日吉VS財前4
2026 04/04
お手洗いから戻ると、すでにメイド服を脱ぎ、ウィッグも外して、 見慣れた制服姿の佑月さんが席で待っていた。
「佑月さん」
呼びかけると、佑月さんはぱっと顔を上げて笑う。
「日吉、あとちょっとだけど文化祭一緒に回らない?」
「忍足さんは…」
「なんか謙也とチェキ撮るとか言って、そのままお客さんと侑士がチェキ撮ってるみたい」
「カオスですね」
「侑士、優しいからね。時間ないし、行こうぜ」
そう言って軽く袖を引かれる。その仕草だけで胸が少し熱くなる。
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廊下に出ると、まだ人の熱気が残っていて、焼きそばやポップコーンの匂いが混ざり合っていた。
「日吉、あれ見て。たこ焼き屋さん、まだやってる」
「買いますか」
「うん、食べよ」
並んでいる間、佑月さんはさっきの写真をまた見返して俺にもみせてくれる。
「服、着替えたんですね」
「借りてたやつだし。汚れるとな。
小春ちゃんにいっぱい写真撮ってもらったんだー。見て、これとか可愛いだろ」
スマホの画面には、さっきまでのメイド姿の佑月さん。笑ってる写真、ポーズを取ってる写真、四天宝寺のメンバーと撮った写真。
「そうですね」
「化粧も小春ちゃんと白石に手伝ってもらったんだ」
スクロールする指先が楽しそうで、その横顔を見るだけで胸がざわつく。
たこ焼きを受け取って、校舎裏のベンチに腰を下ろす。 夕方の風が少し冷たくて、でも佑月さんの隣は妙にあたたかい。
「嫌です。こういうの」
「女装のこと?」
「いや、そうじゃなくて……その、罰ゲームとか、そういうの……」
「あぁ、それね。そりゃ俺だって叶えられないことは出来ないし、断るよ」
「そうですけど……財前も、……佑月さんのこと好きじゃないですか……」
言ってから、しまったと思った。けれど佑月さんは、ふっと優しく笑った。
「あ、そうだ。もう着てないけど」
そう言って、たこ焼きを一つ俺に差し出してくる。
「ご主人様、あーん」
「佑月さん」
「ほら、あーん。……おいし?」
「おいしいです……」
その瞬間、佑月さんの指先が俺の唇に触れた。一瞬だけ、呼吸が止まる。
「……っ、佑月さん」
「ごめん、ちょっとだからこうさせて」
そう言って、佑月さんは俺の頬にそっと触れた。指先があたたかくて、優しい。その距離の近さに、胸がぎゅっと締めつけられる。
(……こんなの、好きになるに決まってる)
けれどその優しさは、誰にでも向けられるもの、だと分かっていても、俺だけに向いているように感じてしまう。その錯覚が、甘くて、苦しい。そう思った瞬間だった。
「日吉、これ」
「……え?」
差し出されたのは、一枚のチェキ。白い縁に、まだほんのりインクの匂いが残っている。
「小春ちゃんが撮ってくれた、やつ。日吉にあげる」
「……俺に?」
「うん。普通の俺だけど。日吉ならもらってくれるかなって」
胸が、ぎゅっと掴まれたように痛くなる。写真の中の佑月さんは、ウィッグも化粧もしていない、いつもの佑月さんで。それが逆に、どうしようもなく特別に見えた。
「……なんで、俺に」
声が震える。自分でも驚くほど。佑月さんは、少しだけ照れたように笑った。
「日吉に俺のこと見てほしくて。ちゃんと、まっすぐ」
「……」
「だから、日吉に渡そうかな、って」
その言葉が、胸の奥に深く刺さる。そんな顔で、そんなこと言うなよ。喉が熱くて、言葉が出なくなるだろう。
「日吉?」
「……大事にします」
やっと絞り出した声は、情けないほど小さかった。佑月さんは嬉しそうに目を細める。が、受け取ろうと手を伸ばすと何故か引っ込まれてしまう。
「ノンノン、タダじゃあげれないよ。さっきの財前と日吉で撮ったチェキと交換」
「…捨てました」
「なっ、もったいない!
