がんばれ! コズプロ精鋭団!

 昼下がりの衣装ルーム。久しぶりにパリから戻ってきた宗は、そこで相方のみかと共に次の舞台のための衣装をテーマに対談を重ねていた。このデザインでは重たくなる、ここにリボンを添えて、素材は、と話し合っている最中。外からダバダバと誰かの走ってくる音が。

「宗に〜さん! 影にぃさん!」
「チビすけか。ノックをしたまえ。此処は僕らの根城というわけではないが、誰が居ても可笑しくはない場所だからね。着替え中だったらどうする」
「ごめんなさい! 緊急事態、問題発生で大慌てで来たのな!」

 開け放たれた扉からふわふわの柔らかい蒲公英のような髪をあちこちに跳ねさせた宙が入ってくる。不届き者が夏目の可愛がっている子だと分かると、宗はふんわり注意をした。これが同世代や燐音などだったら間違いなく鋭い目と罵声が飛んでいた。

「んあ? 問題発生?」
「名前に何かあったのかね」

 宗が手際よく布を戻しながら言う。宙はくりくりの目を見開いて首を傾げた。

「す、凄い。なんで名前のことだって分かったんです?」
「問題が起きて、第一に僕らに報告し助力を得ようとするならば、関連する事柄として考えられるのはあの子以外にないのだよ」
「流石お師さん! 僅かな情報で名前ちゃんを導き出す類稀な気持ち悪さ! そこに痺れるでぇ〜!」
「当然なのだよ。気持ち悪いという単語は聞き逃してやろう」

 褒めているのか貶しているのか、どちらとも取れない不自然な持て囃し方だったが宗は相方に反応しているよりも先に宙の言う『問題』に対処すべきだと考えた。宗の最優先事項は苗字名前だった。
 宗が「案内したまえ」と言うと宙は「こっちなのな」と小走りで進んで行く。宗とみかもその後ろに続くと、ある一室に辿り着いた。ドアを開けると奥にいるのは夏目とつむぎで、三人に背を向けてしゃがんでいる。

「大丈夫ですよ〜、怖くないですよ〜……?」
「ほ、ほラ、魔法を見せてあげよウ。見てごらン」

 夏目はどこかぎこちない手付きで花を出すという簡単なマジックを披露した。つむぎは「わぁ〜すごいですねぇ!」と小さく拍手をしてみせるが、その次に「……あ〜」と小さく困ったように発した。

「駄目ですねぇ……」
「うン……こうも拒絶されると心が折れそウ」

 二人の視線の先に何がいるのか。宗とみかが慎重に歩んで覗くと、そこには小さな生き物がいた。子どもだ。
 明らかにサイズの異なるレースのワンピースの中心に座ったまま微動だにしない。艶のある細い髪に澄んだ瞳。輪郭は宗とみかが知っているものよりも丸いが、二人は幼女の有り得ない美貌で理解することができた。

「名前ちゃん⁉」
「トレッ……ビアン‼」

 一人だけ反応が適切ではなかった。みかは「え、ちょ、どういうことなん?」と正常に戸惑っている。その横で生粋の芸術家は膝をついて天を仰ぐように腕を広げた。次に拳を握り、つむぎの肩を押しのけて──つむぎは無様な鳴き声を上げた──幼女の目前に迫る。

「ああ……ああッ、名前! なんて可愛いんだろう! 素晴らしい! 分かっていたことではあったけれど、君はやはり幼い頃から美しかったのだね……! 誰にも触れられないよう隠そうとした男が居たというのも理解できるっ。ああ、攫いたい! このまま僕の家に連れ去ってしまいたい!」

 頬を染めた宗が興奮して誘拐欲をそのまま口に出した。夏目は横で、みかは後ろで何とも言えない苦い表情を浮かべている。

「穢れを知らない天使そのもの……翼は一体どこに落としてきたの? もしかして僕が覚えていないだけで、君が天に帰れないよう僕が羽根を捥いでしまっていた? ごめんね、痛かったね……」

