「……もしかして、橘の双子?」
 違うクラスである真琴(おまけして遙)と一緒に帰るため、昇降口付近の縁石に腰掛けていた水希は、目の前に降りた影と声にぷらぷらと揺らしていた足を止めた。
 見覚えのない、暗めの赤をした髪の持ち主だった。
「……橘って、橘真琴?」
 水希は急に現れた少年に警戒を抱きつつも聞き返した。
 いつもなら知らない人とはあまり喋ろうとしないのだが、今回少年の口から出たのが双子の兄の(もちろん自分のでもある)苗字だったので、彼はもしかすると真琴の知り合いなのかもしれないと思い、返事はしたようだ。
「そうそう! 橘真琴だよ」
 少年はぱあっと明るい笑顔を浮かべた。
 こっそり覗いた、尖った歯が特徴的だった。
「それで? やっぱり双子?」
「うん」
「へー! 似てるって思ったんだよなぁ」
 うんうんと頷いて見せる少年。
 感情豊かな人だな、どこかの無口さんとは大違いだ、と水希は思った。
「おまえ、名前は?」
「え、おれ? 凛だよ、松岡凛。女みたいな名前だけど、男だ!」
「んなの、見ればわかるよ」
「それもそうだ」
 くつくつと喉を鳴らし、最近転校してきたんだ、と付け足した凛に、水希は曖昧に頷いた。
 別にそれは興味ない。
 そんな水希の心情を察したのか、凛は肩を竦める。つれないなぁと、小さくぼやいた。
 松岡凛、か。珍しいな。水希は一人思う。
 名前云々、こんな時期に転校云々ではなく、水希を真琴と双子だと、一発で当てて見せたのは彼が初めてだったからだ。
 兄弟なのか、と聞かれることは良くあった。間違っちゃいない、水希と真琴は兄弟だ。しかしそう問われるたび、水希は複雑な気持ちになっていた。
 間違ってない、間違っていないのだけれど。
 水希とて兄の真琴と容姿があまり似ていない自覚はあった。だから、双子だと思われにくいことも、わかっていた。
 けれど、双子なのだ。全てが同じというのも辟易するが、あまりに似ていないと思われているのも寂しかった。
 兄弟なの? あの優しいお兄ちゃんとは、まったく違うねと、否定されているようで居心地が悪かった。
 確かに水希は、真琴のようにガタイがいいわけでも穏やかそうに見えるたれ目でもない。体つきはひょろっとしているし(本人はこれから成長すると信じている)、目は微妙に猫目だ。
 まるで真逆なので、何度も言うように、双子だと思われた試しがなかった。
「そいや、名前は?」
「……水希」
「へえ、橘水希っていうんだ! あー、でもどっちも橘だと紛らわしいな……」
 許可も取らずに(必要なわけでもないが)凛は水希の横に腰掛けた。そしてうーんと唸りながら悩む。
 水希はそんな凛を見てきょとんとする。何を悩んでいるんだろうか、と。しかしすぐにそれこそ念のため、“許可のいること”なのだと気づき
「呼び捨てでいい。ふつうに、水希でいいよ」
 ふ、と笑った。
 本来水希は人に下の名前を呼ばれることをあまり好まない。
 なんだか馴れ馴れしくされているように感じるし、遙の真似事ではないが、どちらかというと女の子向きの自分の名前が気に入ってなかったからだ。
 普段友人には、橘、からとって、たっちゃんとか、適当に呼んでもらっている。名前で呼んでくるのは、真琴と遙ぐらいだ。
 でも、凛ならいいかなと、なんとなく、そう思った。
 凛は水希の言葉を聞き、やはり分かり易すぎるぐらいに表情を明るくして、「わかった!」大きく頷いた。それから「おれも、凛でいいぜ」と付け足す。
 もともとそういうつもりでいたし、とはいっても水希の性格上、聞くに聞けなかったので、彼の申し出は素直にありがたかった。
「そういえばさ、水希は水泳やってねえの?」
「やってない」
「えー、つまんねーの」
 凛は口を尖らせて言った。
 そんな顔されてもなあ、水希は眉をやや下げる。
 どうしてやってないのかと聞かれれば答える準備はできていたのだが、凛がそれ以上詮索してこなかったので、語られることはなかった。
「でも、もったいないと思うなぁ……」
「なにが?」
「水希だよ、水希。おまえ、絶対速くなるぜ」
 凛の自信満々な態度の前に水希はぽかんと口をあけた。なにを根拠に、とすぐ呆れる。
「なんだよその顔、おれのお眼鏡に適ったのに」
 水希の微妙な表情を見て不満げに言った凛は真剣だった。
 だからつい、笑ってしまった。
「考えとく」
