聞いていた通りナタは群を抜いて暑い国だ。パタパタと服を揺らして籠った熱気を追い出しながら草道を歩く。初めて見る竜をしげしげと観察しながら歩いていると、ふと、背の低い岩の上に何やらステッカーが落ちていることに気がついた。
「……」
黄色と緑のそれは、サングラスをかけた竜らしかった。ステッカーにしては厚みがあってサイズが大きい。よく目立つそれは、一体どこから飛んできたのだろうか。
興味が湧いてそちらに近寄り、ステッカーを摘む。
「……うう、……はっ! キィニチの野郎〜! またこの、偉大なる聖龍様を、粗雑に扱いやがって……!」
「うわ」
「うぎゃっ!」
まさか音がすると思っていなかったので、急な発声(のようなもの)に驚いて摘んでいたステッカーをぱっと手放した。
どういう重力計算なのか、ステッカーはぼてっと土の上に落ちた。しかしさらに驚くことに、ステッカーは急にふわっと舞い上がり、これまたどういう仕組みなのか、黄色と緑の中にカンカンな赤を差し込んで「おいコラお前!」と俺の眼前に飛んできたではないか。
「偉大なる聖龍様を指先で摘んだ挙句! 地面に投げ落とすとは無礼にもほどがある! 謝るなら今のうちだぞ?」
「……」
「なんだ? 恐怖で声もでねーのか?」
「……、ナタの文明ってすごいな」
感心で呟き、とはいえ少し邪魔なので目と鼻の先にいるステッカーを手で払う。「のわあ!」とか間抜けな音を上げてくるくる離れたかと思えば「コノヤロー!!」と一瞬で詰め寄ってくるのでさすがに焦る。
「え。いや、なに?」
「不遜だ不遜! オレさまを誰だと思ってるんだ? 偉大なる聖龍、クフル・アハウ様だぞ!」
「クフルアハウ……?」
「はっ! ったく、教養がない間抜け面だな!」
罵られている。ステッカーに。いや、ステッカーだと思っていたけれど、偉大なる聖龍クフル・アハウとやらは、投影機から映し出されるホログラムに近い。そばにそういった機械は一切ないし、映像にしては鮮明な上、触れられるのだけれど、世には俺の知らないことがあって当然。こういう不思議な生き物だっているだろう。
罵られていることは不快だし、どうしてこの子がこんなに傲慢なのかは疑問ではあるけれど、岩で寝ていたこの子を摘んだのは俺だ。そこは俺が悪いなと思い「ごめん」と素直に謝ると、クフル・アハウはやはり傲慢に鼻を鳴らした。
「ふん! まあ、素直に謝れるところは認めてやるが、なんの献上品もなく、オレさまの許しを得ようなんて、やっぱり下等な人間だな!」
「きみさ、なんでそんなに傲慢なの?」
「なっ……!」
「なにしてるんだ、アハウ」
再びアハウが顔を真っ赤にしたところで第三者の声がした。
振り向くとそこには、黒髪の、頭にバンダナを巻いた少年が立っている。見た感じ現地の人間、つまりはナタ人だ。
聞き間違いでなければ彼は『アハウ』と呼んでいたし、『なにしてるんだ』とも言っていたので、きっとこの子と近しい間柄なのだろう。
俺としばらく見つめあった彼は、ギャンギャンと吠え続けるアハウにちらりと目をやり、もう一度俺を向いた。
「悪いな。アハウが迷惑をかけた」
「おいっ! 何言ってやがるちびニチ! 元はと言えばこの不遜な異邦人がオレさまのことを、のっ――」
少年が腕を振るとアハウは消えた。きらん、とサングラスを反射させ、空の彼方へ飛びさっていった。
暫時その行方を呆然と眺め、「……いや」と、今更少年の発言に首を振る。俺に不遜不遜と喚くアハウこそ不遜な態度だったものの、別に、雲の向こうに消し去られるほど迷惑だとは思っていなかった。
改めて少年と向き合う。黄色と緑の独特な虹彩が綺麗だ。見た感じが幼いが、それにしては大人びた雰囲気を纏っている。
「さっきのは、君のペット?」
「……。まあ、そう思ってくれて構わない」
「そうなんだ。ナタには不思議な生き物がいるんだな」
「見た感じナタ人じゃないが、観光か?」
「そう。稲妻から」