 イタリア男のように口説いているが、相手は名前とはいえ幼女だ。
 宗がそっと名前に触れようとすると、幼い名前はぎゅっと身を固めた。宗は咄嗟に手を止める。

「……名前?」
「宗にいさんでも駄目カ……まあ絶対暴走するだろうと思ってたかラ、本命はミカくんなんだけド」

 夏目は宗の視線を感じながらみかを振り返る。

「お察しの通リ、名前ちゃんが幼児化しちゃったんダ」
「どういう経緯かね」
「簡潔に説明するト、ボクの実験中に新しい曲を持ってきてくれた名前ちゃんがタイミング悪く入ってきちゃってボフン」
「何がどうしたらそうなるん?」
「さア……実験は何が起こるか分からないものを試す行為だからネ。どういう化学反応が起こったのかなんテ、たった一回の奇妙な事象だけで説明することはできないヨ。名前ちゃんを繰り返し幼児化させるわけにいかないでショ?」

 先程まで大暴走していた宗に言いたげな目を向けた夏目は自分の分かる範囲で解説した。みかは夏目の言葉が引っかかり、神妙な面持ちで言う。

「というか……これって元に戻るんよな? まさか一生この状態で、名前ちゃんを育てなあかんとか」
「えっ、育てる? それは……何とも魅力的だ」
「お師さん、ちょっと欲望が出過ぎやで」
「ウッ……い、いや、僕は決して邪なことは考えていない。決して、光源氏のように愛らしい少女を自分好みに仕立てようとか、そんなことは考えていない。何故なら名前は生まれた時点で僕の理想なのだから。そのまま真っ直ぐすくすくと育ってもらえれば何の問題もない。僕の娘にする、僕がパパだ」
「欲出まくってるネ」

 自分は清廉潔白だと証明するはずが、どんどん佞悪醜穢の方向に進んで行く宗だった。

「宗くん。可愛い名前ちゃんを見てこのままでも良いって思う気持ちは分かりますけど、衝動を抑えて冷静に考えてください。名前ちゃんがこのままだったら、名前ちゃんのファンはどうするんです? こんな非現実的なこと、ESじゃなくても世間に上手く説明できる会社はありませんよ。どうしてもぼやかして、事実とは異なる発表をせざるを得ません。誤魔化し方があまりに下手だった場合、納得できないファンが暴動を起こしちゃいます。苗字名前っていうアイドルは日本国内においてそれだけの存在になっているんですから」

 つむぎに窘めるように説明された宗は見るからに機嫌を悪くしたが、彼の言うことは一理ある。まずは名前を元の姿に戻すことを第一に考え、解決方法を模索すべきだろう。

「小僧、薬は作れないのか」
「やってみようとは思うけド、難しいネ。ボクにも何がどうなってこうなったのか理解できないかラ」
「夏目くんが頑張ってくれてる間に、取り敢えずなんですけど。ご覧のとおり、名前ちゃんは体が縮んじゃった状態なので、宗くんには女の子用の服を仕立てて貰いたくて」
「もう作ったよ」
「早すぎませんか?」

 シュバッとフリルとレースがあしらわれた可愛いワンピースが現れ、つむぎは流れるように突っ込みを入れてしまった。一先ず、宗がいつの間に作り上げたのかという問題は置いて、次なる課題を提示する。

「実は名前ちゃん、この状態になってからずっと固まったままなんです。俺と夏目くんがどんなに手品や玩具を見せても無反応で。体が縮んだだけで中身はいつもの名前ちゃんなら、突然のことに驚いてるとしても何かしら話してくれるとは思うんです。だから、体が縮むと同時に、記憶も子どもの頃に戻ってしまっていると考えるのが妥当だと思うんですが……」
「今の名前はいつもの名前よりも透明すぎて、宙には見えづらいです……」

 夏目は宙に頷き、宗から子ども服を受け取ってみかに差し出す。

「兎に角、ボクたちのことを拒絶していることだけは明らかなんダ。さっきの宗にいさんに対する反応もボクたちのときと変わらなイ。子どもに馴れてそうなミカくんなら、期待できるかなって思っテ」
「う、うーん。取り敢えず、お洋服だけでも着てもらわんとな……」

 みかは名前に目線を合わせるためにしゃがんで、女の子用の服を広げて見せる。「名前ちゃーん。ちょっと、お洋服着るだけやからな〜大丈夫やで〜」と徐々に距離を詰めていった。みかが小さな肩に触れると、やはり名前の体は硬直しているようにその場にいる全員の目に映った。みかに任せるのが適任だと分かっている宗が後ろから「や、優しくだぞ。……怯えている」とそわそわと見守った。

