変わらぬ想い:4
盛大な祝宴も終えた関羽は、初夜の準備の為に部屋へ戻って行く。
幸せな気持ちでいっぱいの孫権ではあったが、この後には諸葛亮と周瑜、そして趙雲とある話し合いをする為に政務室へと赴いた。
「まず、祝言が滞りなく済んだこと、お喜び申し上げます。さて、これからお話することですが……」
今の呉と劉備軍との同盟の楔は孫権と関羽が夫婦になるということ。しかし、関羽が姿を消したという噂を広めた限り、その楔に代わるものが必要となるという内容であった。
「そこでです…… 孫権さまの御妹君である尚香さまを劉備さまの奥として迎え入れたいのですが……」
孫権にとってたった一人の家族である尚香。尚香には素晴らしい夫を持ち、幸せになってもらいたい。
赤壁の戦いまでの間、劉備とはよく顔を合わせていた孫権は、劉備が猫族の長として素晴らしい人物であると知っている。しかし、孫権が良しと思っていても、尚香の気持ちを最優先したい。そこで、孫権は尚香を政務室に呼び、諸葛亮の考えを伝えた。
「私が劉備さまの所へ……?」
「ああ、嫌ならば断わってもいい」
尚香も新野によく遊びに行っている。猫族との交流がとても楽しかったのか、呉に戻って来てはすぐに新野に遊びに行きたいと、周瑜に強請っていた。あの時は尚香が羨ましいと幾度も思った。
関羽のことを聞きたくても、自分が関羽に告白したことは誰にも教えていない為に、容易く尋ねることもできない。それに周瑜も新野から戻って来ても、猫族の話はするものの、関羽のことに関してはあまり話してはくれない。
尚香た周瑜は自身の目で新野にいる猫族を見てきている。しかし、孫権は関羽の姿を見に行くこともできずに、ただ手紙だけのやり取りだけであった。
手紙の中に趙雲の名が出てくるだけで心の中に嫉妬という黒い渦が巻く。
一国の君主という立場が、孫権の恋路を阻む。
自由に行動ができる周瑜や尚香が正直、羨ましいと思ったことが何度もある。
関羽の耳を隠すと決めた時も、自分が君主ではなければ、あの耳は自由に吹く風や日の光を常に感じることができるだろうにとも――
孫権と共に生きることになった関羽には我慢ばかりを強いていて、一国の権力を握る者であるはずなのになんと脆弱なのだろうと自身を恨んだ。
「私は劉備さまの元に行きます」
「え……?」
孫権が自分の力弱さを悔やんでいた時、尚香が劉備の妻になるという承諾の言葉を部屋の中に響かせる。
「劉備さまも、尚香さまを気に入られていますからね。呉の重臣たちの承諾さえ得れば、話は順調に進むでしょう」
「え……?」
孫権は諸葛亮の言葉にも驚かされた。
「まっ、尚香が新野に行く理由は劉備だったからな」
「え……!?」
尚香は新野の話はしてくれたものの、劉備とそのような関係になっていることなど一言も話してくれなかった為、周瑜の言葉を聞いて更に驚く。
「では、これで呉と劉備軍との同盟は引き続き組むということでよろしいでしょうか?」
「ああ……」
「孫権にも関羽にも幸せになってもらいたいしな。それに、できるだけこの地に多くの血を流したくはないしな……」
民のことを思って、曹操との同盟を考えたこともあった孫権。しかしあの時、諸葛亮は、戦になろうとも同盟を組もうとも、必ず血は流されるというような意味合いの言葉を投げかけてきた。真っ先に流される血が孫権のものだと――
同盟により、呉という国が違うものとなる。
曹操は同盟という言葉を使って、呉を制圧しようとしていた。あのまま同盟の方を選んでいたならば、孫権の願う民の為にはなっていなかっただろう。
あの時、この呉は劉備軍と同盟を結んで正解だったのだ。
まだ力なき君主である孫権。しかし、周りがこうして手を差し伸べて、正しい方向へと導いてくれる。
「尚香はそれでいいのか?」
孫権は何も異論はないが、最終的には尚香の気持ちを聞いてからだ。しかし、その問いも必要がなかったと、言葉にしてから気づいてしまう。
「お兄さまったら、諸葛亮たちの話を聞いていなかったの?」
呆れたような表情を浮かべて笑う尚香の顔には、幸せ色が輝いていた――。
湯あみをして夜着を纏った孫権がこれから関羽と過ごす閨に入る。と、そこには既に夜着に着替えて、寝台に座る関羽の姿があった。
緊張をしているのか、落ち着きがない。そのような姿を見ていると、本当に戦の最前線で勇猛に戦っていた女武将なのかと疑ってしまうくらいだ。
