幼い頃よく一緒に遊ぶ相手がいた。その子はアヤックスと歳の近い男の子で溌剌とした性格の子だった。アヤックスはその子と雪山を探検し、凍った湖の上を走り、たまに怪我をこさえて家に帰って二人で親に叱られていた。父親からのげんこつは痛かったけれど、それでもアヤックスはその子と笑いあって、好奇心の赴くままにまた冒険をするのだ。
「大人になったら二人で世界を回ろう!」
「うん。ずっと一緒にいようね!」
 しんしんと降る雪の中確かにそう約束をした。お互いの小指を絡め、まるで悪いことをしているかのようにこっそりと、寒い雪の中で肩を寄せあって笑ったのだった。
 けれどその約束は果たされなかった。アヤックスが反故にした。十四のあの日深淵に落ち、その後戻って2人で兎狩りをしたときに、今までは楽しかったその行為が非常につまらないものに感じたからだ。今連れているこの子は弱い。ただの好奇心旺盛な子供で、アヤックスが心を擽られる存在などではない。それがわかるとすっと胸が冷たくなって「アヤックス」と名前を呼んで追いかけてくる存在を鬱陶しく感じた。
「弱いくせに」
 面と向かって言うと彼は傷ついていた。けれど喧嘩でアヤックスに勝てないことは自覚していたようで、きゅっと唇を噛んで耐えるだけで、言い返しては来なかった。
 アヤックスの行く先々に彼はついてきた。アヤックスがいくら弱虫と言っても泣かなくて、アヤックスのそばにいるから喧嘩に巻き込まれて怪我をして、アヤックスより弱いからすぐ痣だらけになって、それでもずっとついてきた。アヤックスはついてくるなとまでは言わなかった。彼がいてもいなくても変わらないと思っていたからだ。
 父親に連れられファデュイの徴兵団に入れられて、周りの大人を蹴散らした。アヤックスはこんなものかと興醒めした。青ざめた顔をする大人をぐるりと見渡しため息。1人の大人に声をかけられついて行く。と、今までどこにいたのか、そいつはアヤックスに駆け寄ってきて、急に手を掴んできたのだった。
「一緒に世界を回ろうって約束したじゃん、アヤックス」
 彼の淡いターコイズブルーの瞳はどこまでも澄んでいて、ただただ純粋だった。
「お前みたいな弱いやつといたってつまらない」
 掴まれた手を振り払う。冷たく言い放って睨みつけると、彼は表情を歪めはしたが、泣かなかった。

 数年前のその出来事をタルタリヤが不意に思い出したのは、港で喧嘩する子供の姿を見たからだった。「弱虫!」と怒鳴る子供とその言葉にくしゃりと顔を歪める子供に、なんとなく既視感を覚えたのだ。
 十年近い付き合いがあったその存在をファデュイに入ってからの数年間すっかり忘れていたけれど、思い出せば懐かしいもので、あの子は元気かななんて思いを馳せるものである。と言っても別れはあまりいいとは言えないものだ。あの時の自分は青かった。視野が狭かったとでもいうか。
 幼馴染みは、深淵に落ちた自分から見れば弱い存在だったけれど、そもそもは幼い時間を共有した大きな存在であった。年の離れた弟を見ていて思うことだが、幼い子供の約束を無下にしてしまったのも、今となっては申し訳なく思う。
 彼はまだスネージナヤにいるのだろうか。喧嘩ではないけれど雰囲気としては喧嘩別れした友人だ。今更どんな顔をして会うつもりなのか、タルタリヤ自身でも分からなかったが、会いたいな、と純粋にそう思った。
 埠頭に一隻の船が入る。それは外国からの船のようで、乗組口からは数名の人が降りてきた。ぼんやりその様子を眺めていると見知った姿が紛れてることに気がつく。
 ふよふよと漂う白い女の子連れた、金髪の少年。
「おや? 相棒じゃないか」
「げっ」
