花火大会。
 大きな四文字が並ぶパンフレットを握りしめた水希はフェンスのギリギリに立って空を見上げる5人、渚、怜、江、真琴、遙を少し離れたベンチに座って眺めた。
 他の音を消してしまう破裂音に紛れて「きれいだね!」と渚が嬉しそうに言う。
 それにみな同調し、わずかに笑む。
 不意にくるりと渚が水希を振り返った。ぶんぶんと振られる手を見るところ、こっちにおいでよ、と呼んでいるようだ。
 それでも水希は首を振って彼らの方には行こうとしない。ゆっくりと頭を左右に振るだけだ。
 ぷう、と渚が口を膨らました。
「立ってるときついから」
 ぱあん、と弾けた花火。
 水希の抑揚のない声は彼らには届いていなかったに違いない。
 色鮮やかな閃光が真っ黒なキャンパスに描かれた。
 渚と水希以外の4人は感嘆する。
 水希が絶対に自分たちの方へ来ないことを悟ったのか、しかめっ面をした渚は横に立っていた遙の肩を叩く。
「なんだ」と聞こえたわけではないが口がそんな感じに動いていたので、きっとそう言ったのだろう。
 渚が何かを言って、後ろ、水希を指差す。
 その指を辿った遙はぼんやりと遠くを見る水希を認め眉を顰めた。
 1人だけ輪に入らないで何をしているのだろう。
 遙は渚に「ちょっと行ってくる」と告げると夜空に背を向けた。
 渚はもとよりそのために遙に声を掛けたため、ただ笑顔でそれを見送る。
 膝に肘を置いて頬杖をつき、つまらなそう、というより寂しそうに目を揺らしている水希。彼に遙が声をかけたところまで見て、渚は再び花火のあがる空に意識を向けた。後は遙に任せたらいいだろう。それ以上は余計なお世話になってしまいそうだから。
「あっちで見ないのか?」
「ん。俺はいい」
「?」
 静かに首を振った水希は怪訝な顔をして自分を睨んでいる遙に気づき苦笑する。
 遙は遙で自分が話しかけるといつもなら嫌みの1つ2つくれる水希が何も言ってこないので変な居心地の悪さを感じていた。
 なんだ? 腹でも下したか?
 ジィと水希を見ても彼は答えをくれない。それどころか「はやく戻れよ」と遙の背中を押す。
「ちょっ、おい、押すな水希!」
「邪魔だから早く、も・ど・れ」
 こっちは心配してきてやったのに。
 面倒くさそうに顔をしかめている水希に思わず舌打ちしたい気持ちになった。
 これ以上構っていると自分が損だと思ったのか、遙は大きなため息をついて水希から離れる。
 後ろから「最初からそうしてればよかったんだよ」なんて聞こえてきたが無視だ。振り返ってケンカを買ったら疲れるだけに決まっている。
「あ。お帰りハルちゃん」
「ああ」
「ってあれ? 水希ちゃんは?」
「あっち」
 先ほどより幾分か機嫌の悪くなった遙にきょとりと首をかしげた渚だったが、遙が顎で指した先に水希が変わらず座っているのを認めると納得したようですぐに苦笑いする。
 どうやら軽くケンカをしてきたらしい。それにしては水希はすねているようすを見せていないけれど、遙は見ての通り不機嫌なので、ちょっとした言い争いはしたのだろう。
 渚は困り顔で遙をはさんだ横にいる真琴を呼んだ。
「どうしたの?」と聞いてくる真琴に「水希ちゃんが」と返す。
 真琴は後ろを振り返ってベンチに座っている水希を見てから、どこか納得したような表情をするとフェンスから離れて水希の方へ向かう。
 渚はすぐに花火に視線を戻した。
 遙がダメでも双子の兄の真琴なら。そう考え安心したらしい。
 対して遙の方は腑に落ちない様子でジッと真琴たちの様子を見ているようだった。
 一言二言、2人が言葉を交わす。
 最初は遙のように「はやくあっち行け」と追い払われていたようだが、真琴が水希と同じようにベンチに腰を下ろすと、水希は深くため息をつきはしたがもう何も言わなくなっていた。
 真琴が穏やかに目を細めながら何かを言って水希の頭に手を伸ばす。
 水希はちょっとだけ困ったように目を揺らして、やおら俯いた。真琴の手を拒まずに受け入れ、撫でられるたびにフラフラと頭を揺らす。
「じゃあみんなに言ってくるから」
 ひゅるる、空気を裂いていく音がして、重々しい低音が鼓膜を揺らす。心臓にすら届く花火の爆破音は水希の言葉をかき消した。
 遙はゆっくりとフェンスから離れ2人のもとへ歩いた。
 真琴に腕を掴まれて立ち上がらされていた水希は遙を見て居心地悪そうに視線を地面に逃がす。
 その行為に遙は妙な苛立ちを覚えた。
「どこに行くんだ?」
「水希をつれてちょっと屋台を見に行ってくる」
