ベタだと思った。
「…………」
沈黙してしまった水希は扉を開けようと試みていたのだが、すっかり諦めてしまったのか、逆にそこに背を向けて凭れる。疲れきった目をしていた。
お勤めご苦労だったとサムズアップしてやると、顔を歪めた水希に即座に中指を立てられた。
顔がマジだ。どこの不良かと思った。
「…………はああ、早く誰かこいよぉ……」
水希のそれは真琴がうなだれるときのに似ていた。
なぜそこで双子を発揮するんだと思ったが不機嫌な彼に言えばサムズダウンどころか蹴りを3発ぐらいいれられそうなので黙っておいた。
まあ確かに、こんな蒸し暑いところで閉じ込められてちゃ泣きたくもなる。
俺たちは水泳部のメンバーで笹部コーチが建て直したスイミングクラブの掃除の手伝いをしていた。
建物の中であったりまた周辺であったり各々位置を決めて掃除をしていたのだが、玄関周りを掃除していた俺の元にやってきたのが水希だった。
「あそこに古い倉庫があるんだけど、あれって掃除すべきなの」それがすべての始まりの一言である。
水希に引き連れられてやってきたのは、それはもう悍ましい雰囲気の倉庫だった。原型は学校にあるような割としっかりしたコンクリート製の大きな倉庫だ。
まだ改装していないのかもう使わないのかは定かでないが、荒廃したスイミングクラブを鮮やかに表現していた。
「真琴を連れてきた方がよかったんじゃないか?」
「だってあいつ、掃除してるの、中だろ。めんどくさい」
つまり俺は偶然玄関なんてところに配置されたせいでことに巻き込まれてしまったのか。
ジロリと睨むと目を逸らされた。「まあいいじゃん」なんて、良くないから睨んだのに。
水希が倉庫の引き戸を開けると、むんとした熱気に当てられた。長らく使ってないらしい。
「笹部さん、ここの存在忘れてんのかな」水希がぽつりと言う。
こんな大きな倉庫の存在を忘れてしまうのは難しいと思った。
どうせ後回しにしていたのだろうと、水希と揃って顔をしかめた。
「とりあえず、中に何があるのか見て、笹部さんに必要不必要を聞いた方がいいか」
「……そうだな」
水希は寛げていたジャージを腰に巻き直し、躊躇いなくおどろおどろしい倉庫に足を踏み入れる。
たとえ真昼間といえど真琴だったら少しぐらい躊躇しそうなのにやっぱりこの双子は似ていない。
ふうと息をついて水希の後に続いた。
「あ、窓ある」
水希は自分の頭3つ分ぐらい上にある窓を見つめ、開けたら少しはマシになるだろうと踏んだのか、踏み台になるものを探し始めた。
倉庫には古い浮き具やゴーグル、コースロープなどが散乱している。
俺はそれらを眺めたり、どこから持ってきたのか監視台を窓下に設置して登る水希を見守ったりしていた。
ふと、ギギと鈍い音がしているのに気づいた。
最初は水希の乗っている監視台かと思って慌てたが水希本人はそんな音に気づいている素振りを見せなかったし、どうやら違うらしい。
じゃあ一体どこから、と背後を振り返った途端。
「……っ?!」
ガシャン! と悲鳴のような音を立てて、倉庫の扉が閉まった。
その大きな音に肩を跳ねあげたのは俺だけでないようで、窓を開けて涼んでいた水希も目を丸くして振り返っていた。
「……閉めたの」
「なわけないだろ」
無事窓を開けた水希は監視台から飛び降りて「開けてなきゃ暑い」シャツの裾をパタパタと動かす。
ちらちらと見える腹筋はかのマネージャーが見たならば喜びそうだ。
俺はこの場合ヘソチラの方が注目すべきポイントだと思うので彼女とはイマイチ分かり合えないだろう。
指図を受けているようで気に食わなかったがしょうがなく扉を開けに向かう。
取っ手を持って軽く右に引っ張るが、動く気配がしなかったのでもう少し力をいれてみる。
が、開かない。
よもや押して引いてのタイプだろうかと思ったがそんなわけなく、「遙なにしてんの、それ、引き戸」と背後から言われるものだからわかっていると苛立った。
取っ手から手を離し水希を見る。彼はきょとんとした。
「開かない」
「え?」
