受難
11月23日。メリッサさんが亡くなってから22日が経った。あの事件も落ち着きを見せたようで、破壊された街並みには修理の手が入り、街の人たちもいつも通りの日常を過ごしている。それはFBI本部も例外ではなく、所々銃弾の痕跡は残って見えるが、大きな破損は見る影もない。張先輩が前と変わりなく愚痴を言っているのを見て、日常を感じる。もしかしたら、いつも通りを演じてくれているのかもしれない。だとしたら本当に頭が上がらないなぁなんて、僕は新人だから誰にも頭は上がらないけれど。
事件は起きる。仕事は忙しい。人の死をゆっくりと悼む時間というのも、中々取れない。あの事件は色んな人から色んなものを奪っていった。家族や友人、同僚……誰一人として、かけがえのないものだった。その人がいなくても世界は回るけど、やっぱり寂しい。人との別れはいつだって寂しいものだから。
「ノア、今いいか」
「あ、イーサン先輩。お疲れ様です。どうかされましたか?」
「アーサーを見なかったか」
「アーサー先輩……?」
頭に疑問符を浮かべながらふとデスクを見回す。マリオン先輩とミア先輩は今朝から外でお仕事。張先輩は仕事に怒りながらパソコンと向き合っていて、イーサン先輩は今僕に話しかけている。……確かに、アーサー先輩のデスクが空いている。嫌な汗が背中を伝う。まさか、いや。確かに顔色は悪く見えていたけど、この前アーサー先輩とクッキーを買いに行ったばかりだし。その時も「妻に渡すんだ」といつも通りの様子で喋っていた。昨日だって、特におかしいところなんて少しも無いように見えた。
「僕は見ていません。連絡も……来てないですね」
「そうか……。こちらにも連絡は来ていないし、こちらから連絡を入れても反応がない。そろそろマリオンとミアが帰ってくる。二人が帰ってき次第アーサーの家に向かってくれ」
「わかりました。準備します!」
仕事をキリのいいところまで終わらせて、外出の準備をする。すっかり着慣れたFBIの外套を羽織り、荷物をまとめる。嫌な予感にそわそわしながら先輩方を待ち、本部からアーサー先輩の住所への道を頭の中で何度も描いた。
扉が開けられて、そこにはマリオン先輩とミア先輩の姿が見えた。五体満足、特に何もない姿にホッとする。ホッとした自分が少しだけ嫌になって、ブンブンと頭を振った。僕がそうしている間に先輩方は報告を済ませ、イーサン先輩から指示を受け取ったようだった。二人とも驚いた顔の後に嫌な予感を滲ませ、僕と顔を見合わせてこくりと頷いた。
・・・・
・・・
・・
・
アーサー先輩が住んでいるのはマンションの一室だった。ごく普通の、なんの変哲もない、一般的なマンション。そのマンションの前に、先輩方と僕は立っている。
「ここにアーサー・ロドリゲスさんが、住んでるん……ですよね?」
「イーサンさんの話だとそうですね。308号室に住んでいらっしゃるとお聞きしました」
「じゃあ三階に向かいましょう!」
三者三様に嫌な予感を抱え込み、階段を駆け上がる。エレベーターが一階になくて、それなら走ったほうが早いと思ったからだ。誰も喋らなかった。ただ僕の中にある焦燥感が溢れてしまわないか、不安で不安で仕方がなかった。一足先に三階に到着して、辺りを見渡す。アーサー先輩はいない。308号室を見つけて、そちらに歩み寄る。扉の前に立った。鍵はかかっている。中から物音は聞こえない。ミア先輩とマリオン先輩も到着して、鍵を開け、そっと扉を開いた。
中は静かでなんの音もしない。警戒しながらそっと、家の中を歩んでいく。もしかしたら寝坊かもしれない。ガチャリと扉を開けたアーサー先輩が「悪い、寝坊した」なんて、そんなことを言ってくれたら。どれだけ助かるか。リビングまで辿り着いてもなんの進展もなく、ピリピリとした空気が漂う。あの事件は実は終わっていなかったのかもしれない。いつでも応戦できるように準備を整えて、部屋の扉を開けて行く。キッチンにも誰もいない。浴室にも誰もいない。