まぁ、日吉が持っててくれたら、それでいいか。って本当にこんなのいる?俺しか映ってないし。っか、日吉たちのチェキがほしいからって自分のチェキ押し付けてくるのヤバすぎるな、俺」
「…要りますよ。じゃあ、これと交換で」
胸ポケットから出した先ほど財前と撮らされたチェキを佑月さんにわたす。
「やった。大事にする」
その笑顔が、甘くて、苦しい。胸の奥がじんじんと痛む。俺、もう無理だ。こんなに近くで、こんなに優しくされたら。好きになるなって方が無理だ。
それからたこ焼きを食べ終わっても、胸の奥のざわつきは消えなかった。佑月さんの指先が触れた感触が、まだ唇に残っている気がする。
「……日吉」
名前を呼ばれて顔を上げると、佑月さんがじっとこちらを見ていた。さっきよりも、少しだけ真剣な目。
「なんか、さっきから変だけど」
「変じゃないです」
「絶対変」
そう言いながら、佑月さんはベンチの上で少し身体を寄せてくる。佑月さんと距離が縮まるたびに、心臓が跳ねる。
「……近いです」
「近づいてるんだよ?」
さらっと言うその声が、妙に甘い。
「日吉、さっき俺が触ったとき……びっくりしてただろ」
「……別に」
「ほんとに?」
佑月さんは、わざとらしく覗き込むように顔を近づけてくる。その距離は、息が触れそうなほど。
「……っ」
「ほら、またそういう顔する」
くすっと笑って、さらに距離を詰めてくる。肩が触れた。その瞬間、背筋がびくっと震えた。
「日吉ってさ……俺が触ると、すぐ固まるよね」
「……じゃあ、触らないでください」
「嫌なんだ」
「……嫌じゃないです」
言った瞬間、佑月さんの目が少しだけ丸くなった。それから、ゆっくりと柔らかく笑う。
「そっか。じゃあ、触ってもいい?」と、そっと俺の手の甲に触れてくる。指先がかすかに触れただけなのに、全身が熱くなる。
「……佑月さん」
「日吉が、俺のこと気にしてるの嬉しい」
「……っ」
「それに、日吉がそんな顔するの……俺、嫌じゃない」
そう言って、佑月さんは俺の手を軽く包み込んだ。その温度が、優しくて、甘くて、苦しい。
「日吉。俺のこと、もっと見てていいよ」
その言葉が、胸の奥に深く落ちていく。
佑月さんの距離は近いまま。逃げられない。逃げたくもない。夕方の風が少し冷たいのに、佑月さんの手だけが、やけにあたたかかった。
「……何してんスか」
低い声が背後から落ちてきた。振り返ると、財前が立っていた。教室内にいたさっきまでの拗ねた顔とは違う。笑っているのに、目だけが笑っていない、そんな表情だ。
「財前……」
「探したっスわ。佑月さん、どこ行ったんか思って」
ゆっくり歩いてきて、俺と佑月さんの間に影を落とす。佑月さんは手を離そうとしなかったが、財前はその手元を見て、ぴくりと眉を動かした。
「……日吉。距離、近すぎやろ」
「別に……」
「別に、ちゃうやろ」
財前は俺の手を見て、そのまま佑月さんの手をそっと引き剥がした。
「佑月さん、こっち」
「え、財前?」
「え、やないっスわ。
……俺、佑月さんと回る約束してたんで」
「してないだろ」
思わず口を挟むと、財前は俺を一瞥した。
「してなくても、俺がしたいんスよ」
その言い方があまりにも真っ直ぐで、胸の奥がざわっと揺れた。佑月さんは困ったように笑う。
「財前、日吉とちょっと話してただけだって」
「ちょっとにしては、距離近すぎっスわ」
財前は俺の横に立ち、わざとらしく佑月さんの肩に手を置いた。
「佑月さん、俺と回りましょ。日吉は、もう十分やろ」
挑発するような目。言葉の端々に、嫉妬が滲んでいる。
「財前……」
「俺、佑月さんのこと好きなんスよ。さっきも言ったやろ」