 タルタリヤが声をかけるとパイモンが引きつった声を出した。空はと言うとタルタリヤを見て少しだけ驚いたようにし、ヒラヒラと手を振る。
「公子。久しぶり」
「ああ。確か君たち、稲妻に行っていたんだっけ? どうだい。強い相手はいた?」
「始まったぞ……」
 うんざりとした態度を隠しもせずパイモンがくるりと宙を舞う。
「空とタルタリヤは放っておいて行こうぜ! シャルル、奢ってくれるんだろ?」
「ん」
「?」
 少し遅れて船を降りてきた男の元にパイモンは何やら嬉しそうに近寄って行った。そのセリフからもわかるように、親しい間柄で、食事を奢ってもらう約束をした相手らしい。
 タルタリヤの意識も自然とその男に向かう。そうすると、パイモンを頭に乗せながら視線を彷徨わせていた彼と、パチリと目が合った。
 淡いターコイズブルー。
「……」
「?」
 タルタリヤに凝視されたその男は、不思議そうに首を傾げ、すいと視線を逸らして空を向く。
「旅人、俺たち先に行ってるよ」
「あ。うん、すぐ追いかけるよ」
 光を透かすアッシュグレージュの髪を、なにやらパイモンが楽しそうに彼の頭上で弄っている。
「パイモン。固結びを作らないで」なんて言いながら男は言葉通りパイモンを連れて二人から離れて行った。
 タルタリヤはその姿を呆然と見つめる。
 回想した幼友達は、名前をシャルルという。綺麗なターコイズブルーの瞳をしていて、髪は癖のないアッシュグレージュ。背丈なんかは十四歳の記憶で止まっているが、幼い頃からタルタリヤと並んでいたので、そのまま伸びたのならあれぐらいになっていてもおかしくないだろう。
「公子? どうかしたの?」
「……、さっきの人は相棒の友人?」
「うん。そうだよ」
「どこで知り合ったんだい?」
「稲妻だよ。……どうしてそんなことを聞くの?」
「……俺の子供の頃の友人に似てるなと思って」
 空が彼と知り合ったのは稲妻であること。タルタリヤを見ても大したリアクションはなかったこと。このふたつの理由から、この場では「似ている」と発言するに留めた。
 タルタリヤの言葉を聞いた空は少し困惑したように首をかしげ「そうなんだ」と呟く。
「……あ。でも確かに、シャルルさんはスネージナヤ出身だって言ってた」
「え」
 タルタリヤは不意を打たれた声を出した。
 スネージナヤ出身。そう聞くとますます本人だとしか思えない。容姿の特徴も名前も一致しているのだ。絶対本人だろう。
 ……と思うのだが、やはり自分を見ても一切反応がなかったことで自信がなくなる。もう数年会ってないにせよ、歳が一桁の頃から十四歳までは一緒にいたのだ。背丈も顔つきも大人になったと言えどタルタリヤは彼を見て昔馴染みだとわかった。本人であれば、彼からだって再会にあたって何かしら反応があるはずだろう。
 黙り込んで難しい顔をするタルタリヤを空はじっと見ていた。パイモンたちを待たせているのでいつまでもここにいるわけにはいかないのだが、どことなく焦燥にかられているタルタリヤを放置するのも気がかりだ。
「……公子も来る?」
 空が悩んだ末に出した提案に、タルタリヤはもちろん頷いた。

 四人が合流したのは万民堂だ。空とタルタリヤがそこについたとき、まだパイモンたちは食事を選んでいる最中だったようで、パイモンが「チ虎魚焼きと、揚げ魚の甘酢あんかけと……」と料理名を遠慮なく紡ぐのをシャルルは頬杖をついて眺めていた。
「シャルルさん。公子も一緒にいいかな?」
「え。うん? ……」
 シャルルの視線は料理を選ぶパイモンから空に向いた。正確には、空の横に立つタルタリヤを一度見て、困惑したように空を見直した。
「えーと。いいよ、公子さん? は、旅人の友達?」
