002

「それで、どうだったの?夏油さんとの任務」

そう言ったのは、同級生の灰原だ。向かい合わせにした机の反対側から、目を輝かせている。が、手は机の合わせ目のお菓子の山に伸ばされていた。
時間は昼。丁度お昼ご飯を食べ終わり、少し足りない部分を持ち寄ったお菓子で埋めようとしていた。カロリーだのなんだの気にすべきではあるが、成長期という言葉を盾にしてしまえばいい。そう自分に言い聞かせ、ちんすこうの小袋を手に取った。

「何もなかったよ」
「え、そうなの!?」

目を丸くする灰原。
頷きながら、私はちんすこうを一口齧る。
もそもそと咀嚼していると、思っていたよりも口の中の水分がゴッソリ持ってかれた。喋るにも、喋りづらい。言葉の続きを待つ灰原に手で待つよう合図してから、パックの牛乳で口の中を潤す。
その間に、灰原の口にお菓子が三つほど消えていった。掃除機のような早さだった。

「任務の集落に行ったら、事前情報の帳が無かったんだよね。残穢も無し、集落の人間にもおかしな所は無し、呪詛師も見当たらないって感じだったんだよ」

思い出すのは昨日の光景だ。
呪霊はいたが、低級が一体。呪詛師が術式を使用した痕跡も無し。住民に探りをいれてみたけれど、結果はシロ。
一級の夏油先輩との任務ならヤバい案件だろうとそれなりに警戒していたのが馬鹿らしく思えてしまう。

「あれなら私、必要ないじゃんって感じだったよ」

二つ目のお菓子に手を伸ばす。適当に掴んだのは紫芋タルトだった。

「そっかぁ……でも、それじゃ任務はどうなったの?」
「一応、夏油先輩と調査はしたよ。でも何も出ないから補助監督さんに任務内容の再調査をお願いしてきた。何もないのが一番だけど、実際行方不明者は出てるしね」
「そうだね……早く見付かるといいんだけど」

呪霊の犯行ならば、死体が出ないことはザラにある。あればいい方だ。
また、ちんすこうの袋を手に取る。個包装の袋を破ると丁度よくガラリと戸を引く音がした。見れば、週半ばのサラリーマンみたいな表情の七海が立っていた。今日は私達以外の呪術師との任務だと聞いた記憶がある。

「七海お疲れ様!」
「お疲れサマージャンボー!七海!」

机の空いたスペースにいそいそと椅子を引っ張ってくると、七海は促されるままその席に座る。
そろりと顔色を窺えば、眉間に深いシワが刻まれていた。
灰原が七海の前にお菓子を幾つか並べると、彼はビターチョコに迷わず手を伸ばした。

「大丈夫、七海?授業休んだ方が良くない?」
「そーそ!無理は禁物だよ?」

チョコの封を切った後、七海は深々と溜め息を吐いた。

「任務はそこまででは無かったんです」
「うん」
「下駄箱辺りで、五条さんに絡まれまして」
「あー……」

灰原は分からないようで首を傾げていたが、私は成る程な、と納得がいった。
一つ上の五条パイセンは少々、いやかなり……というか物凄く性格に難有りなのだ。年上だから誰も彼もが尊敬できるわけではない、を証明しているような人だ。
七海は真面目な性格だからか、弄りにこられる頻度も心なしか高い気がする。

「本当にお疲れ様」

労いも込めて、七海の前にちんすこうを置く。
少し目を見開くと、七海はじとりと私を見た。

「これを買ってきたのは私達でしょうが」
「えー、でも流石にもう一人で食べるのは飽きたよ。二箱は食べたしさ」
「沖縄土産が欲しいと駄々を捏ねたのは八代でしょう」
「確かにそうだけど!何で私一人に対して五箱ずつちんすこうと紫芋タルト買ってくるの!?一人で食べきれないよ!」

先日、二人だけ沖縄に行く任務があった。先輩達の任務の応援らしい。本来であれば私も行くはずだったのだが、急に北海道に行く任務が入ったのだ。
沖縄と言えばマンゴーにパイナップル、ソーキソバ、もずくと美味しいものばかり。しかもなにより、夏の沖縄といえばバケーションにピッタリな場所だ。一応捕捉すると、北海道が悪いとは思っているわけではない。北海道は大概何でも美味しいと聞いているし、観光地だって多い。
けれど、何故一人寂しく北海道に行かなくてはいけないのか。どうせなら二人と一緒に沖縄で遊びたかった。
そんな感じにと空港で駄々を捏ねたことは確かだ。
けど、それでも各五箱は多すぎる。せめて二箱にしてほしかった。