その言葉に、佑月さんが少しだけ目を丸くする。そして、俺の胸がきゅっと痛んだ。…またか。財前の“好き”は真っ直ぐで、俺の“好き”は言葉にできないまま胸の奥で燻っている。
佑月さんは俺たちを見比べて、困ったように笑った。財前はその笑顔を見て、さらに俺に向かって一歩踏み込んだ。
「お前はあっち戻っても佑月さんと居れるやろ。俺は今しか会えへんねん」
そんな空気の中、佑月さんは俺たちの顔を交互に見て、ふっと小さく笑った。
「……じゃあ残りの時間は三人で回るか」
その声は、驚くほど柔らかかった。
「嫌です」
「嫌や」
二人同時に否定したのに、佑月さんは「ふーん」と意味深に笑う。
「じゃあ一人で回ろ」
「「は?」」
日吉と財前の声が重なった。佑月さんはまったく気にせず、両手を軽く差し出してくる。
「じゃあ一緒に行こ」
その笑顔が甘すぎて反論できない。佑月さんはまず、俺の手をそっと取った。
「日吉は、こっち」
「……っ」
触れた瞬間、心臓が跳ねる。手のひらが熱くなる。
次に、反対側の手を財前に差し出す。「財前も」と、財前は一瞬固まったが、すぐにその手をぎゅっと握った。
「……まぁ。しゃーないっスわ」
佑月さんは俺たちの手を握ったまま、嬉しそうに笑った。
「よし。じゃあ三人で行こ」
その瞬間、俺と財前の視線が、佑月さんの背中越しにぶつかる。
(……離せ)
(……離なすわけないやろ。お前が離せや)
(絶対嫌だ)
と、火花が散るも、佑月さんは気づかない。むしろ、二人の手を軽く引きながら歩き出す。
「ほら、行くぞー。あ、そろそろ抽選会の時間だし、体育館向かうか」
その声があまりにも楽しそうで、何も言えなかった。ただ、佑月さんの手の温度だけが、三人の間に甘くて苦しい緊張を残している。
三人で手をつないで歩き出す。文化祭の人集りの中だからそんな姿も目立たないようだ。人混みのざわめき、屋台の匂い、夕方の光。全部がぼんやりして見えるほど、手のひらは熱かった。
佑月さんは真ん中。右手には俺、左手には財前。そのはずなのに。
「……日吉」
名前を呼ばれた瞬間、佑月さんが、俺の手を“ぎゅっ”と強く握った。
「……っ」
一瞬で心臓が跳ね上がる。財前もそれに気づいたらしく、佑月さんの左手を握る力がわずかに強くなる。
「佑月さん、俺の手も……」
「ん? あぁ、ごめん財前。でも」
佑月さんは俺の方を見て、少しだけ照れたように笑った。
「日吉、さっきから顔赤いからさ。離したら倒れそうで」
「倒れません」
「ふぅん、じゃあ……もうちょっとだけ」
そう言って、指と指の間までしっかり絡めるようにぎゅっと握られる。財前が横で、明らかに不機嫌そうに眉を寄せた。
「佑月さん。俺の手も握って」
「握ってるじゃん?」
「強さが違うんスわ」
「え、そう?」
佑月さんは一度だけ財前の手を見て、軽く握り直した。
でも――俺の手は離さない。
むしろ、さらに強く握ってくる。
「日吉の手、あったかいな」
「……っ」
「なんか落ち着く」
その言葉に、財前の目が一瞬だけ鋭く光った。
「……日吉」
「なんですか」
「離せや」
「嫌に決まってるだろ」
「は?」
「……佑月さんが、離すなって言ったんで」
佑月さんは二人のやり取りに気づかず、楽しそうに屋台を指さす。
「チョコバナナまだやってるー食べよー」
その声は無邪気で、だからこそ二人の胸をさらにかき乱す。佑月さんは俺達の手を握ったまま、嬉しそうに歩き出す。財前はその背中を見つめながら、小さく舌打ちした。
(……日吉。ほんま、負けへんからな)
(……俺だって)
三人の手はつながっているのに、心の中では静かに火花が散り続けていた。