13時。いってきますと元気よく出かけた弟たちを送り出してから10分ほど過ぎたころ。
「やっぱり俺も作るの?」
 キッチンには胸当てつきのエプロンを着用した真琴と、胸当てのない丈の長いエプロンを着衣した水希が立っていた。
 ちなみにどちらも暗めのブラウンだ。
 水希は透明なボウルを3個抱えたまま不思議そうに真琴を見て「当たり前だろ」と言うと彼にうち一つを手渡した。
 真琴はどこか渋々とそれを受け取る。
「俺、作れないよ?」
「俺が教えるって言ったじゃん」
「そうなんだけど……」
 歯切れ悪い真琴を気にも留めず、水希は冷蔵庫から出しておいたバターをボウルに滑らせた。もちろん、自分のだけではなく真琴のにもだ。
 10月31日、それが今日の日付だ。お察しの通りハロウィンである。
 真琴も水希もハロウィンだからといって特に何の予定もなかったのだが、小学生の弟妹は今日、子ども会のイベントで、15時ごろまではみんなでお菓子を作り、それから仮装をして地域の家を歩いて回るのだという。
 言わずとも「トリックオアトリート」のセリフと一緒にだ。
 昨日2人が何度もその練習をしていたのを水希は見かけている。
 集まりには水希も連れて行かれそうになったが、蓮が「水希にいちゃんのお菓子も集めに来るから」と言ったことにより免除。
 弟妹は母とともに集まりに言った。
 代わりに水希はお菓子を作らなければいけなくなったのだが、仮装した子どもにまぎれて歩くことは避けられたので良かったと言えよう。
 お菓子作りにおいて、得意な水希は別にいいのだ。
 しかしあまり馴染みのない真琴は、なぜか自分まで作ることになってしまい(こちらは蘭の「真琴おにいちゃんも作ってね」の一言が原因だ)気が乗らないのである。
 弟妹のためにがんばりたい気持ちがないのではなく、どうも水希のように器用に作れる気がせず、しかもそんなものを配ることになるのかと思うと(昨年もハロウィンイベントは行われておりそのとき自宅に小学生がお菓子をもらいに来たのを真琴は覚えている。その時は市販のお菓子を渡した)、憂鬱になるばかりだ。
 次いで渡されたゴムベラを使ってバターを混ぜる。
 カシャカシャと器具の立てる音以外は特に何もなかった。
 だいぶバターが伸び始めたころに横からひょいと入れられたのは多分砂糖だろう。
「真琴、薄力粉計って」
「うん……」
「まだ落ち込んでんの」
 ずうんと影を落とす真琴の肩を肘で突き「俺が教えるんだからうまく作れないわけがないだろ」と水希が呆れながら言った。
 ずいぶん自信家な言葉だったが、説得力のあるものだ。加えて「俺がちゃんと教えるから」と穏やかに目を細められては、真琴はぐうの音も出なかった。
 これが日ごろの水希だったなら「もういいよ、めんどくさい。俺一人で作るから」などとばっさり切り捨てられたに違いないのだが、お菓子作りの魔法さまさまだ。
 普段ツンケンしている分、こういう優しさは卑怯だろう。
「計量カップ1.2杯分だから」
 200ミリリットルの計量カップを置いて水希が言う。
 真琴にはきっちり分量を量らせるようだが、そういう水希はココアパウダーを普通のスプーンでバターの入ったボウルに入れている。
「計らないの?」思わず真琴は聞いていた。
 水希は棚から粉ふるいを取り出しつつ「どれぐらいが何グラムかは覚えてるから」と何でもないように言った。
 覚えている、ですか。真琴は口をひきつらせた。
 自分が得意でない分、当たり前のように言ってのける水希にはかしこまるばかりだ。
 真琴は言われた通り計量カップ1杯分をまず作る。
 そうすると粉ふるいを持った水希がここにいれてと指示をした。
 とりあえず1杯傾ける。それから残りを入れる。さらさらと粉ふるいからボウルへ薄力粉がこぼれ落ちる。
「もう一回」