 ニコリと笑った真琴とは対照的に水希は浮かない顔をしている。
 何がそんなにつまらないのか遙はわからなかったが、大方、この双子の兄は理解しているのだろう。それがまた胸にどんよりとしたモヤのようなものをひっかける。
「ちょうどよかった。ハル、俺たちが少し抜けることみんなに言っててくれない?」
「……俺が行ってくる」
「へ?」
 ぽかんと目を丸くする真琴。
 それ以上言うことはないのか遙は乱暴に水希の腕を掴んで階段の方へ向かった。
「おい……っ! 何するんだよ、遙!」
「……」
「遙!」
 グッグッと自分の腕を動かしてみるものの遙の手が離れる様子はない。
 半ば引きずられる形となった水希は助けを求めるように真琴を振り返った。
 すでに状況がのみこめたのか、情けなく眉を下げて笑う真琴がヒラヒラと手を振っている。
 行っておいで、大丈夫だから。
 そう言っているのはよくわかったが、一体何が“大丈夫”なんだか。
 水希が戸惑っていると遙は階段に到達したようでせかせかと一段ずつおりていく。
 腕を掴まれている水希も必然的にそれを下ることになるので、ガクンといきなり落ちた足元に驚いて前を向いた。
「遙!」
「……」
「遙っ!」
 ぐん、と思いっきり腕を引っ張ったところでやっと遙の手から抜け出すことができた。
 階段を下り終えた遙が、一段上にいる水希を見る。遙の青い眼には盛大なしかめっ面をした水希が映った。
「おまえなんなの? さっきから無視しかしないじゃん」
「水希こそどうしたんだ?」
「俺はどうもしてない」
「渚が心配してたぞ」
 ピク、と器用に片眉を動かした水希が「余計なお世話」といって視線を右下に落とす。
 水希が口が悪いのは知っているしいつものことだが、ずっと心配してくれていた渚に対してそんな言い方はないだろうと、遙はきつめに水希をとがめた。
「そんなの……」
 知らない。
 そういって遙を突っぱねようとした水希だったが中途半端なことろで口を噤んでしまった。
 遙は少し不思議に思いながらも水希の言葉の続きを待つ。
 ジッと突き刺さる視線が水希のストレスとなったのか、水希はギリッと奥歯をかんで強くこぶしを握った。
 しかしそれもすぐにやめたようだ。力なく手のひらを広げた水希が、残り1段だった階段を下りた。
「……俺が悪かった」
「は……?」
 遙はまさか水希の口からそんな言葉を聞ける日が来るとは思ってもいなかったので目を丸くして驚いた。
 タイミング悪くも花火が打ちあがっていれば、水希の声は完ぺきに掻き消されていただろう。
 それぐらいか細く、頼りない声だった。
「帰る」
 どこに、と聞かずとも、水希が階段を上る様子はなかったので家にだろうとすぐにわかった。
 俯いたまま遙の横を通り過ぎた水希。
 遙は慌ててその腕を掴んだ。
「どうしたんだ? 水希」
「……てない」
「どうもしてなくはないだろ」
「……」
「水希」
 肩を掴まれ体を向きあう形にされようが水希は頑なに返事をせず、顔を上げようともしなかった。
 どうしたものかと4分の3程度はお手上げ状態になってしまった遙。もう一度水希に呼びかけようとしたところで、打ち上げられた花火の光に何かが反射したことに気づいた。
 それも、水希の頬あたりで。
「泣いてる、のか?」
 ドン、と音を立てて広がった花火。その火種が空しく空を駆ける。
「……泣いてない」
「ウソだ」
「っ、泣いてない」
「泣いてる」
「だからっ!」
 ガバッと顔を上げた水希は泣いていた。
 色とりどりな花火の光に照らされて潤む淡い緑の目が遙を睨みつけ、再びゆっくりと伏せられた。
「……帰る」
 堂々巡りだな、と遙は思った。
 水希が意固地なのは長年の付き合いで十分理解していたが、ケンカをしたって次の日には忘れているようなのが遙と水希だったし、大概は水希が勝手に折れたり遙が譲歩したりとバランスをとってきたので、水希の口を割る方法を遙は知らなかった。
 どうしたものか。
 4分の3程度なんていったがやっぱり訂正、すでに完全お手上げ状態だ。
 あまりの解決の糸口のなさに“I surrender”なんてムダに良い発音で言って両手を上げるサメ歯の泣き虫が思い浮かんだ。
 要は現実逃避だ。
 帰るとは言ったもののそこから動かない水希。
 理由は知らないが泣いている彼を見捨てるほど遙はひどい人間じゃなかった。むしろその逆だ。
 帰る、なんて言われてああそうですか出口はあちらです、なんて見送れるわけがない。
「……屋台見るんだろ」
