心地よい風が吹き、暖かな日差しがさす午後。大物を洗濯するにはちょうどいい天候なのでシャルルは布団を丸洗いして外の物干しに掛けておいた。
「だから、そもそも潜入しようなんて思っていなかったんだよ」
シャルルがほとほと困り果てた様子でこのセリフを口にするのは3回目だ。誰に向けてかというと、一枚の紙と封筒を握り険しい表情をしているトーマに向けて、である。
「それでも結果的に『潜入した』んだろう?」
「だって、その場で人違いですって言うわけにもいかないじゃん」
シャルルは頭に被ったタオルで濡れた髪をくしゃくしゃとかく。実はついさっきシャワーを浴びたところだ。
起きたのは1時間くらい前で暫くぼうっとした後に寝具を洗濯し、それが終わってシャワーを浴びて、出てきたところにトーマが部屋にいたという流れ。
そのトーマは今朝、シャルルの家を出て神里屋敷に向かってから、午後の仕事の合間にシャルルの家を訪れている。
トーマは来た時にシャルルの家の郵便受けを見て、それが少し前に届いたものなのかつい今朝届いたものなのかはわからないが、シャルルがスネージナヤから出したトーマ宛の手紙を発見したのだ。それを持って、馴れた動作でシャルルの家にあがり、家主が風呂場にいることを知って、部屋の中で手紙を読んで待つことにした。
そしてそこに書いてあった、ファデュイの職場体験を二月してきましたという文言に、目眩を起こしかけたのだ。
「どうしてそんなに危機感がないんだ? ……『公子』と親しげにするのもそうだけど、シャルルはファデュイという組織の危険性についてちゃんと理解できてる?」
「わかってるよ。目的のためには手段を問わず、いろんなところで厄介事の火種を起こしてる迷惑な組織だろ。俺の身元が割れたら始末しに来るだろうね」
「……。なんでそれくらいの分別はあるのにこんなことしたんだ」
「だから……別に、ファデュイに潜入したかったんじゃないんだよ。仮面がかっこよくてつけてみたかっただけで……。それに万が一俺を殺しにくるっていうのなら返り討ちにしたらいいじゃん」
「…………はあ。これだから脳筋幼稚園児は」
「は? 暴言だぞ」
脳筋はともかく成人男性を幼稚園児呼ばわりとは相当バカにされている。
シャルルは湿ったタオルをトーマに向かって投げつけた。もちろんトーマは驚く様子もなくそれを受け取り「暴力だね」と言い返す。
「……トーマはああ言えばこう言う」
これ以上言い合っていてもどうせトーマに言い負かされることを察したシャルルは話題を変えることにした。
「トーマさ、昨日酒どれぐらい飲んだの?」
「昨日? …………、……」
怪訝な顔をしていたトーマがきゅっと口を噤んでそっぽを向いた。シャルルから逸らした視線が落ち着きなく泳ぎ、その頬は少し赤い。
質問したシャルルと言えば、起きた時に机の上にメモが置いてあるのを見たので、トーマが昨日のことをしっかり覚えているのはわかっていた。メモの内容はシャルルの体調の気遣いと、気持ちよさそうに眠っているから起こさなかったこと、家司の仕事があるからまた後で会いに来る、一人にしてしまって申し訳ない、という旨のものだ。
別にシャルルとしては置き手紙がなくても、トーマは忙しいしなと結論づけて気だるい体で二度寝していただろうが、トーマは律儀なやつなので、抱いた相手に朝の挨拶もせず家を後にすることに罪悪感があったのだろう。
ともかく、トーマに昨日の記憶があって、その上で気まずそうな反応をされたので少し拍子抜けだった。
「……なんでトーマが照れるのさ」
「なんでって。シャルルの方こそなんでそんなに平気そうなんだ?」
「うん? んー、別に……付き合ってるならセックスするのも普通かなって……」
「そういう問題……?」
「まあそれは置いといてさ。どれぐらい飲んだの? お酒」
シャルルは話を戻した。するとトーマはどことなく居心地悪そうに顔を顰めて「……一杯」と。
「……。具体的な数を出してほしいんだけど」
「だから、一杯だよ」
