※Blu-ray&DVD vol.7 Extra Episodeのネタバレを含みます


 目の前で裸体を(といっても下はちゃんと履いている)見せつけられたって特に興奮しないし(いや、したらしたらで問題なのだが)、むしろ真琴の方が肉体美というやつなのでは、と遙がいれば「さすがブラコン」と罵りそうなことを思いつつ。水希は首を傾げてしまうばかりであった。
「でも、本当によかったんですか?」
 見渡せば見渡すほど目につく人の数に、鬱陶しそうに水希が目を細めていたところ、江の心配そうな声がかかった。
 何が本当に良かったのかと聞き返そうとしたがすぐに察す。彼らと一緒に行かなくて良かったのかと聞いているのだろう。
「俺が選んだんだからこうが気にすることじゃない」
「……そ、ですね」
 しゅんと顔をうつむけてしまった江に水希は心内自分に向けて舌を打った。違う、江にそんな顔をさせたくてついてきたわけじゃあないのだ。
「こう」
「あ、はい」
「なんか食べる?」
 あっち、と出店を指さすと江はほんの少しばかり怪訝そうにしていた顔を、ぱあっと明るくさせた。よかった。水希も彼女が笑ったことで安心したようだ。
 今日は鮫柄学園の文化祭であり、そこに水泳部の部員でそろって訪れていたのだが、マッスルコンテストの文字を見た途端食いついた江についていくと名乗り出たのが水希だった。唖然として見せる水泳部員に居心地悪くなりながらも、「水希ちゃんが江ちゃんを狙ってたなんて!」とまさに全員が言いたかったことを迷わず口にした渚の腿に一蹴り。
「一人にすると不安だろ。何かあってからじゃ遅いし、それに、凛がなんていうかわからないし」と意外とまともな言葉に渚たちは心底感心したのである。さすがは橘、面倒見がいい。
 もしこの会話を江が聞いていたのなら「そんなに子供じゃありません!」と反論したに違いないのだが、もはや筋肉しか目にない江は彼らをおいてすでにゲートをくぐっていた。
 じゃあまた後でと手を振る水希に真琴は慌てて声をかけた。「水希! 携帯は?」と。江の後を追いかけていた水希は振り返らずにポケットから出したそいつを高く掲げて人ごみに紛れていった。いつもは携帯を携帯しない水希が珍しい。「用意周到だね」という渚の言葉に一同頷かざるを得なかった。
 とにもかくにも水希が江についてきた理由といえばそれだけであり何の下心もない。咄嗟の行動だったのだ。きっとあのときの水希には江と小学生の弟妹たちが重なっていたのだろう。
 ふと歩みを止めた江に倣って水希も立ち止まる。「何かあった」と別にわざとではないのだがどうもイラついているように言ってしまう。が、江もそのあたりは理解してくれているのか「あれが気になるんです」後半はしりすぼみになっていたがそう答えた。
 水希は江の指差す先を見やって目を細める。マッスルアイテム。間違いでなければそう書いてある。
 江が筋肉バカ(?)であることは周知の事実なので水希がいまさら引くことはないし、江は水泳部の中でも水希にはあまり恥じらいなく筋肉の話ができる。なぜかはわからないのだが、なんとなく、江にとって水希とは異性というよりも親戚のお兄ちゃんみたいなのだ。
「食べ物じゃないのか……」
 が、やはり水希もそう口にしてしまうもので、江はぷくりと頬を膨らませ「いいじゃないですか、好きなんです」と拗ねたように言う。
 食べ物なら日頃のマネージャー業へのお礼も兼ねて自分がお金を出そうと思っていたのだが、あれは、なんとなく気がひける。ただ、マッスルアイテムたるものを、軽蔑しているわけではないのは理解してほしい。
 とりあえずは江の横に立って彼女に見え透いた視線を送る白ラン野郎を睨みつけていると、どこからか江の名を呼ぶ声がした。
