※高1

 橘真琴は他人の相談を受けるタイプであって、あまり自分の相談を他人にしない。だいたい自分の中で解決してしまって、だいたい争いを避けるような選択を取る。と、いうのを水希と遙は知っている。だからと言って無理やり、俺たちを頼れと腕を引っ張る気はないのだけれど。
 そんな真琴が相談があるのだといってきたのは昼休みのことだ。
 水希と遙は顔を見合わせる。顔を見ずに行われていた口喧嘩が中断されたのもちょうどそのときだ。
 弁当に視線を落としている真琴は悄然としている。
 今朝、学校に来たときから真琴がなんとなく元気がなさそうだったことに二人は気づいていたが、そのときは聞かなかった。遙も水希も、彼が放課後まで落ち込んでいたら口を出そうと思っていたので、真琴の方から切り出されると妙に動揺する。
「どうした?」努めて平静を装って遙は聞いた。その頬が片方だけ赤いのは、先ほどまで水希に思いっきりつねられていたからだ。
 水希は遙に任せたようで、白米を口に運んでいる。
 真琴は言いづらそうに口ごもって、実は、とためらいながら続ける。
「今朝、靴箱に手紙が入ってて……」
「?」
 遙も水希もきょとんとした顔で真琴を見た。
 今朝、というと……一緒に登校したのだが、真琴の靴箱に手紙が入っていたなんて少しも気付かなかった。
「誰から?」白米を飲み込んだ水希が無遠慮に尋ねる。
 真琴は首を振る。
「ふうん。じゃあ内容は?」
「うん……」
 しょんぼりした真琴は、少し周りを気にするそぶりを見せ、カバンから問題の手紙とやらを取り出した。
 説明を聞くより、見て確認してほしい。といったところだろう。
 箸を置いた水希が二つ折りにされた手紙を取って中身を見る。手紙、と言ってもルーズリーフを切ったもののようだ。どちらかというとメモだろう。
 その横では遙も一緒になって文字を追っている。
 ぴたりと肩をくっつけている様子からは日頃の仲の悪さが感じられない。普段からこうならいいのにと、真琴は少し恨めしく思う。
「……。“橘真琴くんへ。今日の放課後”」
「わーっ! 音読するなよ!」
 ガタリ。勢いよく席を立った真琴が水希の手から手紙を奪った。
 暗記なんかしていないので水希もそれ以上は続けられない。
 少々くしゃりとした手紙をぼんやり眺め、水希は遙を向く。
 遙が微妙な顔をしている。水希も遙と全く同じ表情だ。
 揃って、どうして真琴が落ち込んでいるのかがわからなかった。
 ――橘真琴くんへ。
 ――今日の放課後、少しお話がしたいです。
 ――南校舎の裏で待っています。
「……。俺、なんかしたかなぁ」
「告白だろ」
 遙があっけらかんと言った。
 一拍置いて、真琴の顔が真っ赤になった。
 遙も水希も、真琴の相談とやらが自分たちからしてみればそこまで重大なものでなく、すでに興味を失ったよう。食事の片手間、真琴の相談に付き合う有様だ。
「こ、こくはく……?」真琴はたどたどしく紡ぐ。
「お前、モテるからな。……おい、水希。さりげなくブロッコリーを俺の弁当に入れるな」
「! ……」
 遙が真琴と向き合って話している隙に、こっそり遙の弁当を増やしたのがばれてしまった。
 遙は今しがた水希が避けたブロッコリーを箸でつまんで、水希の口許まで運ぶ。
 口をへの字に曲げた水希は、遙が引く気がないことを認め、しかたなしに小さく口を開く。
 半ば押し付けるように水希にブロッコリーを食べさせた遙は、小学校の頃、飼育小屋のウサギにニンジンをやったことを思い出した。
 この一連の出来事に突っ込み役はいなかった。なぜなら真琴は、遙の発言を聞いて固まっているからだ。
「……、告白って」
「手紙の字はきれいだったからな。女だろ」
「字がきれいな男だっているだろ。遙みたいな」
「は? バカにしてるのかお前」
「はぁ?」
 遙にギロリと睨まれた水希は心底不愉快だった。誰も遙をバカにしてなんかいないし、発言内容は遙を褒めていたのになんだこの反応は。
