙しくてわたしのこと思い出す暇もないんじゃないかって、そっちの方が心配なくらいだけど⋯⋯」


 あと数日で、御幸は春季キャンプのため沖縄へと旅立つ。

 名前と御幸は高校時代からの付き合いであるが、御幸が入団した球団が運良く名前の通う大学と同じ地域であったことに加え、御幸が僅かな隙間時間を縫っては名前と会う機会を作ってくれていたため、一ヶ月もの間一度も会えずに過ごすのは、これが初めてのことだった。

 
「一ヶ月だけ、だ? なっげーよ。むしろなんでお前はそんな感じでいられんの? なに、その間の性欲処理してもらう相手でもいんの?」
「い、いませんそんなの⋯⋯ていうかそういう欲求をどうにかするためだけに一也といるわけじゃないし⋯⋯」


 御幸の言葉に、名前は狼狽える。

 そんな都合の良い相手を簡単に作れるほど器用ではないし、そもそも、会えない期間だって一年や二年というわけではない。

 一ヶ月だ。

 その間御幸と身体を重ねられなくとも我慢くらいはできるし、たったひと月で見境がなくなるほどの狂気的な性欲を持っているわけでもないと思う。一体御幸は、名前の性欲を如何程のものと思っているのか。些か不服である。

 というか、それを言うなら御幸の方ではないのか。野球界──に限らずプロスポーツの世界──の女性関係の話題は耐えることがないし、実際に遊びに興じる人が多いという話もよく耳にする。
 

「そんなの、一也こそどこぞの可愛い子と──っ、痛ったぁ」


 むくりと顔を起こした御幸に、デコピンをされていた。涙目で額の真ん中を指で擦り、胸元の御幸を見下ろす。

 
「⋯⋯あんなだらしねぇ先輩達と一緒にすんな。怒るぞ」
「でも⋯⋯わたしだって不安にくらいなるもん」
「俺に関しては全く心配しなくていいって」
「⋯⋯わたしもそう言ってるのに」
「だから、お前以外を信用できねぇの。沖縄だぞ? 何かあってもすぐに駆け付けてやれねぇじゃん」
「⋯⋯? この一年のうちだって、一也は全国あちこち、すぐに駆け付けられない場所移動してたよ?」
「一週間かそこらだろ。けど一ヶ月も俺がいねぇってなったら、誰かがちょっかいかけてくるかもしれねぇだろ」
 

 御幸が社会人になってから──それはつまり名前が大学生になってからということだが──だ。それまで一体どこに秘めていたのか、その嫉妬心や独占欲が剥き出しとなったのは。

 互いの生活環境が変われば、周囲を取り巻く人間関係も、交友関係も変わる。自分の知らない人間が、相手の話に出てくるようになる。自分の知らないところで相手が過ごした時間が増えていく。

 それが御幸の、そして名前の心を、じわじわと侵食してくるのだ。


「何万回でも言うけど、残念ながらわたしを好きになってくれる物好きは一也くらいなの。それに、わたしが一也以外を好きになることなんてないし、一時の寂しさを埋めるためだけに浮気なんて低俗なこともしない。ていうかできない。そんな勇気⋯⋯一也を失う勇気なんて、わたしにはないよ」
「⋯⋯」
「それに⋯⋯いつだってわたしの方が心配なのにな。綺麗なアナウンサーも、可愛い女優も、モデルも、一也の周りにはいっぱいいるもん」
「あんな有象無象興味もねぇよ」
「あ、あんな美人たちをうぞうむぞうだなんて⋯⋯」
 

 その言い草に思わず笑ってしまう。
 しかもそれが決して、名前を安心させるための方便ではないのだから、御幸一也という男は残酷なのだ。

 そして、そんな男にこうして囲われていることに容易く喜びを感じてしまう名前も、随分とちょろいものだと、我ながら思うのだ。


「そんな世界に比べたら──っていうのも失礼な話だけど、うちの大学の子たちなんて、ほんとーに普通の子たちだよ。たまにイケメンがいたりはするけど、あんな、どこを見ても美女ばっかりな芸能界とは違うもん」
「⋯⋯そっちの方が怖ぇだろ」
「⋯⋯?」


 終始名前の胸に凭れている御幸が、顔だけを持ち上げる。上目遣いで名前を見たその眼差しは、甚く真剣なものだった。

 
「俺の顔だとか肩書きだとか年俸だとか、くだらねぇもんばっかに寄ってくるような奴らより、名前の普通の生活の側にいて、同じこと話して、名前のこと真っ先に支えてやれる場所にいる奴らの方が、ずっと怖ぇ」


