「愛妻弁当? ごっこ?」
「うん!」
 この間はコンビニデザートの話で盛り上がったが、今回渚と水希の間に咲かんとしている花は“愛妻弁当”であった。
 愛妻弁当、と言っても名ばかりで、友人間、特に女の子同士の間で流行り出したやり取りらしい。
 難しい要素は何もなく、単に相手のお弁当を作るというものだ。
 もとは女子力たるものを磨くために始めたとか、なんとか。
 それに便乗して、男女間でも手造り弁当がこっそり行われているそうだが、渚はそんなことはどうでもよかった。
「僕に作ってよ! 水希ちゃん!」
 怜は当然、どうでもよさそうにしていたが、渚はとにかく、そのイベントに参加したかった。
 誰に作ってもらうか、と悩んだ挙句、そこで白羽の矢が立ったのが水希だ。理由としては、江による抜き打ちお弁当検査で、彼のお弁当が80点台を獲得していたからだ。(というのも建前だが)
 水希はしれっとした顔で「そんなによくないだろ」と言っていたが、あれは贔屓目なしで、いい出来だったと渚は思う。
 真琴曰く、甘いもの好きの水希は中学生になってから市販のお菓子だけでは満足できず、ついでに、これは真琴が最近になって知ったことだが、小学生の頃凛に触発されたこともあり、手造りというものに挑み始め、おつまみ程度におかずづくりもしていたらしい。
 好きこそ物の上手なれとは誰が言ったのか、お菓子造りでいえば、その辺の女子よりもかなりの腕前だとか。お菓子以外についてはまだ勉強中らしいが、高級料亭ほどとは言えずとも、きっとおいしいに違いない。
 渚は真琴からよく、料理(主にお菓子)をする水希のことを聞いていたが、それらのものを口にしたことがなかった。
 というのも、水希が作ったお菓子を部活に持ってきて配るような人柄じゃないので、機会がないのだ。
 本人にお願いしても「めんどくさい」と眉を顰められるし、「人から感想をもらうのが上達への近道だよ」と言ってみても、真琴や味に素直な子ども(蓮と蘭のことだ)がいるので余計なお世話だと撥ね付けられてしまっていた。
 誰に作ってもらうか、で水希の顔が浮かんだとき、本末転倒していたのは、言うまでもない。
 そもそも流行りに乗りたかったのが始まりなのだが、渚は水希の手造りを得ることが目的になっていた。
 つまるところ、チャンスなのだ。
 謎のブームを巻き起こしている“愛妻弁当ごっこ”こそ、水希の手造りのものに舌鼓を打つことができる、またとない機会だ。
「やだよ。なんで俺なの」
 が、渚のキラキラとした目を受けてもなお、水希は歪みなかった。バッサリと切り捨て、顰め面をする。“めんどくさい”の6つ文字が、ありありと顔に浮かんでいた。
 予想通りの反応だ。
「それに料理なら遙の方がうまいだろ」
 首の後ろに手を回し、目線を泳がせつつ彼は続ける。
「俺も料理はするけど、正直まだ人に振る舞えるほどの出来じゃない。だから遙に頼め」
 渚はぱちくりと瞬きをした。
 水希は居心地が悪いのか、目を細めてそっぽを向いている。
 謙遜、しているのだろうか。そう思うと水希のその態度と、言葉とがあまりにも謙虚なものに思えて、いじらしく、渚は抑えることなく水希に飛びついた。
 急に飛びつかれて水希はよろめいたが、しっかり渚を受け止めたらしい。そこはさすが、だてに水泳部、だてに男じゃないようだ。
「あーもう! 水希ちゃんのそういうところ、かわいいよね! 僕、水希ちゃんが大好きだよ!!」
「わ、わかったから離れろバカ!」
「僕がS極で水希ちゃんがN極だから、離れられないんだよー」
「ふざけんな!」
 ちょっと調子付いてみると、ベリッと音を立てて引き剥がされた。
 おまけに脛を蹴られてだ。
「ゆ……歪みないね、水希ちゃん……」
 先ほどの元気はどこにいったのか、その場に蹲り、脛を押さえて渚は言った。
 ジンジンと痛む脛に涙目になりつつ訴えたが、犯人はフンと鼻を鳴らし、腕を組んでいる。
 相変わらず、ツンとデレの切り替えが早い人間である。
「じゃあ俺はもう行くから」
 そう言って教室に入ろうとする水希を、痛みからハッと目覚めた渚は慌てて引き止めた。
 ここで引き下がるわけにはいかない。
「ど、どうしても、作ってくれない……?」
 渚は知っていた。水希が案外、渚、というより、怜や江を含む、水泳部の後輩に弱いことを。