 先ほどより慣れた手つきで真琴は1.2杯分を計った。
 それをまた水希がもう一つのボウルの上でふるう。
「ありがと」
 水希は真琴から計量カップを受け取ると、粉ふるいと同様もう使わないのかシンクに置いた。
 それにしてもあの水希の口からすんなりありがとうを言わせてしまうあたりお菓子作りは恐ろしい。
「じゃあこれ、ゴムベラで混ぜて」
 バターと薄力粉、ココアパウダーのはいったボウルを真琴は持ち上げ、水希の見よう見まねでサックリ混ぜる。
 そのぎこちない動きについ水希がふき出す。
 笑うなよとか言ってやりたかったが、肩を揺らす水希を見るのが久しぶりで、けれど恥ずかしくて、真琴は黙ってベラを動かし続けた。
「できたらひとまとめにしといて。あとは俺がやるから」
 水希はすでに終わったのか、ラップを2枚、広げ始めていた。
 そしてその上に自分のまとめた生地を置き、「これでいい?」と確認してくる真琴のボウルを覗いて頷くと、そちらもラップの上に置いて、くるくると包んだ。
「30分ぐらい冷蔵庫で冷やすから、休憩してていいよ」
「水希は?」
「先にかぼちゃ切っとく。あ、オーブン予熱しといて」
「水希、かぼちゃ切れるんだ……」
「? 当たり前だろ。簡単だよ」
 料理をしない真琴にとって、かぼちゃとは「とても硬いもの」であり、それを簡単に切ってしまえると言い切る水希は恐ろしいのだ。
 同じ双子なのに、いつ、どこでこんな違いが出たのか全く分からない。といっても水希が器用にこなせるのは料理(特にお菓子作り)だけだ。真琴のようにはうまく人と付き合えない。
 まな板の上にかぼちゃを置く水希を未だ信じられないものを見る目で見つめていたが、真琴は言われた通りオーブンを操作した。
 そこでふと真琴は思い出した。
 そして言うべきか言わざるべきか少し悩み「水希」と彼を呼ぶ。
 かぼちゃをひっくり返してその中央に菜箸を突き刺している水希は振り返らずに返事だけをする。
「今、何作ってるの?」
「タルト」
 てっきり呆れられるかと思ったが、あっさりと返事をされた。
 なるほど、ハロウィンだからかぼちゃのタルトなのかと言葉の足りないところは自分で補った。
 特にすることもないし、手伝えることもないようなので真琴は少し前の水希の言葉に甘えて休憩をとることにした。
 リビングに出てエプロンを外しイスにひっかける。何となくキッチンを見るが、やはり水希がかぼちゃを切っていた。
 あの様子だとタルトを作り終わった後、もう1,2品、何か作るだろう。
「水希」また真琴は水希を呼ぶ。
 水希はやはり目は上げずに「何」と素っ気ない返事だけをくれた。
「俺、カップケーキがいいな」
 そこで初めて水希の視線が上がった。
 彼の驚いた顔には「何言ってんのおまえ」なんて文字は一切ない。
「……どうして俺がまだなんか作ろうとしてるってわかったんだよ」
「何となくだよ」
「……」
 ニコリと笑う真琴に対して、水希は腑に落ちない様子でいたが問い詰める気もさらさらないようで、「気が向いたらな」と言ってかぼちゃに切れ込みを入れるのを再開した。
 真琴は自分のお願いに対する「気が向いたらな」の返事は大概望んだとおりになることを知っている。だからふっとふきだした。
 相変わらず、素直にいいよが言えないんだから。
 真琴がイスに腰掛けようとしたところで家のインターフォンが鳴る。
 もうお菓子の回収団体が来てしまったのかと驚いたが、時刻は14時にすら満ちていないのだ、そんなはずはあるまい。
「俺が出るよ」
 何の反射かエプロンを外そうとしていた水希に制止をかけて、真琴は玄関へ向かった。
 後ろから聞こえた、自信なさげなありがとうは真琴の耳にしっかりと届いていた。
 はてさて一体誰だろうかと玄関の覗き穴を見ると、そこには意外な人物が立っていた。