「まあ。彼はファデュイの執行官なんだ」
「は? ……へー。旅人の人脈ってやっぱすごいな」
 空からタルタリヤの紹介を受けたシャルルはやや呆気に取られつつも頷き、タルタリヤに向き直す。自分も自己紹介をしておこうと口を開こうとして――眉間に皺を寄せた。
「……、ごめん。公子さん、いきなり踏み込んだこと聞くんだけど」
「……うん?」
「小さい頃スネージナヤにいた?」
 この質問は単に出身を聞いているだけではない。
 怪訝そうに聞くシャルルに今までどことなく不機嫌そうだったタルタリヤはパッと嬉しそうに目を明るくした。それを返答と理解したシャルルは、気まずそうに唸って「久しぶり」と小さく声にする。
「あは、やっぱりシャルルなんだ」
「ん。うん……、ファデュイの執行官になってたんだ。知らなかった」
「なんだ? 知り合いなのか?」
 頼みたい品物を決めたパイモンが二人の様子に気がついて口を挟んだ。シャルルは「まあ」とぎこちなく濁しあまり触れて欲しくなさそうな顔をする。
「子供の頃の友人……幼馴染みさ」
 タルタリヤが補足した。
「タルタリヤにも友達がいたんだな!」
「どういう意味だい? それ」
 ほんの少しだけ問い詰めるようなタルタリヤの声音にパイモンはぴゃっと声を上げてくるりと回った。
 空が呆れたようにその様子を見ていると「旅人」とシャルルが空を呼ぶ。
「シャルルさん? どうしたの?」
「彼と、……タルタリヤと、二人で話したい」
「……。うん。わかった」
 空の返事を聞いてシャルルが席を立つ。不思議そうにするパイモンのことは空が宥めた。
「タルタリヤ」懐かしい声がタルタリヤを呼ぶ。タルタリヤは目を細めてシャルルを見ると愉しげに口角を上げて彼の後ろを追いかけた。


 璃月港の賑わいから離れた人気の少ない湿地帯まで来た。
「七年ぶりくらい……?」
「それくらいだね」
 正確な年数はわからないが少なくともそれくらいは離れていただろう。タルタリヤはシャルルの言葉に肯定し、向かい合った男の様子をまじまじと観察する。
 彼は十四歳の記憶から大分背が伸びた。華奢なのは昔と変わらないが、子供の頃と比べてしっかりとした体つきになっているのもわかる。
「大きくなったね」
「……まあ。えっと、……タルタリヤ? も、大人になってるから最初はわからなかったよ」
「さっきから思ってたんだけど、何でその呼び方?」
「? いや、あんたファデュイの執行官になったんだろ? 旅人に名乗ってる名前も違うみたいだし。合わせた方がいいかなって」
 タルタリヤは驚いた。自分の後ろを必死でついてきていた男に、そんな判断力がついているなんて。思えばシャルルは、空たちの前でもタルタリヤの子供の頃の名前を呼ぶことをしなかった。こんなに賢い子だったっけ。不思議な気持ちである。
「違った?」
「いや。……うん、そう呼んでくれた方が助かるけど。……」
 タルタリヤは歯切れの悪い返事をした。
 小さい頃、アヤックスと紡いでいた少年の姿が翳る。胸のどこかに穴が空いてしまったみたいな、妙な虚しさを覚えた。
「……そういえば、シャルルは今どうしてる?」
「俺は……」
 タルタリヤの問いかけにシャルルは緩慢な瞬きをし、「旅をしてるよ」と穏やかな声で言う。
「世界を見て回るのが子供の頃からの夢だったから」
「……」
 幼い頃の約束がタルタリヤの胸を掠める。タルタリヤはシャルルを置いていった。ずっと一緒にいようと。二人で世界を回ろうという約束は、タルタリヤが破った。
「……一人で?」
「ん」
 緩やかに頷くシャルルの雰囲気は柔らかい。
「……。……シャルル」
「うん?」
「ごめんね」
