「俺はこの世に許せないものが3つある」
横でキッと目を細めて指折り訴える水希は、つい数分前からこの調子だ。
「一つ目は、礼儀を知らない後輩」
「……」
「俺のことを年上と知っておきながらちゃん付け、かつ『かわいい』だとか舐めた事を言ってくる輩はシメられて当然だと俺は思う」
「……あぁ(渚か)」
水希に呆れつつも見捨てることはできないから、俺は話を聞き、ときたま相槌を打っては「どう思う?」という振りに曖昧に頷いていた。
話の流れ的に水希が身近な人間に対する不満を言いたいことはよくわかった。
「うざい」だとか「滅せ」だとか。
相手に対する言葉こそきついが、案外水希がその人を気に入っている証拠でもある。
水希は興味のないことにはとことん興味がないから、わざわざ会話に持ち出しはしない。
「二つ目は、会うたびに俺を顎置きに使う人間」
「……凛なりに水希を気に入ってるからじゃない?」
「誰も凛とは言ってない」
「……うん。ごめん」
ギンッと強い目で睨まれてしまったら口を噤むほかない。
水希はあくまで本人の名前は挙げたくないらしい。なんでかわからないけど。
どこで性格が歪んでしまったのか(というよりも素直じゃなくなったのか)双子である俺でもいまいち思いだせない。
「最近不満ばっかり言ってるけど、水希はそんなにみんなが嫌い?」
「………………きらいじゃない」
「……ふふ、素直じゃないなぁ」
「うるせー」
うざいけど、好きだよ。
そっぽを向いてぽつりとこぼした水希に、俺は頬が緩むのを隠せない。
ツンツンしたきつい性格をしているけど、実は可愛い一面だってある。
そうやって照れ隠しするところだとか、ばればれすぎてフォローになってないのに。
そう、実際に水希は渚や凛たちを嫌ってなんかいないのだ。ただ単に不器用で、愛情表現が裏返ってしまうだけで。
気を許しているからこそちょっと心に刺さる言葉をいうんだ、本気の拒絶なんかしていない。
……のだけれど、最近水希が本気の拒絶を見せている人間がいる。
「そして三つめ。前例二つはまだ許容範囲だとしても、こいつだけは認められない」
「あ、渚と凛は大丈夫なんだ……」
「あいつらはいい。まだ頭のネジがしまってる」
なんだかんだで先ほどの愚痴が渚と凛のことだったことを認めている。
「七瀬遙。こいつだけは認めない……!」
「名指し……」
「今までは真琴の幼馴染だからとか思ってまあ譲歩してやってたけど、俺はわかった。そうやって甘やかしてるから最近度が過ぎてきたんだ」
「え、ハルは水希の幼馴染でもあるんじゃ?」
「違う」
「え」
「違う」
ものも言わせない勢いで水希はハルを全力否定する。
「なんで?」首をかしげると水希は遠い目をした。
「……あんな変態、幼馴染だなんて認めたくない……」
「あはは……。でもハルの水好きは今に始まったことじゃないし」
「…………」
「あれ? そういう話じゃなかった?」
「……」
水希に恨みがましく睨まれた。どうやら深く聞かない方がいいらしい。
お互いに揶揄し合って、嫌みの応酬を繰り返す、所謂犬猿の仲、という言葉で表わされる水希とハルだけど、一体全体その間に何が起こったんだろう。
俺の知る限りじゃ今まで相手を負かしていたのは水希だし、何も水希がそんな暗い顔をすることはないと思うんだけど。
「……。購買にパン買いに行ったらなぜか後ろにいて、尻を触ってくるし、トイレに行こうと思ったら目をらんらんとさせてついてくるし……水着に着替える時とか腰撫でてくるし、『縛りプレイとかよさそうだよな』なんて俺の腹筋なぞりながらいってくるし……もう鳥肌しかたたねーよ」
水希の口から出た言葉が信じられなくて俺は呆然とその場に立ちすくむ。
すれ違う岩鳶高校の生徒たちは不思議そうに俺を眺めては、首を傾げた。
「というか縛りプレイってなんだよ……俺の腹筋関係ある?」
水希は俺が立ち止まったことに気付いていないらしく、ぼそぼそと一人つぶやきながら前を歩いていく。
……それは、俗に言う貞操の危機では?