水希は数回瞬きをしてしかめっ面になると、「遙が非力なんじゃねーの」と憎まれ口をたたきながら大儀そうに俺の横に歩いてくる。
開かないものは開かないのだ。さっき勢い良く閉まった反動で鍵がおりてしまったんだろう。ありがちな展開だ。
水希が取っ手を掴んだのを見て、俺は近くにあった浮島の上に腰を下ろす。ずいぶん放置されていた倉庫の中身は埃っぽいが、上にシートがかけてあったため、浮島自体はきれいだ。
そういえば小学校のころは数名でこれの上に乗って遊んだこともあったな。懐かしい。
浮島を取り合い水希と落としあいをした思い出がぼんやり浮かんだ。
「……」
水希はしばらく格闘した。この後は冒頭どおりだ。
扉に凭れて意気消沈している水希を手招きすると「おまえは呑気だな」と悪態をつかれる。
それでも扉に凭れていたって何か変わるわけではないとわかっているからか、水希はこちらに歩み寄ってきた。
「水希、携帯あるか?」
「まさか。遙は?」
「あったら扉と格闘してる水希の写真を撮ってる」
「普通助けを呼ぶため電話してる、だろ!」
悪質だな! と怒鳴る水希。
まあまあと宥めるが逆に睨まれてしまった。
「とりあえず突っ立ってないで、座れ」
ぽんぽんと浮島を叩く。
水希は言い足りないのかモゴモゴと口を動かしていたが、結局そこからは疲れた息を吐いただけで、おとなしく俺の横に腰を下ろした。
「窓から出られたらまだよかったのに……」
水希は俺の横でまた項垂れた。
ふっと窓を見上げると、どうやら面格子がついているらしい。どう考えても通れそうにない。
完全に閉じ込められたのかと改めて実感した。
「ずっと扉前で叫んでたらどうだ?」
「おまえは俺を殺したいの?」
体育座りをして頭を垂れていた水希が、不機嫌を隠そうともしない顔で俺を睨みつける。
「ここで叫んだって中のやつらには聞こえないだろ」
もしかしたら外に誰かいるかもしれないだろと言おうとして、掃除割は俺と水希だけが外で、あとはみんな建物内だったなと思い出した。
「ただでさえ蒸し暑いのに、余計な体力使わない方がいいだろ。まあ、誰か近づいてきたら、全力で物音立てるけど」
「……それが真琴だったら逆に逃げそうだけどな」
「ふ、ははっ! 確かに」
突然くっくっと肩を揺らして水希が笑うので、俺はぽかんとそれを見つめた。
彼がそういうふうに声をあげて笑うのはいつ振りだろう。
「真琴は怖がりだもんなあ……」
声は震えていて未だ笑いが収まっていない様子だった。
「真琴は怖がると遙の後ろに飛び込んでたけど、今じゃ隠れきれないよな。昔は俺とおんなじぐらいだったくせに、ぐんぐん大きくなりやがってさ」
「……」
「俺も180センチになりてー」
水希はそうぼやくと浮島の上で寝転んだ。
「真琴は180センチだったか?」
「183だよ。また伸びてそうだけど」
「水希は?」
「177」
「……は?」
「177だって」
「……見栄を張るな」
「はあ? なにおまえ、ちゃんと177あるし」
俺を一頻り強い目で睨めたあと、「あと3センチー」と前髪をいじる水希。
この男に俺は2センチ負けているのか。たかが2センチされど2センチ。その差は大きい。絶望だった。
「去年まで凛の顎置きにされてただろ」
そうだ、去年の水希はもっと小さかった。もっとがどのくらいなのかよく覚えてないけれど。
「伸びたんだよ。それに、あいつが俺の頭に顎を置くのは座ってるときだって」
さすがに立ってるときは身長差があんまりないからムリムリと言いながら、よっと掛け声と一緒に上体を起こし、水希は俺の後ろに回ると背中に伸し掛かった。
なにをするんだと文句を言おうとすると、頭に顎を乗せられる。
「こんな感じで」
なるほどわざわざわかりやすく教えてくれたのか。
「重たい」とぼやくと「体重かけてるもん」と笑われる。
もんってなんだ、もんって。ちょっと可愛いとか思った数秒前の俺手を挙げろ。ぶん殴ってやる。
それにしても凛とこういう状態に至るまでの過程はなんなのだろう。こういうふうにあいつと、密着してじゃれてるのか。俺の知らないところで。
「ま、俺が伸びてるからみんなも伸びてるんだろうけど」
