名前を呼んで(hpmi:銃独)
*ドラマパート「Somebody Gotta Do it」を聞いて出来た産物
▽▼▽
普段使わない路線の電車に乗って数十分。慣れぬ構内をおぼつかない足取りで進み、漸く改札を潜り抜けると心なしか新宿より情熱的な太陽の歓迎を受けた。
「…ぁっつ」
ジャケットは脱いで自分の腕にかかっているし、クールビズ期間でネクタイは免除されている。クールビズ万歳。しかし、暑いものはどんなに努力したって暑い。
駅から出て一歩しか歩いていないにも関わらず滲む汗に嫌気がさす。
目に映る道路標識に書かれているのは『横浜』の文字。横浜にいるのだから当たり前なのだけれども。
何故新宿営業所の自分が横浜にいるんだ?
自分のことながら意味が分からない。横浜にも営業所はあるのだから横浜の事は横浜営業所の営業に任せたらいいはずなのだ。よく分からない理由でこのよく分からない営業を押し付けられ、それをちゃんと断らなかった自分が悪い、そう今自分が横浜にいるのは俺のせい俺のせい俺のせい俺のせい………
いつものループに陥っていると胸ポケットからピコンと電子音が響いた。
我に返って慌ててスマホの画面を確認するとそこには同期からのメッセージが映っていた。
『お疲れー!今日横浜だっけ?お土産よろしくな^^』
呑気なものだ。しかし嫌な気はしない。
この同期は自分に嫌味も言わなければ仕事を押し付けたりもしない。時間が合えばたまに飲みにも行くような関係だ。…そういえば前回飲みに行ったとき〆のラーメンを奢ってもらった気がする。酒も入っていたので記憶が曖昧だが、所持金が減っていなかったのでそう言うことだと思う。多分。
「…お土産か」
借りを返す、というのとはまた違うが借りっぱなしというのもなんだか居心地が悪い。
とはいえ、独歩が横浜と言われて思い浮かぶものといえば赤レンガ倉庫やランドマークタワーといった建築物ばかり。変なものを買って失敗するのも避けたい。
少し悩んで独歩は仕事用のものから私用の携帯へ持ち替えると横浜に住んでいる恋人へメッセージを送った。
『お疲れ様です。 今仕事で横浜にいるのですが、同僚から土産をせがまれまして…何かおすすめの横浜土産ってありますか?』
誤字脱字の有無を確認し送信ボタンを一度だけ押す。独歩はそのまま私用携帯をカバンの奥へ潜ませた。
今日の入間さんの予定は分からないが営業を終えるころには返事があるかもしれない。そう思うと憂鬱だった出張にも少し希望が見えた。
慣れぬ土地を練り歩き営業した成果を手短に言うと、まぁこんなもんか、である。
最初に尋ねたところは話しているこちらの方を見ようともしなかったため恐らく今後縁が続くことはないだろうが、そのあとに行ったところは比較的熱心にこちらの話を聞いていたようであったし今後律儀に足を運んでいけば契約してくださるかもしれない。
他にも数人の元へ営業へ行ったがどこも反応は同じようなもので。まぁ最初だから当たり前の反応だ。どこも初めてあった人と高額取引をしようとは思わない。機器の購入だけでなくそれらのメンテナンスを含めた年間契約も視野に入れているならば当然だ。また話聞かせてよと言ってくれた方もいるので、成果はあったと言えるだろう。
問題があるとすれば、また横浜に来なくてはいけないというわけだが。
今回の出張は明日も横浜で営業訪問の予定があるという理由と、申請時にハゲ課長の機嫌がなんでか良かったこともあってこのまま横浜で一泊することが許可されている。今日の訪問予定はもうないし、このままホテルにチェックインしてしまおう。
地図アプリを開き、ホテルと自分の現在地を確認する。徒歩10分程度で着く距離のようだ。
「…銃兎さん!」
ホテルへの道を歩き始めた時、街の喧騒の中からはっきりとその言葉が耳に入ってきた。足元に向いていた視線も思わず上げて、声がした方を振り向いてしまった。
振り向かなければよかった。
スーツを着た若い男性と、入間さんが仲良さげに笑っている姿を見ることになるくらいなら。
なんだか見てはいけないものを見てしまった気がする。
独歩は二人から視線を外すと足早にその場から立ち去った。
早く、今見たものを忘れてしまいたい。
◇◇
忘れようと思ったが脳から二人の姿が消えることはなかった。
ジャケットを脱ぐこともなく、無造作に置いたカバンもそのままに部屋の布団に座って、独歩は先ほど見てしまったものについて考える。
冷静に考えれば、多分、あの入間さんの横にいた人は彼の部下なのだろう。
そうであってほしい。
しかし自分の上司を名前で呼ぶなんてことがあるか!?
