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 帰国したばかりの宗の元にある一報が入った。見覚えのない電話番号からのメッセージを確認すると、それは美雪の執事からのものだった。内容は、宗が帰国することを知った上で時間を貰えないか、ということ。なぜ宗の電話番号を把握している上に今日帰国することまで分かっているのか。氷室財閥の執事の手にかかれば斎宮宗の個人情報を調べあげることなど容易いのだろう。

 呼び出した側として宗の足労をかけるわけにはいかないと思ったのか、執事である代谷が指定した場所は、到着した宗もすぐ足を運ぶことができる空港内のレストランだった──調べてみると氷室財閥の関連会社だという。執事は流れるように宗から荷物を受け取り、要件を済ませればESビルまで送ることを約束してそれらを運転士の兄に預けた。

「突然の呼び出しにも関わらず快くご了承いただき誠にありがとうございます、斎宮様」
「いえ。当然のことです」
「長旅でお疲れでしょう。こちらを」

 代谷弟は宗の到着に合わせて注文しておいた紅茶を差し出した。いつも主人の傍らに立って奉公している彼が同じ椅子に座り同じ目線になっているのが、宗にはちょっとした違和感があった。

「それで、今回は一体どういったご用件でしょう? 貴方が僕を呼び出すなど」

 喉を潤した宗は早速切り出してみる。特に急ぎの用があるわけではなかったが、美雪の執事が主人も不在の状態で宗に会おうとするのは、何かただならぬ理由があるのではないかと思ったからだった。恐らく彼女に関連することだろう、と彼は踏んでいる。

「単刀直入に申し上げます。斎宮様は、お嬢様と添い遂げたいというお気持ちが御座いますか?」

 執事は宗が心構えをする前にすらりと述べた。突然のことに宗は面食らうが、執事の眼差しが自身の反応を観察し評定しているようにも思えた彼はすぐさま落ち着きを取り戻した。相手に気づかれないよう細く深呼吸をする。

「──はい。あの子が、僕を受け入れてくれるなら」
「……左様で御座いますか」

 宗の答えを聞いた執事は視線を落とし、テーブルの上で組んだ。

「実は、お嬢様に縁談の話が上がっています」
「縁談? あの子はまだ二十歳ですよ? 些か性急では……」
「旦那様は御結婚が早かったもので。一年後までに相手が見つからないようであれば、旦那様が決めた相手との縁談が進められる予定です」
「一年後……」
「猶予があるといっても、お嬢様は未だ多忙の身。相手を探す暇など無いことは我々でも予期できます」

 氷室財閥の前当主が決めた相手となれば由緒正しき家柄の御曹司なのだろう、ということは宗にも理解できる。それでも、高校時代から彼女を守ってきた宗からすると、ぽっと出の男に奪われるのはそう易々と赦せるものではない。相手の男の名を知りたい気持ちもあったが、執事にも守秘義務がある。両家の為にも軽く口は割らないだろう。
 宗の複雑そうな表情を見て、執事は瞼を閉じた。

「これより先は氷室財閥の執事としてではなく、ただお嬢様を心配する男の一人としての独り言です。そしてここは氷室の直営店。人払いもしてありますから、誰に聞かれても問題はないということです」
「?」

 今度は宗が気構えする間があった。薄く目を開けた執事は、忌々しくも尊い思い出を振り返るように語る。

「僕は、彼女が歩くことも喋ることも出来なくなった姿を知っています。若様によって人間としての行動や知性・自立心を失った彼女を兄と共に一から育てました。歳はそう変わりませんが我が子のようなものです。……そんな我が子を、よく知りもしない男に渡して良いと思えるはずがない」
「……」
「旦那様が性急だというのは僕も兄も思っていることです。……そもそも彼女が氷室の娘として育てられ始めたのは六、七年ほど前の話。大人びて見えますがまだ幼い。氷室の血も通わない彼女に氷室の都合を押し付けるのは筋違いでしょう」

 彼女を育てた親としての気持ちを吐露した代谷は宗を見遣った。自然と宗の背筋が伸びる。

「──分かりますか。自由を知った彼女には、自由でいて欲しいのです。『例の人』の鳥籠で育ち、若様という新しい檻に入れられ、芸能界に押さえつけられ、今度は旦那様に縛り付けられそうになっている彼女には。願わくば、慕う相手と、好きなように生きて欲しい。幸せになって欲しい」

 宗には、氷室の父が娘として扱うしかない美雪を家の都合の良いように動かそうとしているばかりではないように思えた。結婚相手を決めてやるというのも親なりの愛だ。宗には兄と姉がいるため、親が彼らの相手を気にする様子を見たことがあった。