「遙は昔から変なヤツだと思ってたけど、まさかあそこまでネジ外れてるとさすがに――――真琴?」
「あ、ああ…………ごめん」
数メートル先で立ち止まった水希が隣に俺がいないのに気づいて振り返り目を細めた。
急いで水希の方に駆け寄る。訝るように向けられた淡い緑に苦笑い。
「調子悪い?」それがまたいけなかったのだろう、困ったように眉を寄せ、(これをみたら大概の人は水希が不機嫌になってると思うんだけど)水希はジッと俺の目の奥を睨みつけた。
「真琴?」
俺は知ってるよ。水希は不器用ながらにそうやって人を心配してること、不器用だから、勘違いされちゃうこと。
「大丈夫だよ。少しぼーっとしちゃっただけ」
「ふうん」
何と無く腑に落ちない様子だったけれど、水希は深い追求はせずに「ほら、いこう」そういって留守だった俺の左手を掴みスタスタと歩き出した。
きっとまた、俺が立ち止まらないか心配で手をつないだんだろう。
水希の微妙かつ婉曲なデレは本当にわかる人にしかわからないし、理解できていないと頬が緩まない。
我ながらかわいい弟だなぁ、なんて兄バカしているうちにすっかりと、俺は水希の言っていたハルのことを忘れてしまっていたのだった。
校舎に入るとパッと繋がっていた手は離され(あっけなさすぎて淋しかった)いつものように上履きに履き替え先に待っていた(水希は大体動作がはやい)水希に一言謝りながら近づくと、やっぱり「別に待ってないし」と無愛想に返される。
いう割に俺が横に立つまで歩き出さないのだから本当に水希はかわいい。
「そういえば真琴、昼ごはん――――」
教室の扉をガラリと開けたところで水希の言葉はブツリと途切れた。
代わりに視界に飛び込んできたのはふわりと舞った白い粉で、俺がそれを認識したときにはすでにギリっと奥歯を噛んだ水希がその淡い緑に確かな憎しみをこめ、一点を睨みつけていた。
「はーるーかぁ……」
ドスのきいた低い声で唸り水希は頬杖をついてニヤけた口許を隠しもせずに水希を見ていたハルに一歩また一歩と近づいた。
どうやら典型的かつ古風的ないたずらがこの扉には施されていたらしい。
最近ではそれをする小学生すらいないんじゃないかってぐらい古臭くてだけど成功すると壮大な満足感に浸れる「それ」だ。
扉に黒板消しを挟むなんてハルも頭を抱えたくなるぐらい幼稚だ……あれ? なんでハルがもう学校にいるんだ? 家に訪ねたとき出てこなかったから、水風呂にでもいるのだと思って……それに、いつもなら遅刻ギリギリで登校してくるはず――
「おはよう、水希」
「うぎゃあ!」
瞬間的に水希の話していたハルのことと、妙に登校のはやいハルからすべてを察した――が。水希! それは罠だ! そう気づいたときにはもう遅かったらしい。
「わざわざお前から近づいてくるなんて相変わらず警戒心が薄いな」
水希の腕をひっぱり細い腰をがっちりホールドしてよしよしと水希の頭を撫でるハル。
その逆の手はさりげなく水希のシャツをまくしあげている。
「うわっなにおまえ朝っぱらから頭狂わせないでくれる?!」
「照れてるのか? 2人っきりのときはもっとすごいことしてるだろ」
「はあ?! 覚えがなっ、あっ」
するりと背中を直に(シャツの内部からだ、ここ重要)なであげられ、水希が奇声というには甘すぎる小さな声をあげてハルの方にへにゃり、力を抜かして倒れる。
クラスの連中はどうやらそれをただの戯れとみているらしく「最近水希より七瀬が優位にたってんなー」冷やかしと野次を飛ばしていた。
ここで水希が噛みつかないあたり事態は深刻だ。
「みんなの前でされたいのか?」
「こんのゲス――っ! まっ、あっやだ、まこっ、真琴っ!」
悲痛な声で名前を呼ばれて俺ははっと我にかえった。
見ればすでにシャツを首元までまくしあげられている水希の姿。
「いいぞー! やれやれ!」なんて野次がとんでいるのだからこの学校が本当に共学なのか疑わしい。
「…………ハル?」
「どうした」
きょと、と首を横に倒すハルはいたって普通。
いやいやいや、どうした、じゃなくてね。
「真琴! 真琴助けて!」
「水希、だれがほかの男の名前を呼んでいいって言った」
「おまえはなに?! 狂気交じりの彼女?! あっちょっだから寒いってば!! シャツあげんな!」
「…………」
「なに人の腹じっとみてんの?! うるさいな昨日食べすぎたと思ってるよ!」
「……(割れ目とかへこんでてえろい。腹筋にぶっかけたい)」
「おい遙! 寒いって言ってんだろ! おまえ俺が腹下しやすいの知っててやってんの?!」
「大丈夫だ。なるべく中には出さないようにする」
ざわっとどよめいた教室に当事者たちは気づいていないらしい。
今のは純粋な数名の人と水希だけ意味がわからなかったらしく、水希にいたっては心底不機嫌そうな顔をして「はああ?」だ。
まさかあの2人、いや、うすうす思ってたけどやっぱり――付き合ってる?
そんな言葉が聞こえるや否や、俺は手にもっていたスクールバックをハルに、大切な幼馴染に向かって投げつけていた。
いや、あのハルが持つものはもはや大切な幼馴染という称号だけではない。
いつの間にか我が弟の純潔を脅かす男になっていたらしい。
いつだって水希のことで愚痴をこぼしていたハルが、どうしてあんな一人の男の目で水希を見つめていたのか俺は知らない。
知らない、けど。
「はあぁたすかった……真琴、サンキュ」
へらりと笑った水希に曖昧に頷く。この純粋な笑顔はなんとしても守らないといけないと本能的に悟った。
水希はなんだかんだ優しいし、ちょっとバカだから目を離した隙にハルにあることないことめちゃくちゃ教えられるに違いない。
それだけは阻止しないと……。
その後床にうつぶせたハルをつま先でつつく水希は相当性格が(ハルに対してだけ)悪く、警戒心が微塵にもないのだと心配になった。
今日は辞書が入っていたからカバンが頭にぶつかったハルはしばらく起き上がらなかった。