 きょとんとする江と同じようにその先を辿ると、
「あっ、金太郎くん……じゃなくて」
 似たような間違いをどこかで見たような気がすると思いつつ、水希は悩む江を軽く小突いて「百太郎」と助け舟を出した。
 はっとした江はすぐさま顔を上げて、
「百太郎くん!」
 と、可愛らしい笑顔とともに彼を呼んだ。
 百太郎の意識は江にしかないらしく、彼女の後ろにいる水希には一切気づいていない。今もジッと水希に冷めた目で見られていようが江に初めて名前を呼ばれたと涙を滝のように流すのだ。
 水希は茶番を見るのも面倒でふっと百太郎の後ろに視線を飛ばし――気持ち悪、と思わず小さく口にした。百太郎の後ろには焼けた肌をイメージしたのだろう、ほぼ黄土色の妙にムキムキとした顔ハメ看板がこちらを窺っていることに気付いて眉間にしわを寄せる。そこに立ち止まり、何を考えているのか。
 こうも周りに神経過敏になってしまうのは江に対し兄的本能が働いているからだろう。もういっそのことあの頭のおかしい看板野郎に声をかけるかと決めて――その脇からにゅっと飛び出た水鉄砲に目を丸くした。
「こう!」
「きゃっ!」
 完全にこちらに向けられた水鉄砲に気付いた水希は、看板野郎の指が引き金を引くその直前に彼女を庇うように前に出た。しかしわずかに遅かったのか、江にもかかってしまったようだ。
 水希はチッと隠すことなく舌を打ち自分の制服の袖を見る。変に着色されているわけではないので、ただの水をかけられたらしい。これが色のついたペンキであれば、こいつに何をするんだと、冷静さを欠かしていたかもしれない。
 水に濡れ制服の透けた江に百太郎は自重せず。顔から蒸気を放ち、すっかり興奮している。もう何を言おうが聞こえないだろう。水希は彼は放っておくことにし、まずは「大丈夫」と屈んで江を窺う。
 江は状況が呑み込めていないようだったが、大丈夫ですと頷いた。
 シャツから肌の透けている江をそのままにしておくわけにはいかない。上着を貸してやりたいが、自分のは濡れてしまっている。
「おい、アンタ――」
 あの顔ハメ看板の不審者を一発殴ってやろうと振り返ったのだが、水希はその勢いをくじかれた。
 百太郎と顔ハメ看板……いや、よく見ると見知った顔だ。それに身を隠していたらしい愛一郎が倒れているのだ。彼へ向けた不満は「はっ」と短い息になる。加えて先程はいなかったはずの知人が目の前にいるので、不意打ちどころではない。
 なんでここにいるのだとかそいつらはなんなんだとか、聞きたいことはたくさんあったが、水希は背中に隠すようにしていた江の前からよける。なんとなく、宗介がしてやろうとしていることはわかっていた。
「着とけ」
 ふわりと江に宗介の白ランがのせられた。ぶかぶかなそれは、不器用な宗介の優しさである。礼を言う江にそっけなく答え、視線を逸らせば、微妙な顔をした水希と目が合った。
 微妙な顔がどのようなものなのか表現しがたいが、一番は今にも大笑いしてやりたいのをこらえているような顔だ。不機嫌な顔で宗介がそれを睨むと、「初々しいデスネ」と、わざとらしく敬語。宗介は水希を殴ろうとしたのだが、今現在も地に伏しているかの後輩とは違い、あっけなく避けられてしまった。こいつ、慣れていやがる。
「あ、でも……わたしより水希先輩が」
「? 俺はいいよ。脱げばいいだろ」
「ぬっ……!」
 素敵な筋肉とご挨拶……! とわかりやすくも目を輝かせた江に気付いた宗介があきれ顔をする。
 先程はめざとくも江を狙う(と言ってもミスなのだが)銃口に気付いたくせに、自分のこととなると鈍感なのか、江の期待のまなざしに気付くそぶりも見せず水希はブレザーを脱いだ。
「で。おまえ何してんの?」