「稲妻人でもなさそうだが」
「フォンテーヌ人」
「なるほど」
少年が合点のいったように頷く。俺みたいな顔立ちのフォンテーヌ人に覚えでもあるのだろう。
それにしたってナタは暑い。ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、額に浮いた汗を拭った。
「聖火競技場ってどのへんか聞いてもいい?」
「このまま西に行くとあるが、徒歩ならそれなりにかかる」
「そう。ありがとう」
「聖火競技場が目的地なら、案内させてくれ」
「え? いやいいよ。大体の方角がわかったし、ひとりで行ける」
「アハウが迷惑をかけた詫びをさせてほしい」
「ええ……」
少年は真剣な眼差しだ。なんか、誠実、というか事象に対してこと細かいというか。俺はさっきの傲慢な聖龍のことを詫びてほしいなんて思っていないのだけれど、ここで俺が頷かないと、少年の方はスッキリしないみたいだ。
まあ別に、案内されて困ることもないしな、と。束の間いろいろ考え「じゃあお願いします」と少年に頭を下げる。すると少年もまた「ああ」と短く返事をした。
道中の会話で知ったことだが、少年は名前をキィニチというらしい。ナタにある六つの部族のうち、懸木の民、と呼ばれるところに属していて、悪竜を狩る仕事なんかをしているとか。
悪竜、と言うのはクフル・アハウのようなものも含まれるのか聞いてみたところ、確かにあれも悪竜といえば悪竜かもしれないが、狩りの対象ではないようで、キィニチとアハウは一言で語るには難しい関係であるのだけは察した。
ナタの景色が物珍しいから、道すがらそれなりに寄り道をしたが、キィニチは特に文句を言ってこなかった。案内する、と申し出た手前、俺の行動を制限することができなかったのか、本当に気にしていないのかはわからないが、「それはグレインの実だ。そのまま食べてもいいが、グレインチップスにして食べても美味しい」とか「水分補給はこまめにしておいた方がいい」とか。雑学のような会話を振ってきたり、俺の体調を気にかけてくれたりするあたり、面倒見のよい性格であるという印象だった。
そんなこんなで聖火競技場に辿り着き、キィニチの横で大きく伸びをした。通路に色々店が出ている。暑いのは気候だけかと思っていたが、人々にも熱気があって、随分賑やかだ。
「案内ありがとう」
「構わない。……宿は?」
「今から聞いてみる」
「近頃観光客が多いから、もしかすると部屋が空いてないかもしれない」
「そうなんだ。まあそのときは適当に野営するから大丈夫だよ」
親切に施設情報をくれるキィニチにそう返答すると、キィニチが微妙な表情をする。なんだかそれは、今日も屋敷か離島で忙しくしているであろうかの顔役が俺によく見せる呆れの顔とよく似ていた。
だからキィニチのそれが、『お前野宿できるのかよ』という疑念であることは容易に察せた。年齢までは聞いていないので見た目で判断するが、俺より年下であろう子に、そういう心配をされてしまうのは悲しいことだ。
「昔からひとりでフラフラしてるから、ほんとに大丈夫だよ」
「……困ったことがあれば言ってくれ。対価はもちろんもらうが、そのときは力になる」
「ありがと」
しっかりとビジネスを受けつつキィニチに手を振り、彼と別れる。俺と違って物事にきちんとケジメをつける子だな、とまだ新しい記憶の彼にそう印象づけた。
ナタは暑い。体に籠った熱を追い出すように息を吐いた。
ああいう言葉はやはりフラグで、果たして宿は満室だった。しばらく競技場の中を見て回ったあとはそこを後にし、目的もなく自然の中をぶらついている。
仔竜がかわいい。木陰に座って競技場で買ったグレインチップスを食べていると、きゅうきゅう言いながら寄ってくるので一枚だけ分けてやる。
仔竜といえど体はそこそこ大きい。グレインチップスは大口の中にすぐに消えていった。
「はは。おいしい?」
「きゅう」
