※高3
岩鳶高校で迎える3度目の春。
始業式が終わってすぐに活動場所であるプールに集合した水泳部の各員は、ある者はモップ、ある者はホースを持ち、すっかり水の抜かれたそこをきれいに掃除をしている。
「新入生の勧誘、どうする?」
気付けば同じ場所ばかりを磨いている水希に近づいた渚が、彼の肩をたたきながら聞いた。
水希はきょとんと目を丸くして、「俺じゃなくて真琴に聞けば?」と普段よりは柔らかい口調で言う。
だって自分に聞かれたって困るのだ。水希は新入生の勧誘など正直興味のかけらもない。言うと部の存続が云々、しつこく聞かされるのが目に見えているので言わないが。
「だってまこちゃん、忙しそうじゃん?」
「じゃあ怜」
「怜ちゃんはすっかり自分の世界だし……」
頼りになるこの部の部長を指名したがあえなく撃沈。渚の言葉通り、真琴は誰よりも働いている。
暗にお前は暇そうだ、と指摘されたことは軽くスルーして次に挙げた名前の持ち主も、どうやらプールの底を磨くモップの角度を研究し始めてしまったらしく、目を輝かせて、もはや口癖となった「美しい」発言をかましている。確かに、自分の世界だ。
おっと、真琴が怜に近づいている。そろそろ引き戻すようだ。
「江は?」
「あまちゃんに用事があるって言って、さっき出て行っちゃった」
「遙」
「ハルちゃんは今から呼ぶよ」
「ふうん…………?」
適当に相槌を打っていた水希だが、渚の言葉に妙なつっかえを覚え、怪訝そうに彼を見た。
「おまえ、尤もなこと言っといて、掃除に飽きただけだろ」
「あはは。ばれちゃった?」
少しも悪びれる様子がないから、反って何も言う気になれないのだ。
明るく笑う渚に水希は小さくため息をついて、まあそういうことなら、と。随分前から止まっていたモップの柄に顎を乗せ、渚のサボりに付き合う意思を示す。
きちんとした意見を求められているわけじゃないらしいし、掃除も大概飽きてきたところだ。
渚は水希の示唆することを察し、嬉しそうに口を緩めた。
「それじゃあ……」
そこに遙がホースから水をまきながらやってくる。浮いた汚れをきれいに流しているようだ。
「掃除しないならどけ」
「あ、ハルちゃん」
遙がホースを揺らす。
「うわ。おまえ今わざと俺の足にかけただろ」
「被害妄想が激しいんじゃないのか?」
「は? 冷たっ」
二撃目。明らかにわざと膝付近にかけられた水は思いのほか冷たく感じて、水希は飛び退いた。濡れないようにと裾を曲げていたのに、ジャージは少し濡れてしまった。
「おまえと違ってヘンタイじゃないから、水をかけられても嬉しくないんだけど」
「俺が水を浴びる至福を教えてやる」
「頼んでねーよ」
「遠慮するな、ほら」
「わっ! だから冷たいって!」
遙がまたホースを大きく揺らし、遠く離れた水希めがけて水を飛ばす。
底にあたって跳ねた水が頬をさす。
悲鳴を上げて逃げる水希が随分面白いようで、遙の口には笑みが乗っていた。
「もー、2人ともいちゃいちゃしないでよ!」
いつの間にか蚊帳の外だった渚が、耐えかねたのか声を上げる。ぷくっと頬を大きく膨らませる彼も、今年は先輩になる。
「そんなことを言うならそのキチガイをどうにかしろ」と、水希が声を荒げた。
渚は遙を見る。遙も渚を見た。
「ハルちゃんって好きな子ほどいじめたいって言葉を、その身を以て表してるよね」
「……」
「あはは」
恨みがましくにらんでくる遙だが、渚はちっとも怯まない。だって、黙り込んでしまうなんて図星じゃあないか。
こっそり渚が耳打ちしたので水希には聞こえなかったが、なにやら遙は不服そうにホースを下ろしたので、とりあえずは諫めることに成功したのだろう。そう思って水希は2人のもとに戻った。
「それで?」
「もう、水希ちゃんにはさっき言ったじゃん! 一緒に新入生の勧誘方法を考えてって」
「勧誘?」
「そうだよハルちゃん。なんたって、4月だからね」
びしっと渚は4本指を立てて顔の前に突き出す。
「そういうことなら真琴を呼んだ方が早い」
「うわ。水希ちゃんと思考回路まるかぶりだあ」
「しね」
「痛いっ!!」
弁慶の泣き所に強い蹴りを入れられ、渚は悲鳴を上げて飛び跳ねた。彼がぶつぶつ文句を言いながら痛みに耐えているのは、真琴に声をかけるため後ろを向いた遙には見えていない。
渚に一撃与えた当の本人は、つんとそっぽを向いている。
「真琴。ちょっと来い」
「どうしたの? って、みんな集まってるし」
遙に呼ばれた真琴は、怜をつれて輪に加わる。
うずくまる渚を見ても怜は何も言わなかった。どうせ水希に余計なことを言ったのだろうと、この1年間を共に過ごしていれば安易にわかったからだ。
「勧誘」
「え? ああ、1年生の?」
「あ、皆さんで考えてたんですか? 掃除を放って」
怜の一言に、彼本人は嫌みを込めたつもりなどないことをここに明記しておく。
