愉快な愉快な昼休み
その日のは委員会も無く、染岡達もサッカー部の集まりでいないという珍しい昼休みだった。なので凪は暇だった。暇だったのだ。
だからふらりと水泳部が多くいるクラスへと足を向けた。

「おーい!三馬鹿ひ」
「くらえ!!エクストリーム雑巾スラッシュ!!!!」

べしゃり
教室の扉を開けた瞬間、彼女の顔面に濡れた雑巾が直撃した。三馬鹿、暇か?と言いかけたまま凪はその場で固まる。ついでに周りの空気も固まった。

「……やべぇ」

顔を青ざめ呟いたのは雑巾を投げた張本人にして水泳部三馬鹿の一人、三野だ。昼休み、三馬鹿+数人の男子生徒達でふざけている最中のことだった。
ずるり、と凪の顔から雑巾が剥がれ落ちる。その下にあったのはにこやかな笑みだった。あまりにも優しすぎる笑みは彼等の背筋を凍らせるには充分すぎた。

「お前ら、何やってる?」

声色も優しげだった。とても。部活でも滅多に出さないだろうというレベルで。

「あの、その……そ、そそそ掃除?」
「へぇ?掃除なんだ?雑巾投げといて?」

怒りの鳴海、マッド◯ックス。俺たち死んだ。
三馬鹿の脳内ではそんなテロップが流れる。
実際、汚れた雑巾をいきなり顔面に投げ付けられたら誰だって怒るだろう。これが女子相手ならば「次は気を付けてね」と言って済ますだろうが三馬鹿並びに一緒ふざけていたのは全て男子である。祟り神降臨の未来しか見えない。

「お前ら、表出ろ?」

親指が指すのは凪自身ではなく校庭だ。

「遊びたいんだろ?なら相手してやるよ」

覚悟は良いか?そんな副音声が彼等には聴こえた。

***

校庭の一画に正方形が二つ並んだフィールドが用意される。いわゆるドッジボールのコートだ。しかしその人数比は違う。7対1。片や外野に2名で内野に5名。片や1人だけ内野。もちろん、一人だけコートにいるのは凪だ。
だが、彼らはその一人に怯えていた。いつもは残念なイケメンであってもやる時はやるタイプの人間だ。それに加え全国大会優勝者の圧は凄まじかった。

「最初、ボールどうする?そっちからでも良いけど」
「それは……」

一人相手に先制まで取るのは流石の男子にも気が引けた。が、畠山が青い顔でボールをひったくるようにして奪った。

「お、俺たち先行で良いか!?」
「構わないよ」

五人対一人。凪一人当ててしまえばすぐに終わるのだ。畠山は渾身の力を籠め彼女に向かいボールを投げつけた。

「キェェアアアッ!!!」

謎の奇声を上げながら投げたボールは勢いよく凪へと向かう。だが、彼女はそれを避ける素振りもなく仁王立ちするだけだ。
ボールが直前まで迫る。
その瞬間、腕を広げ抱き込むようにすると難無くボールを受け止めた。痛がる様子もない。水泳部はそういえばアイツ、腹筋がやべえんだったと思い出した。それと同時に畠山がハッと顔を上げた。

「なぁ、俺今気が付いちまったんだけどよ」
「何だ?」
「鳴海ってバッタの選手だろ?つまり肩の力ダパァァァァア!!?」
「畠山ァァァァア!!?」

畠山が吹き飛んだ。その原因のボールはクルリと跳ね上がり、そのまま凪の手元に戻る。それを男子達は怯えながら見ていた。
畠山が言おうとしたこと。それは凪がバタフライの選手であるが故に、投擲力はピカイチである可能性が考えられるということだ。バタフライは肩の筋肉から背中の筋肉をよく使うのだから、発達していないわけがない。しかし、それに気付いた時には既に遅かった。

「まず一人」

にっこりとした笑顔で告げられる明らかな殺人予告。溢れだす殺気に威圧感に五人全員が死を悟った。
三野は咄嗟に叫んだ。

「さ、さぞ名のあるゴリラとお見受けす!!何故そのように荒ぶるのだ!!」

彼に悪気は無かった。咄嗟に出てくる言葉が恐怖のあまり可笑しかっただけなのだ。だが、怒れる凪に油を注ぐだけだった。

「ハーッハッハッハ!!!!誰がゴリラだ喰らえぇぇぇぇ!!!」
「ヒデブッ!?」

三野アウト
再びボールが凪の手元へと戻る。悪夢は終わらない。

「死んだ……俺たち死んだ……」
「ま、まだ諦めるな!!力を合わせれば祟りゴリラにだって勝てブフォッ!!」
「や、山田ァァァ!!」

水泳部ではないが、遊びに加わっていた男子へ直撃。今まで同様にボールは凪の手元へと返る。ダムダムと無駄にボールを地面に叩き付ける仕草に、コート内に残る二人は「次はお前だ」と言われた気がした。

