あなたとだから意味があるのよ。
「イルミネーション?」
ズズ、と私の飲んでいたいちごヨーグルトのパックが音を立てる。テレビには私が勝手に録画した二日前のお笑い番組が垂れ流されていて、私の手にはあやとりの紐がかかっていた。
「イルミネーション。行きませんか」
「良いよ、行きたい。珍しいね?」
「休みができたので」
「そりゃあ良いこった」
良いよとは言ったものの、別に煌びやかに飾られた木に興味はない。ただ私は坂田さんと歩くのが好きなだけだ。どこでもいい、とにかく一緒に歩くのが好き。犬の散歩に慣れてるせいかもしれないけど、一緒に歩いていて速度で困ったことがないのだ。それだけで、私はこの人を少し好きになった。
「でもいいの? 坂田さん、JKと二人で歩くの気にするじゃん」
「夜だしいいでしょ」
「大雑把〜」
坂田さんは滅多に私とお散歩に行ってくれない。そりゃ、もう30が見えてきた立派な大人のお兄さんと、不良みたいな髪色をした女子高生が歩いていたら人目を引くかもしれないけど。坂田さんを困らせたくないから、なるべくワガママは言わないけど。私だって、もっと堂々と連れ添って歩きたいのだ。
「いつ行く? 明日? 明後日?」
「まだ始まってないでしょ。次の金曜とかどうですか?」
「夜?」
「夜」
夜に会うのは珍しいことじゃない。家に帰りたくない不良娘の私は、学校帰りにバイト先か坂田さんのお家に転がり込む。お散歩もするしわんこたちをお風呂に入れるのもやるし、なんなら最近は手料理まで振舞って坂田さんにご馳走している。食費は坂田さん持ちなのが申し訳ないけど、順調に胃袋を掴めている、ような気がする。
金夜にデートって、それはもう女が憧れる展開だ。しかもイルミ。すばらしい。
「わかった、次の金曜ね。どの子つれてくの?」
わんこのことを聞いたつもりだった。一瞬わからなかったのか、坂田さんが首を傾ける。それから「ああ」と言って。少し間があって言った。
「ちょっと距離があるんで、つれていかないです」
東京タワーを編んでいた私のあやとりが、ぷつんと指から抜けた。大事な部分だ。振り返って、坂田さんの顔を見る。
「ふたりっきりってこと?」
「ふたりっきりってこと。……なんですか」
「んーん、なんでもない」
私がニッコニコになったから、坂田さんは少し変な顔をした。照れ隠しだろう。本当に可愛いお兄さんだ。
「そろそろ散歩に行きますか」
「うん」
日が落ちてから、私と坂田さんはわんこを連れてお散歩にいく。
「今日は何食べたい?」
「なんでも」
「もー、毎日それじゃん! そんな人は三食福神漬けでーす」
「それは嫌だな」
じゃあオムライスがいいです、と、これまたパパっとできそうなメニューをリクエストされて、やっぱり私はにこにこになる。学校でも、家でも、あまり楽しいことがない私の一日ぶんの笑顔は、全部坂田さんのためにあるんだなあと、最近思う。
「ねえ、手繋いでいい?」
「ダメ」
「ちぇっ」
いつかは繋げるかなあと思いながら、寒そうに首を縮める坂田さんの、ダウンのポッケに手を突っ込んだ。
✣✣✣
「うおー、でっかいね」
「でっかいですね」
てっぺんを見上げると首が痛くなるほどのクリスマスツリー。煌びやかにライトアップされていて、夜だというのに目を凝らさなくたって周りが見える。化学の進歩というのはすばらしいものだ。一言二言ツリーについて言及して、やっぱり人が多いので少し歩くことにした。隣の駅まで並木道が漏れなくライトアップされているのだ。歩きながら、他愛もない会話をポツリポツリと交わす。手にリードがないのが妙に落ち着かなくて、意味もなく体の横でふらふらと振り回していて、すごくワガママなことを思いついてしまった。いつものことだけど、いつも通りじゃなくしたかった。