遙も伸びてんじゃない。そう締めくくって水希は俺の背中から離れた。
ぬくもりが離れて行く。なんだか無性に胸のあたりが虚しくなった。
「にしても、暑いな……」
早いとこ見つけてもらわないとと俺の横に座り直した水希は額にうっすら浮き出始めた汗を拭う。
「……遙、きつい? 大丈夫?」
ひらひらと目の前を手のひらが揺れてハッとした。大丈夫だとつぶやくと、そう、と素っ気なく返される。
「急に黙るからびっくりした。おまえ、普段から寡黙だし、きついのか普通なのかよくわかんないよ。きついなら、すぐ言って」
きついと告げたところでどうにかできるような状況に俺たちはいないのだけれど、俺がきついと言えば水希は先ほどしたくないと言ったのに、扉の前で延々と叫び続けたり、窓の面格子を壊せないかと無茶したりするんだろう。
「遙、遙」って名前を呼んでいつもは仏頂面なそれを泣きそうなまでに歪める水希は安易に想像できる。
そういうやつだ。このバカは。
また沈黙がおりて、俺は開かない扉を、水希はあたりの用具を見渡す。
「……俺はここにそこまで思い出はないけど、懐かしいな」
「…………」
「観客席で、おまえらの応援したの覚えてる」
「水希が水泳を始めたのは小6の終わり近くだったな」
「そうだね」
「きっかけは凛だろ? 真琴が言ってた。『松岡くんが好きって言ってたから、やってみたいんだって』って」
水希は俺を見て何度か瞬きし、何やら唸りながら頭をかいた。
「真琴のやつ……」とぼやきながら「つーか、なんでそんなことを覚えてるんだよ」と俺に対しても不満をもらす。
どうしてだろうな。水希のことだからじゃないか。
そう思ったけど言ってやらなかった。
代わりにふいとそっぽを向いてやった。
「……恥ずかしいから忘れてよ。それ」
ちらりと見た水希は先ほどの俺のように開かない扉を見つめて、本当に居心地悪そうに口をへの字に曲げていた。
それをとてもつまらなく思う。
今まではそんなことなかった。水希が他の人と仲が良くても、最後には必ず水希は俺のところにかけてくるので気にしていなかった。
どれも水希の“特別”ではないから、どうでもよかった。
けれど凛は違う。
たった少しの間しか関わりがなかったのに、しかも一緒にリレーを泳いだわけでもないのに、水希は凛を大事に思っている。
凛は水希の特別だ。
一度凛に聞いたことがある。お前は水希の特別なのかと。
凛は、俺にとって水希は弟みたいなものだけど水希が俺をどう思っているかは知らないと言った。やけに挑発的だった。
何を持っているんだろう。
凛は、どうして水希の特別になれたんだろう。
俺もきっと水希の特別だ。けど、その特別をもらうのは、俺だけがいい。
「――、水希ー、ハルー」
「……真琴だ」
水希が立ち上がるのをぼんやり眺める。
水希はじっと扉を睨んで、「真琴」と声を張る。
しばらく空白ができて、誰かが駆け寄ってくる足音。「水希? いるの?」と真琴の声が扉越しに響いた。
「いるよ。遙もいる」
「……こんなところで何してるの?」
「変なことはしてない。なんか、勝手に鍵が閉まって閉じ込められた」
水希は俺を一瞥した。
なんだ、閉まったのは俺のせいだって言いたいのか。
「お昼ご飯にするよって呼びに行ったら、2人ともいなくて驚いたよ……」
「ごめん」
「鍵がないと開かないみたいだし、笹部コーチから借りてくるね」
「うん。ありがとう」
またパタパタと足音。次は遠ざかって行った。
「……きついの?」
水希がしゃがみ顔を覗き込んでくる。その顔は存外情けない。
さっきちらりと視線を落とされたのはそういうことだったのかと納得した。
一人不機嫌になって黙り込み悶々と考えていたから心配されたんだろう。
勝手に機嫌を悪くしたのは俺だけど、でも、水希が凛を特別視してることが悪いんだって、責任転嫁。
「別に」
そう言って近くにあった水希の鼻に噛み付いた。
悲鳴をあげた水希にすぐに突き倒されて浮島に沈む。
水希が何やら罵声を飛ばしていたが、パタリと耳と、目を閉じた。
嫉妬って、めんどくさい。