 タルタリヤからの唐突な謝罪にシャルルは意外そうに表情を崩す。数秒、沈黙が鎮座した。
「……気にしなくていいよ。昔のことだし」
 ふ、とため息混じりの笑みをこぼしたシャルルは、昔のことを掘り返してきたタルタリヤになにか思う訳ではなく、自分自身に呆れている様子だった。
「そんな昔のこと、よく覚えてるもんだな。俺も、あんたも」
 シャルルの瞳は空を向く。過去を懐かしむ目だ。
「俺、スメールと稲妻に行ったんだ」
「……へえ」
「稲妻が鎖国になっちゃって、しばらく他の国に行けなかったんだけど……。旅人のおかげで情勢が変わって鎖国も緩和されたから、早速璃月にきてみた」
「ふうん。じゃあ次はフォンテーヌにでも行くのかな?」
「ん? ……あー、璃月を粗方探索したら一旦稲妻に戻るかな」
「? なんで?」
「……戻ってくるように言われてるから」
 困っているとも恥ずかしがっているともとれる複雑な表情をしてシャルルが口元に手を当てた。それは緩む口元を押えるための仕草だ。
「……、」
 その薬指には所有印とも言える銀の指輪が存在していることに、タルタリヤは、今、初めて気がついた。
「……結婚したんだ?」
「え。……。あー……うーん……結婚は、してない」
「え? 指輪してるじゃん」
「……予約……的な?」
「婚約?」
「こっ! …………まあ、そうなる、かな」
 どきまぎしながら返答するシャルルの頬は赤い。その様子にタルタリヤはフツフツと黒い感情が腹の中で煮えるのを感じた。
「どんな人なの。相手」
「え。この話題続けんの? 数年ぶりにあった幼馴染みとするのが恋バナって、なんか気まずいんだけど……」
「教えてよ」
「……。優しい人だよ、怒ると怖いんだけど。人懐っこくて、義理堅くて……笑った顔が、すごく可愛い」
 観念して言葉を紡いでいく彼は、しかし芯から優しい声音で、語り口から想像している相手のことが本当に好きなんだというのがひしひしと伝わってくる。
 その甘やかな感情を当てられるとタルタリヤのドロドロとした負の感情が彼の腹の中でさらに広がる。
 タルタリヤについてくる男の子はいつだって彼の名前を呼んでいた。「アヤックス」幼い声は甘やかに揺れる。呂律の回らない頃から呼ばれてきたその名前。ほぼ十年近い間、タルタリヤが男の子の名前を呼ぶよりもたくさん、彼の方がタルタリヤの名前を口にしてきたに違いない。
 派手に喧嘩をして、倒れ込む人間の真ん中に立っていた時も、そいつは心地よい声でタルタリヤの名前を呼んだ。タルタリヤが振り返ってやれば、喧嘩に巻き込まれて頬を切ったその子は、けれどそんな怪我なんか気にした素振りもなく、タルタリヤの瞳に自分が映ったことが余程嬉しいのか、ほんの少しだけ潤んだ目を柔らかく細めるのだ。
 ――アヤックス。
 そう呼んで自分に抱きついてきたときの、愛おしいという感情を隠しもしないあの声と、婚約者を語るこの声は、全く同じものだった。
「タルタリヤ?」
「……」
 無情なことに「タルタリヤ」と彼を呼ぶ声にはそんな甘やかさなど含まれていない。黙り込んだタルタリヤを困ったように見つめて、瞳をのぞきこんでくるその目だって、あの時の渇欲は少しも滲んでいない。
「君ってさ」
「ん?」
「俺のことが好きだったんじゃないの?」
「はっ?」
 不機嫌な声で聞かれたシャルルは素っ頓狂な声を出して目を丸くした。一体何を思ってそんなことを言うのかとタルタリヤの表情を探る。話題に絡んで揶揄しているのかとも考えたけれど、不貞腐れたその瞳が、ふざけていないというのはわかった。
「…………昔はね」
「……」
「好きだったよ。……アヤックスのこと」
 やっと呼ばれた名前にタルタリヤはぎゅうと胸を鷲掴みにされたような息苦しさを覚える。