 最初こそ硬直していたが、名前は服を着せられていく内に大人しく脱力してみかに体を委ねていた。みか達はほっとするが、洋服を着た後も名前は変わらず座り込み、話すことも動くこともしなくなった。誰かが動くと視線をその相手に向けはするが、それも一瞬のことで、すぐに逸らされてしまう。

「……悔しいけれど、この状況を打破してくれる男に、僕は心当たりがあるのだよ」

 苦い顔の宗がそう言ってスマートフォンを操作すると、すぐに部屋にやってきたのはEdenだった。

「……君から私に連絡が来るなんて珍しいね」
「急用だからね、致し方ないよ。それよりも何故、人数が増えているのかね。僕は君一人に連絡を取ったはずなのだけど」
「丁度Edenの皆で食事をしていたからね! この後、特にこれといった用事もなかったから、折角だから皆で来てあげたんだね。何か困ってるの、宗くん? ぼくたちが助けてあげる。同じ事務所の誼みだからね!」

 恩着せがましい言い方だ。日和の後ろでジュンが肩身が狭そうに会釈をし、茨がにこやかに「敬礼〜☆」と挨拶をしているが、後輩組は明らかに先輩組──主に日和──に無理矢理連れられて来たのだろう。本来であれば凪砂が宗に呼び出された内容に興味はないのだが。

「……あれ?」

 凪砂が壁際で動かない子どもに気づき、声を上げた。幼い名前は凪砂と目が合うとぱちぱちと大きな瞳を瞬かせる。

「……小さい名前だ。懐かしいな、名前は昔から可愛くてね。ちっちゃな右手で、私の左手を握ってくれたんだ。柔らかくて、ほんのりあたたかくて──ん? なんで名前が小っちゃいんだろう?」
「びびったー……あまりにもすんなり受け入れるんでオレが可笑しいのかと思いましたよぉ」

 凪砂は思い出に浸って語り始めるが、現実で可笑しなことが起きているのに気づいた。ジュンが胸を撫で下ろして小さな名前を見ると、名前はじっと凪砂を見て目を逸らさない。
 後ろで日和と茨がつむぎから状況説明を受けているのに見向きもせず、凪砂は名前の元に静かに歩み寄った。名前は一生懸命首を伸ばすようにして凪砂の顔を見上げている。このままでは辛そうだと考え、凪砂は膝を折って着いた。

「……なぁ、くん?」

 幼い名前が漸く喋った。か細いが、ころんころんと鳴る鈴のような声がしっかり宗の耳には届いており、宗はグバッと心臓を押さえた。

「……うん、私だよ。凪砂」

 今の名前には、自分の中の凪砂と目の前の凪砂が違いすぎた。体つきだけでなく声の低さも名前の記憶の中とは異なる。いくら魂が「凪砂だ」と感じていても戸惑いは隠せない。
 凪砂は幼い名前の心を感じ取ると、そっと手を出して片割れにしか分からない手振りをした。幼い二人がしていた、非言語のコミュニケーションだった。幼い名前はぴくりと反応し、相手の男が確かに凪砂であるという確信を得ていく。

 名前はおずおずと大きな凪砂に近づき、凪砂が手のひらを出すと、そこに小さな手を添えた。凪砂が包み込むようにして握る。これまで見ず知らずの場所で見ず知らずの人々に囲まれ緊張していた名前は、ふっと緩んだ。這い寄るようにして凪砂の膝に乗り上げ、きゅっと凪砂の服を掴んだ。凪砂は幼い命に、片割れに求められた喜びで口角を上げる。

「……成る程ね。斎宮くんが私を呼んだ理由がわかったよ。……この頃の名前なら、私以外の誰にも心を開かないだろうから」

 その場にいる全員が凪砂の勝ち誇った笑みにハンカチを取り出して食いしばるところだった。

 凪砂は名前を抱えてコズプロ事務所の二人でよく使っている部屋に向かおうとした。その後ろをValkyrieとEdenのメンバーがぞろぞろと着いていく。アイドルというだけで目立つのに集団で行動していれば嫌というほどに目につくだろう。道中に色んなユニットに絡まれた。


 fineの場合。
「うっわぁ〜〜、かわいい! 凪砂さまっ、ボクにも抱っこさせて!」
「坊ちゃま、あまり興奮してはびっくりしてしまいます。……ああ、なんと愛らしい」
「Amazing……☆ 私、あまりの名前さんの可愛さにくまちゃんのぬいぐるみを出してしまいました!」
「ねぇ凪砂くん。僕にも名前ちゃんを抱かせてくれないかい? ……凪砂くん? 聞いてる? ひどいなぁ凪砂くん。本気で僕のこと無視してるね? ……わかったよ、いくら出せば良いの?」