「……ん? コップひとつってこと?」
「…………そうだよ」
トーマは相変わらず居心地が悪そうだ。
シャルルの方はぱちぱちと瞬きをして「へえ」と感慨深いため息をつく。
「酒弱いんだ。トーマ」
「……かっこ悪いって思っただろう?」
「? いや。かっこ悪くないよ。ていうかお酒が飲めないからかっこ悪いなんてないだろ。人それぞれ体質ってものがあるんだし」
「……」
「あれ。でも飲めないのになんで飲んだの?」
「それは……。はあ、離島の商人たちとの付き合いに、どうしても必要でね。断りきれなくて、少しだけ飲んだんだ」
「ああ。お仕事ね」
シャルルに接待の経験などないが、幼い頃から各国を転々とする中で酒の場で関係を深める商人たちなら何人と見てきた。なんとなく状況は把握した。まあトーマの場合、もてなす側ではなく、もてなされる側だろうが。
「それでも粗相なく帰ってきてたんだろ。ちゃんと自制できるんだから、かっこいいじゃん」
「……結局シャルルに迷惑かけたんだけどね」
「迷惑なことなんてなかったよ。トーマって家事も気遣いも戦いもできてただでさえ万能人間なんだから、少しくらい弱みがある方が可愛いんじゃない?」
シャルルは小さく笑ってトーマの頭を撫でた。「子供扱いするなよ」と眉をひそめているが手を振り払わないあたり、悪い気はしていないのだろう。
「シャルル」
「ん?」
「体はきつくないかい?」
「うーん。すこしだるいけど、平気かな」
「そっか……。本当は俺が洗濯とかしてあげたかったんだけど」
「いいってそんなに至れり尽くせりしなくて。トーマは神里家の家司なんだから」
「……確かに俺は神里家の家司だけど、だからってシャルルのことを等閑にするつもりはないよ」
「あ、なら紅茶を淹れてよ、トーマ。スネージナヤで買ったんだ」
そのうち飲もうと思っていたのに日中家を空けることが多くすっかり忘れていたのを思い出した。台所の収納から茶葉の入った未開封の箱を取り出してトーマに差し出す。
トーマは最初こそ不機嫌な顔をしていたけれど、そのうち呆れた顔をしてそれを受け取った。
★
やあ。元気にしているかな。
君の言っていた鷹はとても賢い子だね。君の元素を辿ってくるというものそうだけれど――君から手紙を受け取った時に、返事を書くから待ってくれるかと声をかけてみたら、本当に大人しく待ってくれていたよ。
さて。スネージナヤではあれから俺の愛おしい弟達を誑かしていないようで安心したよ。もちろんこれは君からの手紙だけじゃなく、トーニャから送られてきた手紙も合わせて確認したことだ。
スネージナヤを後にして稲妻についたことが書かれていたけれど稲妻に戻ってからはどうだい? 昏睡するほどの大怪我について、過保護な幼馴染みに怒られたかな。
俺の方は相変わらずだ。俺はデスクワークなんかよりも体を動かす方が好きなんだけど、北国銀行の諸々で書類仕事が絶えなくてね。このままだと体が錆びてしまいそうだ。
そんな退屈な日々の中でもたまには好奇な話題も舞い込んでくる。
俺はおもしろい話を聞いてね。俺がスネージナヤを後にしてから、スネージナヤの方で展開されていたファデュイの部隊に『成りすまし』が紛れ込んだんだって。
成りすまされたエージェントは、もともと臆病な性格で、該当の調査任務に来るかどうかすら怪しまれるほどの男だ。魔物との戦いでもへっぴり腰で、宝盗団相手にも怯えるらしい。そんな男は、二月を予定した調査任務当日に絶対逃げ出すと思われていたけれど、集合場所にやってきたんだ。
まあ集合場所にいた『臆病なエージェント』は赤の他人で、本物はファデュイ自体から逃げ出していたところを、魔物に襲われて死んでいたんだけどね。
冗長に語ってしまったけれど、俺が君に伝えたいのは『臆病なエージェント』の特徴だ。
彼はファデュイの仮面をして、雪国に合わせてしっかりとした防寒具にフードを目深く被っていた。外見は他のエージェントが気づかないくらいに、ファデュイの構成員だったってわけだね。
