午前中図書館で調べ物をしていた水希はお腹がぐうと唸ったので、調べごとのきりもいいし一旦腹ごしらえしようと近場の飲食店に入った。
 水希が入店したときはまだそうでもなかったのだが、オーダーを終え食べ物が運ばれてくるのをぼうっと待っていると、どんどん人が集まり始め、しまいには順番待ちの列ができるほどに店内が込み始めた。
 集団の学生だったり、スーツ姿の男性だったり、さまざまだ。
 水希は暇つぶしにお冷を口に運ぶ。
 と、その時ウエイトレスが一人やってきて、申し訳なさそうに眉を下げながら言った。
「すみませんお客様。相席、よろしいでしょうか」
「あ。はい」
 混み合った店内の2人席に1人で座っているので必然的に声をかけられたようだ。
 相席なんて願われたのは人生で初だったが、水希はいろいろ考えるよりもまず先に返事をしていた。
 やはりすまなさそうな顔をして、ウエイトレスが頭を下げる。水希もつられて畏まった。
「1名様、こちらへ」
 ウエイトレスが案内する、自分と相席することになったお客と言うのは一体どんな人だろうかと、どの道そうはなるのだが、相手の顔を見ようと水希はジッと奥の方を見た。
 それで、ゆっくりとこちらに向かってくる人間に、どこかで見覚えがあるとぼんやり思い、はっきり見える距離まで相手がやってきて誰なのかわかった途端、いやいやいやそんなまさかと心内口をひきつらせた。
 相手も気付いたようで驚いたように目を丸くする。
「注文が決まりましたらお呼びください。ではごゆっくり」
 軽く礼をしてウエイトレスは去っていく。
 この場に残された2人の間には気まずい空気が流れた。
「……とりあえず座れば」
 嫌な顔をして自分を見ている宗介には聊か腹が立ったが水希は顎で自分の前の席をさした。
 宗介はやっとあきらめがついたのか、深いため息をついてイスをひく。
 水希はどうしてそんな態度を取られなければならないのかと不満でいっぱいだったが変に突っかかっても面倒なので、目の前の宗介を気にしないように、また水をのどに流し込んだ。
「……とんでもねえな」
「……」
 偶然だな、と言いたかったのだろうか。水希は宗介ではないので彼の言葉が嫌みなのか何なのか判断がつかない。
 あまり気乗りしない、というのを露骨に表わしてくる宗介に水希の機嫌はゆっくりと右下がりしていく。
 ついつい反応して「凛じゃなくて悪かったな」とか言ってしまいそうになった。
 どうしてかは知らないが、水希は自分が宗介にあまり好かれていないことを随分と前から理解している。
 中学生のころあたりからそうだったので特に気にしてはいなかったが、いざ、こうも間近で嫌悪されるとやはり気分が悪い。
 軽率に相席を許可すべきではなかったか。本当、後悔という言葉はよくできている。
 とはいっても気まずい空気が流れるのは宗介の露骨な態度だけが原因ではない。
 それこそ貴澄のような剽軽さが水希にあったならば、こんな居心地の悪い空気軽くいなせたに違いない。
 水希も水希でまた、宗介が苦手だった。
 悪い奴でないことは凛の話を聞くにわかるのだが、常時鋭い眼差しとか真琴よりもガッシリした体格とか、纏っている雰囲気とか。とある2つについては誰かが聞いていればお前が言うなと言われそうだが、とにかく簡潔に言ってしまえば、水希にとっての山崎宗介とは、何を考えているのかよくわからない人で己にも相手にも厳しい人、だ。
 言うまでもなく水希からみた印象なので正しいとは言わない。
 ――蛇足かもしれないがさらに簡潔にしてしまうと「山崎宗介=強そう」である。
 ゆえに水希は変に宗介と距離を置くわけにも、喧嘩を吹っ掛けるわけにもいかないのだ。
 また2人がこの微妙な距離を続けているのは、松岡凛という共通点があるからでもある。
 友人の親友、親友が気に入っているヤツ。
 それを安易に粗末にするわけにはいかない。なんとも不毛な関係だ。
 何の会話もないのが非常に重々しく感ぜられる人間がいるというのもまた珍しいんじゃないかと、そんな現実逃避に走りつつ、水希は宗介にメニューを渡した。
 それだけの動作でも気が重かったのだが、なにしろ他にすることもなければ、メニューは宗介の取りにくい位置にあったので、しようのないことだった。