 真琴はカギを外してドアを開く。
「ハル」とちょっぴり上ずった声で呼ぶ。
 遙はおうと返事をした。
「どうしたの?」
「タッパー、持ってきた」
 遙が右手に持った小さいトートバックを真琴に見せる。
 中には遙の言葉通り3つほどタッパーがはいっており、それは何日か前に母に言われて遙に夕飯の差し入れをしたときのものだとすぐにわかった真琴がなるほどねと頷いた。
 洗って返しに来たようだ。
「わざわざありがとう」とお礼を言えば「別に」と素っ気なく返される。
「美味しかったって、お礼を言っといてくれ」
 用件はそれだけのようで、トートバックを真琴に渡すと遙は返事も待たずに踵を返す。
 真琴は慌てて遙の腕をつかんだ。
 引きとめられた遙はもちろん不機嫌な顔をする。
「なんだ」
「今さ、水希と一緒にお菓子作りしてるんだけど、ハルもどう?」
「?」
 なんでお菓子作りなんかしているんだと、声には出ずとも顔に出ていた。
「ハロウィンだろ。今日」
「ああ……」
 遙は納得したように頷き、にこにこと笑う真琴をじっと見て、しばらく間をおいたが、半ば折れるように「お邪魔する」とつぶやいた。
 なんで折れるようにかって、この幼馴染、拒否権はないんだよ、とかっこ内にセリフを隠しているのが見え見えなのだ。別に、今日は用事もないからいいのだけれど。
 真琴は満足げに笑ってドアを大きく開いた。
 玄関に足を踏み入れるだけで、甘い匂いが鼻をくすぐった。
「水希」
 リビングに入ると、キッチンに立った水希がレンジにルクエを入れている最中だった。
 真琴が遙を迎えている間にかぼちゃを切り終えて次の段階に入ったらしい。
 相変わらず水希は視線を上げずに返事をする。
「お客さんだよ」もう一言つけ足すと、やっとこちらを向いた。
「? 遙?」
 真琴の横に立つ遙を見て水希は首をかしげた。
 遙は小さな声でようとあいさつをする。
 水希はそれに「あ、うん。いらっしゃい?」と疑問の抜けきらない挨拶を返す。
「どうかしたの」
「タッパーを返しに来たんだって」
「ああ、この間の」
 それについては水希にも簡単に伝わるらしい。いちいち余計な説明をしなくていいので、遙はこの2人といるのは楽だった。
 レンジのボタンを押して、水希がカウンターから身を乗り出す。「ん」と伸ばされた手を見るところ、直すからタッパーを渡せということらしい。
 真琴はそちらに近づいて指示通りトートバックごと渡した。
 水希がそれを持って棚の方に歩いていく。
「それでね、水希」真琴は話を再開した。
 まだ続きがあったのかと、水希が意外そうに真琴を振り返る。
「ハルも一緒にお菓子を作るって」
「あ、そうなんだ。エプロン、俺のでいい?」
「いいよ。な、ハル」
「あ、ああ……」
 遙は唖然とした。てっきり一言二言嫌みを言われるだろうと思っていたので、そんなにすんなり了承されてしまうと、肩すかしを食った気分だった。
 それもこれも、やはりお菓子作りの魔力なのだろう。
 水希は料理(特にお菓子作り)をするときにやけに素直になるのを遙は知っている。けれど慣れない。知っていても、不意を衝かれてしまう。
 遙の心中を察したのか真琴がクツクツと笑った。
 タッパーを直した水希が次はキッチンから出てきて遙にエプロンを渡すと、トートバッグはイスにかけた。
「生地冷やすのにあと20分ちょっとはかかるからまだいいんだけど、遙さ、タルト作ったことある?」
「いや、タルトはない」
「じゃあ真琴と並行して教えるよ。作るときに呼ぶから、そっちで真琴と話しといて」
 それだけ言うと水希はまたキッチンに戻って行った。
 遙と真琴はどちらともなくイスに腰掛ける。作るときに呼ぶと言われたのだから、何か手伝うよと言って寄っていくのは余計だろうと2人ともわかっているのだ。