扱う武器は弓。正確に言えば、一回だけ大剣を使った後に弓に変えた。
元素を操る様子は見られなかったようだけれど、調査中の戦闘で、不自然な氷の結晶が目撃されている。
その男が何を目的にファデュイに潜り込んだのかは不明だけれど、身元不明正体不詳の男が紛れ込んでいたと判明して、現場は大混乱だ。それこそ、こんな話が俺の耳に入ってしまうくらいにね。
この件は俺の管轄外だから――今のところは――『臆病なエージェント』の正体を暴いて捕らえようなんてことは考えていない
それでさ、シャルル。俺より長くスネージナヤに残った君は、なにかこの件について知らないかな。
最近書類仕事ばかりで退屈なんだ。君がおもしろい話を聞かせてくれると嬉しいな。
それじゃあ。くれぐれも死なないように。
シャルルは浅瀬神社の一角で、木の根辺りであぐらをかいて、ポケットに入れたひとつの手紙と今手元で開いている手紙のことで、頭を悩ませていた。
まず手元に開いている手紙は、タルタリヤから送られてきたものだ。それに書かれている内容の大半は「スネージナヤで起きたファデュイの成りすまし」についてで、シャルルはそれに心当たりがあった。それはそれでいいのだけれど、厄介なのは、その話を振ってきているのがタルタリヤであることだ。
手紙を読むに、タルタリヤはその成りすまし犯をシャルルだと確信しているようだが決定的な証拠を持っているわけではない。……が、タルタリヤは「公子」、ファデュイの執行官第十一位の座につく男である。この男が言えば白も黒に変わってしまうだろう。スネージナヤの出来事は自分の管轄外だと言っておきながら、いつでも俺はお前を吊るしあげることができるんだよと、遠回しに語っている。
トーマには刺客なんて返り討ちにしてしまえばいいと言ったけれど、執行官が絡んでくるとなると話は別である。
タルタリヤが望むのは手紙でのやり取りではなく、面と向かった対話であろう。それが言葉によるものなのかはたまた彼の好む闘争によるものなのかは――まあ十中八九目的は手合わせだろうが――会わないことにはわからない。ひとまずは璃月港に向かえば彼に会えるだろうか。
「にゃあん」
「お。……」
猫が膝に乗ってきた。浅瀬神社には猫が沢山いる。自らを代理宮司と語る喋る猫こと寝子には驚いたが、たくさんの猫たちの存在に癒されるのでシャルルは癒されたい時にここに足を運ぶことが多い。
余談だが、寝子に話しかけられた時、シャルルはこの建物のどこかにトーマが隠れているのではないかと疑心暗鬼になった。冷静に考えれば声質が全く違う。
シャルルは膝の上の猫を一撫でし、タルタリヤからの手紙を封筒にしまう。
そしてもう一通。どちらかというなら、こちらの方が厄介だった。
この手紙は未開封。なぜなら宛名がシャルルではないからである。ならば誰の名前が書かれているのかというと、名前というより通名がひとつ、「異邦の旅人様へ」と綴られている。
異邦の旅人。ふわふわと漂う白い相棒を連れ、柔らかな金髪を束の大きな三つ編みにしている少年のことだ。その姿を見掛けることは何度かあれど直接的な関わりはない。稲妻での騒動の時、シャルルは危機感を持たずに悠々と散策をしていたので抵抗軍と幕府軍の武力衝突に巻き込まれたり、魔物に追われる一般人の手助けをしていたりしていたばかりで、肝心の幼馴染みのピンチの場にもそれを救った旅人についても、完全なるノータッチである。
そんな無関係の相手に渡す手紙を預けられてしまった経緯としては、あなたはよく旅をするからもしかすると旅人様に会えるかもしれないでしょうと、とある女性から無理やり押しつけられた、というもので語り終える。ついでに女性は宝盗団に襲われていたところを旅人に助けられ恋をしたのだとも言っていたがシャルルの気にするところではない。
つまるところ大した仲のない女から渡された同じく大した縁のない相手への恋文を持っているのだ。こんなに気まずいことがあるだろうか。