 宗介はといえば、まさか水希がそんな気を自分にきかせてくるとは思ってもみなかったので、随分驚いたような顔をした。が、すぐにいつもの面構えに戻って、素っ気なく礼を言ってそれを受け取った。
 本当、貴澄なり真琴なり、凛はいうまでもなく、この際渚でもよい。
 誰か他の人がいたならばもっとマシな空気になっていたのだろう。
 水希と宗介が会話をすることはまずないとしても、気をきかせてどうにか場の雰囲気を保たせてくれただろうが、残念なことに、ここにいるのは水希と宗介だけだ。
 偶然は2度続けては起こってくれないようで、来る気配もない。
 飯がまずくなりそうだと水希は心内ぼやき、また頬杖をついた。
 メニューを下げた宗介がジッと水希に視線を投げる。
 水希はどうして急に睨まれているんだと不機嫌になったが、そういう無口な視線をうまく察することはどこかの寡黙な幼馴染さんのおかげで長けているようで、やはり宗介の手が届きにくい位置にある呼び鈴を押した。
 この席、物の配置を変えた方がいいと思う。
「お待たせしました」
 セリフとは裏腹すぐにやってきた店員に宗介がメニューを指さしオーダーする。
 水希は彼が何を頼んでいるのかなんて興味がなかったので相変わらず店内のどこともいえない場所に視線を飛ばしていた。
 オーダーを受けたウエイトレスと入れ違いでトレイに食器を乗せたウエイトレスが水希たちの席の前に立った。
「ミートドリアでお待ちのお客様」
「げ」
 宗介の謎の反応に、水希もウエイトレスも不思議そうに彼を見た。
 宗介は心底嫌な顔をしてそっぽを向いている。
 水希はとりあえず「俺です」と軽く手を挙げた。
 自分の前に食器が置かれ、「お会計の時にお持ちください」と伝票がくるりと巻かれスタンドに入れられる。
「さっきの、なに」
「……なんでもねえよ」
 何でもないって、何でもないことはないだろうにと思ったが水希は余計な追及はせず、おしぼりで手を拭いて、料理がまだな宗介なぞ構うことなくフォークを手にした。
 そこに会話なんてなかったが、周りがうるさいのと次第に慣れてきたのとで水希は重たい空気があまり気にならなくなっていた。
 食べ物を3度4度口に運んだぐらいだろうか、ウエイトレスがまたやってきて、今度は宗介の注文した品を置く。
 と、そいつが今自分の食べているものと全く同じものであることに気づき、水希は先ほどの宗介の反応を理解した。
 なるほど、自分と同じものをオーダーしたのでまずったと思っていたのか。
 宗介は変わらず無愛想にしていたが、水希は何となく彼に親近感を覚えた。
 単純だと罵られるかもしれないが、同じものを頼んだ、ということで少しは気が合うのではないかと思ったのだ。
「……山崎」
「あ?」
 勇気を出して、とつけてしまえばバカらしいが、水希は意を決し宗介に話を振ろうと声を出した。が、その反応が案の定だったので水希が用意していた言葉は腹へと嚥下され、代わりの言葉がぽーんと。
「今日は凛といないんだな」
 ぽーんと、飛び出てしまったのである。
 喧嘩腰(ではないのかもしれないが)で来られてしまうと安易に買ってしまう自分が恨めしい。
 しかし言ってしまった手前撤回もできないので水希はただ宗介の返事を待った。
「いつも一緒ってわけじゃねえよ」
「……あっそ」
 宗介がここに来るに至ったのはこの近くにある店に用事があったからなのだがそんなこと水希に伝える義理はないだろう。
「そういう橘こそ、七瀬と一緒じゃないんだな」
 返事を待ったとはいえど、多分無視されるだろうと思っていたので水希は意外だと心内思ったのだが、宗介の思わぬ反撃に器用に片眉を動かす。
 七瀬とって、なんだ。七瀬と、って。
「俺とあいつがいつも一緒みたいに言うな」
 あたかも遙と自分がセットであるかのように言われて癪に障ったのだ。
「は? いつも一緒だろ、昔から」
「いつもじゃない」
 はっと鼻をならせば存外噛みついてくる水希に、意外だと宗介は感じた。
 遙のように無愛想にかわされるか、クールな態度をとられるかとばかり思っていたので、そうもムキに、子供みたいに反論されるとなんだか自分の中にある大きな氷が解けていくような気さえした。
