*現パロ

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夕陽が差し込む教室の窓を施錠していたルカバルサーに、廊下から声がかけられた。
「ボア先生、さよならー」
「さよならー」
開けっ放しの扉から顔を覗かせていたのは化学の授業を教えているクラスの生徒たちだ。ルカは彼女たちに「気をつけて帰るんだぞ」と声を返す。「はーい」と彼女たちは笑いながら帰っていった。
時刻は18時。自分も早く残りの仕事を片付けないといけない。ルカは最後の窓を確認し終えると職員室へ急いだ。
ルカは今年の春にこの学校に赴任してきた科学教師で、何故か生徒からはボアという愛称で親しまれている。誰がそのあだ名を付けたのかは分からない。気づけばその綽名が定着していたし、別に悪い意味合いで呼ばれているわけではなかったので、ルカもその呼び名を受け入れていた。
 職員室に戻ると他の教師たちはせかせかと業務に追われていた。
「ここの資料って去年どうしてました?」
「印刷機誰も使いませんか?これから暫く使いたいんですけど!」
教師という職業はどこも忙しないものだがこの街ではあるルールのせいもあって、皆が急いで帰宅するために仕事に追われていた。
ルカ自身引っ越しの挨拶をした際、隣の婦人に聞いた話で誰が言い始めたことなのかは定かではない。しかし、『夜23時から明朝4時まで家から出てはいけない』という暗黙の了解がこの街にはある。
法律があるわけでも、条例があるわけでもない。破ったら何が起きるのか、そういった部分の伝承もない。しかし何故かこのルールを街の人達は律儀に守っている。
越してきたばかりのルカは所詮言い伝えだろうと時間より遅く外に出ようとしたことがあるが、たまたま見かけた隣の婦人にきつく注意され、結局それは叶っていない。
というのもルールのせいか、21時にもなればほとんどの店が閉まっていき、23時には飲食店はおろかコンビニすら営業しなくなる。
店もやっていなければ夜中出歩く理由もないわけで、自然とルカも街のルールに馴染んでいった。
 その日、ルカが学校を出たのは20時頃。スーパーで安くなっていた惣菜を買って、家の前に着いたのが21時頃だ。家の鍵穴に鍵を差し込んで、回す。扉を開けようとドアノブに手をかけた時、不思議な音楽が聞こえてきた。子供が奏でたようなどこか歪なピアノの音色だ。こんな時間に一体だれが? 自分以外の人間にも聞こえているだろうに他所の家から誰かが顔を出す様子もない。妙に耳に馴染む音楽を振りほどくようにルカは家のドアを開けた。


 翌日、ルカはいつものように学校で教鞭をとっていた。
「ボア先生、いい加減眼鏡変えないの?」
「片方どこ行っちゃったの?」
「これは眼鏡じゃなくてモノクルだ。元々こういう形! お前たち余計な話してるってことは今の問題分かるんだろうな〜? 次は君たちに答えてもらおうかな」
「それは勘弁して!」
最初にルカに雑談を持ち掛けた生徒がそう言うと、クラスはくすくすと笑いに包まれる。ルカは特にどこかのクラスの担任をしているわけでもなく生徒のことも授業中に見る姿しかほとんど知らないが、このクラスは比較的生徒間の仲も良く、教師たちとの距離感も程よい、教えやすいクラスだ。
授業も終わりに近づいたころ、そう言えばとルカが生徒たちに尋ねた。
「昨日の夜、ピアノの音が聞こえなかったか?結構大きな音で鳴ってたから先生の家の近くにいる人達なら聞こえてると思うんだけど」
 ルカの言葉を聞いてクラスがしん…と静まった。
「え、さっきまで騒がしかったのに…。何か変なこと言ったかい?」
「………先生、そんな音楽昨日街で鳴ってないですよ」
一人の生徒が恐る恐るといった様子で口を開くと、他の生徒たちも次々と喋っていく。
「…だよな?」
「私も昨晩は窓開けてたけどそんなの聞こえてない」
「先生、働きすぎで疲れちゃったんじゃないの〜?」
「え、そうなのかい…?」
生徒たちの住所まで把握してはいないが、ルカの近所でしか聞こえないような音量ではなかったはずだ。しかし三十名ほどいるクラスの誰も聞いていないという。
生徒の言う通り疲れから聞こえたのだろうか。
「おっかしいな…。すまない、変なこと聞いて。あ、来週小テストするから忘れずに復習するんだぞ」
「えー!?」
終業のベルが鳴る間際、ルカが言ったテストの話で生徒からも、ルカ本人の頭からも、謎の音楽の話は頭から離れていった。