「……エプロン、丈の長いやつなんだな」
 遙は先ほどみた水希を思い出しながら、手渡されたエプロンをいじりつぶやく。
 これは水希がいつしかの調理実習で着用していたものだろう。
「うん。家ではしょっちゅうあれだよ。俺が誕生日にプレゼントしたんだけど、随分気に入ってくれたみたいで」
 なるほど、あのソムリエエプロンは真琴がプレゼントしてやったものなのか。
 ブラコンな水希のことだ、心底嬉しかっただろうなと心内皮肉る。
 それと同時、遙は真琴に対して強い反発のようなものを覚えた。
「……自慢か?」
「え。そんなつもりじゃなかったんだけど……」
 真琴が困ったように苦笑いする。
 遙はふいとそっぽを向いた。
「……あ、そうだ。ハル、水希にエプロンを作ってあげなよ」
「は?」
「あのエプロンも、もう5年ぐらいは経つから、そろそろ替え時だと思うんだ――水希は大事に使ってくれてるみたいだけど」
 遙はじっと真琴をみて――また目をそらした。
「気が向いたらな」
 それはどこかで聞いたセリフだった。
 よもや自分が数分前の水希と同じ言葉を口にしたなんて夢にも思わず、遙は気乗りしていない返事とは裏腹、何色がいいだろうかとか、喜んでくれるだろうかとか、自分が作ったエプロンを身につけて料理をする水希を想像してなかなかいい光景だなとか、そんなことを、仏頂面の下に隠していた。
 真琴が笑いを堪えていたのなんて、知る由もない。

 水希が2人を呼んだのは、14時ちょっと前だった。
 真琴と遙は返事をして(と言っても遙の返事は随分小さなものだった)エプロンをつけるとキッチンへ向かった。
 水希はフードプロセッサーの前に立ったまま、冷蔵庫から生地を出してと指示する。
 動いたのは真琴だ。
 その間に遙はプレートに置かれた小さめのタルト用の型やめん棒、まな板シートをぼんやりと眺める。
「遙、キッチンじゃ狭いから、それを持ってリビングに行ってくれる?」
「わかった」
 遙がプレートを運ぶやいなや後ろでは羽の回る音がする。水希がFPを使い始めたのだろうがわりと静かだった。
 遙がリビングに出てテーブルにプレートを置くと、その後を追うように、ラップに包まれた生地を持った真琴がやってくる。
 ココア生地にしたのかと、クリーム色ではなく黒っぽい色をしたそれに遙はすぐピンと来た。
「水希。これ、どうしたらいいの?」
 真琴の問いに「今行くから待って」と返事がくる。
 言われた通りしばらく待つとFPの音が止まり、水希がキッチンから出て来た。
「真琴と遙には、生地をめん棒で伸ばして、型に敷き詰めてほしい」
「伸ばして、敷き詰めればいいんだな?」
「ん。俺が先に型にバター塗っとくから」
 遙は頷いてラップから生地を出すと手際良く伸ばし始めた。
 水希は水希でバターを型に塗り始めるし、真琴は妙なプレッシャーを感じていた。
 この、料理上手組に挟まれた、自分の気持ちが誰かわかるだろうか。なんだか自分だけテンポが悪いようで居心地が悪い。
「真琴。そんなに力まないでいいから」
「え、ああ、うん……」
「……また落ち込んでんの?」
 真琴が素直に頷くと、水希はため息を一つついてバターナイフを手放し、真琴の背後に回る。
 貸してと、返事は聞かず真琴からめん棒を取って、真琴の腕の下から手を出して、器用にも生地を伸ばす。「こんな感じでいいから」と教えてやるの言葉通り、手取り足取り、してくれている。
「わかった?」
「うん」
「力は?」
「抜けたよ。おかげさまで」
 真琴が眉を下げると水希も目を細めた。
 そんな2人を見ていた遙は全く面白くなかった。
 背後に回ったのは真琴の緊張やらを和らげる目的だったといえど、やはりそんな抱きつく形にならなくてもいいだろう、いくら兄弟でも、近すぎだと。