「その相手が夢ノ咲で一年間、彼女を守り抜いてくれた斎宮様ならと、僕は思ったのです」

 しかし、それが理解できるからと言って執事の言い分が理解できないわけではない。彼女を庇護対象としてだけでなく一人の女性としても愛し続けていた宗は、当然執事の方に傾く。

「斎宮様。あの子はね、貴方のことが大好きなのですよ。僕らが何をしても反応を示さなかったあの子が、画面に映った貴方を見た途端、瞳に輝きを取り戻したのです。あのときは悔しくもあり、同時にとても……感動しました。あの子と一緒に貴方の創る世界に魅了された。あの子が何度も何度も映像を繰り返すものだから、僕らも貴方の舞台を覚えてしまうこともあって。二人で再現しようとしたら、『そんなんじゃない』ってあの子に怒られたこともあって。……だから、僕らにとっても貴方は恩人なのです」

 言い切ると、代谷は立ち上がって宗に深く頭を下げた。

「どうか、お嬢様を宜しくお願いします。……旦那様が認めてくださるかは分かりませんが、斎宮様なら、きっと、きっと」
「大丈夫です」

 執事が顔を上げると、宗が勝気な表情で笑っていた。

「代谷さん。下の名前は……」
「公晴(きみはる)です。代谷公晴」
「公晴さん」

 普段、執事を苗字でしか呼ばず、美雪が下の名前で呼んでいる姿も見ていなかった宗は初めて真面に彼の名を聞いた。改めて確認するように呼びかけ、彼が頷いたのを見て続ける。

「僕は昔から頑固だったんだ。親から表現者になることを反対されたときに一切の資金援助を必要しないと宣言してしまったくらいにはね。つまりだ、僕の前に立ちはだかる障害物は何が何でも赦さないし、それらを全て打ち破るくらいの気力が、僕にはあると思っていただいて何の問題もないということなのだよ」

 宗は会ったことのない氷室の父を想像し、拳を握る。このまま目の前に現れれば美しく殴り飛ばしてやりたいと血が湧き、肉が踊るようだった。

***

「んあっ、美雪ちゃんや〜! ご機嫌ようさん♪」
「……みかさん、御機嫌よう」

 前を歩く美雪に気づいたみかは横に宗が居れば怒られそうなくらい廊下に響く大声で彼女を呼んだ。振り返り、みかを視界に収めた美雪は薄く微笑んで挨拶を返した。
 宗がフランスに経った後、みかは高校三年生の間、彼の代わりに美雪の面倒を見ていた。みかが卒業し、美雪が高校三年生になった夏にデビューしてからは会える回数も減ってしまったため、こうして偶にすれ違うくらいでもお互いに喜びを押さえることができなかった。

「タッチ〜♪」
「……たっち〜」
「お手手にぎにぎ、ぎゅっぎゅ♪ ──って、アカン!」
「?」

 親しくなった彼ら恒例のやり取りの最中、みかは美雪の小さな両手を握ったところで我に返り、慌てて距離を取った。突然みかに避けられた美雪は茫然とする。

「ん、んああっ、ごめんなぁ? 寂しそうな顔せんで?」
「……みかさん」

 どんどん後退っていくみかに、美雪は触れ合いの続きをしようと促すように赤子の如く手を伸ばした。みかはぎゅっと服を握って耐える。

「う、う〜……あんま可愛いことせんといてや。抱っこしてあげたくなるやん……」
「……みかさん、私のこと嫌いになりました?」
「ちゃう!」
「……ちゃうの?」
「美雪ちゃんのこと嫌いになるなんて有り得へん!」

 そう言葉で言われても物理的距離は縮まらないのだから、美雪の不安は消えない。

「……じゃあ、どうしてぎゅっぎゅってしてくれないんですか? ……ぎゅっぎゅ、足りません」
「んぐ、ぅあ〜〜っ! 美雪ちゃんってほんま悪い子やねっ、そうやっておれのこと誘惑するんやから……! お師さんがやっとプロポーズするって決めたんやから、おれは美雪ちゃんから離れんと……」
「──プロポーズ?」

 固まった美雪が復唱すると、みかはハッと口を押さえて見るからに狼狽えた。美雪の脳内では「お師さんがやっとプロポーズする」というみかの言葉が無限ループしている。

(あ、あかーん! おれ、ほんまアホやん⁉ プロポーズするって本人の前で言ったらあかんやつやん! お師さんのサプライズ計画が台無しにぃ〜っ)

 みかは数日前、帰国した宗から美雪にプロポーズすることを聞かされ、待ち侘びていた二人の結婚が実現すると涙を流して喜んだ。プロポーズが一世一代の重大イベントであることは勿論みかも理解していた。宗に忠告されるまでもなく、この件は内密にしなければならないことを分かっていたはずなのに、彼の口はぽろっと零してしまったのだ。