浅瀬神社についたときに海に捨ててしまおうかとも思ったのだけれど「その手紙には随分と思いが込められているようだにゃ。安易に捨ててしてしまうのはよくないにゃ」と不意に寝子から指摘され、シャルルは身が凍りついた。悪意なくとも強すぎる思いとは力を持つものなのだ。呪いの手紙だこれは。
旅人は文字通り旅人である。トーマに聞いたところでは、彼は離れ離れになってしまった双子の妹を探し各国を巡っているようで、今どこにいるのかは明言できないらしい。
「……はあ」
シャルルは大きくため息をついて立ち上がった。
「寝子さん。ここって紙とペンはないかな」
「にゃおん。なぜそんなものが必要にゃ? 絵馬ならあるにゃ。何か願いがあるなら絵馬に書くにゃ」
「ええ」
どこから持ってきたのか、ほいと絵馬とペンを渡された。別に浅瀬神社にご利益を願いに来たわけではないのだが、受け取ってしまったので書くしかない。
「……」
絵馬は基本的に奉納するものだ。持ち帰ったとしても神棚に供えたり、高い位置に置いたり、他とは違う扱いをするもの。決して手紙として使うものではない。……が、今は急を要する。
絵馬に文字を綴った。「会いに行くよ」文字だけ見ると絵馬に書いても違和感のない言葉に思える。
シャルルはポケットからビートホイッスルを取りだし息を吹き込んで音を鳴らした。するとしばらくしてバサバサと翼をはためかせて飛んできた一匹の鷹がシャルルの周りをくるくると回り、シャルルの前でホバリングする。
腕を伸ばすと鷹はそこに止まった。
「届けてほしい。公子に」
絵馬を鷹の足に引っ掛ける。
鷹はそれを嫌がらず、他に用がないのを確認したかのように、シャルルの腕を蹴り上げてまた翼を大きく広げ空に上がった。
問題は手をつけないことには解決しない。シャルルは璃月港に向かうことにした。
空は璃月にいた。使っていた片手剣が刃こぼれしてしまったので、新しいものを打つために璃月の山々で鉱石を集めていたのだ。それから鍛冶場で剣を打ってもらって新品の短剣を受け取った時に、ちょうど取り立てが終わったのだというタルタリヤと出会った。
空が剣を新調したことを語るとタルタリヤは面白そうに目を細め、なら自分と手合わせをしようと誘う。横でパイモンがうげえなんて声を出す中、空は思案し、新しい片手剣の使い心地を確かめるのにもちょうどいいなと、タルタリヤの提案を受け入れた。
璃月港からは離れた開けた土地で打ち合った。タルタリヤはまた強くなったねと空を賞賛し、空もそっちこそ、なんて返して笑う。
「ていうか公子。機嫌いい?」
「ん? ……おや、わかるかい? 楽しみなことがあってね」
そう返答したタルタリヤは緩やかに笑う。そこに含みはなさそうだ。
「どんなことなんだ?」
パイモンが聞いた。
「人が会いに来る予定なんだ」
「人? もしかして、またテウセルか?」
「あはは。愛おしい弟が来てくれるのも嬉しいけどね、今回はテウセルじゃないよ」
もしやまた子守りを任されるのではないかとパイモンは身構えていたので、否定されてどこかほっとした部分がある。しかしテウセルじゃないとなると、この男は一体誰の来訪を心待ちにしているというのか。
「会いに来てくれることが嬉しいってことは、公子にとって大事な人なんだね」
「……」
空の言葉にタルタリヤはぱちくりと瞬きし、そっと視線を宙に流す。大事な人。他者から彼をそう呼ばれてもタルタリヤにはしっくりこない。トーニャに彼が好きでしょうと指摘された時は動揺したけれど、よくよく考えると、広義にはそうとも言えたが、タルタリヤが彼に向ける感情は、もっと重たいものと言えた。
「会いに来るってことは、遠くにいる人だな。手紙でももらったのか?」
「絵馬を送ってくれたんだ。会いに行くよ、って書いてあるやつをね」
「ええ!?」
パイモンは仰天してぐるりと回転した。
「絵馬……ってことは、稲妻の人?」
「さすがだ。……と言っても今の所在が稲妻なだけで、フォンテーヌ出身だけどね」
「おいおい! 会いに行くって書いた絵馬を送ってくるなんて、それって……と、特別な感じがしないか?!」