仔竜が鳴くので、またグレインチップスを分けてやる。この調子で食べさせたら俺の分なんてすぐになくなってしまうなと思いながらも、そこまで困ることではないから気にとめなかった。
「おい」
「……」
「おいっ! この腑抜けっ、吾輩にも献上しろっ」
日陰で涼みながらぼーっとしていると、ふと何かが視界に飛び込んできた。
聞き覚えのある傲慢な声だ、と瞬きする頃には、その黄色と緑が昼頃に見た偉大なる聖龍であることを認識し、「アハウ」と無意識に口からこぼす。
呼ばれたアハウは「ふんっ」と鼻息をひとつ荒らげた。
アハウの登場に驚いたのか、仔竜は離れていってしまった。
「なにしにきたの?」
「ぐぬぬ……! 不敬不遜! だが、この偉大なる聖龍である吾輩に、グレインチップスを献上する栄誉を与えてやろう!」
「え……なんで?」
急に現れたかと思えば脈絡がないし、ほんと、傲慢だなこの子。思わず眉根を寄せていると『ぐうー』と、少し変わった音が響いた。
「え?」
「……お前の腹の音だ!」
「ええ……いや、俺じゃないけど。なに? アハウ、お腹すいてたの?」
首を捻っている間にも『ぐう』は鳴り続け、アハウが顔を赤くした。羞恥ではなさそう。多分、俺の不敬な態度が気に食わないのだろう。
その反応でなんとなく察するに、どうやらこの傲慢聖龍様は腹が減っているらしい。ぐうぐう鳴り止まない腹音に同情し、俺は自分の分のグレインチップスを半分に割き、その片方をアハウの口へ放り込むように与えた。するとアハウは目をぱちくりさせつつそれ食べ始めたので、俺も残りのもう一方を口に入れる。
「お腹がすいててつらいなら、素直にそう言えばいいのに」
「んなっ……!」
アハウは今度こそ憤慨したように表情をカッと変えたが、あんぐり空いた口にグレインチップスを投げ込んでやるともぐもぐ咀嚼し静かになる。
先ほどまで無性にうるさかった腹の音はなりを潜めたようだし、本当にお腹がすいてつらかったのだろう。数分もすればすっかり食べ終わっていたから、俺はそのタイミングで立ち上がり、尻についた草を払う。
「暗くなってきたのに、まだほっつき回るのか?」
「まあね。野営する場所を見つけないと」
「……ははーん、宿に泊まるモラもねーのか。哀れなやつだな」
「満室だったんだよ。嬉しそうなところ悪いけど」
歩き出した俺の後ろをフワフワ飛びながらアハウがついてくる。
グレインチップスはもうない。一体何が目的だろうか。
「きみ、キィニチのところに帰らなくていいの?」
「なんだお前、キィニチと仲良くでもなったってか?」
「そうじゃないけど。ペットの帰りが遅いと心配するだろ」
「ペ、ペ、ペ、ペットぉ?! 失礼にもほとがあるぞ! オレさまはチビニチのペットなんかじゃないし、あいつは俺の従者だ!」
「迷子になってるなら一緒にキィニチを探そうか」
「〜〜〜〜!! ……ふ、ふふ、不遜だ不遜……! もう我慢ならん! 一発分からせてやるっ!」
ふとカンカンに怒ったアハウの後ろに、何かが迫ってきているのが見えた。それは、片手からワイヤーを伸ばしては収縮させ、すごい勢いでこちらに近づいてきている。
人だ、と頭の片隅で思いつつ、「くらえっ!!」と直進してきたアハウを避ける。
俺にぶつかることを想定していたアハウが「ふみゃあ!」と不思議な声を上げて草むらに突っ込む頃には、ワイヤーを使うその人影が、見覚えのある人物であることがわかるくらいの距離になっていた。
巻取られたワイヤーが風を切る。
「……ちか、」
「すまない。距離を見誤った」
「あ、うん……」
体がぶつかるくらいの距離で正面に着地され、思わず後ろにひっくり返りそうになった。踏ん張れなければ第二のアハウになっていただろう。
「……アハウならそのへんにいるよ」
「ああ」
どうやってアハウの位置を把握したのかは謎だけれど、キィニチがここに飛んできた目的はきっとそれだろうと思い、しんとした草むらを指さした。