 水希はまた自分の作業に戻り、ときにぎこちない動きをする真琴に声をかける。
 なるほど、料理ができないと、そういうイベントも起こりうるのかと、遙はちょっぴり自分の器用さを恨めしく思った。
「遙」
 何も言っていないのに水希に型を手渡される。
 確かにちょうど今、型を取ってほしいと思っていたのだが、あまりにタイミングが良いので少しムズムズする。
「作ったことないっていってたのに、おまえ、相変わらず器用だな」
 水希がふっと穏やかに笑う。
 その隣で真琴もじっと遙を見ていた。その目は遙のことを羨ましがっているようだったが、互いに互いを羨ましがっているなんて、滑稽な話だ。
 しかも遙は真琴が料理ができないのを、真琴は遙が料理ができるのを羨ましく思っているのだから、余計不毛だ。
「生地を詰めたら、フォークで底に穴をあけといて。ちょっとかぼちゃ生地取ってくる」
「ああ」
「……いいなあ、俺もハルみたいにささっとできればいいんだけど」
「……慣れれば誰だってできる」
 俺はお前が羨ましいとは言わないでおいた。
 遙が6つの型全てに生地を敷き詰め、フォークで穴をあけるころには、真琴も3つほど作り終えていた。
 かぼちゃ生地を持ってきた水希が出来上がった型にそれを詰め込む。
 遙はシートに残った生地を見て、オレンジっぽい色のそれを入れる水希を見て、口を開いた。
「水希、余った生地はどうするんだ?」
「クッキーにする。かぼちゃの顔のパーツな。焼いたタルトに乗せるやつ」
「……なるほど」
「目と鼻に三角形3つと、口はギザギザした感じのあれなんだけど――作れる?」
 聞かれてわからないと答えようとしたのだけれど
「ああ、作れる」
 そう言ってしまうのは遙の性格ゆえだろう。
 言ってしまって後悔するのだが、水希がさすがとかなんとか嬉しそうに口元に弧を描くのだから撤回しようがない。
「もしよくわかんなかったら聞いて」と言われたのが唯一の救いか。
 そうこうしているとやっと生地を型に詰め、フォークで穴をあけ終えた真琴が「できた!」と子どもみたいに声を上げた。
「真琴、残った生地でパーツ用のクッキーを作るよ」と間もおかず水希が言うので、ぬか喜びとなるのだが、「タルトを焼いたら手伝うから、それまで遙に聞いて」なんて言う水希が教える気しかないのをみて、少し安堵したらしい。
「遙」
 顔を上げると真琴と目があった。
 遙の名前を呼んだ水希はタルトをプレートに乗せてオーブンの方に向かっていた。
 水希の言いたいことは、みなまで聞かずとも察することができる。
「……こうだ」
 とりあえず三角にした生地を見せると、真琴がおおと感嘆する。それから、そんなに小さいの、きれいに作れるかなと肩を落とした。
 水希がキッチンから戻って来たとき、本日2度目のインターフォンが鳴り響いた。
 流れで水希が応答しようとしたが、真琴がそれを引き止めた。
 俺が出るよと、有無も言わさない雰囲気をちらつかせるのだから、水希は少したじろいだ。
「あ、うん……頼んだ」若干引き気味だったのは言うまでもない。
「真琴の分、俺が作っとくよ?」
「うん。お願い」
 真琴はエプロンを外し、一旦キッチンに入り手を洗うと、遙とすれ違いざま、「ごめんな」と一言残した。
 遙が驚いて真琴を見たが、その背中はすぐに廊下に出て見えなくなってしまった。
 彼の言葉の意味も水希のと同様、問い詰めなくたってわかってしまったのが、悔しい。
 自分の嫉妬がどこから表面に出て来てしまっていたのか遙にはさっぱりわからなかったが、真琴に妬いていることを、感づかれていたのだ。水希を見ても特に変わった様子など見られないので、真琴だけがわかったのは確かだ。
 真琴はクッキーの作成から逃れるため――というのもあるのだろうが、気を遣ってこの場を2人きりにしてくれたらしい。2人なら、言いたいことが言えるでしょと。
