001

蝉の声が今日は特に五月蝿い。夏の盛りだから、というよりも今日はビルで出来た森林ではなく、本当の森林にいるからだろう。木々の隙間から射す太陽光は都会で受けるものより幾分か柔らかな気がした。湿り気のある土を踏み締め、一歩一歩と進んでいく。

「ん?」

視界に写ったそれに、つい足が止まった。
何てことない苔むした石だった。ただ、何となく気になった。大きすぎず小さすぎず、丁度いいサイズだ。少し違和感があるとすれば、形にだろうか。横から見た感じだが変に平たいような気がした。
こうした石を動かすと、その下に虫が多くいる。ので、なるべくなら触りたく無い。虫が無数にひしめき合っている姿なんて見たら、嫌悪感から飛び上がってしまうだろう。
それでも何故かやらなければと思うのだ。こういう勘は無視しない方がいい。16年生きてきた中での経験だ。
仕方無く石に手を掛ける。差程力を入れずとも、ゴロリと石がひっくり返った。石の元在った場所をなるべく視界に入れないようにしつつ、新たなその面を見る。
裏側と同じように、所々苔に覆われていたが凹凸ははっきりと分かった。
時間があればこの石像を綺麗にしてやりたいところだが、生憎そんな余裕は無い。
ごめんなさい、と一言謝りせめて誰にも踏まれないように道の端に寄せる。しっかり神様が表に見えるよう置くと手を合わせた。

「八代?」

聞き慣れた声に顔を上げる。先を歩いていた夏油先輩だった。

「遅いから見に来たんだけど……」
「あ、すみません。そんなに時間掛かってましたか」
「いや、そうでもないよ。けど、何かあったかと思ってね」
「あったと言えばありましたね」

ほら、と身体を脇に退け道祖神を見せれば夏油先輩は首を傾げた。

「地蔵、かな?」
「惜しい先輩!」

夏油先輩は、苔まみれ泥塗れの石像を不思議そうに覗き込む。凹凸が分かっても何が彫られているかは分からないようだ。

「ほら、ここの出っ張り分かりますか?ここが顔で……多分こっちが男性神で、こっちが女性神です」

指で輪郭をなぞるように動かす。彫られているのは二柱の夫婦神。地蔵とはまるで異なるそれを人々はこう呼ぶ。

「『道祖神』ですよ。これは」

道祖神。
道陸神、賽の神、障の神などとも呼ぶ。神様一人のものもあれば、今回の様に夫婦神の時もある。一方で文字だけ彫られたものだってある。
道祖神は、悪疫が入ってこないように置かれるものだ。この道祖神も、元は疫病や悪霊がここを通りすぎないように守っていたのだろう。しかし、何時しか土にまみれ、苔に覆われ、倒れ、踏まれ、信仰が途絶え、ただの路傍の石と化したのだ。

「へぇ、よく分かるね」
「一応、これでも神社の生まれのなんで」

手に着いた土を払い落とし、ついでに少し汚れたズボンも叩いておく。ウェットティッシュがウエストポーチに入っていたはずだが、取り出すのは億劫だった。

「豪快だね」

苦笑を溢す先輩に、乾いた笑いを返した。

「お待たせしてすみません。行きましょう」

道祖神の前を飛び越えるようにして横切った。
とぷんと水音が聞こえた気がする。
それと同時に何かを越した感覚があった。
薄い膜を潜ったような奇妙な感覚だ。「帳」を潜った時のそれとも違う。だが、どこか感じたことがあるような気がした。どんな感じなのか表現出来ないのが難しい。
何だったっけ。
奇妙な感覚を覚えたまま、私はその場をあとにした。

※※※

指令──
8月✕日、△△県山間部集落を覆うように申請の無い帳を確認。
周辺調査のため『窓』を二名派遣。

四時間後、『窓』より連絡が途絶。問題が発生したと思われる。
よって、調査のため東京高専より以下二名の呪術師を派遣する。

二年生 夏油 傑(一級呪術師)
一年生 八代 椿(三級呪術師)

本件は呪詛師の関与も考えられるため、確認でき次第、当該者の捕縛もしくは呪殺を遂行すること。