 ブレザーを脱いだだけでは白いシャツが顔を見せるだけで江の望んだものはちらりとも見えない。「先輩、シャツも濡れてます!」と自分の腕を掴む江に怪訝な視線を向けつつも、水希は宗介を見つめた。
 それを聞きたいのはこっちの方だと思いつつ、「サバゲーだ」と宗介は答えてやる。「サバゲー」復唱した水希はピンとこないのか首を傾げながら「遙が喜びそうだな」と笑った。
「で?」
「俺はこうのお守り」
「わたしはそんな子どもじゃありません!」
「はあ? 目ぇ離した隙に『筋肉見せてあげるからついておいでよ』って下心見え見えな男にひょいひょいついていこうとしてたのはだ・れ・だ」
「ひゅ、ひゅみまへん……」
 むにーっと頬をつままれ江は若干涙目になりながらも謝罪を述べる。まったく、とため息をついて手を離す水希。しゅんと尻尾を垂れる江。なんだかんだで江を大切にしている凛が聞けば妬くかも知れないが、兄妹みたいだなと、宗介は少しだけ笑んだ。
「宗介は相手から逃げつつも探している最中なんだろ」
「そうだな」
「ん。じゃあ夜ぐらいでいっか」
「夜?」
「キャンプファイアするんだろ」
 そうだけれど、それがどうしたというのか。
「こう、濡れたままだと風邪ひくし……一旦帰る?」
「そうですね……そうします」
「じゃあ送ってから、また戻ってきて……キャンプファイアのときに白ラン返しに行くから」
「へっ?」
「はっ?」
 2人が話を読み込めていないことぐらい水希とて気づいていたがさして気にせずに「行くよ」と江の手を取り歩き出す。あたふたしながらもついていく江。彼女たちの背中を呆然と見守る宗介は、ぽつりと、
「……彼氏力……?」
 自分でもよくわからないまま、つぶやいた。

 江を家まで送り届けた後、水希は一度家に帰り濡れたブレザーをハンガーにかけそのままベランダに持って行き、中のシャツなんかも着替え、ブレザーの代わりに普段は着ないベストを着て、再び外に出た。
 ちなみにこの動作の合間にもう戻らなくてもいいかと思ったのだけれど、そういえば宗介の白ランを自分が預かっていることを思い出し、しぶしぶ足を向けたのだ。さすがに制服は何日と預かれるものではない。宗介もすぐ必要となるだろうから。
 今日何度もくぐる改札口に辟易しながらも目指すは鮫柄学園だ。
 しばらく電車に揺られてまたも門前に来てしまった。風船を持っているサメヅカちゃんを一瞥し、水希は門をくぐった。
 人が多い。
 ポケットの中の携帯を握る。宗介の連絡先を知っていればよかったのだが。
「あれ? もしかして水希?」
 ずいぶん前にも似たような声かけをされた気がする。相変わらず賑わっている学園内でなるべく人だかりを避けていた水希は後ろからかかってきた声に素直に振り返った。
「…………げ」
 振り返って、後悔。貴澄と遭遇した水希の反応までもとある日に岩鳶SCで再会したときのものと全く同じであったことに気づくものはここにはいない。
「おまえ、なにしてんの。つか何で濡れてるんだ」
「宗介と凛に会いに来たんだよ。で、これは宗介とハルのせい」
「ふーん」
 自分から聞いてきたくせにずいぶん冷めているなあと貴澄は内心苦笑いするが、水希の反応が薄いのはなにも今さらなので口にはしないでおいた。水希は水希でつい先ほどサバゲーとやらの一部始終を見たのですぐに話を飲み込めたらしい。話を広げる様子は見られない。(もちろん飲み込めなくたって話を広げなかっただろうが)
「まあ、宗介たちは忙しいみたいだし」
「待て」
 一歩こちらに歩んできた貴澄に、水希は厳しい声で制止をかける。貴澄はピタリと止まりきょとんと目を丸くした。
「俺が着替えてきた意味がなくなるから、くっつくな」
 一拍の間をおいて理解する。なんと彼も濡れたのかと貴澄はケラケラ笑った。
