橘家では、基本ケーキを買わない。なぜなら家に自分から好んでそれを作る人がいるからである。
 手作りするとなると材料にお金がかかるので市販のものを買う余裕がなくなる、ということもあるが、水希の作るお菓子に滅多に外れはないので(というより外れはまったくない。本人は否定するが)、わざわざ買うまでもないのだ。
 クリスマスにしろ、誰かの誕生日にしろ、ケーキが登場するイベントの前日、乃至当日には、必ずといっていいほど水希が台所に立ち、何かしら、器材を扱っていた。
 それは11月のとある日も例外ではない。


 真琴が一日中うずうずしていたのに対し、水希は至って冷静だった。
 おめでとうとかけられる声にも、素っ気なく返すだけで、特段誕生日を喜んでいる様子はなかった。
 相変わらず淡白だなと遙が呆れたのには、「俺の誕生日っていうより、真琴の誕生日って感じが強くて」とやはり自分のことに関してはどうでも良さそうな態度だった。
 毎年水希はそういう態度なのだが、なんとなく、遙は水希に「おめでとう」を言えずにいた。
 改めて伝えることにむずむずとしたかゆい感覚はあったのだけれど、真琴には今年も言えたのだ。
 けれど、その弟には言えないでいた。
 さておき、そんな淡白で誕生日に無関心な(くせに真琴の誕生日だという意識は怖いほどあるらしく、今日は随分と真琴に優遇している)水希でも、クラスメイトにお菓子を渡されたときはどこか嬉しそうにしていた。
 もちろん遙は、現金なやつだと心内皮肉った。
「真琴、今年も作ってあるのか?」
「うん。昨日の夕飯後ぐらいから台所に立ってたよ」
 クラスメイトにもみくちゃにされていた中からやっと抜け出した真琴に遙は声をかけ、その問いに真琴は詳しい説明なんてものは求めず即座に答えて見せた。
「今年はショートケーキだよ。ハルも来るよな?」確か去年はチーズケーキ、一昨年はチョコレートケーキだっただろうか。
 お菓子作りのことになるとムダに器用で凝ったものを作る水希を思い出して遙は少し目を細める。
 真琴の提案――というよりは命令……と言うと堅苦しいが、ともかく彼の一言は決定事項である様子であったが、その一声に、遙は返事代わりチラリと水希に目配せをした。
 彼は何やら、遙の見覚えのない同学年の生徒にメジャーなお菓子を渡されている。
 わかりやすすぎるぐらい、嬉しそうにしている。
 遙の視線に気づく様子は微塵にもない。
「……俺も行っていいのか」
「なんでそんな今さら畏まってるの? むしろ来ないと違和感があるよ」
 そうだなとそっぽを向く遙に対し、真琴は少し肩を揺らした。
 真琴の言葉通り、遙は毎年霜月のこの日、橘家から常に夕食の誘いを受けており、断る理由もないのでその都度足を運んでいた。
 橘家で盛大な誕生日会が開かれているというわけではなく、普段より少し豪華な夕食の後、ろうそくの立ったケーキがテーブルに置かれるだけであまりサプライズ的要素はない。
 去年は末っ子である蓮と蘭が、母に協力してもらってマフラーを編んでいた。
 あの弟妹は今年、何を用意しているのだろう。
 そんなことをふと思い、遙はなんだか落ち着かない気持ちになった。
「俺、なにも用意してない」
「それこそ今さらじゃない? 祝ってもらえるだけで嬉しいってやつ。別に、俺も水希も、何もいらないよ」
 真琴はそう言って穏やかに笑うが、遙の気持ちは依然晴れなかった。
 確かに遙は去年も一昨年もこれといったプレゼントを用意しなかったが、弟妹に不格好なマフラーを渡されて優しく微笑んでいた水希を思い出し、加えて、今、ああやってクラスメイトにプレゼントを渡され嬉しそうにしている水希を見ていると、なにも用意していない自分がどうもいたたまれなくなったのだ。
 真琴の言葉に嘘偽りなどないのだろうが、頭が理解しようと気持ち的な面では腑に落ちないでいた。
「あれ? そういえばハル、水希におめでとうって言ってないよな?」
「……」
 遙は不機嫌になって視線を落とした。図星だ。しかも、言われたくなかったことだ。
 まさか本当に言っていないとは思わなかったのか、真琴が驚いた顔をして「早く言ってあげなよ」と眉を下げる。
「水希はハルに言われたときが一番嬉しそうな顔してるよ」どこか後押しのようなセリフを受け取ったものの、いまいち気が進まない。別に悪いことを言うわけではないのに一旦機会を逃すとどうしてか口を開けないものだった。
 そんな遙の心情を察したのか真琴は無理強いすることはなかった。
「ごめん、真琴、遙。待たせた」
「ううん。大丈夫だよ」
 やっと同級生からのお祝いが終わったようで、腕いっぱいに市販のお菓子を抱えた水希がやはり普段と変わらない表情で戻ってくる。
 先ほどお菓子を受け取る際に見せていたほのかな笑みはどこにいったのだろう。