「ねえ、坂田さん」
「ん?」
「手繋ぎたいなあ」
「ダメです」
「坂田さんはさぁ、今日はなんで二人で歩く気になったんだっけ?」
少し考えるように目を逸らして、坂田さんは答える。
「夜だし、暗くて目立たないから……」
「じゃあいいじゃん」
「ひとつ許すと全部許さないといけなくなるでしょ」
「学校の先生みたいなこと言う! まずもう二人で歩きたいっていうの許しちゃってるの忘れてないー?」
すごくバツの悪そうな顔をして、坂田さんはしっかり顔を歪めた。めんどくさいことを言っている自覚はある。でも申し訳ないことに、私には今が大切なのだ。不安定な環境で生きているから、今しかだいじじゃないのだ。
「……今日だけです」
「やりぃ」
坂田さんの左手を握る。いつも手袋をしている手だ。残念ながら、暖かくもないし冷たくもない。握って暖かくなったって、それは私の体温だろう。
「……ねえ、やっぱり腕組みたい」
ほら見ろ、とでも言いたげに、坂田さんが私を見た。だって仕方ないじゃないか。ひとつ許されてしまえば100個欲しくなるのが人間というやつなのだ。それもこれも、あなたの心ひとつが手に入れば、もうどうでもいいのかもしれないけど。
「今日だけ」
「いいの!?」
返事を待たずに、坂田さんの腕に飛びついた。「歩きにくい」と言う癖に少しも振りほどこうとしないのが大変に愛おしい。
「そういえば、全然イルミ見てなかったな。写真くらい撮る?」
「いいですよ」
坂田さんは写真を撮らない。私が撮って、あとで坂田さんに送るくらいだ。私ひとりで楽しんでるかな、って心配だった頃もあったけど今は違う。前に、何枚か撮ったうちの一枚に、坂田さんが私を見てるところが撮れたことがある。気のせいかもしれないけど、なんだかすごく優しい目で見られてる気がして、堪らなくなって隠しているままだ。たまに眺めて思い出す。見返す度に恋をする。
「……もしかして、別に好きじゃないですか? イルミネーション」
「え? まあ……どうだろ、見て回るだけなのって退屈しちゃうから、わざわざイルミ目当てでは来ないかも」
一瞬坂田さんの顔が固まる。私が次に言う言葉でも予想したのだろうか。たぶんあたりだ。
「あなただから来たんだよ」
別にイルミじゃなくていい。私はあなたと歩きたかった。
「坂田さんこそ、イルミ好きだったの? 意外」
「いや……ひなのさんが喜ぶと思って」
「……ふーん」
「なんですか」
「ふーん!!」
「なんですか……」
じゃあなにか。私たちはお互いに、お互いが目当てで寒い中わざわざキラキラの木を見に来たのか。
なにそれ、なんだかすごく幸せじゃないか。
「ねえ坂田さん」
「はい」
「来年も連れてきて」
坂田さんが、驚いたような顔で私を見る。その顔、かわいくて好き。
「再来年も、その次も連れてきて!」
「その頃には、ひなのさんも大人ですね」
「大人だねっ、とびきり美人になるから。迎えに来てね」
「今待ってるのは俺の方ですけど」
さらっと、当たり前のことのように、坂田さんが言った。待ってるって、何?私が大人になるのを?なんで?
「うわ、なんですかその顔」
「ハグしたくてしょうがないのを我慢してる顔……」
「ダメですよ」
「わかってるっ、しません!」
坂田さんが可笑しそうに笑った。3年。3年って、結構長い。
「もうちょっと歩きますか」
「うん」
待てない。待てないけど、この人はたぶん、3年ぽっちじゃ離れていかない。きっと大丈夫だ。そばにいてくれる。許してくれそうな程度に坂田さんに身を寄せて、3年後を予想してみて、幸せだったから、私は笑った。