上擦った声を出すパイモンに対してタルタリヤは否定も肯定もせずに飄々とした笑みを見せる。それを返事と受けとったパイモンは「ひゃあ! これはやばいぞ旅人!」なんて一人で大慌てだ。
かく言う空は、ふむ、と考えていた。
「その人は女の人?」
何やら自分の待つ相手に興味を持っているようだ。タルタリヤは意外そうに空を見るが、彼について、別に内緒にしたいわけでもない。
「いいや。男さ」
「男!? お、女じゃないのか?! あれ? オイラの思い違いってことか……?」
「パイモン。ちょっと静かにして」
「えっ! お、おう……わかったぞ」
パイモンは小さな手を小さな口に当て素直に口を噤む。
「所在は稲妻だけど、フォンテーヌ人なんだよね?」
「ああ。別に珍しいことじゃないだろう?」
「うん、そうだね。……その人って旅が好き?」
「え? ……」
「もしかすると、俺も知ってる人かも、って」
「あ! オイラ、空が誰のことを言ってるかわかったぞ!」
静かにしなさいと言われて一分と経っていないが発言したことは咎められないらしい。今はパイモンの代わりに、タルタリヤが黙り込んでいる。
「空が考えてるのは、トーマの幼馴染みの――」
「おーい」
三人は揃って声のした方を向いた。川を挟んで少し離れたところから、ひらひらと大きく手を振っている男がいる。
少し色の抜けた茶髪で背の高い男。
「あっ! あれってトーマの幼馴染みじゃないか? ていうことは、タルタリヤが言ってたのはやっぱりあいつのことだな!」
「?」
パイモンの声は、そばに居る空やタルタリヤにとっては十分な声量であったが、離れた位置にいるシャルルには届いていない。ただただふわふわと楽しそうに体を揺らすパイモンと、特に反応のない男二人の姿があるだけだ。シャルルは首を傾げた。
「橋はもうちょっと迂回しないとないぞ! ……って、遠くて聞こえないか。なあ、あっちに行ってやろうぜ!」
「いや。行かなくていいよ」
「え? まさか川を泳がせる気か? 結構深いし、距離もあるぞ!?」
タルタリヤの言葉にパイモンは焦ったように言う。空もまたパイモンほど慌てたわけではないが、眉をひそめてタルタリヤを見上げた。
「行ってあげようよ、公子」
「やだ。会いに来るって言ったんだ。待ってあげても迎えになんか行くわけないだろ?」
「……」
愛おしそうに一人の人間を眺めるタルタリヤの様子に空は思わず口を噤んだ。――いや、愛おしいなんて言葉はどこか当てはまらない。あの色は執着である。
一方、腕を拱いていたシャルルは、タルタリヤたちが動く気配を見せないのに焦れて、片手を前に突き出した。「なにしてるんだ?」とパイモンが疑問をそのまま口に出したのと同時だった。パキ、とガラスが割れるような音を立てて一直線に川が凍る。その道筋をなぞるように肌を刺す冷気が駆け抜けた。
「え! うわっ! あ、あいつ、川を凍らせて橋を作ったぞ!?」
「……なるほど。氷の神の目を持ってるんだ」
「あれ。知らなかったのかい?」
「彼のことは知っているけれど、話に聞いたことがあるだけだから」
タルタリヤはシャルルを眺めたまま空に言葉を返す。
「ふーん? なんだ。友人じゃあないんだ」
シャルルが氷上を歩いている。
タルタリヤはシャルルが海面を凍らせて島を行き来していたことを知っているので、川を凍らせて橋をかけたことに今更驚くことはない。が、それなりに幅のある川なのにたった一度で対岸まで凍らせてしまうのだから、その実力には惚れ惚れするものである。
そのうちにシャルルは川を渡り終え、徒歩を続け、タルタリヤ達と言葉を交わせるくらいの距離で立ち止まった。ここまで来ておいてなんだが、まだ彼らの三人での用事は終わってないのではなかろうかという、今更すぎる気遣いである。
「……今いい?」
「よくないって言ったら出直すのかい?」
「え? うん」
「ええ! でもおまえ、ここまで来るのも大変だっただろ?!」