 彼が受け取ったプレゼントがどこか去年より増えているように見えて、遙はますます胸にどんよりとしたものを抱えた。
 自分は、なにも用意していない。
 責め立てられたわけでもねだられたわけでもないのだが、気分は重たい。
 なんだかんだで水希はちゃんと友達がいるようだ。
 長い間幼馴染をしている遙もわかっていることだが、水希は不器用なので第一印象こそ悪いものを与えがちだが、懐に入ると案外気が置けないやつである。
 口の悪さもつっけんどんな態度も、慣れてしまえば犬の甘噛み、猫に尻尾ではたかれるぐらいの、むしろ可愛いものとなる。
 そういうのを知った同級生が、たったの1年で片手の指では足りないぐらいに増えたのだろう。
 まるで餌付けだなとカバンにお菓子を直していく水希を見ながら遙は思った。
 ああやって甘やかされて、安易に許容範囲を拡大してしまうのだろう。
 バカにされているとはつゆ知らず入りきらない分は真琴が受け取った紙袋に入れている。
「そんなに食べたら太るぞ」
 つい口からこぼれ出てしまった言葉は、八つ当たりであった。
 登校前より随分と膨らんだエナメルバッグを肩にかけた水希がきょとんとした顔で遙を見た。
「さすがに俺一人では食べないよ」
「真琴にでもやるのか」
「まあ、それもあるけど。ほとんどは蓮と蘭で――あと、昼に渚たちとご飯を食べるときにも持っていこうかなって」
 自分がもらったものだから人には渡したくないとかいう欲は、意外と水希にはない。
 ふいと顔をそらす遙を水希は不思議そうに眺めていた。
 ちょいちょいと2度、真琴に催促の小突きをくらったのだが、遙の口はすんなりと開かない。おめでとうの5文字がどうしても出てこないのだ。
 口をもぐもぐ動かして、けれど声にはならない。
 そうこうしているうちに焦れた水希が「早く帰ろう」と教室の出口に向かってしまい、遙は真琴のため息とともに、一段と強い力で腕を突かれた。
「そんなに難しい? 見てるこっちがじれったくてたまらないよ」
「……ほっとけ」
「どうしても無理そうなら、メールでもしたら? 多分、気付くのは1週間後ぐらいだろうけど」
 この間水希の携帯を開いたら真っ暗だったし、と暗に電池切れのまま携帯電話が放置されていることを示唆した真琴が水希の後を追うのに遙も続いた。
 教室と違って肌寒い廊下で2人を待っていたので、カッターシャツの下のヒートテックを伸ばし手先までを覆っていた水希が、遅いぞと言わんばかりの目線を彼らに送る。
 真琴がごめんごめんと軽い調子で謝る。
 水希はそれが普段通りなのだが、特に返事をせず足を進めようとして、ふと思い起こしたことがあったのか、くるりと遙を振り返った。
「今年、ショートケーキだから」
「……真琴に聞いた」
「あ、そう?」
 遙の答えに首を倒した水希は他に言うことはないようでまた前を向いて、真琴たちと距離が開き過ぎないようにか、幾分ゆっくりとした歩調で歩きだした。
 自分の横で肩を揺らす真琴を睨むと、先ほど水希に謝ったときのように、ごめんごめんと言われる。
「なんか、ハルはどうするか迷ってたのに、水希の中ではハルが来ることが決定事項になってるのがおかしくって」
「……おもしろくない」
「そんなに怒るなよ」
 遙は言い返そうとして――途中でやめた。代わりに疲れた息を深く吐き、もうずいぶん前に行ってしまった水希を追いかける。
「待ってよ、ハル、水希」後ろから聞こえる声は、まだ笑いが消えきらないでいた。
「水希」
「んー」
 駆け足で水希のもとまでやってきて肩をたたくと、どことなく機嫌のよい返事をされる。平生なら視線だけくれるくせに、一体どうしたのだろうか。
 遙はその疑問を隠すことなく「どうしてそんなに機嫌がいいんだ」と直球に水希にぶつけた。
 訝る遙の目に水希は2,3度瞬いて、「真琴の誕生日だから」と目を細めて言う。
 その表情の穏やかなことときたら、遙が言葉を失うぐらいであった。
「……水希も誕生日だろ」
「うん、そうなんだけどさ。なんか主役は真琴って感じ」
「朝も聞いた」
 呆れて言えば、そうだっけとおどけて返される。
「俺、自分が祝われてるのよりさ、真琴が嬉しそうな顔をしてるのを見る方がすごい好きなんだよね」
「……」
「遙の誕生日も、そんな感じ。やっぱこう、いいよなあ、おまえらの嬉しそうな顔見んのって」
 思い切って言う気で彼の肩をたたいたのに、そんなことを言われてはますます水希におめでとうを言いづらくなって、遙は口ごもった。
 並んで歩く足が重くなる。
 そういえばなかなか自分たちに追いつかない真琴は、どうしたのだろう。
 振り返ろうとした矢先、水希に声をかけられたので、不発となる。
「俺、真琴にイヤホン買ったんだけど、遙はなんか用意してんの?」
