オンリーユー 1

 



「まだ返事してないの?」




とある日の昼下がり、窓ガラスに大きく“ポアロ”と書かれた喫茶店に立ち寄る。
平日だからか、お客さんは自分の他に二人だけ。そのうちの片方であるコナンくんが、目の前に座っていた私を呆れたような目で見ていた。




「もう一週間くらい経ってない?そろそろ連絡してあげたら?」


『したくないわけじゃないんだけど…怖すぎて……』


「怖いのは向こうだと思うけど…」




見た目が小学生のこの男の子は、ある毒薬によって身体が縮んでしまった高校生探偵。
前から頭の切れる小学生だと認識されていたけれど、中身が有名な探偵だと思えばその頭脳も納得だった。とはいえまだ高校生だから、超人には変わりないけれど。

その事実を知っているのはその毒薬を所持していた組織を追う関係者のみで、警察として動いていた自分も例外ではない。今はその組織とやらも壊滅状態で比較的平和になったのだけど、私はそれとは全く別の問題を抱えていた。


一週間ほど前、組織壊滅に多大な貢献をしたFBIきっての切れ者、赤井秀一に突然告白されたこと。




「赤井さんのこと嫌いじゃないんでしょ?」


『嫌いじゃない…というかあんな人を嫌いな女は多分この世に居ない……』


「ならいいじゃない。どこがダメなの?」


『完璧すぎるところ』


「……え〜…」




オレンジジュースを飲みながらコナンくんが不満そうな顔をして頬杖をつく。コナンくんは秀一と仲が良いから、どちらかと言うと向こうの味方をするようだった。

秀一とは警察として何度か手を組んだことがあるし、見た目の割に中身が外人だから話しやすくて打ち解けるのも早かった。
下の名前で呼んでいるのもそのせいだけど、彼のことを毛嫌いするこの店の店員“安室透”──もとい憧れの大先輩降谷さんからは未だにやめろと言われている。


秀一は仕事仲間としてはとても頼りになる人で、一緒に仕事をするときは気が楽だった。
仲間として順風満帆にやっていたつもりだったが、どこかで何かが狂ったらしくこの前面と向かって「付き合って欲しい」と言われた。

秀一のことはコナンくんの言う通り全然嫌いじゃないし男性としてもそれ以上はいないくらいだと思っているが、なんせ私が平凡な人間に対して彼があまりにも完璧な人なので、告白なんてされる心当たりがなかった。


その中で唯一の心当たりが、出会ってすぐの頃に言われた“とある言葉”である。




『仮に付き合いたいっていうのが本当だったとしても、多分…っていうか絶対、わたしが前の彼女に似てるからってだけなんだよね……』




“雰囲気が似てると思ってな…”
そう彼が零したのは、出会って何回目かの会議終わり。

まだ大して仲良くもなかったその頃、「へー、彼女に?」「まあそんなところだ」と適当に終わらせた会話が今になって鮮明に蘇る。後で知ったが、その“彼女さん”は壊滅させた組織のメンバーで、その頃にはすでに亡くなっていた。だから彼は今でもその人に想いを寄せていて、雰囲気が似ているらしい私に引っ掛かっているのだと。
特別美人でも優秀でもない私に彼みたいな人が釣られる理由が、それくらいしか思いつかないのである。




「赤井さんに限ってそんなことないと思うけどなー…」


『秀一って何年も前からずーっと携帯変えてないでしょ?あれに何か入ってると思うんだよね…』


「入ってると思いますよ?」




「あいつ、あの携帯で彼女からのメールよく見てたので」。

不意に声が割り込んで来たのでそちらを向くと、金髪で色黒の綺麗な顔をした“安室さん”がトレイを持ってそこに立っていた。
役作りとはいえ、降谷さんから敬語を使われるのは全く慣れない。


スパイとして秀一と一緒に行動していた降谷さんの言葉にはかなりの説得力があって、ああやっぱり、と思った。




「ちょっと安室さん、余計なこと……」


「可愛い後輩を守るのは当たり前だろう?」


『あの、わたしってその方に似てますか?』


「うーん…そんなに似てないような気がするけどな…」




降谷さんが空になったグラスに追加の水を注いでくれて、ありがとうございますとお礼を言って受け取る。安室透としての知り合いじゃないから些細なことが気まずくて仕方ない。こんなことさせていい相手じゃないのに。

でもそっか、その人と私はあんまり似てないのか。降谷さんに言われたことを反芻して水と一緒に飲み込む。
それじゃあなんで私は秀一から「似てる」と言われたのだろう。顔じゃなくて仕草とか喋り方とかが似ていたのだろうか。“雰囲気”だと言っていたしそうなのかもしれない。