タルタリヤの意地の悪い問いかけに呆れていたパイモンだったが、シャルルがあまりにも素直に答えるので反射的に口を挟んでいた。
シャルルは大層慌てた様子のパイモンに軽く首を傾げ、ここまでの道のりについて、ほんの数秒、振り返る。
「……移動は大したことないよ。慣れてるし、色んな景色を見ながら歩くのも好きなんだ」
「お、おう……?」
「でも、また公子や旅人を見つけるのは、骨が折れるかな」
「え? 俺……?」
まさか自分も呼ばれるとは思わず、空は疑問を含んだ声を出した。
タルタリヤもまた、不審そうにシャルルを見る中、シャルルは空の問いかけに頷いて、荷物から一通の手紙を取り出す。
「緋木村の女性から君に」
「……?」
異邦の旅人様へ。封筒にはそう書かれている。
「えっと……あなたの知り合いからの頼まれ事?」
「知らない人。旅をするなら会えるだろうって預けられたんだ。君のことが好きなんだって」
「ええ!? 空、空! じゃあこれは、ラブレターってやつじゃないか?! 早く読もうぜ!」
空は未だ怪訝な様子だったがパイモンに急かされ手紙を受け取った。手元から手紙が消えたシャルルがとても嬉しそうだったのは、タルタリヤだけが見ていた。
「これって返事を書いた方がいいのかな……」
「んー。別にいいんじゃない。渡した報告ついでに断わりぐらい言っとくよ」
「断る前提かよ!」
「え? 受けるの? そんな感じじゃなかったけど」
「断るよ。……あ、そうだ。なんかタイミングがおかしいけど……初めまして。俺は空。こっちは非常食のパイモン。あなたは確かトーマの幼馴染みだよね?」
「あ。うん。シャルルです。……彼女は旅人の家畜ってこと?」
「うぎーっ! オイラは非常食でも家畜でもないぞ!! 失礼だな!」
パイモンは空中で地団駄を踏んだ。
空に言われた通りに把握したはずだがパイモンがカンカンに怒っているので「ごめん」とシャルルは素直に謝る。
「旅人とずっと一緒にいるんだろ? 相棒みたいなものなのかな」
「おう! その通り、オイラは空の最高の仲間なんだ!」
パイモンは得意げだ。「そっか」と口元を緩め、シャルルは視線をタルタリヤに向ける。
「銀行に行ったら公子様は取り立てに行きましたって話で、適当に目撃情報を集めて追ってきたんだけど……手合わせでもしてた?」
「ああ。彼は指折りの実力者だからね」
「ふうん?」
タルタリヤは随分満足げである。
執務室に缶詰で書類と睨み合いっ子なんて聞いていたがこの様子だとシャルルはわざわざ璃月にやって来なくてよかったように思える。あの手紙だってバトルジャンキーな彼が闘争から遠ざけられフラストレーションに苛まれていたからこその脅し文句だったのだろうから、指折りの実力者と打ち合えたのなら、そんな鬱憤も晴れてしまっているはずだ。
親しい友人のように会話をする二人を、パイモンはチラチラと見遣り、ついにおずおず、口を開く。
「シャルルはタルタリヤとはどういう関係なんだ? こいつ、ファデュイの執行官だけど……もしかしておまえもファデュイの関係者なのか……?」
「まさか。冒険者協会ですら嫌なのに、ファデュイに所属するなんて無理だよ」
「はは、ファデュイではないけれど、ファデュイには潜入したよね」
「えっ!」
なにやら大事のようだ。ぴょんと跳ねたパイモンは、ふわりと回って空の横に並ぶ。空もまたほんの少し険しい顔をして2人のやり取りを見守っている。
大きなため息をついたのはシャルルだ。
「物証もないくせによく言うよ」
「大剣使いで氷元素を扱える男。場所はスネージナヤで君の滞在時期と丸かぶり。これ以上何かいるのかい?」
「大剣使いで氷元素を扱える男なんてスネージナヤには俺以外にもいるだろ」
「それなのにわざわざ弁明にきたのかな?」
「冤罪でも『公子様』に吊るし上げられたらそれこそ逃げようがないじゃん」
シャルルは疲れたように言うが、タルタリヤの方はなんだか愉快そうだ。流れるように行われる言葉の応酬にパイモンと空は置いてけぼりである。
「……公子とは友達」
はたと気づいたシャルルは二人に向けてそう伝える。