 というのも、宗介の中の水希のイメージ像と言えば、気に入らない相手は暴力で手なずけ(すぐに足が出る水希を見たことがある故の印象だ)、オブラードに包むという言葉を知らないかのような発言ばかりをかまし、常時不機嫌そうにしている、手に負えない子供だ。
 いくらか凛のフォローもあったが宗介の中のそいつは未だ崩れずにいた。
 しかしどうだ、水希は宗介に一般的な気遣いはできるようだし、案外からかうとおもしろい反応をみせてくる。
 その程度がどれくらいなのかははっきりとしないが、だいぶ、宗介による水希への好感度はマシになった。
「よく言う。二言目には『遙』って言ってるくせにな」
「はあ?! どの俺を見てそんなことが言えるんだよ!」
「合同練のとき」
 遙との話になるとどうしてそこまでムキになるんだろうかと聊か疑問に思いつつもせっかく見つけたからかい相手をムダにはしたくないので続ける。
 水希は素直に宗介の言葉から過去を思い起こしているのか、少しの間無言になり、「……いや、ないわ」と首を振った。
「俺、そんなに遙のこと呼んでない」
「無意識ってやつだろ」
「…………」
 今度こそ水希は黙り込んだ。
 無意識、と言われると何となく説得力がある。
 自分は知らぬ間に指摘されるほど遙の名前を呼んでいて、遙と一緒にいて――傍から見るとそうなのだろうかとなんだか不安になってきた。
 一方の宗介はここに来た時とは打って変わって随分機嫌が良かった。
 なんだろうかこの、いつも強気で生意気でいる相手を打ち負かしている感は。ずっと優位に立って見下ろしている、この感じ。
 この男、ただのクソ無愛想ないけすかないヤツだとばかり思っていたが、からかいがいがあって、案外可愛いヤツなのかもしれない。
「知らない間に七瀬に依存か?」
 その言葉に水希はピクリと反応を示したが言い返せば負かされるだけだとわかっているようで、無言でフォークを動かした。
 もともと自分が原因なのだが、こんなことになるのなら口を動かさなければよかった。本日2度目の後悔だ。
「無視するなよ橘」
「……」
「橘」
「……」
 頑なに水希が返事をしなくたって、前のように宗介が不快に思うことはない。それどころか返って、どうやってこちらを向かせてやろうかと口角をあげる余裕さえあった。
 こいつの下の名前、なんていうんだったかと宗介は口をもぐもぐと動かす水希をジッと眺め――ああそう言えば凛が言ってたなと潔く思い出し
「水希」
 と、水希の名前を呼んだのである。
 水希の手から滑り落ちたフォークが、カランと音を立ててテーブルの上でふらふらと揺れる。
 水希は唖然とした表情で、驚きの隠せない眼差しで宗介を射抜いた。
 その目には、宗介の勝ち誇った笑みが映り、ふつふつと、怒りからと羞恥からと器用にも異なった熱を沸かせる。
 こいつ、思った以上にヤなやつだ。
「……名前で呼ぶな」
 キッと宗介を睨める水希なんかは懐かないネコみたいだ。
 都合良くも幾らか前に凛が「意外と構いたくなるヤツだぜ」と笑いながら言っていたのを思い出して、その時は否定したが、確かにそうだと、宗介は今だからこそ頷けた。
「動揺しすぎだろ。名前で呼ばれたぐらいで」
「ほっとけ」
「俺が勝手に話しかけてるだけだ。イヤなら答えなければいいだろ?」
「……」
 むかつく、と口許を確かに動かした水希が視線を落とした。その姿は何とか打開策を見つけようと悩んでいるようにも見えた。
 宗介の笑みはなおも消えない。頼んだ食事に未だ手がつかず、しかもそれが冷えてきたように思えるが、そんなことが気にならなかったのだ。
「水希」
「、」
 不意を突いたわけじゃない。話の延長戦で、彼の名前を口にしてやっただけだ。
 ある程度読めていたものだろうに、ピクと指を動かした水希に宗介が思わずふきだす。
 肩を揺らして笑っていれば身にヒシヒシと感じ取れる嫌悪のオーラに、これは随分と嫌われたものだなと、水希とは対照的に宗介の気分は穏やかだった。
 しばらく――最低でも食事が終わるまでは、愉快な時間を過ごせそうだ、なんて。