 しかし、その晩も同じ時間になるとピアノの音楽が聞こえてきた。今日は窓が閉まった部屋にいたにも関わらず、音は部屋の中に入ってくる。どこから流れているのだろう。気になって窓を開けると、誰もいない道の真ん中で犬が一匹、じぃっとルカの方を見つめていた。……もちろん、ルカの方を見ていたのはたまたまに違いないのだが、なんだか気味が悪くルカはすぐに部屋の窓を閉めてしまった。
 音楽は未だルカの耳元で聞こえている。




 それから数日経っても音楽は毎晩聞こえてくる。他の生徒たちや教師に聞いてみても誰もそんな音楽は聞こえていないという。最近では日中でも音楽が頭から離れず、知らぬうちにステップを踏んでいることもあるくらいだ。
 いったい誰が? 何度も同じ疑問が頭を過る。
今日は金曜日。明日は仕事はない。……いや、作成したい資料などがあるにはあるが、別に明日急いでやる必要はない。そのため街の図書館に足を運び、何か音楽に関して記載されている資料はないか、確認する予定であった。
 安売りされていたスーパーの総菜が入った袋を手に、帰路へと急ぐ。
音楽が鳴るのは決まって21時過ぎ、それまでに家に帰りたい。
「……おや」
ルカの家から数メートル奥、道の端っこに蹲っている子供を見かけた。…どうしようか。家は目の前。わざわざ声をかける義理もない。しかし近くに親らしき人物も、自分以外の人間も見当たらない。
「……仕方ない」
見つけてしまったものは仕方がないと、ルカは子供に近づいて声をかけた。
「こんばんは、少年。こんな時間にどうしたのかな?ご両親は?」
「……うぃっくがいなくなっちゃった」
「ウィック?」
オウム返しに言葉を返したルカの言葉に少年はこくりと頷いた。
話を聞くと飼っている犬の名前らしい。
「いつもは呼んだらすぐ来るんだけど。今日はこなくて…」
「なるほどな…。ふむ、もう夜も遅い。もし君が良いなら私の家で今晩は泊まらないか?明日の朝一緒に探そう」
ルカの提案に少年は首を横に振る。困ったな。とルカが腕を組んだとき、例の音楽が流れだした。
「ねぇ、少年」
流石に今一緒にいる子供には聞こえるだろうと、音楽について聞いてみようと口を開いたとき、子供が飛びあがり走っていった。
「ウィック!」
「え?」
子供が走り出した方向へルカが向いても犬の姿はない。最悪の事態を想定し、ルカは慌てて子供を追いかけた。