いない。俺の会社にはいない。
いやよほど仲の良い関係ならばあるかもしれないが……仲の良い?
…もしかして入間さんと付き合ってると思ってるのは自分だけで、相手からしたら自分は遊びなのでは?
思い返せば告白したのは独歩からだし、その時の返事も「いいですよ」の一言だったし。デートにも片手で数えるほどしか行ったことがない。
……もしかして本当に遊びなのかもしれない。
突然、静かな部屋に鳴り響く通知音。
音の出どころはカバンの奥底に入れたままの私用携帯からだとすぐに気づいた。
スマホのロック画面を解除すると、表示されたのは一つのメッセージ。
そういえば入間さんに昼間メッセージを送ったことを思い出した。
『お疲れ様です。返事が遅くなり申し訳ありません。もう新宿に戻られましたか?
まだ横浜にいらっしゃるなら良かったらこれから一緒にご飯でもどうでしょう』
…横浜土産の話は?
直前にある自分が昼間送ったメッセージと先ほど入間さんから届いたメッセージを見返して思わず心の中で突っ込んだ。
新宿にすでに戻っている可能性も考えて書いていないのだろうか。
まぁ、土産は明日も考える時間があるからいいとして目下の問題はこの誘いに乗るか乗らないか、だ。
遊びかもしれないと思いつつ会いに行くのはダメな気がする。
しかし下手するとこのまま会わずに自然消滅するパターンもありうる。
いやそもそも遊びだったなら自然消滅もくそもないのか?
会わない方が良い気がしなくもないが腹が減っているのも事実だ。
数分悩んだ後、独歩は漸く返事を送信した。
「お疲れ様です。観音坂さん」
「お疲れ様です。入間さん」
メッセージを送信したから数十分後、独歩は結局入間に会っていた。
独歩が自分の泊まっているホテルの名前を伝えたところ、そこから近い場所に入間おすすめの居酒屋があるということで、待ち合わせはその店の前となった。
店員に案内されたテーブルに二人並ぶように腰かけると、入間は店員にビールを二人分頼んだ。
「にしても新宿の方が横浜まで営業だなんて大変なんですね」
「いや…本当になんで俺が…って感じですよ。横浜に営業所ないわけでもないのに…」
出張が決まったときのことを思い返しているのかどこか遠くを見ながら文句を言う独歩に、思わず入間は笑みを零した。
「…え、今の笑うところありました?」
「いえ、すみません。面白かったわけではないのですが…、観音坂さんが横浜まで営業に来てくれたおかげで今こうして会えているのでそれがなんだか嬉しくて」
恐ろしい男だ。
遊びでもこの男はそんなさらりと歯の浮くセリフが口から出てくるのか。
…遊びとはまだ決まっていないが、どちらにしても歯の浮くセリフであることに変わりはない。
「…観音坂さん?」
どうしましたか、と尋ねる入間に独歩はかぶりを振った。
「あ、いえ、…あ、ビール来ましたよ。入間さんは何食べますか」
何か言いたげな入間だったが、タイミングよく店員が飲み物を持ってきたのもありこの話は流れた。そしてそのまま二人は料理をつまみながらお互いの近況やデイヴィジョンチームの話に花を咲かせた。
「本当にあなた達のチームって仲が良いですね。一緒に釣りにまで行くんですか」
「え、入間さんのところは行かないんですか?」
「仮に釣りをすることになったとして、理鶯は誘えば来るかもしませんが、左馬刻が来るか怪しいですね…。まぁ我々はお互い仕事が仕事ですからね。出かけるといっても理鶯の拠点に行くか左馬刻の事務所に行くかが多いですね」
「へぇ……」
「‥観音坂さん?」
酒が回ってきたのかぐらぐらと頭を揺らす独歩を入間が心配そうに見ていると、がくりと独歩の頭が下を向いた。
「…ぃ、…ま、さんは」
「え?」
「……いるまさんは」
俯いていた独歩の顔が少し上がり、前髪の隙間から覗く独歩の瞳と目が合った。
入間はじっと自分を見つめる独歩の視線が、いつもと違っていて、どこかそうデイヴィジョンバトルの時と似た眼光を宿していることに気が付いた。
おいおい、どうした?ここでキレたりしないでくれよ。
独歩が酒を飲んでキレるタイプの男ではなかったと記憶している分、今の独歩の行動は入間にとっては不可解で、背筋に汗が流れた。
「…おれのことあそびだとおもってますか」
「えっ、」