 淡々と落ちる御幸の声は、そこに静かな悔恨と憤りを含んでいるようだった。それは名前に向けられたものでも、名前の友人に向けられたものでもない。

 御幸自身に、向けられたものだ。

 
「⋯⋯でもわたしには、どんなに離れてても、いつも一緒にいられるわけじゃなくても、一也の存在が何よりも支えだよ」


 そう言うと、今一度御幸の顔が名前の胸に埋まる。「は〜〜〜」と深い溜め息を溢した御幸に、名前はふふっと笑い声を漏らし、髪を梳くように撫でた。

 御幸にとっての一番は、何を差し置いても野球である。高校時代からそうであったし、それは今も変わらない。

 だから名前は、高校を卒業する時、それはそれは不安だったのだ。

 プロの世界に身を置くようになれば、御幸は、これまで以上に野球との繋がりが強くなる。そうすれば必然的に、名前に割いていたリソースも野球に分配されるようになる。そのうち次第に関係は希薄になり、いつしか恋人と呼べる間柄ではなくなっている。そんな未来を描いては、重たい溜め息をついていたものだった。

 それがどうだ。

 当初の予想に反し、御幸の名前への興味がなくなることはなかった。それどころか、御幸が野球により深く沈んでいくに従い、名前への沈み方も比例して深くなっていくのだ。

 その理由も原理も名前には到底理解できないし、恐らく御幸も、わかってはいないのだと思う。ただ、二人を縛る結びつきだけが、少し歪みながら強くなっていくのだ。

 こうして変化した名前たちの関係は、世間一般的には“束縛が強い関係”に入るのだと思う。

 しかし名前にとってそれは、重荷ではなかった。

 元来の性格も多かれ少なかれ関係はしているのだろう。それに加えて、その深層心理を突き詰めれば、そこには確かに「束縛されることで愛を感じる」という歪な感情。それのみならず、“特別な才を持っている”人物と付き合っていることへの不安や引け目、焦燥も蔓延っているのであろうし、御幸に負けないくらいの嫉妬心や独占欲も渦巻いている。

 ただ御幸より少しだけ、それらの感情に鈍感で在れ、少しだけ、隠すのが上手かっただけだ。

 御幸の感情の大きさに霞んでしまっているが、名前も大概、御幸への想いを拗らせている。

 
「ふふ、困ったねぇ。今のは結構、渾身の口説き文句だったんだけどな」
「いや、それはめちゃくちゃ効いてんだけど⋯⋯独占欲止めらんねぇんだよ。一ヶ月間俺以外の男と話すなとか、わりと本気で言っちまいそう」


 名前の胸元で「結構やべぇよな」と頭を掻いている御幸に、はっきりと告げる。

 
「──いいよ」
「⋯⋯は、」
「いいよ。それで一也が安心して、キャンプに集中できるなら、それくらい」

 
 ぱちりぱちり。綺麗なかたちの双眸が、驚いたように名前を映す。

 
「⋯⋯お前、ゼミも部活もバイトもあんじゃん。話さないとか無理だろ」
「そんなの何とでもなるよ。なんと言ってもわたしの彼氏、束縛が強いことで有名だから」
「おい」
「あはっ」


 名前が“御幸一也”と付き合っていることは、高校時代の野球部の友人しか知らない。大学で新たに知り合った人達には、「社会人でイケメンで性格がちょっと、その、難しくて」とだけ伝えてある。

 それ以上のことを聞きたがる人も勿論いるのだが、飲み会等のイベントにおける御幸の束縛の強さを目の当たりにすると、“触らぬ神に祟りなし”とでも言うように、皆そっと口を閉ざす。そしてそれはいつしか、噂となって広がったのだ。

 おかげで深く問われることはなく、名前としては願ったりであるし、御幸が危惧するような男も寄って来ないのだ。それこそ、──名前から手を出したりでもしない限り。
 

「⋯⋯って、あ?! もしかして、先週突然大人のおもちゃ買って来たのって⋯⋯」
「半分は俺の趣味、半分はこの一ヶ月、お前がいい子で待ってられるようにだな。上手に使えるように練習しねぇとなぁ」
「それってほんとにわたしのこと信用して⋯⋯きゃ、ちょ、まって⋯⋯っ」





◆結んで結んで結んだら◇

二周年企画に続篇があります。


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