キィニチはそちらをちらりと見たけれど、すぐに俺を見上げる。
「……すまないな。また世話をかけた」
「? いいよ別に」
「……アハウ。帰るぞ」
キィニチに呼ばれ、草むらから『くっそお〜〜!!』と不満げな声が返ってくる。その声だけでもう、アハウがどんな顔をしているのか想像がつく。
「せっかく飼い主が迎えに来たんだから、また迷子になる前に早く帰れよ」
「なんでオレさまがペットなんだ!!」
口添えすると草むらからぼんっと勢いづけてアハウが飛び出てきた。
あとの会話に俺は必要ないだろう。ふたりに背を向け歩き出す。「コノヤロウ! 無視すんな!!」と聖龍が吠える声がするのは勝手に耳に入ってきた。
そろそろ本当に野営場所を決めないとまずいかもしれない。もうだいぶん暗いし、遅い時間に土地勘がないところで徘徊してはアハウの二の舞になる。
「……野営場所を探すなら、」
「?」
「あのあたりにいいところがある」
不意に後ろから声がして振り返ると、キィニチが腕を組んで俺を見ていた。
俺と目が合うなり顎を振った彼は、どうやら野営向きの場所を教えてくれているらしい。
「はあっ? 何言ってんだキィニチ。そっちはお前の家――――」
何かを言いかけたアハウが忽然と消えた。キィニチの腕輪に吸い込まれたような気がするが定かではない。
「必要なら案内する」
「……迷惑料?」
「ああ。そういうことだ」
「律儀だね。ペットの世話も大変そうだ」
「……行こう」
俺の言葉に何か反論することもなく、キィニチは俺に背を見せ歩き出した。それを追う形で夜道を歩く。
アハウのことは気にしなくていいのにと今回も思うが、野営場所を教えてくれるというのだし甘えることにするとしよう。
きゅ、と蛇口を捻ってお湯を止める。外をほっつき回ってかいていた汗がさっぱりと流されたことが気持ちよくて「はあ」と一人でため息をつく。
浴室を出て体を拭きあげ着替えを着た。リビングの方に出ると、椅子に腰かけて道具を手入れするキィニチの姿を見つけた。
「シャワーありがとう」
「ああ」
キィニチは作業の手を止めずに短く返事をした。
少し遡って話すことになるが、俺にいい野営地を教えてくれるといっていたキィニチは、なぜか俺を彼の家に招いてくれた。もちろん、見知らぬ旅行客を自分の家に泊めるなんて正気かこいつ、と思ったし思ったままに口に出した。が、キィニチは「ナタは初めてだろう。野垂れ死なれても気分が悪い」と真顔で言うだけだった。
なんにせよ野営よりも屋根のある家で過ごせることが快適なのは確かだ。本人がいいと言うならと、ご相伴に預かることにし、風呂も借りて、随分図々しく過ごしているわけだ。
キィニチがこうして道具の手入れをしているのはいつものことなんだろう。作業の手つきが手馴れている。すごいなとぼんやり眺めている俺に一瞥もくれず、キィニチは手を動かし続ける。
「……」
「……なんだ」
「いや。器用だなと思って」
「……別に。慣れだ」
キィニチは素っ気なく言うが、俺と会話をしてくれるあたりは優しいと思う。
そのまましばらくぼうっとしていると、キィニチの手が止まった。今度はこちらに用件がある様子で俺を見上げ、「シャルルさんは」と俺が昼間に教えた俺の名前をぽつりとこぼす。
「猫みたいだな」
「え。なんで?」
「そうやって一定の距離で、ジッとこっちを窺っているだろう?」
「……猫だから拾ったってこと?」
「……、ふ。そうかもしれないな」
そういうふうに例えられるのは慣れているけれど、それを今日会ったばかりのキィニチに言われるとは思わなかった。
やや不貞腐れた声音で、反論として、見ず知らずの男を家に連れ込むキィニチの無防備さを指摘してやったのだけれど、ほんの少し口元を和らげて答えるキィニチには、あまり効いていなさそうだ。
「俺も無闇矢鱈に拾わないし、拾ったのなら責任はとる」
「……ふーん」
