記憶に楔を打ちたくて


 昼休みの雑踏。その中でお目当ての姿を見つけた名前は、自分よりも低学年のクラスであることをいいことに、憚りなく声を張り名を呼んだ。


「あっ、いたいた御幸くーん」
「⋯⋯?」


 机に広げた本──恐らくスコアブックだ──から顔を上げた御幸は、名前を認め一瞬目を見張る。すかさず両手の人差し指でジェスチャー。
 
 わたしがそっちに行く?
 それとも御幸くんが廊下にくる?

 すぐに「行きます」と唇が動き、御幸は立ち上がった。周囲のクラスメイトからは「誰だろう」「部活の先輩かな」などと小さな声が聞こえる。

 もし逆の立場であったのなら、名前も同じことを口にしたと思うし、もちろん視線も遠慮なく向けた。しかし当事者となると、こうして意図せずとも注目を集めてしまうというのは、少し恥ずかしい。

 我ながら小心者である。


「どーかしました? 珍しいっすね」

 
 廊下まで出てきてくれた御幸は、名前を見下ろし首を傾げた。御幸が入学してから約半年。こうして彼の教室まで足を運んだのは初めてだった。

 外では木枯らし。鮮やかに色付いた葉が少しずつ落ち始め、秋の深まりを感じさせる空にはうろこ雲が浮いている。
 

「なんか、御幸くん⋯⋯」
「⋯⋯何すか」
「雰囲気違うね。部活の時と」


 まじまじと御幸を見上げていた。
 名前の言葉に一度、面食らったような表情の変化──わかりにくいが──を見せてから、御幸は「はは」と声に出して笑う。

 
「うるさいです」
「えっ、雰囲気が違うねって言っただけなのに!」
「どーせ『教室ではこんなに大人しいんだね』とか思ったんじゃないんですか」
「あ、はは」
「ほらやっぱり」
「だって部活ではあんなに、その、ほら、ねえ」


 いつも活き活きと野球をし、先輩に対しても何の物怖じもしない姿。仲間と和気藹々とするタイプではないが、こんなふうに、ひとりでぽつりと静かにじっとしているところは、あまり見ない。

 かといって部員に心を開いているのかと問われればそういうわけではない気もする。そもそも野球の才に溢れたこの男は、野球以外のどこかに欠落を抱えているように思えてならない。

 そんな御幸には、野球が、野球だけが、居場所なのだろうか。

 他人に興味を持ったり、ましてや好意を抱くことなどないのだろうか。例えば、たとえば、──名前に対してとか。


「⋯⋯あのー、名前先輩」
「あっ、うん?」
「後輩呼び出しておいて物思いに耽るのやめてもらっていいっすか?」
「⋯⋯それは本当にごめんなさい」


 御幸そっちのけで、言葉通り物思いに耽っていた。しかも中々小っ恥ずかしいことを考えていた。

 途端に俯きもじもじと手先をいじる名前に、御幸は「そんなに落ち込まれても」と笑う。

 その笑顔を見て、思う。そう、結構笑ったりもするんだよね、慣れてる相手には。

 同じ部活だから。毎日顔を合わせる先輩だから。理由なんてそれしかないのだろうが、そこに僅かでも“特別”が混ざっていないだろうかと、探してしまう。何かにつけてそれを探す癖がついてしまった。

 とっくに名前は、恋に落ちている。
 

「で、何の用ですか?」
「あ、そうそう。御幸くん、欲しいものってなあに?」
「は?」
「欲しいもの。何かある?」


 ぱちくり、と。眼鏡越しに両目が瞬く。綺麗な形の目だ。気を抜くと見つめ続けてしまいそうで、意図的に視線を剥がす。

 
「欲しいものっつったって、そんな急に聞かれても⋯⋯つーか何でですか」
「ではこちらをご覧ください」
 

 状況を理解できていなさそうな御幸のために、名前はカレンダーアプリを見せる。予定が所狭しと並んでいて、忙しくも充実した日々であることが伺える画面だ。といっても九割九分は「部活、部活、部活」で埋まっているのだが。


「⋯⋯これ、部活って、毎日あんのに書く意味あります? 普段の練習と違う試合の予定とかが書いてあんなら分かりますけど」
「個人の嗜好はそっとしておいてください」
「ははっ、嗜好」
「そんなのはいいの、そうじゃなくて、ここ! 見てほしいのはここ! 御幸くんのお誕生日!」


 画面の中、小さく縁取られた十一月の一日一日。そのうちのひとつ、一際目立つように、そして一目で誕生日とわかるように装飾された枡は十七日だ。

 束の間、沈黙が挟まって。


「⋯⋯あ? ⋯⋯あー⋯⋯へえー⋯⋯」
「へ、へえー?」


 まさか自分の誕生日に対してそんな反応をされるとは思いもしなかった。まるで他人事のような返事に、思わず転びそうになりながら頓狂な声を上げる。

 そんな名前の様子に、御幸は言う。

 
「いや、あんま興味なくて。ひとつ歳取るだけだし。親からしたら『良くここまでデカくなったなぁ』みたいな心情になるのかもしんねぇけど、自分で自分のことそんなふうに思わないし。まぁさすがに、高校生で歳取ることを悲観してたりはしないですけど」
「──⋯⋯」