 渚は知っている。水希が自分の“おねだり”に弱いことを。
 悲しそうに眉を八の字にさげて、瞳をゆらゆらと動かしながら、決して獲物から目を離さない。捨てられた子犬のように、放っておけないその様子。放っておくことに、罪悪感が芽生える、その表情。恰もこちらが悪者のように思えてしまう、その雰囲気。
 つまり、水希は渚の“おねだりのしぐさ”に弱いのだ。
 読み通り水希は「う」となんともいえない声を漏らし、固まる。力云々の理由からではなく、渚の手を振り払えない。
 あと一押しだ。渚は内心、にんまりと笑みを浮かべた。
「ね。水希ちゃん、お願い」
 じぃっと薄緑の双眸を見つめる。
 しばらくして、はああ、と深くつかれたため息は水希のものだった。
「……本当に、弁当は無理。人にやれるもんじゃない。でも、お菓子とかなら、妥協する」
「!」
 それはむしろ、願ったり叶ったりだ。
 渚はみるみるうちに表情を明るくし、首が飛ぶんじゃないかと思うほど勢いよく、何度も首を縦に振る。
「ありがとう、水希ちゃん!」
 喜ぶ彼をみて、現金なやつめ、と心内悪態づきながらも、水希の表情に優しさがあるのは否めない。
「ほら、さっさと教室に戻れ」それを隠すように、水希は乱暴に渚の背中を押しのけ、追い払う。
 やはり渚は、嬉しそうに笑っていた。
 翌日――。
 教室で渚とともに昼食をとっていたところ、見覚えのある人物を入り口付近に怜は見つけた。
「水希先輩?」
 思わず声に出し首を傾げると、前に座っていた渚が、唐突に、しかも大きな物音を立てて、飛び跳ねるようにイスから立ち上がった。
 それに怜は、大げさなほどに驚く。「いきなりなんですか!」と文句の一つや二つ、言ってやろうと口を開いたが、それより早く、渚が水希の元へと走って行った。
 元陸上部の怜も唖然とする素早さだった。
「ごめん。葉月渚って、いる?」
「水希ちゃん!!」
「っ!」
 教室から出てきた生徒に尋ねていた水希の背中に渚は飛びついた。
 驚いたのは飛びつかれた水希だけでなく、彼に質問を受けていた生徒もだ。
 しかしそれがちょうど今、行方を尋ねられていたクラスメイトだとわかると、生徒はぺこりと頭を下げて去って行った。
「あのなあ……! 後ろから飛びつくな!」
「おっとと……!」
 肘鉄を喰らいそうになったので、慌てて距離を取る。すると向かい合った水希にギロリと睨まれてしまったので、「ごめんね、つい」と渚は両手をあげ、降参を示しながら謝った。
 水希はしばらく納得のいっていない様子だったが、渚のスキンシップが激しいことは、何も今更なので諦めたらしく、小さくため息をつき、「ん」と渚に小さめのトートバッグを突きつけた。
 渚はぱっと目を光らせ、それを受け取る。「ありがとう!」と一言、「中、見てもいい?」なんて、水希の返事を聞かずにバックから中身を取り出した。
「わあ! かわいい入れ物だあ!」
 中に入っていたレンジパックは、明るい黄色で、英文字が書かれたポップなものだ。
「100均」と、聞いてもいないことを水希は教えた。
「おまえが何がいいとか言わなかったから、クッキーとマフィンにしといた」
「へっ?!」
「なんだよ。無難だろ」
「えっ、あ、うん……っ」
 まさか2種類も作ってもらえるとは思わなくて、と心内告げる。
 もちろん水希には聞こえちゃいない。
「じゃ、俺は確かに渡したから」
「あ、水希ちゃん! 容れ物、どうしたらいい?」
「洗って返せ」
「わかっ、」
「ウソ。部活のときに返して」
「え、でも」
「いいっていってるだろ」
 呆れたように目を細められたら、頷くしかない。水希が渚の“おねだりのしぐさ”に弱いように、渚もまた、水希の名前もないそのしぐさに弱いのだ。
 呆れているようでいて、優しさの見え隠れする、その不器用な表情に、弱かった。
 渚が頷いたのを確認した水希は、自分の教室に戻るべく背を向けた。
 渚が慌てて「ありがとう!」と何度目かになる礼を言うと、水希は軽く手を挙げて応えはしたが、振り返りはしなかった。
 水希の姿が完全に見えなくなるまで見送った渚は、るんるんとスキップしながら教室に入る。
 まず、目があったのは怜だ。
 怜は2人の一連のやり取りをバッチリ見ていたらしく、怪訝な、しかし興味深そうな目で、渚と渚の持つレンジパックとを行き来する。