次の部屋の扉を開けて目に入ったのは、眠るアーサー先輩だった。全身からドッと汗が噴き出す。そのアーサー先輩の顔はいつもと確かに変わりはないのに、なんだかすごく、死んだように眠っているように感じ取れて、とても嫌だった。咄嗟に駆け寄りタオルケットを剥ぎ取る。
「アーサー先輩、起きてください!アーサー先輩!」
肩を思い切り叩き、大声で呼びかける。体は冷たくはない。大袈裟にも思えるが、今はこうでもしなければ安心できなかった。アーサー先輩は寝起きはいい方だった。声をかければすぐに起きる方だった。日頃の疲労の蓄積だろうか。にしてもここまでやっても起きないのはどう見てもおかしい。
手首を取って脈の有無を確認する。胸に頭をやって呼吸の有無を確認する。瞳にライトを当てて瞳孔の散大を確認する。脈有り、呼吸有り、瞳孔の散大無し。死んではいない。僕は医学に通じているわけではない。精神にも詳しいわけではない。でもこれは、病院で見てもらったほうがいいような、そんな気がした。
「ノアさん、アーサーさんはどうですか?」
「脈も呼吸もあります。瞳孔の散大もないことから死んではいない……ように見えます。でも、ここまでの呼びかけをして起きない人はそういません。変であることに間違いはないです。僕じゃこれ以上のことはわかりません。一応救急車を呼んだ方がいいと思います。大事にする必要のないことであればそれでいいんです。笑い話で済みます。でも、今回はそうじゃない気がするんです」
「俺は手当に心得があるわけではないので、ノアさんがそういうなら、その方がいい……と思い、ます」
「私も同じ意見です。笑い話で済むなら、それでいいんです。でもそうじゃない可能性が少しでもあるなら、私は呼んだ方がいいと思います」
無言で頷いて911を入力する。すぐに電話は取られ、「どんな緊急事態ですか?」と返答が返ってくる。救急である旨を伝えれば転送され、そこで事情を説明する。呼吸はあるが意識がない。外傷もない。説明が済めば「すぐに向かいます」と連絡が入り、そこで電話は切れた。
しばらくすれば救急車がやってきて、アーサー先輩を連れて行く。意識がないために力の入っていない先輩を連れて、病院へと向かって行った。
「……一応、イーサンさんには連絡を入れておきました。病院に向かわれるそうです。何か異変がないか、家を確認して欲しいと指示がありました」
「ありがとうございます。えっと、じゃあ、見ていきましょうか」
リビングはお話に聞いていた通り奥さんとの二人暮らしの痕跡の残る部屋だ。写真の並んでいる棚があり、使用感のあるキッチンがあり、机に向かい合わせに椅子が二脚ある。棚の写真には若い頃のアーサー先輩と奥さんらしき人が並んでいて、とても微笑ましい。
「え?」
僕が声を上げると同時に、ミア先輩が「あ」と声を上げた。
「PTSDの診断書……が、あるんですけど……」
「どうか、されましたか? 歯切れが悪いように聞こえますけど……」
診断書。振り向いて見てみれば二十年前のテロ事件から悪夢を見るという話。見知らぬ少女が見えるという話。最近のものは、見知らぬ少女が見えるという項目がなくなり、悪夢のみになっている。
「奥さんを支えに、頑張ってきていたんでしょうか」
マリオン先輩がきゅっと口を結ぶ。二十年前のテロ事件は、マリオン先輩にとっては、とても苦い思い出だろうから。いや、それよりも。僕の見てしまった異変を、見逃すことはできない不和を、確認しなければならない。震える手でそれを指差して、先輩方に声をかける。
「あの、先輩。これ、どう見えますか」
診断書を見ていた四つの瞳が棚に注がれる。棚に置かれている写真。全て楽しそうなアーサー先輩の顔が映っている。