「え、えっとぉ。あはは、おれ何言ってんやろな。お師さんが結婚なんて有り得へんよな、あははは」
「…………」
「あ、あ、いや、えっと、お師さんは美雪ちゃんのことが一番なんやけどなっ? おれも二人が結婚するのは嬉しいし……ん、んあ〜纏まらん」

 宗がプロポーズすることを隠さなければ、と思うみかは二人の結婚を否定してしまえば美雪の気持ちが沈むのではないかとも思い、気遣う言葉をかけるせいで支離滅裂な台詞を吐いていた。
 ところが。美雪はそんなみかの中途半端なフォローに耳を傾ける暇がなかった。

「…………誰よ、その女」
「んあっ?」
「駄目よ。絶対に駄目。宗様が結婚なんて認めません」
「え、美雪ちゃんっ?」

 綺麗な顔を歪めた美雪はみかに背を向けると競歩でもしているかのように早足で先へと向かう。宗を探し始めたのだ。みかは慌てて彼女を追いかける。時折後ろから声をかけるが全て無視されていた。

「──宗さん!」
「……む?」

 衣装ルームに着いた美雪はノックもせずにドアを開け放った。中には案の定、衣装に針を通している宗が居座っていた。宗は阿修羅のように迫ってくる彼女に戸惑う。

「相手の女は」
「……はっ?」
「貴方が求婚する女性はどなた?」
「きゅ、求婚……⁉ 何故それをっ……」

 美雪の後ろで手を合わせて頭を下げているみかを捉えた宗はピキリと青筋を立てた。

「か・げ・ひ・らぁ〜……?」
「ごめん! ほんっまにすんません!」
「まったく、君は相変わらず抜けているね……──うぉっ?」

 宗がみかのぽんこつ具合に頭を痛めていると、美雪から顎を掴まれる。無理矢理目線を合わされた宗はどぎまぎしながら美雪を見上げる。いつもではあり得ない視点だ。そして彼女も、レオと宗の言い合いを眺めていつものように呆れている表情ではなく、怒りに歪んだ表情だった。

「──ねぇ、どうしてお二人でばかり話しているの? なぜ私には一言も相談してくださらないの? 結婚だなんて、そんな重要なこと……どうしてレオさんにも私にも話さないのよ。貴方一人の体だとお思い?」
「い、いや、僕は」
「それで、相手は? どこかの御令嬢? 貴方に相応しい女? 賢く品のある人?」
「うん? ええっと?」
「私よりも美しい? 私よりも可愛い?」
「まさか! 君よりも優れた女性なんているはずがないよ!」

 彼女の勢いに呑まれていた宗だったが、これには思わず反応してしまった。美雪の手を握り必死に否定するが、彼女の中では(ならどうして)という疑問が棘のように顔を出した。

「美雪」
「……なあに」
「君はもしかして、何か勘違いをしていないかい?」
「…………勘違い?」

 美雪は訝し気に宗を見下ろす。宗は瞬時に(これはみかの口の滑らせ方が悪かったのだろう)と勘付いた。ちらりとみかを睨むと、彼は気まずそうに目を逸らしてススス、と静かに衣装ルームを後にした。宗がどうするつもりなのか、相棒をやっているだけあって予測できたのだろう。

「ああもう。もっと時間をかけて、しっかり準備をしてから実行するつもりだったのに」

 薔薇の花束を用意して、二人きり、美しく彼女に相応しい場所で。こんな場所で、と思う宗もいたが、まずは彼女の誤解を解くことが一番だろうと考える。
 膝に置かれたままの創りかけの衣装をソファに置き、彼女の手を取る。細い指を包み込むようにして、宗は真っ直ぐ彼女を見上げた。

「美雪。僕と結婚してくれ」
「────え、は? 無理です」
「……うん?」

 双方、現実を受け止めるのに時間を要した。美雪は知らない女にアイドル・斎宮宗を奪われるのではないかと危惧し憤慨していたところにプロポーズされたこと、宗はずっと想い続け相思相愛だと思っていた彼女にプロポーズを断られたことに唖然とする。
 美雪はサッと宗に握られた手を抜き取った。宗は止める隙はなかった。

「どうして私と結婚することになるんです? 意味が分かりません。……なんです? 私が怒って結婚に反対するから、結婚相手を私にしようと思ったということ?」
「違うよ! 何故そうなる⁉ 僕は初めから君にプロポーズするつもりだった!」
「…………え、なんで?」
「君を愛しているからだけど⁉ ずっと前から言っているよね⁉」
「……だって、あんなの挨拶ではありませんか」
「僕の愛が挨拶ぅ⁉」