「なぁ、永瀬……」
「なんだ、田中」
「俺が鳴海のボールを受ける。そんで威力を弱めるからボールを取れ」
「っ……そんな!?お前を生け贄にしろってのか!?」
「そうじゃなきゃ、アイツには勝てねぇよ」

男子生徒、田中はフッと無駄に顔を作ると永瀬の肩に手を置いた。

「頼んだぜ、英雄。祟りゴリラを倒せるのはお前だけだ」
「田中……」

そんな男子のやり取りを、凪はとても冷めた目で見ていた。彼女自身、割りと茶番はやる方だが顔面に雑巾をぶつけられたことは本気で怒っていた。円堂と風丸、染岡に対しては甘いだけというのもあるが。

「もういいか?」

一応、確かめる程度の優しさは有ったらしい。永瀬と田中はお互い頷き合うと腰を低く落とし受け止める態勢を取った。

「来い!受け止めて見せる!」
「あぁ!お前には……負けられない!」
「いや、何なんだよ」

と呆れながら凪はボールを投げ付けた。
風を切り進むボール。それを田中は全力で受け止める。しかし、勢いを完全に殺し、受け止めることはできなかった。それでも、勢いを削ぐことはできた。ボールは凪の手元へと返らずにその場に転々と転がる。

「あとは……頼んだぜ」

田中は言い残し、その場に崩れ落ちる。
なんだこれ
思わず凪は表情を失った。

「畠山、三野、山田、田中、お前らの犠牲は無駄にしない……」

キッと永瀬が凪を睨み付ける。
ちなみに、永瀬は三馬鹿の中では身長が最も低い。男子の平均身長程度ある凪よりも低いのだ。つまり睨み付けてもそこまで怖くはないのだった。

「喰らえェェェェエエエ!!!」

男子の気分は最早魔王退治同等。永瀬がボールを投げた瞬間に外野に回された者達が雄叫びを上げる。永瀬の全力を籠めて投げられたボールは真っ直ぐに凪を狙い向かう。これならば避けることも逃げることもできまい、と誰もが思った。が。

「っし」

と、ノーモーションで彼女は受け止めた。それはそれは簡単に。

「え、嘘だろ……?」
「永瀬、今日の練習の背筋追加しとくな」

そう軽く言うと、何の躊躇いもなく、放心する永瀬にボールをぶつけた。誰かが小さく「鬼」と呟く。
その時だった。

「三木に呼ばれてきてみれば……お前らそろそろ昼休み終わるぞ」
「あ、嶋ちゃん」

呆れた様子で声を掛けたのは嶋田だった。その横には戸惑う雪野と何故か一つ学年が下の三木がいる。

「何してたんだ?」

嶋田の問い掛けに眉を潜めながら凪は答える。

「ドッジボール……?」
「いや、一方的な魔王ゴリラの攻撃だろ!」
「だからゴリラじゃないっつーの!」

そのままではギャアギャアと騒ぐだけになると判断したのだろう、嶋田は凪のトレードマークであるゴーグルを掴むとそのまま雪野と三木の方へと押しやる。そして自身は残る男子達に向かい合った。

「お前ら手短に言えよ」
「……ハイ」

嶋田、又の名を水泳部の父。その貫禄は凪とは違う意味で凄まじかった。
そしてその嶋田と双璧を成す水泳部の母、雪野は穏やかに凪に問い掛けていた。

「凪くん、どうしたの?そんなに怒って」
「アイツら、顔面に雑巾ぶつけてきた」
「それは、確かに三野君達が悪いね……」

事情を知り、苦笑を浮かべる雪野。宥められる凪のポジションは間違いなく息子or娘だろう。そしてそれを聞き憤慨する三木はその妹に違いない。

「凪先輩!これで良かったら顔、拭いてください!」
「三木のハンカチ汚れちゃうからいいよ。大丈夫」
「大丈夫じゃないです!雑巾って雑菌がヤバイんですから!」

グイグイとハンカチを押し付けられると凪は仕方無さげにそれを受け入れた。力を籠められすぎて顔の形が歪んでいるが、完全に善意なので文句は言えなかった。
話している内にキンコンカン、と授業五分前の鐘が鳴る。全員が校舎を見上げた。

「戻ろうか……」

凪が呟くと、彼等は頷いた。
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