屋外プールでの練習を終えた夕方。
「ひき肉、玉ねぎ……ニソジ? ……ああ、ニンジン」
「……」
「ソーダアイス、コーラ、オレンジジュース……サバ、ってこれおまえだろ遙」
水希は自分の数歩前をスタスタと歩く遙に声をかけた。
遙は足を止めず顔だけ水希に向けて、「そうだ」と簡潔な返事をするとまたスタスタと歩いて行ってしまう。
「俺、青魚ヤなんだけど」
「水希だけ食わなきゃいい」
「……そうだけどさ」
目の前で青魚を食べている人を見るのもまた嫌な気分になるのだが、そう言っても遙にはわかってもらえなさそうなので水希はおとなしく口を噤んだ。
今2人がいるのは近所の大型ショッピングモールだ。
水希の手にあるのは真琴が書いたメモで、そこにはショッピングモールで買うものがリストアップされている。
はてさてなんで水希と遙が真琴に――いや、正しくは真琴たちからお遣いを頼まれているかというと、今日、土曜日から明日、日曜日まで、岩鳶水泳部でお泊りが企画されたのだ。
場所は遙の家で、提案者はお決まりといったところか、渚である。
彼は最近クラスの友人にお泊まりをした、と自慢されたらしく自分もしたくなったらしい。その場の一時的な感情で本当に実行まで移してしまうのだから行動力がある、と感心する。
とはいっても遙の家に男5人分の食事などない。寝具も然り。後者については各々の家からタオルケット程度のものを持参することになり、前者については5人で割り勘して買うことになった。
その結果が水希らのお遣いである。
ちなみに献立はハンバーグだ。
水希は遙がハンバーグにサバを混ぜるのではないかと密かに危惧している。
ショッピングモールは人で賑わっている。
2人が目指す食品売り場は一番奥だ。
ちょっと油断すれば人ごみにのまれることもあり得ないわけじゃないし、遙の歩調はいささか速い。気を緩めると置いていかれてしまうだろう。
水希はまた遠くに離れてしまった背中にため息をついて、メモをポケットに突っ込む。
「おい。はる――」
遙、と彼を呼びとめようとして、ふと自分の横にあるものに気がついた。
その青々としたものは笹だ。
そしてそこにぶら下がる色とりどりの短冊には下手なものからうまいものまで、さまざまな文字が走っている。
今日は7月7日――七夕だ。
水希はその場で自分の背丈より高い笹を見上げる。
昔、幼稚園ぐらいの頃真琴と一緒に短冊を笹にかけたことを思い出して、自然と足を止めていたのだ。
あの時自分は何と書いただろうか。
真琴と2人で笑いあった気がするが記憶は薄ぼんやりとしていて思い出せない。
「水希」
「! うわっ」
ぐいっと首根っこを引っ張られ水希はまぬけな声を出した。
いきなり引っ張られたため思わずよろめき、後ろにいた人物にぶつかる。
一体誰だ、と慌てて顔を上げるとそこには仏頂面をした遙が立っていた。
「遅い」
いつの間にかいなくなっていた水希を探して遙は引き返してきたらしい。
水希は居心地悪そうに視線を下ろしただけで謝りはしなかった。
悪かった、とは思っているが遙相手に素直に謝れないのが水希だ。
毎度のことのようにそれでさらに機嫌を損ねてしまったのか、遙の眉間のしわが増えた。
「何してたんだ」
「別に」
「……? 短冊?」
態度の悪い水希を一発殴ろうとしたところで遙は長机の上にちょこんと置かれた箱に気づいた。
その中には遙の言った通り短冊が入っており、誰かが色を選びあさったのかちょっとごちゃごちゃとしている。
遙はゆっくり首を上げた。
自分より背の高い笹がぐんと上まで伸びている。
ふうん、と鼻を鳴らすと水希があからさまに嫌そうな顔をした。
それに反比例するのは遙の気分と、表情である。
「書きたいのか」
「……違う」
「ガキだな」
遙がフッとバカにするように笑う。水希はムッと顔をしかめ、それからスタスタと歩きだした。
それに意外だと驚いたのは遙だ。てっきりギャンギャンと言い返してくるとばかり思っていたので、ああもあっさりひかれるとそれはそれで後味が悪いし、手ごたえがない。
遙はジッと垂れ下がった短冊を見つめ、先を歩く水希に小走りで駆け寄った。
「水希」
「何」
「止まれ」
「うぐっ!」
またしても首根っこをつかまれ勢いで首が絞まった水希はゲホゲホとその場でせき込む。
強制的に足を止められた水希はその原因となった人間を振り返り、鋭く睨んだ。
「襟をひっぱんなボケ」
「水希が止まらないのが悪い」
「他に方法があるだろ。掴むなら手首とかにしろ」
水希に呆れたように言われた遙は、水希の手首を掴む自分を想像して――首を振った。
なんだそれ、絶対におかしい。何かがおかしい、違和感しかない。