 貴澄と水希は特に話し合ったわけではないのだが自然と肩を並べ歩き出す。お互いの近況報告の中でちらちらと貴澄を気にする水希は、タオルがあれば貸してやりたいと思っている。ケガではないが保健室に行けば手助けしてもらえるだろうか。鮫柄の保健室はどこにあるのだろうか。さすが私立だけあって広い学園内を見渡すも、どれがどの教室なのかなんてわかるはずがない。
 また出店で賑わう方に近づいてきた。貴澄は先ほどまできょろきょろしていたのにどこか顔の青白い水希を見て足を止める。そういえば、彼は人混みが苦手だった。まれに人混みにいても平気な顔をしているが、今回はそれは有効でないらしい。
「ねえ水希」
「?」
「僕、歩き疲れたよ。ここで休まない?」
 貴澄が空いているベンチを指さすと水希は首をかしげる。それでも貴澄はぐいぐいと水希を引っ張り無理やりベンチに座らせた。
 水希が人混みを苦手とする理由を彼本人から聞いたことはない。けれども貴澄はなんとなく察していた。
 中学生の頃ちょっとばかり羽目を外したケンカをする水希を見たことがある。声をかけようとしたこともあったが、周りに思いの外人がいたのと、なにより水希自身が見たこともない目をしていて、萎縮した。
 あのときはもっと酷かった。
 最初は小さなケンカだったのが、いつのまにか街の不良が絡むようになっていた。数個上とつながりをもつような人が水希のことを口にしたのだろう。「調子に乗っているガキ」として制裁を加えるとか、そんなハデなケンカが起こったのを、貴澄は覚えている。集団内でもさらに揉め事が起こり、その間に水希はうまく逃げ果せたらしく、翌日には飄々としていた。けれどあの異様な人間の集まりを遠目に見た貴澄でさえ恐ろしかったのだ。中心に立ち、自分よりもはるかに背の高い人間に囲まれていた水希はどうだろう。軽いトラウマになったって、おかしくない。
 何度も言うように水希にそれが原因だと言われたわけではない。彼は決して語ろうとしない。だけれども貴澄は自分の思っているものがほぼ当たっているだろうと確信していた。……だからといって、本人が話したがらないことを無理に話題にするつもりはない。
「そういえば、水希はハルたちと一緒じゃないんだね」
「来たのは一緒だけど一旦別れた」
「そっか」
 貴澄は深く聞かずに笑った。
「……貴澄、おまえ寒くない?」
「平気だよ……あ、もしかしてずっと僕の心配してたの?」
 眉間にしわを寄せた水希。しまった、罵詈を浴びせられるだろうか。貴澄は身構える……が、水希はふいとそっぽを向いただけで口汚く罵ってくることはない。
「……水希もずいぶん丸くなったよね」
 うっかり感心のため息をつく。水希は不愉快そうに「はあ?」と首を倒したがそれ以上何か言う気はないようだった。
「ハルたちとは合流するの?」
「夜にね」
「ならそれまで僕と回ろうよ!」
 不意を打たれた水希の表情は年相応で、貴澄はますます嬉しくなる。え、といかにも状況を飲み込めていない声を水希が出すと、「ね!」と貴澄が強く押す。どうして急に。それに貴澄は服が濡れているのだから自分なんかに付き合っていないで江みたく家に帰ったほうがいい。
「貴澄は」
「うん」
「服が濡れてるだろ」
「あはは、やっぱり心配してくれてるんだ? ……大丈夫、だいぶ乾いてきたしね」
 貴澄は徐に髪をかきあげてニコリと笑いかける。水希は未だ戸惑った様子であった。
「人混みが苦手?」
「、」
「僕がいるから平気だよ。それとも水希は僕と一緒にいたくない?」
 とどめの一言だった。卑怯なやつ。そのぼやきは遠回しな賛成だ。
 それじゃあ行こうかと貴澄は水希の手を取る。あまりに自然な動作に水希も特に拒むことなく彼の手を握り返し立ち上がった。