 水希が控えめに笑っているのを見ていた凛は、やっぱり似ているなあと改めて思った。
 パッと見た容姿はそんなにピンとこないのだが、雰囲気がすごく似ている。人を包み込むような、おおらかなそれが、そっくりだ。
 不思議なやつだなあと、凛は感じた。見た目はとっつきにくそうなのに、彼の領域に入るとすごく暖かい。居心地がいい。
 もう少し話してみたい。凛はゆっくり口を動かした。
「水希って、好きなもんとかあんの?」
「好きなもの? たとえば?」
「コーラとか、水泳とか」
「凛ってコーラと水泳が好きなんだ」
「おう! っておれのことはどうでもよくてさぁ!」
「なんで? おれは聞きたいよ、凛のこと」
 ぴしり。凛は固まった。目の前の少年は、なんら悪気も下心もない様子で柔らかい雰囲気を醸し出している。
 こいつ、やばい。凛は察した。質の悪いやつだ、と。
「おれはシュークリームとか、クッキーとかが好きだよ」
 しかもマイペースだ。
「……作ったりすんの?」
「作らないよ」
「なんだ。作んなら、もらおうと思ったのに」
「好きと得意は別だよ。ばぁか」
「おれは水泳が好きだし、得意だぜ?」
「うるせー」
 プイとそっぽを向かれた。
 機嫌を損ねてしまっただろうか、そう思っても、凛はあまり焦らなかった。まあまあと肩を叩くと、猫目にジトリと睨まれる。
 若葉色の目に、平謝りする凛が映る。
「……遙のついでみたいでさ、悔しかったんだ」
 ぽつり。唐突なそれに凛はきょとんと瞬きした。
「真琴に水泳しないかって誘われたけど、それは遙を誘ったあとだったんだ。それがなんか悔しかったから、やらなかった」
「……」
「でも、凛がそんなに好きなものなら、おれも」
 一旦息を整えるように言葉を区切り
「おれも、やってみたいかも」
 へらりと、無邪気な年相応の笑みが浮かべた。
 驚きで目を瞠る。水希に言われたことが嬉しいのと、柔らかい笑みに魅せられたのと、むず痒い気持ちでいっぱいだった。だから、すぐには言葉が出なかった。
 何か言おうとはくはく口を動かしていると、「あ」と隣の水希が思わず、と言った声を出し、腰をあげる。
「真琴だ」
 つられて昇降口の方を見ると、確かに真琴の姿があった。その少し後ろには遙の姿だってあるのに、それも、水希は見えているだろうに、彼はあえて真琴しか呼ばなかったのかと思うと、凛はなんだかおかしかった。
「行くのか?」
「うん。もともと待ってたから」
「そっか」
 立ち上がった水希にならって、凛も立ち上がる。
 ぱんぱんとズボンについた砂を2人して払う。
「凛」
「ん?」
「またね」
 ひらりと手を振って、返事も聞かずに水希は駆け出した。
 心なしか後ろ姿が大変いきいきとしている。よほどの真琴っ子なんだなあと、意図せずとも苦笑がこぼれる。
 ――そのご機嫌の理由に、もちろん真琴の登場も含まれるのだが、大部分は凛であることを、本人は知る由もないのだけれど。
 水希を見送って、自分も帰ろうとしたところ、ばちりと強い視線と交わった。
 明らかに敵意のある目だった。
 おお怖い怖い。凛は心内肩を竦め、ゆっくり踵を返した。
 もちろん、視線をそらす直前、青い目に、好戦的に笑いかけるのを忘れずに。



「なにぼーっとしてんだ、水希」
 ひらひらと目の前で手のひらを振られ、水希はやおら顔を上げた。
 そこには怪訝な顔をして水希の顔を覗き込む凛の姿がある。
 机に乗ったグラスは随分汗をかいている。どうやら少しばかり、うたた寝していたらしい。それも凛にはばれていたのか、ピンと額を弾かれた。
 水希は弾かれた額を押さえて凛を睨む。
 悪びれる様子もなく笑っているが、結構、痛かった。
 ふらっと散歩をしていたところ、出会ったのが凛だった。
 凛の方はロードワークをしていたらしい。
 お互いに驚いた顔をしたが、「カフェにでも寄るか?」先に提案したのは凛だ。
 だいぶ走ったので休憩がてら、というのは建前で、久しぶりに部活関係なく出会った水希と話したいというのが本意だ。
 水希はすぐ、二つ返事で頷いた。
 そのカフェは、どうやらスイーツで人気らしく、どうしてそんなカフェを選んだのかと水希はしばし疑問に思った。凛は特別甘党ではなかったはずだ。
 でも、嫌じゃなかったし、むしろ、胸がむずむずした。昔から変わらない、凛の無意識の優しさだ。やっぱり彼は好きだなあとつい笑みがこぼれそうになった。