 Tricksterの場合。
「小さい頃から美人さんだったんだな」
「めっちゃキラキラしてる! 欲しい!」
「欲しいって何だよ。名前はものじゃないだろ〜?」
「衣更くん、手がワキワキしてるけど」


 流星隊の場合。
「ほあ……」
「隊長殿、語彙力が喪失してるでござる」
「かわいいですね〜」
「わ、ヤバ、なにこれ、人間……? いのちじゃん。触ったら絶対消えちゃうのに触りたくてたまらない。うわ、手が言うこと聞かない。頭から齧りたい」
「翠くん。乱先輩の顔がヤバいんでその辺にした方が賢明っす」


 ALKALOIDの場合。
「Amen……迷える仔羊に幸多からんことを」
「うひゃぁっ……か、か、かわいすぎ……名前先輩の幼少期なんてファンが一番見たいヤツ見ちゃったァ!」
「…………」
「藍良、大変だ! 精霊の幼子を見た途端、マヨイ先輩が息をしていないよ!」


 UNDEADの場合。
「何じゃろう。我輩、凛月以外にもキョウダイが居た気がしてならんのじゃが……あー、妹だった気がするのう。そして乱くんの腕の中の子が間違いなく我輩の妹じゃった気がする。有難うのう、ここまで連れてきてくれて。後は我輩がその子のことを育てるからバトンタッチじゃ。ほれ、ほれ、寄越さんかい。──さっさと寄越せ。俺のだ」
「すまない、乱先輩。朔間先輩は名前の愛らしさで気が触れてしまったらしい」
「実は俺には幼な妻が居てさ。それが名前ちゃんなんだけど」
「便乗すんな。ろくでもねぇ先輩しかいねぇのかよ」


 Ra*bitsの場合。
「か、かわいいっ! 妖精さんみたいです……!」
「女神は生まれたときから女神だったんだ……奇跡だ……」
「凪砂せんぱい、隠し子がいたんだぜ〜? ……え、違うんだぜ?」
「……斎宮、間違えても変なこと考えるなよ? ……目が泳いでるぞ」


 紅月の場合。
「苗字が、縮んだ?(可愛い……)」
「なんだそりゃ。どうなってんだ?(可愛いな……)」
「可愛いのである……(摩訶不思議な出来事である)」


 Knightsの場合。
「なにこれちょ〜〜〜〜〜可愛い〜〜〜〜〜〜〜〜‼」
「やだっ、やだぁんもう可愛い!」
「無理、好き……かわい……」
「すみません皆さん、先輩方が五月蠅くて……ああ、斎宮先輩。……レオさんですか? レオさんならまた何処かを彷徨っているようで……はい、分かりました。こちらからも伝えておきます」


 MaMの場合。
「これは奇想天外! しっかり抱っこしておいた方が良いぞお、凪砂さん。君がぼーっとしていたら、誰かに誘拐されてしまうかもしれないからなあ。……ん? 俺はそんなことしないぞお!」


 2winkの場合。
「子どもの相手なら任せてください! よっ、ほ! 宙返り〜!」
「……駄目だ。名前ちゃん、今も昔も反応が薄すぎる。やってるこっちが辛い」


 Crazy:Bの場合。
「食べれそうっす」
「おいニキ。開口一番それはアウトだろ。見てみろ、み〜たんの顔。未開の地に埋められっぞ」
「はぁ〜、あの名前はんにもこんな時期が……どないしたHiMERUはん。さっきから挙動不審やけど」
「──すみません桜河。俺は今、呪われた血に抗っている最中なのです。副所長も感じているはずです、心臓のざわめきを。……この娘を檻に閉じ込めたくて仕方ない」


 不穏な発言をする輩にはコズプロ苗字名前精鋭団による研ぎ澄まされた睨みが飛んでいた。
 コズプロ事務所にたどり着いた凪砂は名前とよく過ごす部屋に向かう。扉を開けると、何故か寝そべって五線紙を書き殴っているレオがいた。