 むすっと不機嫌をあらわにした水希はそっぽを向いた。もぐもぐと動く口は素直に野菜を食べている。
 話の流れを知っている真琴は苦笑いする。
 “字がきれいだから女”
 “字がきれいな男もいる、遙みたいな”
 普通なら褒めているのだと受け止めてもらえる発言だが、日頃から皮肉の言い合いをしているため、遙にはひねくれた意味で受け取られてしまったらしい。
「おまえは女みたいな字を書くよな」と、そういった感じに。
「……。それで、真琴どうすんの?」
 苦しそうな顔をして口の中のものを飲み込んだ水希については突っ込まないでおく。
 すぐに調子を戻したらしい水希が真琴に問いかけたが、真琴には言葉が足りなくて首をかしげる。
「行くのか?」続けて遙に尋ねられて、真琴も理解した。
「ん。うーん……。行かないと、この人待ってるよなぁ……」
「相変わらずお人好しだな。名前すら書かないやつなんて相手にしなくていいのに」
「お前は相変わらず辛辣だな。真琴と違って」
「……」
「こら、喧嘩するなよ」
 睨み合う二人を真琴は速やかに制した。
 真琴と比較されるのは水希にとってかなり不愉快なことだと知っていて口にするのだから遙もなかなか意地が悪い。
 水希が大きくため息をついた。怒りを紛らわしたようだ。
「俺も行こうか」
「えっ?」
「手紙には真琴一人で来いなんて書いてないだろ」
「屁理屈だな」
「ふん。遙はさっさと帰ればいいだろ」
 水希から蔑むように見られ遙は眉間にしわを寄せる。
「……。俺も行く」
「え! ……、……」
「は、他人には無関心なくせに。相変わらず真琴のこととなると話が別だな」
「いい加減その生意気な口を黙らせるぞ」
「やってみろよ。口でも腕でも俺に敵わないくせに」
「……今日は本気で泣かす」
「言ってろ」
「ちょ、ちょっと! 二人とも!」
 ハッとした頃にはもう遅い。遙は水希の胸ぐらを取っていて、水希は遙を挑発する笑みを浮かべている。
 少し目を離した途端にこれだ。真琴は項垂れた。
 かくして、ぐだぐだな昼休みは過ぎゆき。
 二人については、一発ずつ殴り合うことで決着がついた。
 今は放課後。遙と水希はかなり不安げな様子を見せる真琴を送り出した後である。
 結局真琴は二人の同行を断った。相手に悪いから、と。
 だからと言ってこの二人が大人しく帰るかといえばそれは否である。
 特に水希は疑っていた。あの、手紙について、納得がいっていなかった。
「遙、あれ本当に告白だと思う?」
「……」
 遙は水希をチラと見て、教室の前方にある壁掛け時計を睨む。
 真琴が出て行ってからまだ5分と経っていない。
「真琴ってさ、ずっと俺たちに付きっきりだったじゃん。あの手紙を見て俺たちが差出人を思いつかないぐらいには、誰かしらがアピールする隙なんてなかったと思うんだけど。そうなると相手は失恋覚悟だよな。さすがの真琴もよく知らない人と付き合わないだろうし……」
「……、……」
「フられるってわかってて告白するもんなの?」
「……」
 この話し合いには水希と遙しかいないので「自分を意識してもらうことを目的に告白する」なんていった高度なものには発展しない。
 暫時無言が続いた。
「……。行くか」
 遙がおもむろに立ち上がる。
 しばらく遙を見上げた水希は、学生鞄を持つ彼に倣って席を立った。
 先を行く遙に水希も続く。教室には遙たち以外の人の鞄が残っているので戸締りはしなくていいだろう。
 二人の足が家路につくことはない。彼らが向かうのは南校舎の裏である。
「遙ぁ」
「なんだ」
「昼休みは真琴が怖がるだろうと思って黙ってたんだけどさ。……手紙の差出人って人間だと思う?」
「……。……は?」
 自然と足が止まる。水希が少し進んだ先で止まり、振り向く。
 水希の表情は至って真面目だ。変にふざけているわけじゃないらしい。
「どういうことだ?」
「なんか学校の七不思議的なあれかなって」
 つまり、霊的なあれこれか。