「……なんですか? それ」
 よくぞ聞いてくれました! そう言わんばかりに渚が踏ん反り返った。
 それは高笑いする怜に似ていたが、当人たちは気づいていない。
「水希ちゃんの手造りお菓子!」
「……え?」
「愛妻弁当ごっこに便乗して、頼みこんだんだ!」
 自慢げに話す渚に、そこは胸を張るところじゃないだろうと怜は呆れた。
「へっへーん! 羨ましいでしょ、怜ちゃん!」
 ごくり。怜は喉を鳴らした。
 正直、かなり羨ましい。
 なぜなら水希の手造りお菓子はおいしいと真琴がよく話しているが、彼以外は口にしたことはもちろん、見たことすらなかったからだ。
 それに、真琴がみんなにも作ってあげなよ、と言っても水希は首を振らなかったのだ。
 気にはなるが、本人が頷かないので口にできないそれ。その、気になる逸品を、渚は持っているという。
 羨ましいどころではなかった。
 渚は再び怜の前に腰を落ち着け、中身の半分以下となっていた机の上の弁当箱を少し押しのけ、レンジパックを置いた。
 開けずとも、中に何があるのかわかる。良い匂いが、鼻をくすぐり、食欲を刺激した。
「いくよ。怜ちゃん……」
「……っ」
 渚が蓋に手をかける。
「いち、にの……っ」
 ぐっと蓋をひっぱった。
「さんっ! てってれー!!」
 レンジパックの中に入っていたのは、水希の言ったとおり、クッキーとマフィンだった。
 クッキーは程よく焼けたきつね色をしており、プレーンやチョコチップ、ドレンチェリーなどなど。めんどくさいとか言っていたわりに随分と凝っている。
 大好きなお菓子については手を抜けない、といったところか。
「お、お店で売ってそうですね……」
「うん、器用だね。水希ちゃん」
 性格は不器用なくせに、とぼやくと怜に窘められた。
「怜ちゃんだって思ったくせにー」
「……」
 不自然に目をそらしたのをみるところ、図星らしい。
 渚は満足げに怜を見てから、またレンジパックに目を戻した。
 本当、女子力を磨こうとしている女の子たちが挫けてしまいそうな出来栄えである。
「……あれ。マフィン、2個ある」
 そうつぶやいた渚は、すぐにその意図を理解した。それから少し口を緩め、しかし不満げに怜を睨む。
「よかったね、怜ちゃん。水希ちゃんから、僕だけで食べるなって伝言だから、怜ちゃんにもわけてあげる」
「え、水希先輩が?」
「うん。だって、これ、2個入ってるでしょ?」
 これ、と渚が指差した先を目で追って、怜は思わずため息をついた。言うまでもなく、悪い意味のものではない。
「水希ちゃんのこういうところ、すごくすてきだよね」
 渚は呆れたようにそう言って、くすくすと笑った。
「よーし、怜ちゃん! マフィン持って!」
「な、なんですか急に!」
「写真撮るんだよ!」
 渚は机に身を乗り出し怜の方によると、半ば無理やり怜にマフィンを持たせ、レンジパックをぐいぐい移動。どこからか携帯電話をとりだし、パシャリと一枚、写真を撮った。
「何に使うんですか? それ」
 机の上にはクッキーの入ったレンジパック。
 2人の手に持たれるはおいしそうなマフィン。
 写真の怜は、窮屈そうに肩を窄めている。
 反して、渚はとびきりの笑顔だ。
「んーと、自慢?」
 そう言った渚は、やけに楽しそうな顔をしていた。
 宛先:ハルちゃん
 件名:てってれーっ!
 本文:水希ちゃんの手造りお菓子もらったー!
 メールの受け取り手は、あいにく携帯電話を持ち歩かない人なので、いつ気づくかはわからないけれど。
「あれ、葉月くん、それ、だれから?」
「水希ちゃん!」
「? 女の子?」
「あはははっ、部活の先輩だよー」
「水泳部の……てことは、男の子がつくったの?! 女子力たっかぁ……」
 不意に渚に話しかけてきた女子生徒は、お菓子の作り手が男の先輩だとわかるとひどく落胆した様子を見せた。
 やはり、贔屓目なしに、水希のお菓子はすばらしいらしい。自分のことではないが、渚はとても誇らしい気持ちになった。
 それは怜も同じなのか、ほのかに口元を緩めている。
 また、頼んだらつくってくれるかなあ。そんなことを思いながら、まずマフィンを口に運ぶ。
 ……うん、おいしい。やっぱり上手だよ、水希ちゃん。
 自然と、渚の顔には笑みが浮かんだ。