「あ、僕水泳部の模擬店に行きたいんだけど」
「水泳部?」
 去年他のメンツとは別に江に聞いた話によると、なんたらかんたら伝統のメイド喫茶だっただろうか。1,2年はメイド服を着て接客するのが決まりごととかなんとか。鮫柄に通いなおかつ水泳部に入っていなくてよかったと本当に思う。もしくは、岩鳶にそんな伝統がなくて、とも。
 水希は知り合いのメイド姿など見ようものなら顔を青くして口を押さえる性格をしているが、今の時間帯ならその知り合いたちはみんな休憩で、メイドたちはチラッと顔を見たことがあるようなないような、そんな輩ばかりだろう。
 断る理由はないか。水希はわかったと頷いた。貴澄は嬉しそうに目を細める。
「ところで水泳部の模擬店はどこでやってるのかなあ?」
「……」
 前途多難だ。

「おかえりなさいませ! ご主人様!」
 自分たちを迎えた野太い男たちの声に水希は全身の毛が逆立つ思いをした。えっ気持ちわ……ごほん。思わず出かけた言葉は咳払いでごまかして、半歩引き貴澄を盾にする。なにやら物珍しげにあたりを見回して、感嘆する貴澄は多分気づいていないのだろう。
 似合わないメイド服、とりあえず塗ったであろうチーク、スカート下の鍛え上げられた足。美しくないと思わず某後輩のような言葉が飛び出してくるところであった。
 ひとまず案内された席に座るが、店員が店員だ。落ちつかない。
「水希、何頼む?」
「ん……」
 タイミングよく机に、わざわざ向きを水希から見やすいようにメニューを広げた貴澄。気の遣い方が違うなあと感心しつつもメニューを覗き込み、水希は何を頼むか考える。
 メニューまでもとち狂っていたらどうしようかと思っていたがそこは大丈夫だった。貴澄は相変わらずニコニコしながらこちらを見ているが、もう決めたのだろうか。「おまえは」と水希が聞くと「僕はとりあえず飲み物」と貴澄が答える。やはり決まっているようだ。
 江といるときに何か食べようと思っていたが実行できずじまいだったので、メニューに並ぶ名前を追うだけでもくうと腹が切ない鳴き声をあげる。けれどもあまりのろのろとしていては貴澄に迷惑だろう。
「……ぷ、はは」
 急にふきだした貴澄に驚いて、弾かれたように顔を上げる。「水希」貴澄の声はどこまでも甘ったるい。
「ゆっくり決めていいよ」
「……」
「食べもので真剣に悩んでるなんて、かわいいね」
「すみません。注文お願いします」
 ぱたんとメニューを閉じそれで貴澄の頭を叩きつつ。水希はそばに来たメイド(♂)を呼び止めた。
 あははー照れ隠しだ。貴澄は防御の合間ににやにやとした笑みを浮かべる。もちろん言葉はとんだ爆弾なので、胸にとどめておいた。
 そちらのご主人様は、と問われて貴澄は危うく忘れかけていたオーダーを告げる。かしこまりました。ひらりとスカートを揺らして彼女(?)は去っていった。
(オレンジジュースとパフェかあ……)
 貴澄は頬杖をついてぼんやり遠くを見ている水希を見つめる。先ほどオーダーを聞いたメイドも意外そうな顔をしていたが、やっぱり誰から見てもギャップなのだろう。懐かない猫のような気高さとは裏腹――甘いものを好むなんていう、ちょっとかわいい一面。
 腹の虫が鳴いていたのでてっきりオムライスでも頼むかと思っていたが、歪みないといえば歪みない。自分もまた心を許されている人間なのだろう。なんの躊躇もなく目の前で大好きな甘いものを頼んで見せた水希にわずかに胸が踊った。これが少しでも溝のある人間だったなら、きっと水希はオムライスやらを頼んだに違いない。
 暗幕で仕切られた方から人影が見えると、ほんの少し水希の目が光る。
(すっごく楽しみにしてるし……。本当、かわいいなあ)