しっかり例え話で返ってきた。要するに『お前は敵意がなさそうだから家にあげたが、何かあれば対処はできる』ということだろう。
そうしておしゃべりは終わりとばかりにキィニチが道具の手入れに戻っていく。俺もそれ以上は特に喋ることもなく、ソファに腰かけてただぼうっと、シャワー後の温かさに身を任せる。
そうしていると次第に眠たくなってきた。明日は家主に迷惑をかけないよう、宿代としてモラを置いて早朝に家を出よう。
朝起きると既にキィニチがいなかったので少し驚いた。よく知りもしない男を置いて家を出るのは不用心すぎる。俺はものを取る気はないけれど、もしそういう気を起こすやつだったらどうするつもりなのだろう。
俺としても、家主がいない家に居座るのは不躾だろうと思うし、いそいそと周囲を片付けて、『泊めてくれてありがとう』とメモ書きを添えモラを机に置く。
「よし」とひとり頷き、家を出た。
昨夜は暗かった上に完全にキィニチに道を任せていたからここがどこかわからないけど、自分の勘を信じて、適当に散策する。
一応目的地としては流泉の衆――温泉なのだけれど、とりあえず人の多い方へ向かっていればそのうちわかりやすい道に出るだろう。
それにしたってこの辺は高低差が激しい断崖だ。なかなか歩きづらい。
「わっ」
ぼーっと空を眺めながら歩いていたら突然視界が変わった。景色が流れていく。上を見ていたから足を踏み外した、らしい。落下している、と気づいたときには、腰に何かが巻きついた感覚がした。
そのままぐんっと上に引っ張り上げられ、俺は崖の上に戻る。ぼす、とまぬけに尻もちをついて「はあっ」と息をつくと同時に、俺の腰に巻きついていたそれがするするとほどけていくのがわかった。
見上げるとふよふよピコピコ、黄色と緑のドットが浮いている。
「あれ、アハウ……」
「だぁ〜〜っ! なーにが『あれ、アハウ』だ! 吾輩が駆けつけなかったら、お前、今頃スプラッタもいいところだぞ?!」
「実際に引き上げたのは俺だが」
「? ……キィニチ」
声のする方を見ると昨日のようにキィニチが腕を組んで、今度は俺を見下ろしていた。
その存在を認めてやっと、さっき俺に巻きついたのがキィニチの持つワイヤーであることを理解した。なるほど、偶然通り掛かって、あの器用な手捌きで俺を助けてくれたらしい。
バンダナで眉が隠れているからあまり表情が読めないけれど、その目つきは心做しか呆れている。
「引き上げてくれてありがとう」
「……ふん! 吾輩の寛大な心に感謝するがいい!」
「うん。アハウもありがとう」
「当然だ!」と偉そうにふんぞり返るアハウに、ふっと笑う。この子は扱いやすいのか扱いにくいのかよく分からないペットだ。
「一人旅をよくする、と言っていたが」立ち上がって尻を叩いていると横から声をかけられた。見下ろすと、綺麗なやっぱり何を考えているか読めない黄緑の瞳と目が合った。
「毎回こんな調子なのか?」
「え。……崖から落ちたのは初めてかな。雪山で遭難くらいはしたことがあるけど」
「…………」
「ぷっ! 雪山で遭難だって? 間抜け――」
アハウが消えた。詳細は言うまでもない。
キィニチとの間に少し変な間ができた。どうやら、俺はキィニチに哀れまれているらしいと気づく。まあ確かに、雪山で遭難するのも崖から落下するのもあまりに注意不足で間抜けだから、そういう反応は致し方ない。
「ところでこれって何かお返しした方がいいのかな」
「? 何がだ?」
「俺はあなたに助けてもらったから、あなたに何か返すべきかと思って」
「……、……。いや」
キィニチは俺をじっと見て少し考え込み、「必要ないな」と首を振った。
その返答に俺はまた首を傾げることになるが「そう?」とひとまず頷くことにする。
何か言いたそうにしていたのは気のせいかだろうか。俺はキィニチのことをよく知らないので、そういうものはまだ汲み取ってやれない。
「それより、宿は決まったのか?」