何か攻撃的な言葉が飛んでくるかもしれないと思っていたが、実際に飛んできたのは全然違う言葉で、別の意味で入間はダメージを受けた。何故独歩がそういう発想になったのか分からない。
入間が聞き返したことで独歩は自分が何を口走ったのかに気付いたらしい。
ぱちくりと目を瞬きさせるとガタッと机にぶつかりながらも姿勢を正し、
「えっ、あ、いや、い、今のはえっと、あの」
と慌てふためき始めた。
「…なんでそう思うんです」
ビールをあおり一息ついた後入間が尋ねた。
「えっと、いや、それは…」
自分が言い出してしまったこととはいえ、昼間見たことを説明するのはなんだか悪いことをしたようで、言いにくい。
「言えないようなことでも?」
「いえ、あの、言います、言いますから!」
前言撤回。入間がにこりと張り付けたような笑顔を見せるときは裏で何か考えている時だ。これ以上ややこしくなる前に、と独歩は昼間に自分が見た入間のことと、部屋に戻ってから考えていたことを正直に打ち明けた。
「名前、ですか?」
「あ、はい、いや、実際口にしてみるとしょうもないというか、子供っぽい話なんですけど」
「昼間の人は観音坂さんの言う通り私の部下ですよ。私のことを名前で呼ぶのは私がそうお願いしたからです」
「お願い?」
「えぇ、私の入間って苗字は育ての親のモノなので、上司などに名字で呼ばれるのはいいのですが部下に名字で呼ばれるのはあまり好きではなくて」
「へ、へぇ…そうなんですね」
育ての親という単語に、独歩は聞いてはいけない問題に足を踏み入れてしまったのかと委縮する。
「もちろん、本当は独歩にも名前で呼んでもらいたいと思っていたのですけど、恋人に名前で呼べと頼むのもおかしな話でしょう?」
「えっ、今、な、まえ」
「…ダメでしたか?」
委縮していたのも一瞬で、独歩は途端に顔を赤くする。そんな独歩を横目で見ると入間は店員を呼び会計を頼んだ。
「えっ、入間さん?」
机の上にはもう食事がなかったもののまだ食べたりなかった独歩が突然の入間の行動を不思議に思う。そんな独歩とは裏腹に入間は立ち上がり、もうジャケットを着ようとしていた。
「おや、私は独歩と呼んだのに貴方はまだ呼んでくれないんですか」
「…っ」
独歩が何も言えないでいると、入間は
「じゃあ先にレジに向かってますね」
と歩き出した。
「ま、まって……銃兎さん!」
慌てて独歩は自分のジャケットを掴んで入間の後を追いかけた。
店を出たあと、最初に声をかけたのは入間だった。
「やっと名前で呼んでくれましたね」
「あ、あんなこと言われたら、言うしかないじゃないですか」
「ふふ、そうですね。…ところで、遊びかどうかでしたっけ?」
「えっ」
先ほどまで二人の間に流れていた緩やかな空気が途端に冷たくなった。
「確かに本気だと分かるような態度をとらなかった私も悪いですが、そう思われていたのは少々気分が悪いですね」
「いや、それに関しては本当……っん!?」
すみませんでしたと続くはずの言葉は、入間の唇に封じられた。
いつの間にか、入間の右手は独歩の左腕を掴み自分の方へ引き寄せ、入間の左手は独歩の後頭部を抑え独歩が逃げにくい状態を作っている。
往来を気にすることなく、角度を変え何度も唇をあわせる入間に独歩は呼吸が追い付かない。解放された頃には独歩の息は絶え絶えで、涙目になりながら責めるように入間を見つめた。入間の方はしれっとしていて独歩の視線に気づくと先ほどまで独歩を合わせていた唇を厭らしく舌で舐めた。そんな姿がなんだか様になっていて、独歩の身体は思わず熱くなる。
「独歩が泊まってるホテルってここの近くでしたよね?」
「…っ、え?えぇそうですけ、ど…」
此処まで答えて独歩は銃兎のスイッチを完全に押してしまったことに気が付いた。
「じゃあ、そこで飲みなおしましょう。俺が遊びじゃないって分からせてあげますよ」
次の日、独歩が重い腰にむち打ちながら仕事をしていると銃兎からメッセージが届いた。
『そういえばお土産の件なのですが…』
独歩ですら忘れかけていた話だったのに銃兎は覚えてくれていたらしい。
送られてきたメッセージには前から知っていたというよりも独歩のために調べたということが伝わる文章が連なっていた。
「……愛されてるな、俺」