 子供を追いかけてどのくらい経ったのか。不思議な事に子供になぜか追いつくことなくルカは走り続けている。もう街の郊外まで来てしまった。
「……なんだここ」
街の外れにある小さな森。存在は知っていたが足を踏み入れたことはなかった。
子供の背を追いかけて走ってきたが、……ここは何処だ?
ルカは足を止めて前方にいる子供へ大声で声をかけた。
「おい、少年!」
止まってくれと言う前に子供は走っていく。小さいとは言え慣れない森の中だ。迷子になりかねない。見失う前に子供を追いかけなおそうと足を動かし始めた時、「ワン」と犬の鳴き声が背後から聞こえた。妙な胸騒ぎがする。
ルカはゆっくり後ろを振り向くと、いつぞや窓から見た犬の姿がそこにはあった。
「……どうしてこんなところにいるんだ?」
犬がルカの言葉に返事をするわけもなく、犬はルカの足元まで近づくとズボンの裾を噛みどこかへ連れていこうと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ついて来いっていうのか?」
「バウ」
この言葉には返事をするように犬が鳴き返した。
もう少年は完全に見失ってしまったし、犬を振りほどいて帰る手もあるが、そんなことをすればこの犬は執拗に追いかけてくるだろう。確信はないがそう感じさせる迫力を持つ犬だ。
「なんなんだ、一体……」
犬の後をついて見てみれば、ある建物の前で犬が足を止めた。
「……教会?」
見上げてみれば、今は使われていないであろう古い教会。屋根の上で古びた十字架が寂しく人の祈りを待っている。
犬は一声鳴いて、ルカに扉を開けるように促した。……ルカにはそう聞こえた。
今は使われていないと言ってもきっと誰かがこの教会の管理を行っているはずだ。扉だって鍵がかかって開くわけが無い。そう頭では分かっているはずなのに、ルカは扉の取っ手を握っていた。ドアを引いてみる。ルカの予想とは裏腹に、ギギギ…と音を立て、扉が開いた。

 一歩、教会の中へ足を踏み入れた途端、目の前からぎゅっと誰かに抱きしめられた。
「うわっ!?」
思わず後ろへ仰け反るも、抱きしめられる力が強く動けない。赤と金で装飾された衣装に身を包んだ人物はルカを抱きしめたまま、顔をルカの方へ向けた。
「っ!?」
顔の半分をマスクで覆った男は、赤い目でじっとルカを見つめている。何も言わない男に気味が悪くなり、ルカの脳内は警鐘を鳴らす。

早く、早く、帰らないと。


『お待ちしていました』
「…え?」
 ルカを抱きしめる手を緩めた男は、宙に文字を書く素振りを見せるとその通りに、宙に金色の文字が浮かんだ。
『貴方が来るのを待っていました』
「私を…?」
ルカの言葉に男は頷く。
『ここに来るまで奏でさせた音楽は気に入っていただけましたか? 作曲は私がしたのですが、奏でたのは手下の彼です』
男が手を向けた方へルカが目線を移動させると、そこには角が生えた男が一人。
彼はルカの視線に気づくと仰々しく頭を垂れた。
「この前からずっと聞こえていた音はこれだったのか…」
『えぇ。貴方をここに連れてくるために作った曲です』
「ねぇ、さっきからどうしてそんなに私に構うんだ?…それにそろそろ帰らないと」
「おや」
くすくすと初めて男が自分の口から声を漏らした。
「“ルール”のことを気にしていますか?あんなもの、私達魔族を怖がった人間たちの規則に過ぎない。夜は我々の活動時間、人間が蔓延って良いわけがない。……それに」
男の言葉の内容が理解できない。ルカが茫然としていると、男はすっとルカのポケットからスマホを取り出しホーム画面を見せつけた。

『23時は過ぎている』

時間を見て、慌てて教会から出ようとするルカの身体を男は再び抱き寄せて、耳元で囁いた。
「逃がしませんよ」
「は、離せ!」
暴れるルカの抵抗など感じないかのように、男はにこりと微笑んだまま言葉を続ける。
「私の名前は“抱擁”。これから私の住まいへ案内しますから、名前覚えてくださいね」
抱擁がそう言って手を二回叩くと地面から人一人余裕で入りそうなキャビネットが現れる。
抱擁はその扉を開け、ルカを中に押し込むと、「では行きましょうか」と周辺にいた配下に声をかけた。
キャビネットの中からルカが暴れる音が聞こえるが人間の抵抗など魔族には子犬が吠えているようなもの。
ずっと目をつけていた人間が漸く手に入ったのだ。抱擁にとって子犬の鳴き声は可愛らしいものにしか見えなかった。
嗚呼、早く持って帰って躾けてやらないと。
抱擁はキャビネットに向かって笑うと、金の煌めきを残してその場から立ち去った。
……ルカが入ったキャビネットと共に。



 教会にはスーパーの袋だけが虚しく残っていた。



初出:20201114Twitter