「いや。流泉の衆に行こうとは思っていたけど、そこは何も考えてなかった」
「そうか……」
俺の返答にキィニチは少し考えるように目を伏せる。この反応はなんとなくわかる。世話焼きな人がする顔だ。
俺が自分をそう評価しているわけではないことを前提として、他者から見ると俺は、世話をしてやらないといけないような使命感に駆られることがあるらしい。放っといたらこいつ死ぬ、みたいな。ちなみにこれは稲妻の顔役から聞いた話だ。
「宿が決まるまでの間、うちに来るといい」
「……きみってちょっと不用心じゃない?」
「崖から落ちてたシャルルさんには言われたくないな」
「……。そう言われると弱るけど、よく知りもしない男を家にあげるのはやっぱり不用心だよ」
「よく知りもしない男の家にあがるのは不用心じゃないのか?」
「…………」
ありえない。年下であろう少年に言い負かされている。俺の周りには口達者な人が多くいるけれど、これはちょっと、自尊心に響く。
「……じゃあお世話になろうかな」
これ以上続けても勝てなさそうだったので大人しくそう口にしたが、この空しさは何だろうか……。
「ああ」と短く答えたキィニチは、俺の心情など露知らず、ただ真顔で『それが合理的だ』と言わんばかりの目をしていた。
キィニチと別れ流泉の衆で温泉を堪能したあとは、やっぱりフラフラと散策していたのだけれど、日が暮れる頃、まるで俺が彼の家に戻ってくる気がないのをわかっていましたといったふうなお迎えがきたのには絶句した。
俺はアハウと違ってキィニチのペットじゃないのに、よく俺のいる場所がわかったな、というつもりで「よくここがわかったね」と呟くと、「目撃情報を集めればすぐだ」とキィニチはなんてないように返した。
今日はわりと野営に誂え向きな場所を見つけていたのだけれど、お迎えが来てしまったのならばしかたがない。大人しくキィニチの後ろに続く。
「結構熱かった」
「ん?」
「温泉」
「……。そうか」
キィニチは淡々とした様子だけれど、俺の大して実のない話に相槌を打ってくれる。
それが妙に居心地がよくて、彼といる道中は気安い態度をとってしまう。けれどもそんな俺にキィニチは特に嫌な顔をせず、至極ふつうに振る舞ってくれているから彼の人柄の良さがうかがえた。
俺は人と付き合うにはちょっと難儀な性格をしている自覚があるから、キィニチのような人が一緒にいてくれるのは有難いことだ。
「あ。キィニチ」
「どうした? また寄り道か?」
「……。料理したいから、買い物していいかな」
キィニチはきょとんと首を傾げた。
キィニチの中で俺は一体どういうイメージを持たれてしまったんだと訝りつつも「当然宿代は払うけど、泊めてもらうんだし、少しはお礼をさせてほしい」と付け加えるのであった。
どの国にいても夜が一番好きだ。空は繋がっているとは言うが、夜空にはその土地その土地で見せる顔が様々あって、眺めていると気が落ち着く。
特に、人のいない場所で見上げる空は最高だ。賑わっている街も嫌いではないけれど、やっぱり静かな方が好き。
生ぬるい夜風に頬を撫でられながら星に手を伸ばす。遠い光を手のひらで握って、ゆっくり開くけれど、当然そこに星はない。
「眠れないのか?」
「……、キィニチ」
いつの間にか後ろにいたキィニチには驚いた。声をかけてくるまで、音もなければ気配もなかった。
素っ頓狂な声を上げそうになったのを既に飲み込み、キィニチのことを見上げる。崖の先に投げ出した足を訳もなくプラプラと振った。
「あんまり端に寄ると危ないぞ」
「……んー……、うん……」
曖昧に頷いて、キィニチの忠告を無視する。キィニチは俺のことを幼子かなにかだと思っているのだろうか。
崖下は真っ暗で底が見えないから、落ちてしまったらきっと助からないだろうなと思ったけれど、落ちなければ大丈夫だろうという投げ遣りな気持ちが勝ったのでそのままだ。