「……いや」
「あはは、おまえらしい」
「やっぱり、必要だったか……?」
「いや? あった方が不自然だったと思うよ。俺も、真琴が『イヤホン壊れたー!』って大騒ぎしてなかったら買わなかっただろうし」
 そんなことがあったのかと遙はつい笑った。
 大騒ぎする真琴も、それをしれっとした目で見つめる水希も、安易に想像がつく。
「――やっと笑ったな」
 ふ、と柔らかく口許に弧を描いた水希。
 遙は彼の言葉にきょとりと、口を小さく三角にして見せた。
「おまえ、今日、一日中不機嫌そうだったよ」
「……一日中って。水希、俺のことそんなに見てたのか」
「……なんか改めて言われるとやだな…………まあ、見てたけどさ」
 水希は眉間にしわを寄せてそっぽを向いた。
 真琴と同様、朝から放課後まで、わんさかと人に囲まれていた水希が自分を見ていたことになんか遙は気付かなかった。
 遙だって水希をずっと見ていたはずなのに。
 祝われてほんの少し口を緩める彼を、見ていたのに。
 妙な沈黙を切り裂きように、こほんとわざとらしく咳払いして水希は元の長さに戻ったヒートテックをまた伸ばして手先を隠す。
「なんかあったのかなって気になってたけど。よかった。ちゃんと笑えるじゃん」
 遙は思わずぴたりと足をとめた。
 つられて水希も足を止め、どうしたのかと遙に声をかける。
 じっと遙の瞳の奥を覗き込む水希。
 2人の間に流れたのは、そう長くなく、そう重くない沈黙であった。
「……えっと……水希」
「なに?」
「……誕生日、おめでとう」
 たくさんたくさんためらっていたわりに、僅かに閊えはしたが、すんなりとその5文字を遙の口は紡いでいた。
 返事を返さない水希を窺うように目を泳がせると、呆気にとられた緑色の双眸が遙を見つめている。
 そこに窺えた色はと言えば、本当に何も身構えておらず、不意を衝かれているのが明白だった。
「…………あ、おう……ありがと」
 水希が返事をするまでに随分と長い時間がかかったような気がした。
 水希はどぎまぎとした様子でぽつぽつと言葉を紡ぎだし、語尾は次第に自信なさげにしぼんでいった。
 機嫌が悪くなったのではない。むしろその逆であることを、遙は理解していた。
 ――「水希はハルに言われたときが一番嬉しそうな顔してるよ」――不意に真琴の言葉が遙の頭をかすめる。
 あの真琴が言うのだから間違いないだろうとは思っていたが、とはいっても、そんなあからさまに他とは違う態度を取られ、不器用な照れ隠しをされると、俯いた横顔にこっそりと見えるにやけを抑えるように固く結ばれた唇を見せられてしまうと、遙は次に構えていた言葉なんてものを簡単に失えてしまえたし、自ずと目元を和らげ、口を緩ませてしまった。
「照れてるのか」
「……」
「誕生日には興味ないんじゃなかったのか?」
「……うるさいな」
 からかいにかかってきた遙を雑にあしらい、水希は小さな声で「遙のは、別」とこぼすと、また足を動かし始めスタスタと逃げるように歩いて行った。
 小さな声だったが、遙にはバッチリと聞こえており、水希とは逆に、遙は動きだせないでいた。足は棒になってしまったようだった。
「言えた?」
 ぽん、と肩に手を置かれ遙ははっと我に返った。
 横を見ると、どこかにやついた真琴がその表情を裏切らず、からかうような調子で遙にどうだったのかと返事を促す。
 なかなか追いついてこないと思えば、こいつ、遙が水希におめでとうを言えるまで、わざと距離を取って歩いていたらしい。本当、余計なお世話というか。でも、助かったのだけれど。
 答えてやらなくたってわかっているくせに。
 遙は文句の代わりに真琴を睨む。
「……不意打ちくらった」
 遙のぼやきに真琴は耐えきれずふきだした。
 どうせついでにからかってやったところ遙は特別云々、水希に言われたんだろうなと、誰よりも近い位置で彼らのことを見守っている真琴には容易に想像できてしまったのだ。
 遙は腑に落ちない顔でいたが真琴を責めても意味がないので、これまた文句の代わりに「お前にイヤホンを買ったっていってたぞ」と報告してやると、真琴は笑いを引っ込めて、意外そうな顔をした。
「……俺がイヤホン壊したとき、『壊れたぐらいでうるさいんだけど』って鬱陶しそうに言ってたのに……」
 今度は遙がふきだした。
 水希に雑な扱いを受けてしょんぼりする真琴なんて、簡単に浮かんでしまったのだ。
 真琴が笑うなよと文句を言う。
 けれど遙はそんなものは軽くいなして、まだどこか笑いの抜けきらない様子で「早く追いかけるぞ」とだいぶ先を歩く水希の方へと、真琴の返事は聞かずに走りだした。
「待ってよ」と声を上げる真琴も、今度こそ足音を立てて2人を追いかけた。

Happy birthday ;) Nov. 17th, 2014