「見ない」
「行くぞ」
 もとより水希の返答などわかりきっていたし聞く気もなかった。
 ちょっとは聞けよ。なんて、いつもなら飛んでくる不満だって今日ばかりは飛んでこない。
 重症だな、遙は心内ため息をついた。
 それでもある程度の抵抗があるのか、ちょっと重い。思うように進めない。
 ああもう、なんだこいつ。
 言うことを聞かない犬のリードを引っ張っている気分になりながら遙は水希の腕を引っ張って屋台の方へ向って言った。
 その様子を上から見ていた真琴と渚は揃って笑ったのだが、その笑い声は花火の音に消されてしまったし、先ほどからずっと花火に夢中な怜と江にはばれなかったようだ。
 花火大会と同時に開催されているお祭り。ワイワイと賑わうそこは一歩でも足を踏みいれれば抜け出すのは至難の業。人の波に逆らわずに進むほかないだろう。
「……で、何があったんだ」
 ここに来るまでに泣きやんだらしい水希を見て、今なら大丈夫だろうと遙は先ほどの話の延長線をたどった。
 とはいっても聞かれたくないだろうなあとぼんやり思っていた遙の予想通り、水希は不意を打たれたように目を丸くして、すぐに不機嫌な顔をしたのだが。
「何もないっていってるじゃん。しつこい」
「言うまで聞くぞ」
「しつこい」
「水希」
「……遙に話しても意味ないじゃん」
「は?」
 うっかり口を滑らせてしまった。己の失態に気づいた水希が真っ先に苦虫を噛んだような顔をする。
 遙はといえば一拍遅れて水希の言葉を受け取ったのか、目に見えて不機嫌そうに眉を顰めた。
「どういう意味だ」
 あからさまに憤りをみせた声色に水希は怖気づいた。まさに一触即発。遙と水希は何度もケンカしてきたがこんなにも不穏な空気が流れることは今まで一度もなかった。
 今のは明らかに水希が悪い。それは彼自身が一番理解している。でもどうすればいいのか、全く分からなかった。
「……かき氷買いに行く」
「……はあ?」
 このタイミングで何を言い出すんだ、といよいよ遙の機嫌の悪さが最高潮に達してしまった。
 水希とて意図してやったわけじゃない。あまりに焦り過ぎて、つい、そんなことを言ってしまったのだ。
 遙はしばらく不穏な雰囲気をまとって水希の背中を睨みつけていたが彼が逃げるように人ごみにまぎれていくのを見ていると熱が冷めてきたのか、ふう、と息をついてその背中を追った。
「はぐれるだろ」
 背後から腕を取られ水希は過剰に驚いて見せたが、相手が遙であることに気づくとすぐ安堵したようだった。
 遙から逃げるために人ごみに突っ込んだというのに、手をつかんだ相手が遙だったことに安心するなんて変な話だ。
「通行は左側をお願いしますー」と警備の人が拡声器を使いながら指示をしている。それをどこか遠くに聞きながら、水希は遙につかまれているだけだった手をつなぎなおした。
 それが俗に言う恋人つなぎだったことに遙は心底驚いたが、当の本人は全く自覚がないようだ。それならあえて指摘するまでもないだろう。指摘して機嫌を損ねてしまったら、それこそ話が進まない。
 空に上がる花火に目がくぎ付けな人は、常に上を見ながら歩んでくるものだから、いつぶつかるかと安心できたものじゃない。
 人と人との隙間を縫って遙が水希の横に立った。
「……漁師さんいたじゃん」
 水希のつぶやきは唐突だった。
 それもぼんやりしていれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声だったし、あたりの音がうるさすぎて聞こえるはずがなかった。
 それでも、その時はどうしてか水希の声だけがはっきりと、クリアに遙の耳に届いた。
「……ああ」
 ぼんやり頭に浮かんだのは真琴に金魚をあげた老漁師だ。
「何歳のころか忘れたけど、家族で祭りに来てはぐれたことがあって」
「うん」
「横にいたはずの真琴もいないし、周りは知らない人ばっかりで。すごく怖くなった」
「……うん」
「そのときに声をかけてくれたのが漁師さんだった」
 つながれた手に込められる力が強まる。
 遙が水希を見ると彼はつないだ手を見ていた。
 力はゆっくりと弱まっていき、ふっと水希が鼻を鳴らす。
「あの人の手も、大きかった」
「……そうか」
「別に迷子じゃないし、って言って逃げた俺の後を追っかけてきて、おじちゃんが一人だから一緒に屋台を回ってくれないか、なんて言ってきたんだぜ。今思うと絶対おかしいよ」
 クツクツと喉を鳴らす水希だが、無理をしていると分かった遙はぎゅっと強く手を握った。
