アヤカシ荘の奇譚

挨拶


大きな家具は最低限の家電と寝具くらいで作業は然程時間もかからずに終わった。
細かい荷解きは少しずつやっていけばいいだろうと後回しにして一応親に電話を入れる。
引越し作業を終えた事を伝えると隣人に挨拶はしたのかと言われた。騒音になるんだから先に挨拶しときなさいと怒られる。そもそもの引越しの原因が隣人トラブルなので親も少し過敏になっていた。
…お隣に挨拶か。しなきゃいけないよな。

「でもアヤカシなんだよなぁ…」

×××

母親の用意した手土産を持って部屋を出る。
実家の近所にある店のお菓子だがアヤカシは食べるのだろうか。というかそもそも受け取ってもらえるのだろうか。
201号室の呼び鈴を鳴らすと数十秒後にがちゃりと鍵を開ける音がした。
どんなアヤカシが出てくるのかとドキドキしながらドアが開くのを待つ。
おっかないバケモノとかじゃありませんように。
しかし予想に反してチェーン越しの半開きのドアから見えた姿は普通の人間だった。

「誰」
「今日隣に越してきた津村って言います…!これ、つまらないものですが」

おずおずと手土産を差し出す。
じっと袋を見つめた後、扉が閉じてまた開く。
チェーンが外れさっきより大きく開いたドアから青年の全貌が見えた。
身長は俺より少し高く、細身ではあるが袖から伸びる腕には程よく筋肉がついている。歳は俺と同じくらいに見えるが大きな猫目が何処か幼さを感じさせて高校生と言われても納得できそうな雰囲気だ。鼻が高くすっとしていて少し開いた唇からは牙が覗いている。長めの癖っ毛は特に整えられていないが不潔感はなく自然体だ。猫っぽいなと頭の片隅で考えた。

「なにこれ」
「おかきです。…多分」
「多分?」

おかき以外にも饅頭や羊羹等を売ってる店だが、日持ちする方がいいからとおかきにした、と言っていた、気がする。
誤魔化すように笑うと、お隣さんはハテナを浮かべながらもお礼を言ってくれた。
アヤカシって言っていたけどいい人そうで良かった。見た目も人間だし。

「なんのアヤカシなんですか?」

気が抜けたのかしなくていい質問をしてしまった。やばい、と思うも口から出た言葉は無かった事にはできず、ばっちりとお隣さんの耳に届いていた。
俺の質問に気を悪くするでもなく、変わらず低いテンションで返事が来た。

「何だと思う?」

試すような挑発的な笑みで問われる。
生意気そうというか、何だこの手玉に取られてる感は。
頭に浮かんだ動物は猫だった。猫のアヤカシなんだろうか。妖怪に詳しいわけではないが、思いつくのは化け猫とか猫又とか。化け猫はそのまま猫の化け物って事で良いのかな。なんだかアバウトだ。猫又は、確か死んだ猫が妖怪になったものだったか。尻尾が先で二又になっていて、だから猫又。

「…猫又?」
「はは、強ち間違いじゃない」

猫又ではないらしい。
だが間違いでもないらしい。
どういうこっちゃ。

「じゃあ何のアヤカシ?」
「内緒」

なんじゃそりゃ。
別段興味津々というわけでは無かったが焦らされると気になる。深く関わるつもりもないのに人の好奇心とは厄介だ、なんて黄昏てみる。

「それ反対側にも持っていくの?」

俺の持つ同じ柄の紙袋を指で指される。勿論203号室の隣人にも挨拶しに持っていくつもりだ。
素直に頷く。

「多分不在だと思うよ」

そう言うと俺の事を気にも留めず袋からおかきを取り出すと呑気に美味しそう、と物色していた。
…自由な御仁だ。


×××

「あはは。彼岸花くんらしい」

そう言って立花さんはお茶を一口飲むとおかきをぽりぽりと食べた。
結局203号室の隣人は不在だったので彼のぶんのおかきは部屋に置いて、俺は管理人さんに手土産と、ゴミ出しやらの事を聞くために101号室にお邪魔していた。
ついでに名前を聞きそびれた201号室の彼の名を知る事ができた。
表札には名前が無かったんだよな。
立花さんにお茶を頂き両手で湯呑みを持つ。口には含まず冷めるのを待った。

「彼は火車というアヤカシなんです」
「かしゃ?」
「はい。火の車と書いて火車。簡単に言うと死体を持ち去るアヤカシですね」
「し、死体?!」

ぎょっとして湯呑みの中の茶が揺れた。
死体を持ち去るとは穏やかではない。

「…まさか食べたりとか」
「どうでしょうねぇ」

にこやかに笑いながら二つ目のおかきに手を伸ばす。
含みを持たせる言い方やめて。

「まぁ彼岸花くんはグルメですから、ご遺体は食べないでしょう」

グルメとかそういう問題なのか?

「火車はお葬式やお墓から死体を持ち去るんですけど、ここと言った伝承地は無く色んなところで事例があるそうですよ。働き者ですねぇ」

働き者とかそういう問題なのか?

「猫の妖怪が正体とされる事も多く、猫又が正体だとも言われているそうですよ」
「それで強ち間違いじゃないって」

確かに何処か猫を思い出させる雰囲気だった。
正体が猫又と言われても納得できてしまう。
…あ、いや。彼の正体は火車なのか。



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