「追いかけてファデュイに入ることも考えたよ」
「え」
「でも、きっとそうすると、世界を旅することはできなくなると思って、追いかけなかった」
「……」
「もう全部終わったことだよ。約束も、あんたのことが好きだったのも」
 僅かに過去を懐かしむ表情はしてもそれはすぐに興味なさげに色を失う。「――――」記憶の中の少年の声が聞こえない。確かにその子はタルタリヤの名前を、愛おしそうに呼んでいたのに。
「でもまさか、タルタリヤと再会するなんて思ってなかった」
「……シャルルは俺のことをそうは呼ばない」
「は? ……あのさ。もうあの頃とは違うんだよ。別に呼んだって構わないけれど、それで困るのはタルタリヤの方なんじゃないの。それに、……そう呼んだって、俺はタルタリヤのこともう、好きじゃないよ」
 明確な感情の否定がタルタリヤの頭を強く殴った。
 幼い頃の約束を反故にしたのはタルタリヤだ。縋るように手を掴んだ彼に「ついてこい」と言わなかったのもタルタリヤ。それどころか手を振り払ったのも、弱いくせにと、弱いやつになんか興味がないと突っぱねたのも。
 別れてからまた数年、ずっとその存在を忘れていたというのに、再会した途端に過去の所有欲が腹の深いところで明確に形を表し、もうアヤックスと口にしながらついてくる愛おしい存在はいないのだという事実にどす黒い感情が渦巻いていく。
 アヤックスと呼んでくる彼が好きだ。わざと酷いことを言っても言い返してこれなくて、でも顔は悔しそうに歪めて抵抗する様が可愛らしい。振り返ってやらなくても追いかけてくる健気さが好きだ。ずっと一緒にいようという約束をひたむきに信じて、自分の手を握るいじらしさが愛おしい。
「好きじゃないって、なにそれ」
「は?」
「お前は俺についてこなきゃダメだよね? 俺とずっと一緒にいるって言ったくせになんで他のやつのとこに行ってんの?」
「え。なに、……? それを、あんたが言うのか? 約束を破っていなくなったのは、あんたの方なのに」
 不愉快さを露わにしてシャルルがタルタリヤを睨む。シャルルとて、子供の頃の指切りを裏切られたことを今更責めるつもりはなかったけれど、破った本人から理不尽な怒りをぶつけられて黙っていられるほど余裕のある人間ではない。
 反抗的な態度を目の当たりにしたタルタリヤの胸に湧き出るのは、懺悔の気持ちなんかではなく、漠然とした怒りだった。シャルルはそんなことを言わない。シャルルはタルタリヤに怒られるとすぐに不貞腐れて、渋々とごめんなさいと謝る、ほとんど従順な可愛い幼馴染みだ。
「俺に逆らうなよ。弱いくせに」
「……いつまでも下に見てんなよ。もう昔と違うんだ」
 その言葉にぷつんと理性が切れた。「へえ、」と上擦った声を出してじゃあ泣かせてやろうと瞬時に作りだした双剣を握る。刃を握り間合いを詰めてきたタルタリヤに、仰天したように目を丸くしたシャルル。それを見てタルタリヤは、やっぱり昔と変わらないと。
「くっそ、イノシシかよ……っ」
「、」
「喧嘩っ早いところ全然変わってねーの、なっ!」
 胴を蹴られてタルタリヤは吹っ飛んだ。空中で体勢を整え何事もなかったかのように地面に着地する。改めてシャルルを見ると彼はいつの間に取り出したのか片手剣を手に握っていた。
 それは、タルタリヤの水元素で作りだした双剣を受け止めたものの正体。まるで故郷の雪景色を思い出させるような、冷たく、透き通った、氷の剣。
「……あは、うそだろ? 神の目なんか持ってるんだ?」
「……」
「強くなったってこと? シャルルが。ねえ、どんな思いを願ったんだい? それを手に入れた時」
「誰がアヤックスになんか教えるか、ばーか!」
