バッテリー/SideB
××高校、野球部部室。新入部員として入ってくるには少し遅い五月末。ぼさぼさの白髪を揺らめかせながら、一人の女が男を引き連れて野球部に入ってきた。常日頃から変わらない仏頂面……もといポーカーフェイスが、今日は心なしか嬉しそうに見える。
「お疲れさまです」
「お疲れ〜……そいつ誰? 新入部員?」
「私の捕手」
「私の捕手!?」
さも当然のように言ってのけた言葉を私は見逃さなかった。それは普通にツッコミどころだったというのもあるだろうが、目の前にいるのが大問題児天才投手だからというのもあるだろう。この女の名前は八百万命。地元ではかなり名が知れており、××高校に入ったのもスカウトを受けるためだと噂されるレベルの天才投手だ。
そんな天才投手にチームは……私は、とてつもなく手を焼いていた。というのも、八百万は捕手の指示通りに球を投げないのだ。うまくいくことの方が多いが、それにより捕手が自信を失い、八百万の球は受けられないと泣き言をこぼす。本人に注意をしても『私の方が上手く考えられる』と言い出す始末。__捕手殺しであるとしても、八百万をスタメンに入れたいと思うほどに彼女の実力があるというのがより私の頭を悩ませているのだが__そんな大問題児八百万が自ら連れてきて『私の捕手』と言わしめた男に、私は目を向けた。
「私の球を完璧に取れるようになる男。才能もある。夏までには間に合う」
「急に言うがね君、今まで何人の捕手をダメにしてきたんだい?」
「こいつの名前は絹川優吾。私と同じ学年で同じクラス」
「話聞いて?」
アホ毛をぺよぺよと揺らしながら、絹川優吾に関する情報をペラペラと喋り続ける八百万にツッコミを入れるのを諦め、私は絹川の方を見た。先ほどから八百万の一歩後ろでただ立っているだけの男。困り眉なのは素か、現状に困っているのか。表情からは本心を測りかねるな、と心の中で呟いて、男に声をかけた。
「お前が絹川優吾?」
「あぁ……はい。これが入部届けになります」
「あ、はいどうも……野球経験は?」
「授業でやった程度です」
「なんで野球部に?」
「八百万さんが誘ってくれたので」
大きなため息をついて、頭をガシガシと掻いた。私自身は来る者拒まず去る者追わずの性質ではあるが、これはあまりにも流されすぎている。八百万がやめると言えばやめる勢いだ。言ったところで誤魔化されるだろうが、聞くだけタダか……と口を開いた。
「八百万がやめるって言ったらやめるのか?」
「まぁ、そうですね。八百万さんがまだやれって言うなら話は変わりますけど……」
「言わないよ。なぁ監督、こいつがあまりにも私に流されすぎて不安なのはわかる。でもこいつにはセンスがある。夏までには間に合う素質がある。……私に手を焼いてるんだよな? こいつの指示だったら聞くよ。今までのヘボ捕手よりかは的確な指示を出すだろうからな。もし夏までに絹川がスタメン入りできなかったら二人揃ってやめるから」
「それうちの野球部に何の得もなくない?」
やめるのか、という発言に対して誤魔化さなかったことにも驚いたが、それ以上に絹川優吾を執拗に野球部に入れようとする八百万の執念に驚いた。
噂に聞いて、実際に体感したが、八百万命という人間は捕手に執着がない。自分の投げた球を適切に取ることができるなら誰でもいい。自分に完璧な指示を出せるなら誰でもいい。捕手を自分に都合の良いキャッチマシーンとしか考えていないような女にここまで言わせた男が気にならない監督がいるか。いや、いない。
「……よろしく、絹川」
「はい、宜しくお願いします。監督」
悪魔の囁き、邪心が頭をもたげる、甘い誘いに乗る……私はこの白髪の悪魔に魂を売ってしまったのかもしれない。八百万の言う通りなら化け物のような男だ。もし奇跡的に夏までに大成したのならば、これ以上の逸材はない。最強のバッテリーとなって、甲子園制覇だって現実味を帯びるだろう。背中に伝う冷や汗を感じながら、口角を無理やりねじ上げた。
__後に、実際に絹川は化け物のような成長を見せスタメンにのし上がり、八百万の暴走も落ち着きを見せ、甲子園への切符を軽々と掴んでみせるのだが、それはまた近い未来の話である。
(了)