004

薄くスモークがかった窓越しの日差しは、刺すような眩しさを無くし眠気を誘う。半分微睡みながら外を眺めれば飛ぶように景色が流れていく。田舎の道路だからか、お昼だというのに民家や人影は少ない。緑ばかりが視界を染め上げた。
ブブと振動が身体を揺らす。眠気眼で学ランのポケットから携帯を取り出し開いくとメールが一件。開こうとしたところで車の速度が落ちた。
着いたようだ。
停車するまでの僅かな間にメールを読み終えてしまおうか、と思ったが直前で指が止まった。少しの間を開けて、携帯を閉じる。外部ディスプレイに、画面と同じく「メール一件」と表示された。それも、チカチカと数度瞬くと消える。
メールの返信が面倒だったのではない。読んでしまえば、余計な雑念が生まれてしまいそうな気がしたのだ。
車が完全に停車した。
シートベルトを外してドアの外に出ると、少し前に見たものと同じ風景が広がっていた。

「緊張しているみたいだね」

助手席から出てきた夏油先輩が言った。
それはそうだ。不可解なことが多すぎる任務だ。それなりに緊張もする。

「当り前じゃないですか。というか、そもそも私がこの任務に参加しなきゃいけない理由が不明なんですが」

呪術師には等級がある。一番上は特級。その下から一級、準一級、と並び最低ランクとされるのが四級だ。今の私は三級。同期の中では一歩先にいるけれど、呪術師全体としてみればけして高い等級ではない。単独任務が許可されないレベルと言えばどれほど低いかがよく分かる。
術式も特別強いかと言われればそうでもない。縛りだけが無駄に面倒で、使い勝手がよろしくないのだ。
呪力操作という点ではまあ、そこそこいける方だとは思うけれど反転術式が使えるわけでもない。
身体能力だって特別高い方でもない。
自分でも、きっと二級辺りでやっとだろうなという自覚がある。
それなのに、明らかにレベルがあっていない任務だ。上層部からの命令だとしても異議を唱えたくなる。どんな理由があってのことなのか、と。

「私の代わりに、五条パイセンが来る方がいいやつじゃないですか」

口を尖らせると、夏油先輩は子どもでも窘めるように微笑む。

「悟は忙しいからね」
「私じゃ役不足だって言ってるんですけど……。そりゃ、守りの硬さは中々だとは思ってますけど、それだけですし」

なんなら、夏油先輩一人の方がいい。
足を引っ張る事くらい目に見えるのだから。

──呪霊操術

夏油先輩の術式。一定ランクの呪霊を使役することのできる術式だ。珍しい術式で祓うはずの呪霊を操るという異端さと同時に手数の多さは恐らく数ある術式の中でもトップクラス。使いこなせれば、それこそ何だってできると聞いたことがある。
前回の調査時も先輩が使役する呪霊を放ち、それでおしまいになった。今回もきっと人海戦術ならぬ呪霊戦術で簡単に片が付くだろう。
私が何もすることなく。

「五条パイセンも、夏油先輩も強いんだから私本当にいなくていいのに……」

ぶつくさと文句を垂れても夏油先輩は気にした様子もない。

「さて、行こうか」

その視線の向かう先は青々とした山。それをこれから登るのかと考えると更にやる気が削がれる。だらりと身体を車に預けると名案だと言わんばかりに夏油先輩は手を叩いた。

「八代、たしか結界術は得意だったよね」
「はあ、まあ得意っちゃ得意ですけども。なんで結界?」
「この山の辺りを覆う感じでの『帳』を下ろせたりするかい?」
「とんでもない無茶ぶりですね!?手順を踏めば可能ですけど、何でです!?」
「いや、呪霊で飛んでいけば楽だと思ってね。だって、こうも暑いと山を昇るのは面倒だろう」