「星を見てたんだ」
「……」
俺がそう言うと、キィニチは無言で俺の隣まで来て腰を下ろした。そして俺と同じ方を向くように空を見上げる。
「シャルルさんは不思議な人だ」
「……。どういうところが?」
「見た目のわりに幼い」
「反応に困るな……。年甲斐もなくてごめん?」
「いや、そういう意味じゃない。隙が多いって話だ」
「……どっちにしろ反応に困るね」
キィニチの言う『隙が多い』がどういう意味なのかわからない。行動がだらしないと言いたいのか、人との距離感に節操がないとか言う話なのか。なんにせよ、褒められた言葉ではない。
「隙が多いと、悪い奴につけ込まれるぞ」
キィニチは俺を見ずに言った。
その声色やツンとした横顔からは特に何も読み取れないが、彼の忠告を無下にする理由もないので素直に頷くことにした。
「気をつけるよ」
「……」
沈黙が落ちる。
風がふわりと吹き、キィニチの髪が揺れた。それになんだか関心が向いて、彼の横顔をまじまじ眺めていたら「……俺の顔になにかついてるか?」と今度はキィニチの方から視線を寄こされてしまった。
「え。……あ、ごめん。髪が揺れてるから気になって」
「……」
「……。キィニチの目は綺麗だね」
「は……?」
キィニチがぽかんと口を開けた。
星の光に照らされる黄色と緑のその瞳は、なんだか小さな宇宙みたいだ。キィニチの頬に手を添えて、じい、と瞳をのぞきこんでいると、徐々に眉間に皺を寄せたキィニチが、むんず、と俺の手を掴んだ。
「こういうこと、よくするのか?」
「え。ん? ……まあ、するかな? 綺麗だと、よく見たいし」
「……、……はぁ……」
キィニチはため息をひとつこぼして、俺の手を離した。
「戻ろう」立ち上がったキィニチが、ここに来た時と同じように俺を見下ろしている。
俺もそれに倣うようにして立ち上がる。まだ眠たくないし、星を眺めていたいから満足していなかったけれど、キィニチの機嫌を損ねても困るので大人しく部屋に戻ることにした。
ナタにきてから一週間が経った。観光ガイドで大々的に取り上げられるようなところは大凡めぐり、大枠の観光は完了した。どの地域も物珍しさや見どころが多く、ナタにきてから毎日が充実している。
「シャルルさん」
「あれ、やっぱりバレちゃった」
人気のない海岸に突っ立っていたらもう聞き馴染んだ声がした。律儀なお迎えも慣れたもので、少し茶化すように言うけれど、キィニチはニコリとも笑わない。
結局俺は宿を取らず、この一週間、すべてキィニチの家で寝泊まりをしている。
「こんなところにいると、本当に危ないぞ」
俺の手首を掴むキィニチの手には力が込められていて痛いくらいだが、眉をしかめながらも大人しくついて行く。崖から落ちる以外の失態は犯していないつもりだが、この一週間ですっかり、キィニチの中で俺はひとりじゃ何もできないポンコツ扱いだった。
「俺、もう子供じゃないんだけど。きみにお世話されるほどガキっぽいかな」
「……。シャルルさんは、そういうところがある」
「んー……」
納得できない気持ちで前方にあるキィニチの背中を見つめる。
俺は本当に子供じゃないし、なんならきみよりも年上なんだけどな……とはやっぱり思う。でもまあ確かに、キィニチと並んでいると俺よりキィニチのほうが冷静で、大人びているようには思うから反論はしない。
「……子供っぽい、というよりも」
「うん?」
「しっかり手網を握ってないと、すぐどこかに行ってしまいそうだ。……そんな危うさがある」
「…………」
――俺のこと犬か猫だと思ってるの? そんな言葉を言いかけてやめた。きっとキィニチは、その誠実で責任感の強い性格から、けじめがなく奔放な俺を心配しているのだ。それに仮にキィニチが『そうだ』と肯定してしまったら、飼い主が増えてしまう。これ以上俺をペット扱いする存在が増えるのは、肩身が狭い話だ。
「俺は、どこにもいかないよ。そんなにヤワな鍛え方はしていないし」