 手紙を出したのが幽霊だなんて。水希もおかしなことを考える。
「……。多分、ないだろ」
 まさか水希がそんなことを言い出すとは思わなかったので、遙の声は調子の外れたものになった。
 そんな遙を、水希は真っ向に見つめ、ぱちぱちと大きく瞬きした。
「ふーん。つまらないな」
 つまらないとか言いつつも表情は少しも動いていない。
 自分勝手に歩き始めた水希の後を、ため息した遙が追いかけた。
 北校舎2階の渡り廊下を使って南校舎へやってきた。北校舎と違って南校舎からは海が見えない。
 水希が廊下の窓を一つ開け身を乗り出しがちに見下ろした。
 今にも水希が落ちそうで、見ている側が怖い。遙は水希のブレザーを引っ張る。少し引っ込めと合図したつもりだ。
 ひょいと戻ってきた水希が軽く顎を刳る。
 水希と体をくっつけて、遙も下を覗いた。
 真琴がいた。
 真琴の前には3人の女子生徒もいる。
 あんなに背が高いのに、どうしてかひどく小さく見える。前に3人、後ろは壁で逃げ場なんてない真琴は追い詰められているらしかった。
 腕を拱いて仁王立ちする一人の女子は、あの3人グループのボスといったところか。
「人間だった」
「……。そうだな」
「圧迫面接って感じがする」
「あいつ、真琴を圧倒してるな。返事ははい以外受け付けないって流れか?」
「はー。ひどい話だな」
 遙と水希はのんきに会話しながら真琴たちの様子を窺う。一往声量には気を遣っているのであちらに遙らの会話は聞こえていない。
 が、あちらはそうでもないようで。「橘は思わせぶりすぎるのよ!」というボスの声は遙たちにしっかり届いた。
「いろんな女子に優しくするの、どうかと思う! あんたのこと好きな子のこと考えたことあんの?!」
 遙と水希は顔を見合わせる。
 話は簡単に読めた。つまりは、あのボスには真琴に想いを寄せる友人がおり、その子が真琴の誰にでも優しい態度に傷ついているから、真琴を呼び出して文句を言っているのだ。
「ひどい話だな」水希が再び言った。今度は先ほど遙に感心したときのような声の明るさはない。呆れが混じっていた。
「……。真琴も災難だな」
「まあ、あいつの柔和な性格、女子からしてみれば天然女タラシなんだろうね」
 ふむ、と頷いた水希を遙は微妙な顔で見る。
 このブラコンは兄のピンチに、何をのんきに分析なんかしているのだ。
「にしてもあいつ、言い返さないな」
「あいつは優しいからな……」
 あそこで責められているのが遙や水希であった場合「なんだこの謂れのない罪は」と眉をひそめただろう。なおかつ水希であれば「うざい」と一言、遙であれば完全無視をして場を後にしたに違いないが、残念ながらあそこにいるのは真琴だ。あの、温良な真琴なのだ。
 先ほどから見ている限り、無意識に争いを避ける彼は、何も言い返さず苦笑しているだけだ。
 ついでにボス以外の二人の女子は会話に参加していない。時折そうだそうだとヤジを飛ばす係のようで、なんなら遙と水希でも構わなかったように思える。
 二人がぼうっと見守る間にも話は進んでいく。
 少々ヒステリックな様子を見せるボスが真琴に詰め寄った。
「今回だって、普通、名前も書いてないような呼び出しの手紙、応じないでしょ!」
「右に同じー」
「!」
 少し声を張った水希に驚いたのは遙もだった。
 急な第三者の声。それの発生源を探す下の者たちに遙たちの存在がばれるのはすぐのことだった。
 見上げてくる女子生徒たちはぎょっとしていて、真琴はぽかんと口を開けている。
 どことなく得意げな顔をしている水希に肩を竦めた遙は、しかたなく付き合ってやることにした。
「あんたらお人好しいじめはよくないよ」
「弱いものいじめだろ」
「真琴はああ見えて弱くないって」
「おばけが怖いのにか?」
「ん……、あんたら弱いものいじめはよくないよ」
「納得するなよ!」
 遙に指摘され訂正した水希に、真琴が声を張り上げる。