「……え?」
――全て、楽しそうなアーサー先輩の姿しか映っていない。本来そこに映っているであろう誰か、そこにいるかのように演出されている写真は、違和感と共に不気味さがやってきて、これは自分の幻覚なんじゃないかとさえ思ってしまうほどだった。
「それ、って、アーサー・ロドリゲスさんの写真……ですよね」
「にしても何かおかしくはありませんか? 誰かいるみたいな……切り取った、ような……」
「僕もそう思って……今よく写真を見ていたんですけど、これ」
そういって何枚かの写真を指さした。綺麗な服を身に纏う15歳ぐらいの少女と一緒に写る、同じく15歳ぐらいのアーサー先輩の写真。エレメンタリースクールの前で並んで写真を撮っている男の子と女の子。公園で遊んでいる幼い子供たち。男性のどれにもアーサー先輩の面影があって、女性のどれにも同じ面影がある。恐らく奥さんと思しき方。奥さんのものであろう写真が若い頃のものしかない。具体的には少女期の頃。……20年前、ぐらいの。
「行って、みま、せんか」
「何処にですか?」
「アンダーソン精神病院……アーサーさんが通っていらっしゃる精神病院に、です」
「精神病院に行ったら、この謎は解けるんでしょうか」
「解けるかは分かりません。でも、行ってみないことには始まりません。で、ですから……」
だんだんと語気が弱くなっていくマリオン先輩。もしアーサー先輩のPTSDに20年前の件が関わっていたら、きっと先輩は自分自身を責めてしまう。それでも、調べる必要があるなら、調べなければならない。それが仕事なら、責務なら。先輩は責任感がある人だから調べることができる人だって、僕は思う。
「行きましょう!」
「そう、ですね。それで、何かわかるなら。知らないと」
「イーサン先輩に連絡しましょう!アーサー先輩の現状を報告すればきっと、捜査の許可をくださるはずです!」
言ったならば行動だ。携帯電話を懐から取り出してイーサン先輩に電話を掛ける。アーサー先輩の現状、これからしたいことを簡潔にまとめて報告する。急に目覚めなくなったFBI捜査官、その異変を捜査する許可が下りた。「ありがとうございます!頑張ります!」そう言って電話を切った。僕にできることはいつも通り振舞うこと。できることをやること。引っ張れるなら引っ張ること!
「イーサン先輩に許可頂けました。それじゃあ行きましょうか!先輩!」
「……そうですね。行きましょう。アーサーさんがどうして目覚めないのか、調べないと」
そうして僕たちは、アンダーソン精神病院へと向かった。診断書に書いてあることの真意を確かめに、アーサー先輩の謎を解き明かすために。道中、マリオン先輩の電話の声以外の声が響くことはなかった。緊張か、恐怖か、その顔の下にある感情が何なのかは分からないけれど、運転をしているミア先輩の顔がいつもより険しい気がする。病院へアポを取るマリオン先輩の手が震えて見える。僕も心臓は縛られてるみたいに痛くて、手先が冷たくて仕方がなかった。
沈黙で耳が痛い車内は駐車場で停止し、車がその四輪の駆動を停止する。入り口で所属と名前を明かせば、受付の人が先導して案内をしてくれた。担当医の名前はエリス・ブレイアム。20年前からずっとアーサー先輩の担当をしている方らしい。仕事の合間を縫って今僕たちの話を聞いてくれるとのことで、聞きたいことをまとめて頭の中で反芻する。写真の謎、先輩の意識不明の謎、きっとすべてつながっているんだ。知らなければならない。あの事件に関わってしまった、あの事件を知ってしまった僕たちだから。
「こちら今エリス先生がいらっしゃいます」
「ありがとうございます」
全てを知るかもしれない人のもとへ、扉をそっとノックする。その先の真実がどれだけ残酷なものか、誰も、その全てを知らずに。
(了)