やはり水希を引きとめるときに掴むところといえば首根っこだ、と遙が一人納得していると水希は怪訝そうに眉を顰める。
おまえ、今失礼なこと考えてるだろ、と。
「で、何。早く帰んないとみんな待ってるだろ」
さっきまで足止めしていた水希が言うには不適切なセリフだったが遙は目を瞑る。
「短冊」
「はあ?」
「だから、短冊」
さっきのところにあっただろ、と顎で後ろを指した遙に一拍黙った水希はめんどくさそうに目を細めた。
「別に、書きたくないって言っただろ。しつこい」
「……俺が書きたい」
「は?」
水希は眉を顰め遙を睨んだ。まだバカにするのか。
「だから、」と水希が遙の手を振り払おうとしたところで、遙はもう一度、次は先ほどよりも強い口調で言った。
「俺が書きたい」と。
「ついでに水希も書け」
「ちょっ、遙! 引っ張んな!」
「はやく」
「だから引っ張るなって!」
首根っこを引っ張っていた遙の手はいつの間にか水希の手首を掴んでいた。
ぐいぐいと腕を引かれ水希は転びそうになりながらも必死で歩調を整える。
横暴なのもいい加減にしろ、と一言言ってやろうかと思ったが、
「――」
遙の横顔が思った以上に優しいものだったので、やめた。
変なところで優しいから憎めない。
何だか悔しくなって水希は遙の背中をたたいた。
それに対して遙が苛立って水希の頭をはたくのは、すぐのことだ。
#
「あー!」
渚がキッチンまで聞こえるぐらいの声量で突然叫ぶので真琴と怜は顔を見合わせて駆け足で風呂場に向かう。
一体何があったのかと二人は若干慌てたけれど、特段異変はなく、渚が風呂場の縁に足を乗せて窓枠にぶら下がって外を見ていた。
なんだ、何かあったわけじゃないんだと。安心してすぐに二人揃って呆れる。
何してるの、と真琴が聞くと渚は目をキラキラさせて窓の外を指さした。
「まこちゃん、怜ちゃん、あれ、あれ!」
「なんですか……」
「ハルちゃんと水希ちゃん、手ぇつないで帰ってきてる!」
「え?」
こっちこっち、と手招きされてお湯の張っていない浴槽に入る。
渚が少し避けてくれたのでちょっとかかとを上げて真琴も窓の外を見る。
肩を並べて歩く水希と遙の姿が認められ、渚の言った通り、2人は手をつないでいた。
その光景に真琴が目を丸めていると、渚は「やっぱり仲良しだよねえ」と柔らかく笑う。
「ハルちゃん、僕によく水希ちゃんのこと聞いてくるんだよね。水希ちゃんあんなんだから僕だってあんまりわからないのに」
「僕も水希先輩にはよく遙先輩について聞かれます」
「……水希たちにお互いの何について聞かれるの?」
「? 弱点、ですかね?」
「……ああうん。そっか……」
なんというかこう、幼稚だ。
他の人から弱みを聞いていたずらしてやろうという幼い考えだ。しかも2人とも発想が同じだからそこがまた。
真琴は呆れて物が言えない。
「ハルちゃん、『水希が迷子になるからつないだだけだ』とか言いそうだよねー」
「水希先輩も、『は? 手えつないだりしてねーよ、おまえの目、腐れてるんじゃないの』って言いそうですね」
「あはは! 言いそう! 水希ちゃんもハルちゃんも、本当素直じゃないもんね」
後輩に言いたい放題言われているがあまりに的確すぎて真琴にはフォローのしようがない。
手をつないでいることを指摘されたら渚たちが言ったようなことを2人は言うに違いないし、2人が素直じゃないのは本当のことだ。
「あ、水希先輩と遙先輩笑ってますよ。渚くん」
「え! あー、ほんとだ! 見てみてまこちゃん、めったに笑わない組が笑ってる!」
渚に肩をたたかれ真琴がもう一度窓の外を見ると、そこでは珍しく笑っている水希と遙がいた。
柔らかく、穏やかに、笑っていた。
「何話してるんだろう」
「わからないですね」
「じゃあ当てっこしようよ! 当たった人が外れた人のソーダアイス食べれるってことで!」
「お腹壊しますよ。渚くん」
「えー、やろうよー」
「多分、みんな外れちゃうよ」
「えー……」
渚がしょんぼりと肩を落として浴槽に下りた。
もう十分2人を観察したようだ。
「あの2人が喧嘩してるときは大体内容がわかるけど、笑ってるときは、やっぱり難しいよ」
――だってそこはハルと水希だけの世界だから、俺たちの乏しい想像力なんかじゃ追いつくはずが無い。
怜は真琴と同じ考えのようだったが渚はちょっと首をかしげ、「それならなおさら当ててやるー!」と胸を張る。
――だから無理だって、ハルと幼馴染の、水希と双子の俺でもわからないんだから。なんて、言葉、さすがに真琴は口にしなかったけれど。
「ほら。水希たちが帰ってくるからリビングに戻ろう」
「諦めましょう。渚くん」
「ええー、二人ともつれないー……」
やっぱりうなだれる渚を、真琴は怜と苦笑した。