 水希が頼んだのはオレンジジュースで、凛が頼んだのはコーラだ。それと、お互いの前にちょんと置かれた小さな皿には、おそろいのチーズケーキが乗っかっていた。おいしそうだから、と水希が自分の分と、もうひとつ、凛の分も頼んだのだ。
 凛は遠慮したが、「おまえにも食べてほしい」としれっと言ってのけ譲ろうとしない水希には、勝れなかった。
「電話、誰からだった?」
「宗介」
「げ……」
「おいこら。あからさまに嫌がんなよ」
「だって苦手なんだもん」
「だもん、じゃねー……別に悪いやつじゃねぇよ、宗介は」
「知ってるよ。でも少し苦手だ。山崎、何考えてんのかわからないから」
「お前が言うか、お前が……」
「はあ? 俺、あんなに怖くないし」
「……ああもう。それでいいか……」
 自覚がないとはなんとも救いようがない。凛は呆れてため息をついた。
 水希を見たアイちゃんこと、似鳥愛一郎が「あの人、どうしていつも不機嫌そうなんだろう」と呟いていたことを知らないのか。
「そういえば寝てたみてえだけど、疲れてんのか? 最近」
「いや、そんなに」
「ふうん?」
「でもなんか、おまえがいるってわかってると眠くなる」
「はあ?」
「凛がいると、落ち着く」
 凛は黙った。
 水希はそんな凛をしばらく見ていたが、神妙な顔をしてオレンジジュースを煽る。
「なんでだろう」
「……いや、俺に聞くな」
 凛はまたため息をついて、水希の頭をくしゃくしゃとかきなでた。
 突然の行為に思わず目を瞑った水希はネコみたいだった。
「変わらねぇよな。そういうとこ」
「……なに。その可哀想なものを見る目」
「さあな」
 腹立つ、とぼやいた水希には気づかないふりをした。
「……そういえばさ、さっき少しだけ寝てたときに懐かしい夢を見たんだけど」
「夢?」
 凛が首を傾げた。
 水希はまた黙り込んで、フォークを握るとケーキに軽く刺す。それはなにか、懐かしい夢とやらを、思い出しているようだった。
「…………水泳、やってよかった」
 柔らかく、若葉色の瞳が細められた。
 凛はそれを見てしばらく呆然としていたが、なにやら嬉しそうに頬をゆるめ、そうか、小さな声で頷く。それから水希を真似るようにフォークを掴み、チーズケーキを一口、放り込んだ。
 不意に浮かんだのは、今一緒にいる男の双子の兄。
「どうして俺が誘ったときは首を振ってくれなかったのに、松岡くんが誘ったら、頷いたんだろう」
 そんなことを、聞かれた気がする。
「あいつ、なんでお前にあんなに気を許してるんだ。何かしたのか」
 ……そんなことも、言われた気がする。
 どちらもなんと答えたか覚えていない。凛は頭を振って、怪訝な顔をして、どちらかと言うと敵意をこめた目で自分をじっと睨みつけていた幼い青目をかき消した。
「おいしい?」
「……甘ぇ」
 水希は一瞬目を見開いたが、声に出して笑った。凛の微妙な顔がおもしろかったらしい。
 文句の一つ、言ってやろうとして、また、過った。
「俺の前でも、真琴の前でも、滅多に声をあげて笑ったりしないのに。お前、水希に好かれてるんだな」
 凛、お前、水希の特別なのか。そう聞いてきたのはつい最近の青目だ。
 これには多分、俺にとってあいつは弟みてぇなもんだ、と返した気がする。水希にとって俺がどうなのかしらねぇけど、とも。
 この後どんな視線を食らったかはご想像にお任せする。みなまで言うまい。
 水希といると、よくこいつがちゃちゃをいれてくるんだよなと、そんなことを思いながら、とりあえず水希の頬をつねってやった。
「いひゃいいひゃい!」と涙目になって訴えてくる水希だが、足なり手なりを振り上げる様子はない。
 よく聞く話でも、凛自身がみた中でも、水希は足グセが悪く腹が立つとすぐ脛を蹴るし、そもそも頬をつねらせるなんてこと、させないのだけれど。
(……特別、か)
 どうして自分がそこまで水希に気に入られているのか凛はわからなかったが、悪い気はしなかった。
 遙にも真琴にさえも勝っている部分があるのだと知ると、ちょっと優越感、だなんて言ってしまえば意地悪なやつだと罵られるかもしれない。
 嬉しさと己に対する馬鹿らしさからふっと笑うと、自分が笑われたのかと思った水希から睨まれたのだけれど、そんなちょっぴり潤んだ目で睨まれたって、怖くない。
 それでも念のため、ご機嫌を取るように、悪い悪い、そう平謝りする凛も、数年前とあまり変わっていなかった。