 んべっと赤い舌を出してあろうことか中指まで立ててきた。それをぽかんと見つめたタルタリヤは次第に感情が込み上げてきて腹を抱えて笑い出す。
 彼は、シャルルは、溌剌とした性格の子供だった。漠然とした記憶が徐々に鮮明になってくる。シャルルは、タルタリヤについてまわってたまに喧嘩になってボコボコにされたって、決して泣き喚かず、悔しそうに唇を噛んで瞳に煌々と炎を宿す、クソ生意気な子供だった。
 タルタリヤはあることを思い出していた。ファデュイへと足を踏み入れたあの日、お前みたいな弱いやつといたってつまらないと、冷たく言い放って掴まれた手を振り払ったあの日。シャルルは表情を歪めはしたが、泣かなかった。泣かなかったが、再び背中を向けたタルタリヤに確かに言ったのだ。
「アヤックスのばーか!」もう一度だけ振り返ればべえと舌を突き出しているのがわかった。
 それが、今目の前にいるシャルルの姿とバッチリ重なった。
「ふふ、あはは! シャルルも全然変わってないね!」
「は?」
「そうやって生意気言って、いつも俺に負かされてたくせに」
「言ってろよ。あんたなんか、俺が昔みたいにアヤックスのことを大好きじゃないからって拗ねてるガキのくせに」
「……は?」
 タルタリヤは笑い声を引っこめて一転してドスの効いた機嫌の悪い声を出した。その豹変にシャルルは鼻を鳴らし「ごめんけど俺、結婚するから」とあの時の焦りようが嘘だったかのように自信満々に言い放つ。
 タルタリヤは緩慢な瞬きをしてシャルルを見つめる。この男は、自分がそんな戯言で引くような平和主義の人間だとでも思っているのだろうか。
「お前さ、俺に負けたら一生俺の言うこと聞きなよ」
「はあっ? 誰がそんなの頷くかよ」
「あはは、ほらやっぱり、シャルルは俺より弱いから逃げるんだ」
「………………絶対泣かす」
「で? どうするの?」
「……。俺が勝ったらあんた、今までの全部謝れよ」
「うん?」
 弱いって言ったのも、服の中に雪を突っ込んできたのも、氷の上に立ってたら突き飛ばしてきて転ばせたことも、俺の分のおやつを食べたことも……。エトセトラ。シャルルは語る。幼き日のアヤックスへの恨み言を。
 過去の自分はシャルルのことをそんなにいじめていたっけと本当に記憶にない。記憶の中のシャルルという子供は、ぷくりと頬をふくらませて、悔しそうに唇を噛んでいる。それでもタルタリヤが抱きしめてやれば、嬉しそうに笑うのだ。……あれ? そういうところが可愛くて、確かに結構、意地悪していたような。
「……あは、」
 好きな子ほどいじめたいとはよく言うもので。今になって気づいたけど、今からでも彼を征服するのは遅くない。
 氷の剣を消して、鉄でできた大剣を構え直した幼馴染みは、すうと冷たい目をしてその場の空気を数度下げる。本当にあの頃とは違う。一人旅をするくらいなのだからそれなりにできるというのがよくわかる。それなり。いや、きっと旅人くらい、おもしろい戦いができる。この雰囲気は強者のそれだ。
 ――俺のために強くなったのかな。
 なんとなくそう思ってあからさまにニヤけた。それはタルタリヤの都合のいい解釈だけれど、弱い弱いと罵ってやった負けず嫌いな彼が、その言葉に触発されて強さを手にしたというのは、あながち間違っていないような気もした。
 他人のものになっていたからなんだというのだ。もともとこれは自分のものである。タルタリヤは彼を屈服させるために邪眼も魔王武装も惜しみなく使うつもりでいる。そして、本当に強くなった幼馴染みの、負けず嫌いからくるゾンビのような生命力に歓喜するのは直近の未来の話である。
 一生をかけた譲れない戦いが今、幕をあげる。