 水希は少し驚いたような様子で遙を見上げる。青い目が真剣に自分を見ていた。
 ふっと水希の顔から笑みが消えて、また寂しそうに瞳を揺らした。敵わないなあ、と。無理して笑わせてすらくれないのか、この幼馴染は。
「真琴だって乗り越えようとしてるのに、俺はずっと引きずってる。一人で屋台を見とけば、もしかしたらあの人がまた俺に声をかけてくれるんじゃないかって、あるわけがないのに、そんなことばっかり考えてる」
「……だからあまり乗り気じゃなかったのか、花火大会」
「……花火は別にいいんだけど、同時にやってる祭りがちょっと」
 人ごみの中にいればあの人がまた自分の名前を呼んでくれる。
 不器用な自分に優しく手を伸ばしてくれる大人がいる気がした。
「夏休みの宿題で懸賞作文とかあったじゃん」
「ああ」
「そういうので賞を取ったって言ったら、漁師さん、嬉しそうにしてた。自分の子供でも孫でもないのにね。ほんとう、変な人だよ。……ちっちゃいころの俺にとってはあの人はヒーローみたいで、大きすぎたんだ」
 高校生になった今も忘れられないでいる。ひょんなところから現れて、すごいなって、また頭を撫でてくれるんじゃないかって期待してる。
 バカみたいだよな、と嘲笑した水希。
 もう何発目かわからない花火が空に映えた。
「……別に、忘れられないならそれでいいんじゃないか」
「……遙?」
「無理に乗り越えようとしなくてもいいだろ」
 ゆっくり視線を遙に移す。
 遙は困惑の色を見せる水希を見て、穏やかに目を細めた。
(笑った……)
 あの遙が、自分に対して笑った。それも嘲るようなものなんかじゃなくて、優しい、温かなもので。
 思わずその場で足を止めてしまった水希。
 その後ろから人が器用にも2人を避けて通り過ぎていく。
「水希が人ごみにいれば俺が名前を呼んでやる。お前がどれだけ不器用でも、俺は手を伸ばしてやるから」
 クシャリと頭をかきなでた手は、しわのだらけのあの人のものでも、慣れた兄のものでもない。
 それなのに振り払ってやろうと思えず、返って安心してしまうのは、どうしてだろう。
「……バカじゃないの」
「また泣いてる」
「泣いてないし。目えおかしいんじゃないの、ばーか」
「バカにバカって言われたくない」
「うるさい。バカのくせに」
 ゆさゆさと頭を揺らされるままにしている水希から発せられる声は涙ぐんでいた。
 それに遙はずっと気づいていた。でも、指摘する気はない。指摘したってこのバカは「バカ」としかいってこないから。
 ぐずぐずと鼻を鳴らし始めた水希の目元を親指で拭ってやった遙は「ほら」とまた人ごみの中を歩きだした。
 まさか急に引っ張られるとは思っていなかったため水希は足をもつれさせたが、さりげなく遙がカバーしてくれたようで、こけることはなかった。
「いきなり引っ張んなバカ」とかみつこうとしたがそれよりも早く口を開いたのは遙の方だった。
 声にならなかった言葉は水希の腹へと静かに嚥下される。
「かき氷」
「?」
 人の流れに乗って歩く遙は止まる様子がない。
 聞き間違いだろうかと思ってジッと遙を見上げていると、青色が水希に向けられる。
 しかしそれも一瞬のことで、よそ見して人にぶつかりたくはないらしく、遙はすぐに前を向いてしまう。
 言葉が交わされたわけではなかった。遙がもう一度言いなおしたわけでも、水希が聞き返したわけでも。
「……イチゴ」
「子供っぽいな」
「じゃあマンゴー」
「あるのか?」
「あるんじゃないの」
 さすがにサバはないだろうけど、と遙をバカにするように言った水希。
 つながったままの手を素早くひいて遙が水希の横腹にエルボーをかます。
 避けることもできたが、水希はそれを甘んじて受けた。
「あんまり痛くない」
「もう一発いるか?」
「いらないよ」
 もう、大丈夫だし。
 最後の方、付け加えられた小さなつぶやきは遙の鼓膜を揺らしていた。つぶやいた本人はきっと聞こえていないものだと思っているだろう。
 遙は何も返さず、ただ目を細めると、手をつなぎなおした。今思うと高校生にもなって男2人で手をつなぐなんてなんだかむずがゆい。
 水希のそんな心情を察したのか、「迷子防止」と嫌みのようにいってのけた遙。
 水希は嫌そうに眉を寄せたがすぐに笑った。「バカじゃないの」と。呆れたようにでもどこか愛しさを込めて言われたのは今日で何度目だっただろうか。
「……バカかもな」その回数なんて数えちゃいないし、数える気もなかった。