「灰原、貴方も食べてないで何か言ったらどうなんです?」

急に話を振られた灰原はきょとんとしていたが、すぐに顔を綻ばせた。

「僕は、美味しいものはみんなで食べた方が良いと思うよ!」

お菓子のゴミをコンビニの袋に入れながら、灰原は言葉を続ける。

「それに、七海が『八代はよく食べるから、足りるか不安ですね』って、五箱にしたんだよね」
「七海が戦犯じゃん!?」

バンと机を叩けば、気まずそうに七海は目を反らした。
それから咳払いを一つ。

「もうすぐ、午後の授業になりますよ」




カツカツと音を立てながら、チョークが黒板を飾っていく。その様子を頬杖を付きながら眺めつつ、先程の七海を思い出してつい笑いが溢れた。
何度考えても、五箱は食べきれると確信した理由が分からず笑えてしまう。普段からたくさん食べているわけではないのに。
きっと七海は、私が相当拗ねてると踏んで多めに買ったのだろう。と予想できるが、それにしたって限度はある。
まぁ、今回は貰ったお土産を賞味期限までに食べきれないから、と持ってきた私も悪いが。
男子だとか女子だとかいう区分なく私、灰原、七海の三人は仲が良かった。『たった』三人だから、というのもあるだろう。
─東京都立呪術高等専門学校
人成らざるもの、負の感情の淀みから生まれる呪霊を認識し、祓うことのできる『呪術師』を育成する場所。そして、今現在、私達が所属する組織でもある。
呪術師はマイノリティだ。全人口の中でもほんの一握りしかいない。
ともなれば、同い年で呪術師となれるのはほとんどいない。
そんな中で出会えた、数少ない同級生だ。初めは多少のぶつかり合いもしたが、入学からもう数ヵ月。何度も危険を共に乗り越え、信頼関係が築き上げられるのは当然だった。

教師役の補助監督が手を止めた。

「八代さん、この問題解いてみてください」

指されたのは黒板に書かれた問題の内の一つ。
おそらく、そこまで難しい問題ではない。
はい、と返事をして立ち上がり黒板に近付く。黒板下の短めのチョークを取ると、例題の通りに式を作っていく。

「できました」

チョークを置く。
自信が有るか無いかと言われたら、無いと答える。が一応筋は通っているハズだ。

「残念、違ってますよ」
「え!?そんな!?」

落ち込む間も無く席に戻るよう促され、大人しくそれに従う。ショボくれながら席に座ると、灰原が横でサムズアップした。

「灰原くんは分かりますか?」

どうやら答えが出るまで全員に回答権を回すつもりらしい。
灰原はうーん、と唸ると、何か閃いたように人差し指をピンと立てた。

「はい!a=5です!」
「うん、違います」

バッサリと、灰原の答えも即座に切り捨てられる。
私は灰原の肩を叩いた。

「七海くんは分かりますか?」
「a=3です。八代の回答は二行目辺りの途中式で間違えています。おそらく灰原も」
「え、そうなの?」

ニッコリと担当の補助監督は笑みを浮かべた。

「正解です」

流れるように私の書いた答えに直しを入れていく。
そうしてようやく、分かった。
ノートに要点をまとめ、テストの時に注意しようとマークを書き込む。多分きっと本番でも間違えそうだ。

「じゃあ、今日はここまでで」

声を合図に時計を見れば、もう一限分の時間が終わる。
早いな、と外に目を向けた。まだ燦々と太陽が輝いていた。蝉の声もよく聴こえる。
だからだろうか、校舎外に人影はひとつも無い。
そのままぼんやりと視線をさ迷わせると、ふと違和感を感じた。

「どうしたんです?」

ハッと顔を上げれば、カバンに教科書を入れながら、七海が眉根を寄せていた。
まるで、「お前、何か変な考え事してるんじゃないだろうな」という視線が突き刺さる。非常に居心地が悪い。

「いや、夏だなって思って」

適当なことを話せば、更に視線が訝しげになる。

「何言ってるんですか、貴方。当然じゃないですか」
「辛辣だね!七海!」
「また、人の部屋にミラーボールでも仕掛ける算段でもしているんじゃないかと疑っているだけですよ」
「いや、違うよ!?本当に考え事だよ!?それにあれは七海の誕生日だからやっただけだし!!人生何事も驚きは大切だからね!」
「そんな驚きはいるか」

はぁ、と呆れたような顔で七海が頬杖をついた。疲れきった顔は、どこからどう見ても同い年には見えない。

「七海、良かったら息抜きにアイスでも食べに行こうよ!」

灰原が気遣うように言った。

「久しぶりに三人共任務無いしさ!あ!八代と僕がアイス買いに行って、七海の部屋で食べるのでもいいよ!」
「何故私は部屋なんだ……」
「だって七海の部屋が一番綺麗なんだもん!ね、八代!」

ねー!と灰原と顔を合わせれば、七海が眉間を揉んだ。そのまま椅子に凭れかかり、天井を見上げる。
無言のまま数秒。

「……ダッツのバニラ」

小声でぼそりと呟かれた言葉を、確かに耳が拾った。
私と灰原はもう一度顔を見合わせる。お互い、満面の笑みを浮かべていた。