パタパタと手で仰ぐ夏油先輩は確かにかなりの汗をかいていた。トレードマークの独特な前髪も、汗のせいかやや固まっているように見える。
今日はどうやら暑いらしい。
私は袖を捲り腕時計を見た。温度計機能付きの腕時計には32℃と表示されている。成程、確かに今日はかなり”暑い”日だ。
ふむ、と顎に手を当てる。

「この辺人いないですし、このまま呪霊で飛んじゃっても問題ないのでは」

『帳』は外部から呪いとそれに纏わるものを見えなくさせる結界の一種だ。呪力さえあれば向き不向きはあれど大概は使える。呪いを目撃した一般人が恐怖心を抱くことで呪霊を生み出さないため、そして世の平穏を乱さないために跋祓の際に降ろされる。
住宅街などの人が多い場所なら私も当然帳を降ろすことに反対しない。だが、ここなら見られたとしても田舎で偶々目撃されたUMAとして、ほんの一時ネット上で話題になる程度だろう。
広範囲の結界ならばその範囲を囲うように呪符や呪具等を配置しなければいけないため、この山を囲うよう行動してから任務となると流石に面倒だというのもある。
ちらりと補助監督を見た。ちょうど携帯をいじっていたようで、帳を降ろすのが面倒だという今の会話は聞かれていないらしい。高専としてならば怒られる案件なのでほっと息を吐いた。

「この辺り、どうやらハイキングに来る人も多くは無いがいるらしいんだ。その人たちを怯えさせるわけにはいかないだろう?」
「ええ……じゃあ、呪具の配置やらなきゃいけないじゃないですか」

呪符を何枚かウエストポーチから取り出す。祖父直伝の結界符だ。これを一定の距離に配置し、結界を降ろしたい範囲を囲めば安定して帳を降ろすことができる。
ピラピラと仰ぐように札を遊ばせると夏油先輩がそれを手から引き抜いた。思わず半目になって先輩を見上げる。

「それは私がどうにかしてあげるよ」
「暑くて歩くの面倒なんですね……」
「いや、これも呪術師としての役目さ」

ウソつくなよ、という言葉を直前で飲み込んだ。夏油先輩の背後から、わらわらと呪霊が飛んでいくのが見えたからだ。勿論、私の呪符を持っている。

「というか、件の集落まで呪霊を先行させればいいのでは」

呪霊操術についての基本的な情報しか知らないが、呪霊とある程度視覚の共有やらできるのであればそれで片が付くだろう。

「それならもうやったよ」
「なら、何で」
「祓われたんだよ」

夏油先輩が細めていた目を開く。
私は息を飲んだ。

「全て、ね」



村の内部は異常に空気が重かった。
澱んでいると言うべきか、清すぎると言うべきか。おかしなことに相反するはずのその表現しか浮かばない。
どうにもそれが落ち着かなくて、キョロキョロと周りを観察する。
民家は疎ら。荒れ果てた空き家ばかりが目立つ。
数日前も見た姿と変わらない筈だが、その時よりも寂しく映った。
……おそらく、もう二度と誰も帰ってこないと知っているからだ。
人が絶えたこの場所は、何れ山に埋もれるかして消えていくのだろう。

「なんか、寂しいな」

ぽつり、と呟く。
限界集落に分類されるだろう場所だ。近い将来、確かに荒廃していたかもしれない。
けれど、その時期は少し先だった。本来ならば。
呪いがなければこうはならなかった。緩やかに穏やかに、眠るように最期を迎えた筈だ。

「何か言ったかい?」

どうやら多少聞こえていたらしい。先輩が振り向いた。
私は小さく首を横に振った。
感傷に浸るのはまだ早い。それに私が悲しむのはお門違いだ。悲しむべきは今回の被害者の身内であり、それを守れなかった私ではない。

「……いえ、何も。ところで呪霊で探知やった時はどんな感じだったんですか?」
「そこまで情報を得る前に祓われた感じだから、全く無いと考えてもらっていいよ」
「うげ、それ本当にヤバいですね」

