嘯くスーベニア

「御幸くん」
「ん、何?」


 顔を上げた彼は、クラスメイトの御幸一也くん。

 整った容姿に普段は眼鏡(とても似合う)を掛けていて、よく一人でスコアブックという呪文表のようなものを見ていて、倉持くんと仲が良くて(?)、強豪青道野球部の主将で、世代No.1キャッチャーと呼び声の高い、とにかく総括すると“天は二物も三物も与え給うた”みたいな人だ。

 天に愛された代わりに性格に少し難あり、というところでバランスを取っているのかもしれないけれど。

 いや、取れてないか。
 どっちにしろプラマイプラです。

 とにかく、そんな彼だから、とっつきにくいのかと思いきや、話してみれば意外とそうでもない。ちょーっと性格の悪い、同じ人間の男の子だ。

 最初は──こう言っては悪いけれど──興味本位だった。何かの分野での“天才”とは、一体どんな人物なんだろう、という。

 そんな先入観を持っていたから、話すたびに身近度が増していく感覚にわくわくして、気づけばしょっちゅうちょっかいをかけにいくようになっていた。今では、倉持くんに次ぐ仲良しのクラスメイトと名乗っても過言ではないと思う。たぶん。

 そんなある日の、休み時間のことである。


「お土産、何がいい?」
「土産?」
「うん、修学旅行の」


 一週間後に控える修学旅行。
 秋大を勝ち進んでいる彼ら野球部は、修学旅行には参加できず、お留守番なのだという。聞けば彼らにはよくある話のようで、去年の先輩もそうだったのだとか。

 野球部がやばいのか、学校側がやばいのか。だって修学旅行だよ? 修学旅行。高校生活でたった一度の大イベント。偉い人たちでなんとか上手く日程ずらせないんですか?


「へぇー⋯⋯なに、参加できないからって気遣ってくれてんの?」
「うん。御幸くんオトモダチ少ないから」


 彼は些か面食らった様子でぱちぱちと目をしばたいた。それから呆れた表情を作り、溜め息混じりに呟く。


「お前なー⋯⋯」
「あははっ、うそうそ。わたしが買いたいだけだよ」
「どうだかな」
「ふふ、ほんとだってば」


 隠しきれずに拗ねた唇が可愛い。
 こういう姿を見ると、好んで一匹狼でいるわけではないんだろうなと思う。そして、いや、君の性格もおおいに寄与しているぞ、と思い直す。


「てか、どこ行くんだっけ?」
「うっそ。興味なさすぎじゃない⋯⋯?」
「だって負けるつもりなかったからハナから行く気もなかったし⋯⋯って何笑ってんの」
「ううん。御幸くんのそういうとこ、いいなあって思って」
「?」


 野球のことは、人並みに観戦を楽しむ程度にしか知らない。全国を狙って野球に打ち込む彼らの想いの大きさも、この自信の裏に隠されているたゆまぬ努力も、わたしでは量ることができない。

 だから、すごく、眩しく見える。


「じゃあ一緒に見よ。じゃーん、これが我らが旅のしおり!」
「はいはい」
「テンション低ー!」
「だって行かねぇのに見てもなー」
「そっ⋯⋯か。ごめん、さすがに配慮がなかった」


 完全に調子に乗りすぎた。
 そりゃそうだ。行けない旅行の話をされたって何も楽しくない。口ではこんなことを言っていても、彼の本心はめちゃくちゃ行きたいとかかもしれないのに。

 軽率な発言が恥ずかしい。
 後悔して目線を落とすと、その落ちた視線を否定するような声音で、彼はこう言った。


「ああ、いや、お前が行くとこは教えてよ」
「? なんで?」
「? 土産買ってきてくれんだろ? それに、どうせなら土産話もたくさん持ってきてほしいし、それなら行く場所くらい知っときたいし」
「そ、う?」


 御幸くんは、たまにこうして不意打ちで優しい。

 この優しさを知ってしまってから、わたしは彼から抜け出せなくなった。つっけんどんな態度も、お世辞にも良いとはいえない性格も、悪さを企むときの笑顔も、「ああ、御幸くんだなあ」くらいの、むしろ微笑ましい気持ちにさえなる始末だ。

 ──白状しよう。

 わたしは、御幸くんが好きである。


「ほら、見せて」
「あ、うん」


 彼の前の席の椅子を拝借して、向かい合うかたちで座る。

 ふわり。誰かが開けた窓から、やわらかな風が舞い込んだ。





「ここがね! 一番楽しみなの!」


 そう身を乗り出した瞬間だった。「どこ?」と同じく覗き込んだ彼の額と、わたしの額とが、──こつんと触れあう。

 一瞬何が起きたかわからなかった。
 自分の額で、彼の額ならびに前髪の感触を感じ取って、目線を上げる。信じられないくらいの近距離に彼の双眸があって、「ははっ、のめりこみ過ぎ。そんな楽しみなの?」とびっくりするほどあどけなく笑われて、ようやく状況を理解する。

 飛び上がる勢いで顔を上げた。


「っ、ご、ごめ」
「や、こっちこそ」


 一瞬で頬が火照ったわたし。
 平然とした顔でさらりと流す彼。

 そんな対照的な対応をどこか恨めしくも寂しくも思いつつ、わたしは額を両手で押さえた。赤く染まってしまった頬も、ついでに隠すつもりで。そして胸中では抑えきれない動揺と戦っていた。

 どうしよう。御幸くんのおでことごっちんこしちゃった。どうしよう。御幸くんの髪、意外と柔らかかった。近くで見たら一段とイケメンだった。ていうかさっきの笑顔、誰か見た? 破壊力十億はあったよね。やばい。どきどきして心臓口から出る。っていうかもう既に出た。

 額を押さえたままで、しおりに視線を落とすフリ。駄目だ、耐えられない。自分の鼓動に耐えられない。さっさと立ち去ってはくれないか、なんて思うけれど、ここは彼の席であり、しかもわたしが持ち掛けた話題に付き合わせている最中である。

 額のあたりに視線を感じる。
 でも、顔を上げることができない。

 今どんな顔をしてるかわからないし、こんな精神状態で彼を視界におさめてしまったら最後。きっと失神してしまう。

 だから、彼が口を開いてもしおりを見つめたまま、彼を見ずに返答した。


「んー⋯⋯決めた」
「⋯⋯なあに? お土産決まったの?」
「お前にする」
「⋯⋯え?」


 ぐ、と手首を掴まれる。顕になった紅潮した頬がバレてしまった。騒ぎ立てる心臓のまま、つい、焦って、彼を見上げる。

 そこでは、彼がわたしの手首をやわく掴んだまま、小首を傾げとびきり不敵に笑んでいた。

 だめだ、失神しそう。


「土産。修学旅行から帰ってきたらさ、苗字のこと、俺にちょーだい」










◇嘯くスーベニア◆


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