 お節介なやつだと内心独り言つ。
 別に、水希に言うことなんてない。それでもあえて口にするなら、ブラコン野郎と言ってやろうか。
「……遙」
 なんてことを考えながらちまちまと三角を作っていたとき、名前を呼ばれたので遙は手を止めて水希を見た。
 彼もまたいくつか三角を作った後手を止めて遙を見ていたようで、目が合う。
「……なんだ?」遙が首を傾げれば、水希が少し考えるように瞬きをした。
「トリックオアトリート」
 次は遙が瞬きをした。けれど水希の何やらいいことを思いついたといった表情は変わらないので、彼の口から出た言葉に聞き間違いはないらしい。
 どうして今更になってと隅で思いつつ、「持ってるわけがないだろ」と遙は呆れながら言った。
「じゃあイタズラだな」
 しれっと言ってのけた水希。
 どうせろくなイタズラなんかじゃないのだろうと遙は考えた。
 脛でも蹴ってくる気だろうかとこっそり身構えながらも、じいっと薄緑を見つめる。やってみろよ、やれるならな。そんなことを目で訴えた。
「遙」
 また名前を呼ばれた。
 返事でもしてやろうかと口を開いたところで、テーブルに身を乗り出した水希に、エプロンの胸元を勢い良く引っ張られて遙はバランスを崩して手をついた。
 もちろん驚いて、「いきなりふざけるな」と、言おうとしたのだけれど。
 ちゅ、と唇に当たった感触に、そんな文句は飛んで行ってしまった。
「好きだよ」
 唖然とする遙に、してやったりと水希が笑った。
 遙はじっくり時間をおいて、徐々に今何が起こったのかを理解していく。
 トリックオアトリートとと言われたが、渡せるお菓子がなかった。だからイタズラすると言われて――キスされた。しかも、好きだよと。
 理解すると体温が急上昇していく。熱い、熱い。
「ふは、遙、おまえ顔真っ赤」
 そういう水希はひどく上機嫌だった。いつもならこんなことしてこないし、たとえ無意識の行為だったとしても、自分が何をしたのか気づくと慌てるのが水希なのに、――なのに。
(……っ、なんだよ、それっ!)
 遙はその場に崩れ落ち、床を拳で叩いた。悪質だ、悪質すぎるイタズラだ。
 彼はお菓子作りのおかげで静かにテンションがあがっていたのだろう、例えるならば酒を煽っていたらいつの間にか酔っていたのに近い。
 質が悪すぎる。
 だってこれ、生殺し同然の仕打ちじゃないか。
「わー! いい匂いだあ!」
「お菓子作りをしてるからな」
「水希先輩ですか?」
「水希とハルだよ」
 ガチャリとリビングの扉が開き、ピタリと声が止んだ。
 現場を見て黙り込んでしまった彼らをよそに、「あ、おかえり。それに、おまえらも来たんだ」と水希が言う。
 おまえら、とは、真琴の後ろにいる渚、怜、江、凛を指していた。
 真っ先に我に返ったのは渚だ。
「あ、ああ、うん! ハロウィンだから、お菓子をもらおうと思って」
「へえ、タイミングがいいな。今、タルトを焼いてるところだよ」
「そうなんだ!」
「……水希、ハルのやつ、何してんだ?」
 次に帰ってきたのは凛だったようで、全員が気にしていることを代表して口にした。
 水希はきょとんとすると、床に崩れ落ちた遙を見て――「さあ」白々しく、首を傾げたのだった。
 遙が後で覚えてろとぼやいたのも、耳が真っ赤になっていたのも、言わずもがなのことだろう。

 そのあとクッキーをのせ、出来上がったタルトは5つぐらい残しておけば大丈夫だろうと水希が言うので、みんなで食べることになり、その間にカップケーキを作ろうとし始めた水希を遙が止めたのは蛇足だ。
 ――余談の余談になるが、そのときの水希は心底不機嫌そうだったとか、違うとか。
 けれど遙も遙でこれ以上水希に泥酔されては困るので必死だったとか、違うとか。
31th Oct. 2014