肉食女子になれなかった


 隣の八百屋の息子である幼馴染が夢ノ咲学院を受験する際、誤ってアイドル科の試験を受けたと聞いたとき、私は合格したと確信した。私が面接官なら書類選考の時点で合格にしている。


 翠は昔から美少年だった。それに見合わずいつも自信なさげな顔をしていて、ガキ大将にいじめられているところを私が割って入ったこともあった。女の子に守られている、情けないヤツ。

 何かあると窓を叩いて「あのね」と報告してくるアイツのことを、私にだけ心を許してくれてる可愛い赤ちゃんみたいな、弟みたいな存在だと思っていた。というのは真っ赤な嘘で。あんな美少年の隣を歩ける幼馴染兼隣人というのが誇らしかった。ちょっと翠と話しただけで「知り合いなの?」「彼氏?」「かっこいいね」「紹介して」なんて言われると、そりゃあ良い気になる。偶にやっかみを買うこともあってそれはそれで面倒だったけれど、翠と親しい間柄ということが私の中で一種のステータスになっていた。

「翠さぁ、友達いるの?」
「え、うん……一応」
「一応って何」
「……休日に一緒に遊ぶとか、そういうのはないけど、話せる人なら」
「ふぅん」
「それよりさ、これ、隣の市のマスコットキャラクターなんだけど」
「ブスじゃん」
「は? どこが。ちゃんと見ろ」
「見てますけど〜? ってか真面目に勉強しないと。また赤点取るよ」
「だから教わりに来てんじゃん」
「それが教わる態度かぁ〜?」
「それが教える態度かよ」

 お母さんが持ってきてくれたコロッケをおやつにしながら、期末テストに向けて勉強していた。私は精肉店の娘で、翠は八百屋の息子。昔は互いの親が盛り上がって「結婚させて一緒に営業する?」なんて話をしたみたいだけど。

 この間の中間テストで翠は一教科赤点を取ったらしい。私は塾で数学と英語だけ教わっていたから、翠はテストの点数を見せ合いっこするときその二教科だけは外す。消極的な草食系男子のくせして、負ける試合はしないのだ。

「そんなんじゃ志望校受かんないよ〜?」
「うるさいな」
「ちゃんと頑張んなって。私と同じ高校にしたいんでしょ〜?」

 新しい環境で一から友達を作るなんてことは、人付き合いが器用ではない翠には難しいらしい。何より面倒だとか。だから私が「夢ノ咲に行く」と言ったら「俺も」と言った。それが、普通に、嬉しかった。アンタ、ほんと私がいないと駄目ね、って。

 それなのに、受ける学科を間違えるって、何。アイドル科って男の子しか居ないんだよ? 私は女の子なんだよ? そこ、ちゃんとわかってる?

 翠の部屋のベランダに飛び移って、窓をガンガン叩いて入れて貰って、私はアイツに当たり散らした。翠は何で私が怒っているのかも知らないで、きょとんとして

「いや、アイドル科なんて受からないでしょ」

と間抜けに返した。私はぽかぽか殴っていた拳を下ろして盛大なため息をついた。

「受かるっつーの」
「なんで」
「……アンタさ、私が今までどれくらいアンタのことが好きな女子から恨まれたと思ってんの? バレンタインには『代わりにチョコ渡して〜』なんて言われることもしょっちゅうあったんだからね」
「え? そんなの受け取った覚えないんだけど」
「そりゃ宅急便扱いされる筋合いないから全部食ったよ」
「うわ、サイテー。ちゃんと渡せよ、俺のチョコ」
「私が貰ったから私のもの」
「すっげージャイアニズム」
「文句言うな。私からの有難いチョコはちゃんと受け取ってるでしょ」
「あんな三、四十円のちっちゃいチョコで自慢すんな」
「中学生はそんなんで十分でしょ。ママが言ってた」
「チョコ融かして固めるくらいしろよ」
「出た。それ作ったことないから軽く言えるんだよ」
「え?」
「板チョコ一枚融かすだけじゃ大した量にはならないんだからね」
「そうなの?」
「そうだよ。沢山作るには沢山のチョコがないといけないんだから。板チョコ一枚百円だとしたら、十枚買っただけで千円だよ?」
「意外とするな……っていうか、なんでそんなの知ってんの?」
「え?」
「……作ったことあるとか?」
「……まあ」
「誰に?」
「……別に誰でも良いでしょ」