「……どうして此処にいるの?」
「……ん? あれっ? そういや何処だここ!」

 ガバッと起き上がったレオはどうやらいつの間にか此処に来ていたらしい。レオとってはどんな環境下でも没頭してしまえば同じなのだろうか。

「まあいっか! ピアノあるし! 楽器があれば何処でも快適!」
「良くはないだろう。朱桜が困っていたよ」
「え、なんでシュウがいるの? お前らって仲良しだっけ?」

 ぴょんと起き上がったレオはピアノ──名前の為に設置された──の前の椅子に座ったところで凪砂と宗が共に行動しているのに疑問を持つ。宗が経緯を説明すると、レオは凪砂の手元に着目した。幼女がいる。

「……え? 縮んだの?」

 流石のレオも困惑しているようだ。他の人、例えば司や泉などが縮めば「面白いなー!」と受け入れそうだが、名前が相手となるとレオの対応も変わってくる。
 幼い名前と目が合ったレオはどうしたものか、と視線を彷徨わせた。名前はレオというよりもピアノに興味を示しているようだ。この頃の名前にとって、楽器はそこまで身近な存在ではなかった。音楽は、アイドルらから得ていたからだ。

 名前は自分を抱える凪砂に手振りをして訴える。凪砂は怪訝そうな表情をしたが、素直に片割れの意思に従った。レオの隣に名前を下ろし、傍で見守る。レオは突然幼女の名前に接近されて石のように固まってしまった。

「……名前がね、君にピアノを弾いて欲しいみたい」
「え?」
「……弾いてあげて。この頃の名前は、よく使徒にピアノを教わっていたんだ」

 レオは凪砂に通訳され、惑いながらもつい先程作曲したばかりの曲を演奏した。ちらり、と時々名前を見遣ると、小さく足を揺らしていた。

「弾いて良いぞ」

 小さな名前がぱっとレオを見上げた。レオは横目でニッと笑う。名前は恐る恐る手を伸ばして鍵盤に触れた。ぎこちない手付きではあるが、適格に新たなメロディを奏でていく。既に才能が芽吹いているのだろう。レオは名前に合わせて紡いでいった。

 しかし、天才らによって生み出される音楽を遮る輩が居た。

「おい、茨の坊やはいるか」

 ノックもせず無遠慮にドアを開け放った男。ワックスで整えられた髪、地鳴りのような低音。数年前のSSを予選大会からめちゃくちゃに引っ掻き回してくれたゲートキーパーだった。
 室内を鋭い目で見渡したゲートキーパーだったが、レオの奥からひょこっと幼女が顔を出したことで間抜けな表情へと切り替わる。

「へぇあっ?」

 今の妙ちきりんな声を一体誰がゲートキーパーから発せられたものだと瞬時に理解することができようか。凪砂は嫌な予感を察知してすぐさま名前を抱え上げた。安心させるように髪を撫でている。

「名前さま? ほんとうに? 名前さまですかっ? あ、あ、名前さまだ……あのときの名前さまだ……俺の、俺の幸福。名前さま……うぅっ」
(大叔父さんが泣いてる)

 茨は驚愕で顎が外れそうだった。
 へなへなと座り込みボロボロ泣き始めるゲートキーパーに威厳の欠片もなかった。本当にSSで自分たちを翻弄してきた男なのかと、ValkyrieとEdenの面々は引いていた。茨はこっそり弱みを握るためにスマートフォンの録画ボタンを押していた。

 小さな名前が再び凪砂に手振りをする。凪砂は先程のようには従わず、「……駄目。危ないよ。絶対に駄目」と口に出しながら手振りを返すが、名前にうるうると見上げられれば否定を続けることも難しい。渋々、足元に名前を下ろした。
 すると名前はてって、とゲートキーパーの元まで寄って行き、踵をあげて手を伸ばした。頭を撫でられたゲートキーパーはハッとして名前を見つめる。

「名前さまっ……ああ、名前さまに撫でられたぁっ、嬉しいいぃい゛ぃぃっ……!」

 号泣するゲートキーパーの前で名前は変わらず立っている。そわそわしていた凪砂は遂に声をかけた。

「……名前。早く帰ってきて。その男は危険」
「いや、僕のところにおいで! 君を抱っこさせてくれ!」
「名前ちゃーん! おいで〜!」
「自分のところでも良いですよ!」
「ぼくが良いよね!」
「……これオレもやった方が良いのか? えーっと、名前さーん。一応オレもあいてますよー」
「あ、じゃ、じゃあおれも……」