 貴澄の思考はこれに尽きた。数年前の獰猛な瞳を思わせない彼の表情に自らの頬が緩むのを隠しきれない。
 水希が頬杖を解いた。注文が運ばれてきたようだ。
「水希」
「ん」
「かわいいね」
 お盆にグラス2つとパフェ1つを載せたメイドがそれらを机に下ろす中、頬杖をついてニコニコと読めない笑みを自分に向けてくる貴澄に水希はひたすら怪訝な顔をして、「はあ」とはっきりしない返事。
 貴澄はまだニコニコとしたままグラスを取り、乾杯を促した。
「メイドが?」
 派手に音が鳴らない程度にとっとグラスを当て、付属のストローを紙袋から出しながら首を傾げる。
「鈍感」と己を悪態づくのが水希には聞こえた。
「水希が、だよ」
 それはあまりにも突然だった。貴澄の手が水希のネクタイを掴みぐんと思いっきり貴澄側に引き、水希は体勢を崩す。ばんっと派手な音を立ててテーブルに手をつき、パフェと飲み物が危ないとか、そちらに気を取られていた間に、ちゅっと。
「あんまり鈍いと、これ以上のことされちゃうよ?」
 唇に柔らかい感触、そう認識した頃には意地悪な顔をした貴澄が視界を占める。え、と声にはならず小さく口が動く。頭の中は真っ白だったが貴澄の唇がもう一度掠めたとき、水希は思いっきり彼を突き放した。
 それなりの力のある突き飛ばしに倒れこみそうになるのをなんとか抑え、貴澄は笑う。
「そんなに必死に拭わなくてもよくない?」
 シャツの袖で口を拭う水希へ向けて残念がるが、セリフとは裏腹表情はまったく傷ついていない。
「貴澄おまえ……」
「パフェ、食べないの?」
 今にも罵声が飛び出さんとした瞬間、貴澄はセリフをわざと被せて遮った。
 悪びれる様子のない貴澄。中途半端に席を立っていた水希も上り詰めた怒りがすうと引いていくのを感じ、ため息とともに座り直す。貴澄のは単なる悪ふざけ。自分だけ熱くなって、バカみたいだ。
「…………食べる」
 ほんっと甘いんだからって、貴澄が内心嫌な笑みを浮かべていたことは、彼本人以外知る由も無い。


 気づけば空の色はオレンジに変わっていた。
 水泳部の模擬店以外にもさまざまな模擬店を回り、お腹をずいぶん満たされたのと、さらにはちょっとしたゲームにも参加したので、今日だけで岩鳶から鮫柄までを数回往復している水希は疲れてきたようだった。
 半目になった水希を人の少ない休憩スポットまで連れていく時間など貴澄には与えられておらず、立ったまま眠りそうな勢いの水希を慌てて引っ張っていったのが、目の前で人の往来が行われるベンチであった。
 ベンチに座るや否や水希は貴澄の肩に頭を預け、完全に瞼を伏せる。置いてけぼりにならないようにと貴澄が繋いだ手は解かれることなくそのままだ。寝顔は天使。眠りの深い水希がちょっとのことでは起きないのをいいことに貴澄はポケットから遠慮なく自分の携帯を取り出す。目的は言わずもがな。
「すみません」
 と、正面からかかった声に貴澄は動作を止めた。貴澄の視線の先には本格的なカメラを首にかけた男がいる。白ランは、鮫柄の生徒であることの証明だ。
 自分が写真部であることを告げた彼は、貴澄と水希を被写体にさせてほしいことも告げた。断る理由もないので貴澄は二つ返事で頷く。もし水希が起きていたら嫌がっただろうなあとも思いつつ。
 ポーズも視線もいらないから自然にしていてほしいとのこと。そう言われると逆に肩に力が入りそうだったので、水希の寝顔を見て紛らわすことにした。
 今まで意識することはそれほどなかったが、綺麗な顔をしている。これがあんな殺人鬼のような目をして見せるのだから世の中不思議なことだらけだ。
 カシャカシャと何度かシャッターの下りる音がして、「ご協力ありがとうございました」とお礼を残して彼は去っていく。貴澄はそれを受け取りひらひらと手を振った。何も言わずに勝手に撮ればいいものを、今時礼儀の正しい人もいるものだ。捨てたものじゃない。