「友達、ねぇ……」
「話がややこしくなるからそういう含みがある感じやめろよ」
「そ、そうか! シャルルとタルタリヤは友達なんだな! でも……結局のところファデュイに潜り込んだやつっていうのはシャルルなのか……?」
ここで首を突っ込まなければまたあの口論が始まってしまいそうでパイモンは慌てて口を開いた。が、結局話を戻してしまった。
空がパイモンを小突く。その件については、さっきからタルタリヤにつつかれて冤罪だと主張していたではないか、と。
パイモンの問いにぱちぱちと瞬きしたシャルルは、きゅっと眉間に皺を寄せた。
「仮面をつけてみたかっただけだよ」
「そっか……。え?」
「……?」
「かっこいいじゃん。ファデュイの仮面」
唐突なシャルルの言葉にパイモンはもちろん、空も一緒に首を傾げる。反応が違うのはタルタリヤだけ。
彼は、
「……ファデュイの仮面に憧れたからつけてみた? ふふ、あはは、君、大剣を使うのは『大剣にロマンがあるから』だもんね。そういうところは相変わらずお子様だ」
と、存外楽しそうに笑っている。
「え? え! じゃあ、潜入者はやっぱり、シャルルなのか?」
「結果的にはね」
「ええっ!」
「……シャルルさん。それ、公子の前で肯定してよかったの?」
空は困ったように、笑うタルタリヤとしれっとした顔のシャルルとを交互に見やる。
「いいよ別に。公子は俺が頷かなくても犯人は俺だって確信してたんだし」
「ええ……」
「公子。俺のこと突き出して殺しでもする?」
「ん? ……いや、そんなことはしないよ。言っただろう? 管轄外だって。ふふ、……にしても。かっこいい仮面をつけてみたかった、って。……ふっ、あはは。……はあ、おもしろい。シャルル、ファデュイ体験は楽しかったかい?」
「んー。やってたことは俺が普段秘境を探索するのと変わらなかったし……人間も、口ばっかりのやつとか、自分より下のやつをいびってどうにか自己肯定感を維持してるやつばっかで、そういう意味ではあんまりおもしろくなかったかな?」
「あはは。それは残念だ、いい体験ができていれば君はぜひファデュイに入って俺の部下になりたいって、地面に頭を擦り付けて頼んだだろうに」
「は? 旅人と手合わせして頭でも打ったわけ? もう一回強く殴ったら元に戻るかな」
「あは、やるかい?」
ちり、と肌を刺すのは殺気である。
「おいおい、こいつら喧嘩しそうだぞ?」
「……やらせときなよ。パイモン」
「お、おう……」
パイモンは空にならって二人から距離を取り「シャルルって変わってるんだな」とこっそり呟く。
「公子に絵馬を送ったり、公子の前でファデュイを貶したり……普通じゃできないぞ」
「……」
そういえば彼の幼馴染みだというトーマもシャルルには手を焼いていると言っていた。良く言えば肝が据わっている。悪く言えば無謀。奔放な性格なのだと。
「シャルルさん」
「ん」
空が呼ぶとシャルルは軽い調子で振り返った。
「俺、自分で返事をするよ。どんな人か教えてくれる?」
「……ああ。どんな人……身長は俺の胸くらいの高さで、肩につかない程度の長さの黒髪で……細身の人だったかな」
「わかった。ありがとう。……じゃあ、俺たちは、これで。行こうパイモン」
空はパイモンを連れて二人に背中を向け歩き出した。また会おう、と声をかけたのはタルタリヤで、ひらひらと緩い調子で手を振るだけだったのはシャルルだ。
空は一度振り向いて――少しだけ歩みを早めた。
青の瞳。深淵の夜の海。底の見えないそれは、どこかギラギラと欲望を宿して一人の男を見つめていた。その瞳を、空は稲妻でも見たことがあった。その色は澄んだ若草色で、柔らかく光を灯していたが、一人の男について語るとき、どこかほの暗く、愛憎を滲ませていた。
――本人が気にしていないからいいのかな。
どちらからも重たい感情を向けられているようだが、気づいているのかいないのか、当人に困っている様子はない。それならば深くは触れまいと、空は思うのだった。