 口を開くことが、できなかった。
 だって物心ついた時から、誕生日は祝い祝われるものなのだと思っていた。確かに、またひとつ無事に歳を重ねられた幸福とか、一緒にいてくれることへの感謝とか、理由を付けようとすれば各々色々あるだろうが、いちいち理由を探したこともなかった。誕生日はめでたいもの。嬉しい日。美味しいご飯にケーキにプレゼントに。何も疑わず、そういうものなのだと認識していた。

 でも、御幸は違うらしい。

 その理由はわからない。家庭環境なのかもしれないし、個人の考え方なのかもしれないし。それを推測できるほど、名前は御幸のことを知らない。けれど。

 ここで折れては、いけない気がした。 

 
「⋯⋯そっかぁ。でも、御幸くんが興味なくても、わたしはあるんだ。御幸くんの誕生日に。だから聞きに来たの。押し付けがましいかもしれないけど⋯⋯」
「ああ、なるほど。マネの仕事も大変っすね」
「⋯⋯マネ?」


 五秒だ。
 たっぷり五秒、名前は考える。つまり、何か。御幸は名前が“マネージャーの仕事”で誕生日に欲しいものを調査しているとでも思っているのか。

 思わずちいさな溜め息が漏れた。

 的外れというか鈍いというか。何故そうなる。何故、名前が個人的に御幸の誕生日を祝おうとしていると思わない。何故、そこに潜む好意に気付かない。
 
 掛け違いがもどかしい。
 
 
「御幸くんは⋯⋯わたしがマネージャーの仕事で聞きに来たと思ってるの?」
「? 違うんすか?」 
「⋯⋯あのね、よく見て。他の子の誕生日、書いてないでしょ?」
「いや他のヤツの誕生日なんて知りませんよ」
「⋯⋯こんなにたくさん部員いるんだから、十一月生まれだって他にもいるよぉ⋯⋯」
「あー、まぁ、そっすね、確率的には」


 仮に御幸の言う通り、部員全員の誕生日を祝っているとしよう。だとしても、高校生のお小遣いであればお菓子ひとつがいいところだ。とても各々の欲しいものなど買えはしない。というか一年の四分の一はお祝いをしているということになるのだから、御幸だってその場面に遭遇することがあったはずだろうに。

 なんだかだんだん、腹が立ってくる。理由はよくわからないけれど、とにかく名前は今、悲しい虚無感とともに腹を立てている。


「あーもう! あのね! わたしが、個人的に、お祝いしたいんです! あなたの誕生日を! もう!!!!」
「え、な、何すか急に」
「こーなったら見ててよね。生涯忘れられないような誕生日にしてやるんだから」
「え⋯⋯」
「じゃあ! そういうわけだから! また部活でね!」
「えぇ⋯⋯」


 若干ひいたような声を出す御幸に、力強く頷いて。勢いよく踵を返す。

 御幸の高校生活は、正真正銘、野球漬けの毎日だ。いつかプロの世界で羽ばたくのであろう彼は、この場所で得たどんな思い出を携えて生きていくのだろう。
 
 仲間のこととか。一緒に笑い合った日々とか。そういう、事細かに具体的には覚えていないのに、振り返るとなんだか眩しい記憶の欠片は、彼に残るのだろうか。

 自信がない。

 名前は覚えていると思う。こんなに濃密な日々を過ごせる期間は、きっともうない。ここで過ごした日々を、名前は年老いても時折思い出すと思う。

 でも御幸はどうだろう。
 
 「バカやって笑ってた時こそが青春なんだよな」なんて、そんな台詞が飛び出すとは到底思えない。試合のこととか、選手同士のこととか、そういうことは覚えていそうだけれど。きっとその記憶に名前の姿は、ない。

 でも、もし、本当に。
 生涯忘れないような誕生日にできたなら。

 名前のことも覚えていてくれるだろうか。一年に一回。誕生日が来て、誰か彼かに祝われるたび、名前のことも思い出してくれるだろうか。

 そんな未来を思い描き、名前は拳を握り、床を踏み締めながら教室に戻る。

 その道中、廊下でたむろしていた伊佐敷たちに声をかけられる。


「おー苗字、どした? 気合い入れて歩いてんな」
「うん! 絶対! 負けない!!」


 作った拳を胸の前に掲げ、ぷりぷりと通り過ぎた名前の背中に、不思議そうな視線が向けられている。


「何だぁ? アイツ」
「来月の冬合宿のことじゃない? マネージャーも色々準備あるんだよ、きっと」
「うげー、思い出したくねぇ⋯⋯また今年もアレやってくんのか⋯⋯」
「マネもこの時期からあの気合いの入りようってことは、今年ヤバいんじゃない?」


 などと話されていたことを、名前は知らない。


 
 

◆記憶に楔を打ちたくて◇ 

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