 さて、と貴澄は再び携帯を操作して横で眠る水希を絶妙な角度でカメラに収める。これはきっと水希本人やその他数名を揺するのに利用できるだろう。特に、図体の割りに怖がりなあの人や、鯖に目がないあの人とか。この先のイタズラを想像するとおもしろくてつい笑ってしまった。
 そろそろ自分も帰らなければいけないのだけれど眠る水希があまりにも優しい顔をしているので起こすのは気がひける。どうしようかなあと悩んでいたところに、わいわいと賑やかな集団が近づいてきた。それも、声は聞き慣れたものだ。
「凛、真琴!」
「貴澄?」
 先頭を歩く2人の名前を呼ぶ。そうすれば自ずと他の視線もついてくるわけで。真琴と凛は貴澄に近づき、横で眠る水希を見て首を倒す。凛はともかく、江についていたはずの水希がここにいることを真琴は不思議がっているようだ。
「水希……?」
「ああ。疲れちゃったみたいで」
 それはなんとなくわかるのだけれど。真琴は眉を八の字に下げた。
「似鳥がうっかり江に水をかけた後、江のこと家に送ってた」
 それは貴澄も知らなかったことだ。へえと興味深く頷く。
 横から補足をいれた宗介はそっぽを向いている。真琴も納得したようで、ふにゃりと笑った。
「おい、アイ……」
「ごごごごめんなさああい!」
 この際横で起こっている争いにはツッコミを入れないでおく。
「水希ちゃん、手ぇつないで寝てる! 子どもみたいだあ!」
 誰もが触れないでおいたことを渚が大きな声で指摘した。もちろん渚に悪気があったわけではないのだが、みな険しい表情の遙に気を遣って言わないでおいたのだ。しかし遙の後ろにいる渚には彼の表情なぞ見えなかったのだから仕方がない。
「渚くん!」と怜が彼の口を覆ったのだけれど、時すでに遅しというやつだ。
 今返しにいく途中であった水鉄砲の中にはまだ水が入っている。遙はそれをすっと構えて銃口を水希に向けた。真琴が慌てて待ったをかけるがこれもまた間に合わず。
 ぱしゃんと音を立てて水希に水がかかる。横にいる貴澄は無傷なのでここは遙の器用さを褒めるほかない。
 これにはさすがの水希も目が覚めたのだろう。シンとした空間の中でゆらりと水希の瞼が持ち上がるのを、遙以外は緊張した面持ちで見守った。
「起きたかブラコン」
 些か寝ぼけ眼ではあるが、水希はしっかりと遙を睨みつけている。その彼の膝の上に一丁の水鉄砲が投げられた。それにもまだ水が残っている。
 ふっと顔を上げると宗介と目があった。なるほど。覚醒しきらない頭で納得し、そいつを手に取ると、ふらり、立ち上がる。構えた先の狙いは遙だ。水希はトリガーに手をかけ、
「……やっぱいいや」
「?!」
 すっと水鉄砲を下ろした。水鉄砲を渡した本人である宗介を含み大勢が意外だと目を丸くする中、真琴はくすくすと笑う。長年の付き合いだ、水をかけたところで水ラブ! な幼なじみには何の仕返しにもならないことを水希はわかっていたのだろう。
「どうして撃たない?!」と水希の肩を掴み揺する遙を鬱陶しそうに払う水希。後輩たちはケラケラと笑っている。
「貴澄、ありがとう」
「ううん。僕も楽しませてもらったから」
 よっと立ち上がり、貴澄はすぐ横で揉める水希たちを見る。結局水希が折れたようで、水鉄砲に残る限りの水を雑ながら遙に向けて発射していた。遙は何度も水を浴び、嬉しそうだ。「ヘンタイかよ」と、多分水希の口はそう紡いだ。
「宗介」
「あ? ああ、サンキュ」
 水鉄砲の水が尽きたところで昇天する遙を放り、水希は本来の目的である紙袋を宗介に渡す。