「悔しければ男を見せろ真琴!」とか「そうだ! 夜中に俺と廊下で鉢合わせしたぐらいで驚くな真琴!」とか、上では二人が好き勝手叫んでいる。
 ハッとしたボスの女子が遙と水希に指を突き立てた。
「七瀬と橘水希っ?! なんでいるのよ! 盗み聞きとかサイテー!」
「フルネームで指摘されたぞ。水希だけ」
「うわ。盗み聞きとか最低だな、遙」
「お前……難聴が悪化したな」
 水希も遙も互いを憐れむ表情をしている。
 完全に二人のペースに持っていかれていることが癪に障るのだろう。中央の女子生徒がわなわなと震え、水希たちに突き立てた指をそのまま腕を大きく振る。
「大体ねえっ! あんたたちが橘にくっついてるから、橘のことが好きな子が、橘と話したくても話せないのよっ!」
「俺も橘!」
「水希は余計なこと言わなくていいから!」
 はいっと挙手した水希を真琴が引っ込めさせようとする。が、彼は今距離があるのだ。おおよそ3メートル上にいる水希を引っ込めさせることなんかできない。
 そしてこの流れで「俺は七瀬」と遙が手を挙げた。真顔だ。
「知ってる」と水希が呆れた顔をする。「そうか……」遙が気持ちしょんぼりと手を下げた。
 真琴はもはや何も言えなかった。まさか遙まで悪ふざけをするとは思わなかったからよほどの不意打ちだったし、もうどうしようもないとわかってしまった。
 とにかく、般若のような顔をした女子生徒が怖すぎる。直視できない。
「ま、とにかくさ。真琴のことそろそろ許してやってよ。俺たちも帰りたいし」
「……っ! 勝手に帰ればいいじゃない!」
「真琴と別々に帰ったら下の子が過剰に反応するんだよ」
「ああ、この間騒がしかったのはそれだったのか」
 不意に遙がすっきりしたような様子でつぶやいた。
 前に橘家の玄関先がギャアギャアとうるさかった日があったのだ。「お兄ちゃんたち喧嘩したの?! ねえ喧嘩したの?! やだやだ! 早く仲直りしてよ!」とかなんとか。遙の家まで聞こえるぐらいの大騒ぎだ。
 一体なんの騒ぎだと思ったことをすっかり忘れていた。
 その日は水希が学校に忘れ物をし取りに戻ったため、真琴と遙だけ先に帰った日だ。
 女子生徒は、フーッと毛を逆撫でて唸る猫みたいだ。水希はやれやれと首を振り、遙に自分の学生鞄を預けた。
 突然のことだったしごく自然な動作だったので遙は鞄を受け取ってしまった。受け取ってから、きょとんと首をひねる頃には、水希は窓枠に足をかけており。
「昇降口で集合な」
「ああ、わかっ…………は?」
 ひょいと軽い身のこなしで遙の前から消えた。
 遙は呆然と横を見つめ続けた。随分と長く感じたが、十秒にも満たなかったかもしれない。
 甲高い悲鳴が上がってからハッとした。遙が慌てて窓の外を見ると、真琴の腕を掴んで走っていく水希の姿が見えた。
 女子生徒らが彼らの背中を唖然と見つめている。
 地面が――コンクリートじゃなく土であったことや、水希が運動音痴でなかったことが幸いしたのだろう。
 遙は徐に身を引き、窓を閉め、二人分の学生鞄を見つめてため息した。
 軽すぎる。中身が入ってないんじゃないのか、この鞄と同じぐらい。
 昇降口で集合するなり、遙は水希の頭を一発叩いた。それでも晴れぬ心はあったが家路の最中真琴から延々と叱責される水希が可哀想だったので、件については遙は何も言わなかった。
 水希は野生児なのだ。しかたない。遙はそう結論づけた。
「教師に見られなくてよかったな」と慰めてやれば、真琴に怒られてげんなりしていた水希が「確かに」と少し元気を取り戻して頷く。
「ハルも水希も……そんな軽い話じゃないよ。二階から飛び降りてくるなんて……」
「にしても真琴、ラブレターじゃなくて残念だったな」
「話をそらしちゃダメだよ。水希」
「えっ……」
 真琴にニコリと笑いかけられた水希の顔は引きつっている。
 そんなつもりじゃなかったのに、と顔に書いてあるが、遙は彼を救うことができないのでそっと目をそらした。

2016/09/11