「……」
「……。信用ないなぁ……」
「ひとつ聞いておくが、それはわざとはぐらかしているのか?」
「え」
キィニチが歩みを止め、俺の方を振り返る。
橙の光を吸って光る瞳はただ真っ直ぐに俺を射抜いていて、そのままこの瞳に吸い込まれてしまうんじゃないかという錯覚を起こした。思わず唾を飲むくらいには心構えをする必要があったから「わざとはぐらかすってどういうこと?」と聞き返すのに随分と勇気がいったように思う。
「……はあ。タチが悪いな」
「え? ……マジで何……」
「野良猫に餌をやったことはあるか? 自分によく懐いているな、と思っていた矢先に、他のやつから餌をもらって甘えた声を出すのを目撃した、みたいな気持ちだ」
「……??」
顔をしかめる俺に、キィニチはそれ以上を語ろうとはしなかった。くるりと俺に背を向けて、スタスタ先に行ってしまう。
キィニチが言わんとしたことは全く分からないが――結局俺が犬猫扱いされている、ということは確かだった。
その日は最高に気分が良かった。酔っ払いに酒飲み勝負を吹っかけられ、完璧に負かしてやったのと、単純にナタの酒がうまかったからだ。
ナタの酔っぱらいは気前が良く、知らぬうちに話が盛り上がり、酒屋をはしごしてまわったりもしていたと思う。とにかく俺は上機嫌だった。大して知らない大男と肩を組みながらほっつき回るくらいには、気が強くなっていた。
そんなときだ。『お迎え』がやって来たのは。
「……シャルルさん」
「キィニチ?」
キィニチは俺を見るなり、目をまん丸にさせたあと、すぐにその目を細めてため息を吐いた。
俺はというとそんな反応のキィニチを見て『あ〜なんかこの感じ知ってるな〜』みたいな既視感で頭がいっぱいだった。あれはペットの不始末を不快に思っている顔だ。
肩に回っていた腕をやんわりと外し、「またね」と酔っ払いに手を振って別れ、キィニチのそばまでいくと、キィニチはもう一度ため息を吐いたあと、俺の手首を掴んで歩き出した。
「……ごめん」
「……」
「今日は野営するよ。酒飲んだし」
「……そうじゃない」
キィニチは俺の手首をグッと握り込んで、振り向きもせずに言った。その声音は冷たくて、怒っていることがありありと分かるものだったので思わず身を縮めた。
「……あの酔っ払い、シャルルさんに気があった」
「……。え?」
「本当に危機感がないな」
「いや、酒飲んで盛り上がってただけで……」
「あんな風に肩に手を回すのは『そういうつもり』のときだけだ」
ぴしゃりと言い切られて、口を噤んだ。
酒で気が大きくなった人間は、俺がさっきまでしていたような気安い絡み方をしてくることがある。別に強く拒否をしなければいけないことでもないし、俺もそのまま流していたのだが……キィニチからしたらどうやら許容できなかったようだ。
「そもそも、シャルルさんは人との距離感が近すぎだ」
「……。そう?」
キィニチは足を止める。俺もそれに合わせて歩みを止めると、彼はようやく俺を見た。その瞳には怒りの色が宿っているのにどこか苦しそうで、小さく首を傾げる。
距離感が近すぎる、というのは、俺を家に泊めているキィニチもそうではないだろうか。そんなことをぼんやり思って瞬きをした。
その隙をつくようにキィニチは俺の肩を掴んできて、体がぐらりと揺れた。
「……っ、……え?」
「……」
キィニチの唇が俺のそれに触れている。そう認識すると同時にそれは離れていって、俺は呆然としたまま目の前の彼を見つめることしかできなかった。
「俺がこうすることの意味をちゃんと考えてくれ」
「……」
ぺろ、と赤い舌が唇を舐めた。
それだけ言うとキィニチは、なにごともなかったかのように俺の手を引きながら歩き出す。
キィニチに引っ張られると歩かなければならない。縺れる足でついて行くのが精一杯で、アルコールが遅れて回ってきたのか異様に顔が熱く、思考は少しも纏まらなかった。