答えの分からない問いについてぐるぐると考えていたら、突然人の少ないこの店のドアのベルがカランと音を立てた。




「…話は聞かせてもらったぞ」


『――!!? ゴホッ!』




入り口側から聞き覚えのある特徴的な低い声が響く。
振り向けば可愛らしいカフェには似合わない、長身で目つきの悪いその人。視界にちらっと映っただけですぐに分かる。

話題の中心人物、赤井秀一だ。




『な、なんでこんなとこに……』


「悪いがボウヤとはグルなんでね…」


『…まさかコナンくん、盗聴器を……』


「ご、ごめんなさーい…」




笑いながら頭を掻くコナンくんは、いつからか知らないがこっそりこの人宛てに電波を飛ばしていたらしい。どちらかと言うと味方どころじゃなかった。完全に向こうの味方だった。
探偵なので盗聴器や小さなトランシーバーの類を常に所持しているのは知っていたが、よもやこんなことのために使われるとは。絶対に使い道が間違っている。




「お前にしてはレスポンスが遅いと思っていたが、そんな疑いが掛かっていたとはな…」


『お、遅くて悪かったわね……』


「いや、まだ望みがあるようで何よりだ」


『ていうかコナンくんを巻き込まないでよ…』




掛けていた席が二人用なので秀一の分の椅子がなく、彼は目の前まで来るとただそこに突っ立っていた。
コナンくんがわざわざ私に秀一への返事の話を振った理由がここで判明する。秀一がコナンくん相手になら話すと踏んだのだろう。それは事実であったにしても、関係のない彼をごたごたに巻き込むのは可哀想なのでやめてほしい。

私の言葉に「あまりモタモタしているとまずそうなんでね」と答えた秀一は何故か降谷さんの方を見て、気付いた降谷さんは秀一を睨み返した。




「…安室君、水を貰えないだろうか」


「はあ?なんで僕がお前に水を出さないといけないんだ」


「いや、俺のは要らない。沙月のに注いでくれ」


『え、わたしさっき頂いたばっかで…』




半分くらいまで減っていた私のグラスを持ち上げて秀一が降谷さんに水を要求する。その行動の意味がよく分からず、降谷さんに余計な手間を掛けさせまいと奪い返そうとしたが一歩遅かった。グラスは彼の手の中にしっかりと収まり、降谷さんの方へと差し出される。

しかしながら降谷さんは「沙月に頼まれたら注ぎますけど?」と不機嫌そうに言い放ち、結局秀一が自分で水を取りに行った。
八分目くらいまで水を注いだグラスを持って戻って来ると、それを私の目の前に静かに置く。




「つくづく女の勘は怖いものだな…」


『え?』


「お前の言う通り、コレには明美からのメールが入っている」


『…!』




ポケットから携帯電話を取り出して見せてくる秀一。
みんながスマホを使う中、一人だけガラケーだから仕事中もよく目立っていた。




「消せなかったんだ……ずっと。組織に入り込むために近付いたのに、情が湧いてしまったから」




秀一が“明美さん”という前の彼女に肩入れしていることはジョディさんから聞いていた。組織に潜入するきっかけを作るために恋人になったというその人を、一緒に過ごしているうちに本当の意味で好きになったのだろうと。
だからこそ私の中であの言葉が引っ掛かっていたわけで。前の彼女が好きで、今でも忘れられないからこそ私に声を掛けてきたのだと真っ先に考えた。




「でももう明美はいない。今の俺は、お前のことをお前として好きになったつもりだ」




「あのときの言葉を気にしているのなら悪かった」。
秀一はそう続けて、開いていた携帯電話を閉じる。




「俺は今後も明美を完全に忘れることは出来ないだろう。それは認める。
でも、今俺が恋をしているのは間違いなくお前だ。…決して明美の影を追いかけているわけではない」




──これでお前の不安が消えるかは分からないが。

携帯電話を指で摘むようにして持ち上げた彼の思考がそこでようやく分かった気がして、思わず手を伸ばした。




『あ、』




ボチャン!
伸ばした手が空を切って、力なくテーブルに落ちる。


秀一の持っていた携帯電話は、その真下のグラスに注がれた水の中にまっすぐに落下した。




「あ、赤井さん!?」


「悪いなボウヤ…また改めて連絡先を教えてくれ」


「…マジかよ……」




完全に水に沈んだ携帯電話を見てコナンくんが呆気にとられた顔をする。その様を、私は真向かいから黙って見ていることしか出来なかった。




「さて、連絡手段がないのも不便だから今から新しいものを作ってくるとしよう。…沙月、他に何か不安なことは?」


『…ない』


「そうか」




「それなら良かった」。
普段ほとんど笑わない秀一があまりにも綺麗に微笑むものだから、しばらくその顔を見つめてしまった。




『……携帯、買いに行こう』


「一緒に来てくれるのか?」


『…秀一もそろそろスマホにしなよ』


「そうだな。キミのオススメを教えてくれ」




「お釣りは要らないから」とコナンくんのジュース代も含めたお金を机に置いて立ち上がる。
泣きたいのはきっと彼の方だろうに、何事もなかったように振る舞う秀一を見て私の方が泣きそうだった。


店の入り口へと引き返すその見慣れた大きな背中を、背の低い私は少し駆け足になって追い掛けた。






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(赤井さんもずるいことするなあ…)
(どうすんだこのケータイ…僕に処分しろと…?)





END.