その証拠に、うっと唸った渚が「まだ今から話すところだったんだよ!」と必死に弁解したって、怜は何をそんなに必死になっているのだと不思議そうにしている。
「勧誘かあ、考えてなかったな……」
「そんなに気張んなくても入ってくるんじゃない」
「甘いよ水希ちゃん! 去年のことを忘れたの?!」
水泳部を立ち上げるとき、一生懸命に、あんなに必死こいたのに、怜1人しか入ってくれなかったじゃないかと渚が水希の胸板をたたきながら訴える。
懐かしい話だなあと真琴たちが目じりを下げる横で、水希は当時の勧誘方法を思い出しながら
「それは勧誘の仕方が悪かったんだろ」
「だから次は失敗しないように考えるんでしょ!」
駁論。
渚のあまりの剣幕に水希は多少後ずさった。
「はいじゃあハルちゃんから!」
「イワトビちゃんストラップ」
「それは去年ダメだったでしょ!!」
一瞬で却下され遙も水希と同じように後ずさった。ふざけたつもりなんてないのに、お前らふざけるんじゃねえよと、そんなことが渚の顔に書いてあった。
「怜ちゃんとまこちゃんは?」
「うーん。俺はやっぱり声をかけていくしかないと思うなあ」
「僕もそう思います。しつこく声をかけられたら、意外と折れますし」
「……おまえそれわざと?」
「え? 何がですか、水希先輩」
「…………いや」
渚が今にも隅っこに座り込んで、のの字でも書きだしそうな雰囲気になってしまったのに気づかないとは、末恐ろしい。あの遙でさえ微妙な顔をしているのに。
不思議そうに首をかしげる怜に水希は首を振る。
まあまあ、と真琴が苦笑いしながら渚の肩をたたいた。
「……じゃあ、声かけの練習とか?」
人差し指を立て提案する渚。4人は顔を見合わせる。
「ハルちゃんと水希ちゃんでやってみてよ」
「「なんでこいつと」」
ハモったあとのしかめ面もかぶっている。
「確かに、遙先輩と水希先輩だと、声かけが苦手な部員とイマイチ反応が悪い新入生の構図をリアルむぐっ!」
「うわああ怜やめて! ハルと水希がすっごい怖い顔してるから!!」
慌てて怜の口をふさぐ真琴の顔は真っ青だ。
渚はけらけらと笑いながら「じゃあ水希ちゃんが新入生役で!」と言った。
もちろん水希たちはちょっと待てと抗議するのだけれど。
「おい。なぎ――」
「よーい、アクション!」
パン、と乾いた音がプールに響く。渚が手をたたいた音だ。水泳部の2年は良くも悪くも怖いもの知らずだった。
不服な様子で向き合った遙と水希。
はあ、とため息をついた遙は、しょうがないと腹をくくって口を動かした。
「おい」
「あ?」
まるで水を打ったような静けさが2人の間に走る。
にらみ合う遙と水希。その様子は一触即発そのものだ。
「カットーッ!! 水希ちゃん! ダメでしょ!」
「はあ?」
「ハルちゃんも声のかけ方が悪かったけど、先輩に対して『あ?』なんて言う後輩いないって! しかも新入生!」
水希が「いるかもしれないだろ」と投げやりに言う。めんどくさいと思っているのは見て取れた。
渚がもう一度抗議しようとすると、遙が突拍子のない行動に出た。いきなり水希の胸倉を取って引き寄せたのだ。
さすがの水希も不意を衝かれ驚いたらしい。
「お前」
「……なに」
「あとで校舎裏に来い」
「ハルちゃんんんん!!」
ぶっと吹き出したのは真琴と怜だ。
何だこの漫才。2人の思うことはそれに限る。
「まこちゃんも怜ちゃんも! 笑ってないで2人をどうにかしてよ!」と訴える渚には悪いが、おもしろいものはおもしろいのだ。ひいひい言いながら謝ろうとしても、笑いが止まらない。
「絶対にイヤな目に遭うってわかってるのに従うバカがいると思うの」とか、「行かなかったら行かなかったで後が怖いから行くだろ。水希と違って素直なヤツは」とか。勧誘はどうなってしまったのか、水希たちは、もはや罵り合いに発展しそうな勢いだ。
「みなさん、何してるんですか?」
用が済んだらしい江が戻ってきた。掃除もせずにプールに集まり、腹を抱えて笑う真琴と怜、何やら激しく口論している遙と水希、それから涙目の渚を見て、彼女は「掃除をサボって何をしているんだ!」と怒る前にまず首をかしげる。
「江ちゃああああん!」
「渚くん? って、“ごう”って呼ばないでよ!」
まさに女神だ、と渚が江の名前を叫び、助けを求めたのだが、その呼び方で彼女の機嫌を損ねてしまう。
あっちでケンカ、こっちでケンカ。
「新入生勧誘よりも先に、彼らをどうにかしないといけませんね」
「だね」
笑いつかれた怜と真琴がそろって肩を竦めた。
渚はがくりと肩を落としている。江にあしらわれたようだ。
「あーもう! みなさん掃除してくださーい!!」
高い声が通る。
結局いい案は浮かばず、単に水希と遙が勧誘に向かいないことだけがはっきりした、水泳部2回目の春のことだった。
2015/10/20