何が呪霊を祓ったのか。
見つかっていない窓は生きているのか。
最初に目撃された「帳」は何処に行ったのか。
そして、あの奇妙な死体は何故なのか。
考える取っ掛かりになるものは何もない。これでどうしろというのか
多少の苛立ちをぶつけるように小石を蹴れば二、三度転がって止まった。
──その直後、ゾワリとうなじの毛が逆立った。
ナニかが来る。微かに知っているような感覚もあった。けれど、この感覚はロクでもないものだろう。予感ではなくこれは確定事項だ。
後ろに飛び退くと同時に手を鳴らす。

「先輩!何か来ます……!」

打ち鳴らした音が消える前に、呪力が正常に体に巡る感覚があった。間違いなく私の術式は発動していた。
……ハズだった。

「っ八代!?」

夏油先輩が叫ぶ。

鮮紅が迸った。

先輩のものではない。
一息置いてから、自分がどこからか攻撃されたのだと理解した。
アスファルトに叩き付けられる直前に受身を取って即座に起き上がる。

「大丈夫です!捥げたわけじゃないので!」

濡れた腕を押さえ、辺りに視線をやる。呪霊の気配も呪詛師の気配もない。
それでもまだナニかがいると感覚が告げている。ふ、と浅く息を吐く。
夏油先輩も呪霊を出し警戒態勢だ。

──とぷん

場違いな水音が聞こえた気がした。それも足下からだ。辺りに水辺はない。それなのに私の耳は確かに水音を拾った。

呼吸を殺す。
物音を聞き逃さないために。

──とぷん

今度は夏油先輩の方からだ。

汗が頬を伝う。

とぷん、とまた音がする。
断続的に聞こえる音はまるで泳いでいるかのようだった。勿論、悠々と獲物を追い詰める捕食者として。
このままではじりじりと精神だけが磨耗していく。我慢比べはなれたものだけれど、今は身体を考えるとそうしている時間はない。
ヌルリと滑る指先を擦り合わせると、雫が滴った。

水音も含め先輩に報告しようと横目で先輩を見る。
丁度、地面が揺らいだ。
違う、先輩の『影』が揺らいだ。

「先輩、足下!」

声に反応した先輩が右に避けると同時に足下からそれは現れた。

視界に映ったのは黒々とした流線型の身体。魚やイルカに似ていた。大きさはおよそ5、6mはあるだろうか。
何よりも目を引いたのはその大きな口だった。
退避しきれなかった呪霊を一口で飲み込んだ口は、その体躯の半ばまで割けている。身体と同じように黒い歯がびっちりと並んでいた。
まさに怪魚という言葉が相応しい姿だった。

地面から飛び上がった黒い影の怪魚は、悠然と弧を描き再び地面に潜っていった。
目当ての物ではないにしろ、獲物を得たからか気配は消えた。
ひとまず危機は去ったらしい。そのまま地面にへたりこめば、立ち上がる気力がまるで起きない。

「今のは呪霊が今回の原因のようだね」

夏油先輩の言葉に、私は頷けなかった。
始めに感じた感覚がそうではないと告げているのだ。地面にへたりこんだまま、それがなんなのか言葉を探す。

「あ」

違和感、既視感というか、既知感というかのものが分かった。

「神様だ、あれ」

幼い頃から親しみのある感覚がするわけだ。

「……土地神ってことかな?」
「いえ、多分違います」

すん、と辺りの匂いを嗅ぐ。鉄臭さのせいで分かりづらいが、微かにするこの匂いは間違いない。

「あれは、海神です。おそらく」
「なんだって……?」
「微かに潮の匂いもしますし、あの姿も鮫っぽい感じあったじゃないですか」
「仮にそうだとしても、何故この山奥に海神がいるんだ」
「それは知りませんよ!って、あれ?」

ぐわんぐわんと世界が揺れる。先輩の呼び声も遠く聞こえる。
あ、まずいと思った時には世界が暗転していた。