過去の記事(転載)

▽2020/08/28(Fri)
徒然通院記録
久々に通院の記事。
※2020/08/28 22:01 noteに投稿したもの。
転院して少し経って、担当医も(勝手に)決めて、予約した日にちゃんと通院して。同じ先生にかかるのは多分ようやく3回目とかそれぐらい。

担当医から、「いままでよく生きてこれた」と感心され、私は私で「いままでよく子供たちは生き延びたものだ」としみじみしていた。

生きていくのは誰だってたいへんで、苦労のない人などいないし、私の世界観では誰もがいつだって割と死にたいので、誰でも生きているだけでえらいなぁと思う。

そういう感覚で生活しているから、自分はいつだって底辺だし、自分はいつだって誰かよりマシな人生だし、酷いことがあったって、それはよくあることだから、記憶にとどめるようなことではない。

正直、生きているだけで酷い有様だと思うけれど、世の中には生きたい人の方が割と普通で、なんかこう、突然うわっと絶望したり、虚無が来たり、そういうのってあまりないのかな? そうか、そうじゃないと、世の中救われないか。ではそういうことにしておこうね。

いやでも、普通そうじゃない? 夜中にめそめそ泣いたりしない?

中学の頃から声を出さずに泣くのは得意だった。電話口でもバレなかったし、多分、家族は誰も知らない。

子供の頃は、それらしい理由があってめそめそ泣いていた。ああ、しんどいなとか。ちゃんとそういうのがあった。近頃は、ふわっと何かがやってきて、だらだらと泣いて、数分後にはケロッとしている。引きずらないとかではなくて、はて、何で泣いてたんだっけな、という感じ。

メンタルが落ちる時もそうで、わぁ死にたい死にたい、明日が来るのなんかうんざりだって繰り返し思って、もう何もできなくなっちゃってても、翌日とかには割とすとんとしていて、あれはなんだったんだろう、と首を傾げる。出来事の中から感情とか感覚が抜け落ちている。

担当医にこの事を話したら、受け止めきれなくて回避しているのかもね、というようなことを言われた。

ははぁ、覚えがあるぞ。

ロリコンお兄さんの被害にあった時。

母が私を弟と置いて出て行った時。

どちらも小学1年の時だった。どちらも出来事はよく覚えているけれど、自分が何を感じたかという情報が全くなかった。なんかね、こういうことがあったんだけど、まぁ別に取り立てるようなことでもないよね、という感じ。

担当医は、あなたと話すと長くなりそうだ、随分と広がりそうだ、今のスケジュールだと話を聞けないから、少しずつやっていこう、と言っていた。

あれぇ、そうか、私って割とたいへんなのか。そうだな、依存症の記事で読んだ。普通じゃないことを普通だと、変にボーダーを下げたりするのは、れっきとした症状なのだろうね。

え、でもそうなの? 私の周り、みんな少なからず病んでるご様子だから、全く参考にならない。でも子供の様子とか見ていると、そうかな、いつでもフランクに死にたかったり、死にたいにも種類があったりするのは、あんまりないのかな。明日が来るって事実にうんざりしたりはしないのかな。

私が色々忘れることも、しんどいが重なるととにかく書き出すことも、自分を修復したり守ったりする機能のようなので、はぁ、今まで自分でやってえらかったなぁ、と思ったりもする。

忘れてしまうような酷いことは、ノートにでも書き殴って、あとでゆっくり受け止めればいいのだそうです。


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