 回る勉強椅子に腰掛けた翠は「ふぅん」と相槌を打って机に向かった。もう受験は終わって結果を待つだけなのにまだ勉強しているのか、と呆れた私は翠のベッドに横たわった。

「おい、勝手に使うなよ」
「いーじゃん別に。翠のモンは私のモン」
「出た。ジャイアニズム」

 同い年の女の子が自分のベッドにいるっていうのに、全然見向きもしない。この下に秘蔵のお宝とか無いのだろうか。翠のことだから勉強机の引き出しの中の、箱の中とか。本棚のカバーしてあるヤツとか。そこら辺かな。

「……なに勉強してんの?」
「学期末。ウチのクラスの社会科の担任、後半に詰めすぎなんだよなぁ」
「学期末なんて真面目にやんなくて良いでしょ」
「え、なんで?」
「だってもう受験関係ないじゃん。内申点下がっても問題ナシ」
「……確かに」
「ね。スマ*ラやろ」
「え〜、たぶん今兄貴がいる……」
「お兄ちゃんも混ぜてやろうよ、ウチからコントローラー持ってくるから」

 私はそう言って翠の部屋の窓を開けて、ベランダを飛び移って自宅のリビングからコントローラーを引っ張って来たが、結局その日は翠がお店の手伝いに駆り出されてゲームは出来なかった。


 試験の結果はすぐにやってきて、私と翠の道が分かれた。一緒に普通科に行くはずだったのに。
 翠は「合格」と書かれた通知書を見て顔面蒼白になってお母さんに泣きついていたけれど、合格したのは夢ノ咲だけだったから、今から他の高校には行けないということで、翠はそのまま夢ノ咲学院のアイドル科に入学することになった。

 美少年の翠のことだからすぐに有名になるのかと思ったら、案外そうでもなかった。母親に「手伝って〜」と言われて常連さんに鶏肉を売っていたら翠が普通に店番に出てくることもあって、なんだか拍子抜けしてしまった。

 でも、時々ファンだっていう子がやって来た。翠は頭を掻いて「はぁ、どうも」と仏頂面だった。ちょっとくらい笑えば良いのに、アイドルなんだから。なんて。

 翠には内緒で、流星隊のライブに顔を出したこともあった。翠のグッズはたぶん、全部買ってる。少ないお小遣いを使って。こんなに幼馴染に貢いでる女の子なんて居ないんじゃない? なんて。

 はじめて作った団扇を持って行って、ペンライトを緑にして。あの日は最前列までは行かないけど、結構前の方だった。センターでリーダーの千秋くんが私の団扇に気づいてくれて、翠の肩を叩いて私を指さした。翠は気だるげにこっちを見て、それが私だとわかると面白いくらいに驚いた顔をしていて、私はしてやったりな笑みを浮かべた。

 家に帰ったら翠が私の部屋の窓を叩いて乗り込んできた。最近は私からばっかりだったから嬉しかった。翠は私の部屋に自分のポスターがあるのにぎょっと飛び退いて「おま、い、いつから……!?」と聞いてきたので、「最初から」と教えた。ねぇ翠、私、古参なんだよ。


『緑の炎は慈愛の証! 無限に育つ、大自然! 流星グリーン、高峯翠……!』
「──あれ?」

 最近、お兄さんのこととか、千秋くんの卒業のこととかで、色々あったのを知っている。

 店番をしてるときに鉄虎くんと翠が喧嘩してる声と、忍くんが止めようとしてる声が聞こえて来た。私はただ聞いているだけだったけど、翠はすごく、千秋くんにお世話になっているらしかった。鉄虎くんは厳しいことを言っていたのかもしれないけど、私の幼馴染のケツを引っぱたいてくれてるんだなって、そのとき密かに思っていた。

 その後、駆け付けた千秋くんと奏汰くんのお陰で丸く収まったみたいだけど、ウチの店をひょっこり覗いた奏汰くんがにっこり笑って「おさわがせしてすみませんでした〜。『ころっけ』、いつつくれますか〜?」と訪ねてきたときは、ひっくり返るところだった。奏汰くんって、素であんな感じなんだ。


 マイクを通して聞こえてくる名乗りは、いつもの面倒臭そうな、適当なものではなかった。周りの同担も他担も、いつもの翠とは違うやる気に満ちた彼の様子に黄色い悲鳴をあげていた。

(頑張ってんじゃん、流星グリーン)

 後方彼氏面ならぬ、後方彼女面ってヤツなんだろうな、私は。

 翠のカッコよさは私だけが知っていれば良かったのになって、ちょびっと思う。