 言い過ぎていた、ということだろう。彼女に愛を囁き過ぎたせいで、彼女の中で斎宮宗は川が流れるのと同じように口説く男、という認識になってしまっていた。慣れとは恐ろしい。

「ぐぅ……全て君が可愛すぎるせいだ。僕が美しいものを見ると褒め称えてしまうことは君だって知っているだろう……僕の中で君は最高の女性、君以上の女性なんて居ない」
「……それは分かりましたけど、どうして私にプロポーズすることになるんです?」
「え、ここまで言って分からない? 君はそんなに鈍感さんだった……?」

 人の愛に様々な形があることは理解していても、まだ愛というものが理解できないのが彼女なのだろう。宗は彼女にどう言えば伝わるだろうかと熟考する。

「僕は君が好きだ、愛している。それは、一人の女性としてという意味。君と添い遂げたいという意味。君の人生を貰う代わりに、僕の人生を君にあげる。今までのように手を取り、抱きしめるだけでなく…………誓いの口づけをして、家族になりたい。ということなのだけれど、これで伝わる?」

 遠回しでは、これからもValkyrieとして・Valkyrieの作曲家としての言葉に捉えられると思った宗は、今の関係と宗が求める関係が異なることを教えようとした。
 ところが美雪の返答。

「無理」
「何故ッ⁉」

 宗が叫んでいるのが聴こえたみかはそーっと扉を開けて衣装ルーム内の様子を覗き見た。喚く宗と、宗から逃げるようにしている美雪が居て、みかは目を点にする。

「待て、何故逃げる!」
「宗様が結婚するなんて嫌ですっ」
「い、いやだから、僕が結婚したいのは君で……!」
「だめ! 宗様は一生独り身なの!」
「誰が決めたのかね!」
「私!」
「君ねぇ! いくら可愛いからってこれ以上僕を困らせるのは許さないよっ」
(……あー、そういや美雪ちゃんってお師さんが結婚するの反対派やったなぁ)

 みかは衣装の間を潜り抜けて追いかけっこをしている二人にため息を吐いた。どう仲裁したものか、と頭を掻くが、これは二人の問題だろうと見守ることに決めた。
 宗が衣装の中に潜り込んだ美雪を捕まえ、彼女を腕に閉じ込めたままその場に座った。ふぅ、と息をついて美雪の髪を整える。

「僕だってあと数年すれば家から縁談を押し付けられるだろうさ。もしかすると、君も認められない女性かもしれないね」
「……なら、私が貴方の相手を探します。相応しい女性を」
「僕が個展に使おうとしたモデルにすら嫉妬した可愛いお嬢さんが?」
「…………」

 美雪が少しむくれると、宗は眉を下げて微笑み彼女の頬を指でそっと撫でた。美雪は大人しく宗に触られている。

「それとね、僕は好いてもいない相手と結婚はしたくないよ。僕が愛しているのは、君だから。君以外に居ないから。……君を誰にも渡したくないんだよ」

 宗は美雪を抱きしめる腕に力を込めていく。

「知りもしない男の妻になるなんて赦さない。そんなことになったらその男を惨たらしく殺して、君を略奪する。君の兄を騙る忌々しい男のように、君を閉じ込めて、自由を奪う。……僕に結婚して欲しくないのなら、僕を犯罪者にしたくないのなら、君が僕と結婚しろ。僕の妻になってくれ。…………僕の人生は、君がいないと完全に成らない」

 美雪の両の手首を掴み手錠をかけるようにした宗は、もう一方の手で美雪の顎を掬い上げた。仄暗く不安定に揺れる瞳で彼女を見る。純粋に求婚するはずだった男は、愛を拒絶されたことで脅迫染みた告白をしていた。

 美雪が身じろいだ。まだ自分から逃げるつもりか、と宗が目を吊り上げると、美雪は辛うじて動く指で宗の手首をくすぐるように撫でた。

「私は貴方がいるなら不完全で構わない」
「──!」

 それが彼女の返答だと気づいた宗が手を緩めると、今度は解放された美雪が宗の手を取って微笑んだ。

「──ああっ。美雪、美雪。ありがとう、愛している、好きだよ。好き、好き」

 歓喜に震えた宗は彼女を抱きしめ、頬に口付けていた。目を丸くした美雪が抵抗する。

「……ちょ、ぁっ、や、やめてください」
「どうして。乱にあれだけキスをさせておいて、なぜ求婚を受け入れてもらった僕がしてはいけないんだい?」
「だ、だって…………恥ずかしいです」
「ああもう、可愛いことを言って……いけない人。頬にキスをしただけでそれでは、先が思いやられるね」

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