孫権が隣に腰かける。と、関羽の緊張をじわじわと感じた。少しでもその緊張を解き解してやろうと、孫権は先ほどの話を関羽にした。
「尚香が劉備と?」
「ああ…… あなたの手紙にも劉備と尚香がそのような仲になっているとは書かれていなかったから、私も先ほど諸葛亮たちから聞いて驚いた」
孫権が関羽の方に視線を向けて目を見開く。関羽の表情には自分も知らなかったというような色が浮かび上がっていたからである。
「まさか、あなたも知らなかったとか……?」
孫権が問うと、関羽は頬を桃色に染めながら苦笑した。
「全く、知らなかったわ。私はそういうことには疎いみたいで…… ただ、仲良しだなって感じで見ていたの」
戦地では鋭い感覚を持つ関羽。しかし、こういう色事にはかなり鈍感らしい。
恐らく、幼い頃から普通の女の経験が少なかったからかもしれない。
物心ついた時から育て親の世平に武を習い、曹操に村を見つけられた時からは、駒として使われ続けたから――
「それに、劉備を守らないとって…… あの子はね、人間と猫族の混血だって言われて仲間外れにされていた私を、仲間の中に引き入れてくれたから、絶対に守らなきゃって……」
そして、最後には、劉備が尚香と共に幸せになって欲しいと呟く。
その表情には、ようやく肩の荷が下りたという満足感のようなものが漂っていた。
会話をしているうちに緊張も解けたのか、関羽の身体が孫権に寄りかかっている。その上に小さな欠伸までもが口元から吐き出された。しかし、孫権は関羽をそのまま眠らせるつもりはなかった。関羽の肩に腕を回し、ようやく解放された耳を指腹で撫でる。それが気持ちいいのか、関羽も孫権の肩に自分の頭を静かに乗せた。
誓いの印として口付けた額に、孫権の唇が触れる。
「私の心の中にはずっとあなたがいた。そして今もいる…… あなたの心の中にもずっと私はいただろうか? そして、今もずっといるだろうか?」
昨日はその言葉をもらった。しかし孫権はどうしても、この初夜を迎える前にもう一度、関羽の口からその告白の答えを受け取りたかった。それを聞かないと、安心して関羽を抱くことができないと考えていた。
関羽が孫権の肩から頭を上げて顔を見つめてくる。
答えは既に分かっている。そうでないと二人が今、夫婦であるわけはないのだから。
それでも孫権は、言葉で答えを聞きたかった。
「私の心の中に孫権…… あなたはずっといたわ…… そしてこれからもこの想いは変わらない……」
孫権は最後の言葉まで聞いた後、関羽の口を塞ぐ。
軽い口付けが徐々に深くなり、二人の身体を重なりながら寝台の上にもつれ込んだ。
首筋に紅い印をつける。そしてその印はゆっくりと下へ作り上げられていく。
初めてだろうに、関羽の口からは理性を飛ばすような色のある声が漏れる。その心地好い音を聞きながら、孫権の理性はゆっくりと飛ばされていった――。
「おいおい、初夜明けなのに早いな」
朝から談合がある為に、昨夜からの静かで激しかった行為で深い眠りに就いている関羽を起こさないようにして起きた孫権が、談合の間に姿を現すと、周瑜が驚きの表情をこちらに向けた。
「無事に済まされましたかな?」
黄蓋が孫権に初夜のことを遠回しに尋ねてくる。
周瑜は言っていた。
初夜は大丈夫かと――
あの時の彼らの話は全て、外で聞いていた孫権は、尋ねた黄蓋にではなく、周瑜に向かって淡い笑みを浮かべた。
「ああ、問題ない……」
それを聞いた周瑜の顔が面白くて、孫権は声を立てて笑いそうになったが堪える。
「え……? な、何で……? お、お前、できたのかよ……!?」
「ああ、だから問題ないと言っているだろう」
「い、いつの間に、女の扱いを覚えたんだよ!?」
信じられないと幾度も呟く周瑜に、孫権はある種の満足感を覚える。
いつまでも孫権を子どもだと思っている周瑜。しかし、孫権にも男の意地というものがある。
これからは周瑜と並んでこの国を守っていかなければならない。いつまでも周瑜の荷物でいては駄目なのだ。
「周瑜、談合が始まるぞ」
周瑜の瞳に、今の自分はどう映っているだろうか?
子どもではなく、一国の君主として、一人の大人の男として見てくれただろうか?
外に目を向けると、日の光が眩しい光を呉の国に降り落としている。そのような空のように、孫権の心の中も今、輝かしい光で溢れ返っていた――。
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