「なんすか、それ」と百太郎が興味津々といった様子で中身を覗き込むので「俺の白ランだ」と宗介は教えてやった。予想どおり、百太郎はつまらなそうにして離れた。
「水希先輩、ゲームに参加していないのにびしょ濡れですね」
「ほんとにな。災難だよ」
 うんざりと肩を落とした水希。怜はくつくつ笑う。「こうなるなら着替えなきゃよかった」と水希はぼやく。
「まあまあ、これからのキャンプファイアで水希ちゃんも一緒に乾かそうよ!」この中で意外にも一番濡れている渚が水希の背中を叩いた。
「貴澄」
「ん?」
「いろいろありがと」
 橘兄に引き続き弟にもお礼を言われた貴澄はちょっとだけふきだして、ひらりと手を振った。これでお暇だ。
「あ、そうだハル」
「?」
 それぞれの道を歩き出した時、少し出遅れた遙の肩を、思い出したように貴澄がたたく。不思議そうに貴澄を見る遙に、彼は一言。
「水希の唇、柔らかいね」
 これは仕返しだ。根に持っていたのかと呆れられるかもしれないが、凛といた自分にわざと水をかけた遙への、ささやかなお礼。
 はっと裏返った声は「ハルいくよー」という真琴の声でかき消される。追いかけないわけにはいかない。けれども自分を呼ぶ彼らを待たせるわけにもいかない。そうこうしているうちに貴澄の背中は小さくなり、しびれを切らした真琴が横に戻ってきた。
「ハル? 何か言われた?」
「……いや」
 くるりと向き直すと、なぜか宗介に頬を摘まれている水希がいる。なにか余計なことを言ったのだろう。
 貴澄と「なにか」あったのか。事実確認は後だ。遙は徐に水鉄砲を持ち上げ、水希の背中を狙う。「ええちょっと! ハル?!」横で真琴が慌てるので気付かれたではないか。振り向いた水希は水鉄砲を構える遙と慌てる真琴を見て――――かしょんと切ない音を遙と真琴は聞いた。どうやら水切れのようだ。
 ――ばあか。
 知っていたのだろうか。水希の口は確かにそう紡いでいた。


 文化祭の後日、鮫柄学園の昇降口付近のホールには多くの写真が貼り出されていた。数日経てば剥がされてしまうそれらは写真部が撮ったものだ。空を写したものやそれぞれの部活の活動風景、メイド服の水泳部だって見られた。ところどころ見られる紙に、気に入った作品に投票お願いしますと書かれている。
 ぼんやりだが鑑賞しながら宗介と肩を並べて歩いていた凛に、どんと衝撃が走る。「おはようございます、凛先輩、宗介先輩!」振り向く間も無くとんできたこの声は、かの後輩、御子柴百太郎のものだ。「百くーん!」と彼を呼ぶ愛一郎の声も遠くからする。
「危ねえだろ!」と凛が怒るのをよそに、視線を低くした百太郎だからこそ、その写真に気がついた。
「これ、水希さんじゃないですか?!」
「はあ?」
 これこれ、と百太郎が指差す写真を見るために凛と宗介は身を屈める。タイトルは『親友』。これと同じ風景を凛は己の目で見たのを思い出した。
 貴澄の肩に頭を預け安心しきっている水希、それを穏やかな目で見る貴澄。確かに親友という題は相応しい。夕日に照らされているのがまた、幻想的で。
「ハルが怒りそうだな」
「……だな」
 横の宗介が笑うので凛もつられて笑った。話の読めない百太郎は、どうしてですかと聞くのだが、2人が教えてくれそうにないので、ちえっとそっぽを向いた。
「あ、これ投票できるんすね! 俺これにします!」
 ピョンと跳ね、百太郎は楽しそうに笑う。「あれじゃなくていいのか?」と宗介が指さすのは――メイド服の百太郎が写っているものである。
 百太郎が宗介の胸ぐらを叩くのを、凛は声を抑えきれずに大声で笑った。遅れてやってきた愛一郎が不思議そうにする。それからまた、かの写真を見つけ、顔をほころばせるので、これはタイトルを含み写真に撮って遙に送ってやるかと、凛は携帯を取り出した。