 各々が腕を広げて待つ奇妙な空間が拡がった。幼い名前はゲートキーパーの頬を伝う涙を拭こうとグイグイ手のひらを押し付けていた。ゲートキーパーがズビズビ鼻を鳴らして目を開くと、ぼやける視界の中、可憐な少女が小さく微笑んでいた。歓喜に震えた門番は名前の脇に腕を差し込み持ち上げる。

「俺はもう日本に戻ることはねぇだろう。欲しいもんは手に入れた。じゃあな、アイドル共」
「待てぇええええい!」
「誘拐犯! 誘拐犯や! ようおれらの前でやれたな⁉」
「月永、追いかけるぞ!」
「え、あ、お、おう⁉」

 綺麗なフォームで逃げていくゲートキーパー。その後ろを斧とチェーンソーを持ったValkyrie・手ぶらのレオが追いかけていく。Edenはと言うと、日和は巴財団に「今すぐ空港止めてね!」と連絡を入れ、茨は部下を配置するためにパソコンを起動、凪砂は英智に電話をかけて「……一瞬だけ名前のこと抱っこさせてあげるから名前を連れ戻して」と頼み込んでいた。ジュンは自分に何かできることは無いか頭を掻き、一足遅れてValkyrieとレオの後を追いかけることにした。

「ふふ……ふはは。俺の幸福が、名前さまが手の中に。ハハッ」
「……?」

 追手から逃げ、ヘリコプターから垂れ下がる縄梯子を掴んだゲートキーパーは無事、空の上に居た。腕の中できょろきょろと辺りを見渡している──凪砂を探していた──名前を愛おしそうに抱きしめる。

「ああ、血が騒いで堪らなかったんだ、貴女を一目見たときから。ずっとずっと俺のものにしたくて……だが御大が居るせいで、俺は貴女に手出しできなかった。でも今は違う、御大は居ない。貴女を、俺のものに出来る……!」

 ゲートキーパーは込み上げてくる嗤いを堪えることができなかった。

「貴女がアイドルになるという御大の望みは既に叶えられた。御大だって引退したのだから、もう貴女が芸能界から消えても問題はない。誰の目にも触れさせない。貴女は俺だけの貴女になるんだ。俺だけの幸福になるんだ」

 門番は神の子として育てられた娘の可愛らしい丸い頬を撫でる。

「名前さま。大きくなったら、俺と結婚──……ア?」

 突然ぐにゃり、と視界が歪んだ。ゲートキーパーは顔を顰めて目を擦ると、次の瞬間には腕の中に居たはずの名前が姿を消していた。

「⁉ 一体どうなって……」

***

 彼が目を覚ましたのは空港の待合室だった。全てを理解した彼は脱力してソファの背もたれに全体重を委ねた。

「んだよ……夢か。そりゃそうだな。名前さまが薬の効果で縮むなんて有り得ねぇ。推理漫画じゃねーんだから」

 現実を受け入れつつも落胆している彼は、ネクタイを緩めてシャツの下に忍ばせてあるロケットペンダントを取り出した。開くと、中には幼い頃の名前の写真があった。名前の幼少期に撮られた写真はこの一枚だった。

「……よう。久しぶりだな、あんず」

 待合室にプロデューサーがやってきて、彼の手元を覗き込んだ。ゲートキーパーはすぐに隠そうとするが、あんずは案の定興味を示して「その美少女は誰だ」と問い詰める。

「誰って、この美少女を見て何でてめぇは名前さまって分かんねぇんだよ。それでもESのプロデューサーか? ……なんだよ、やらねぇぞ。何で俺が名前さまとの思い出の写真をお前なんかにやらなきゃなんねぇんだ。……番組で使う? アイドルの幼少期の写真を取り扱う、だとぉ? それを聞いて俺が素直に渡すと思うか。俺の名前さまだぞ、世間に晒してやるかよ。……は? 提供してくれたら、名前さまの、ライブチケット……⁉ ふ、ふん。お前忘れたのか? 俺はアイドルには興味がな……最前列⁉ …………少し、考えさせろ。い、いや悩んでない。大体、俺は名前さまがデビューしてからライブ配信を必ず見て……現地で苗字名前を浴びてみろ、だと? 生意気な小娘だな! 俺が生の名前さまを知らないって言いたいのか⁉ 良いだろう、行ってやる。その代わり、このロケットは丁重に扱え。傷一つつけてみろ。お前の首は体とお別れすることになるからな」