※そこそこ大人、間に子どもがいる


「卒アル? 高校の?」
 こくんと頷いた丸い頭にしばらくあっけにとられた。
 部活から帰ってきて、夕食時もずっと神妙な顔をしているから深刻な悩みでもあるかと思っていたのに。打ち明けられたのは「父さんの卒業アルバムがみたい」と言う予想外の要望。
「アルバム……。どこにしまったっけ」
「……。別に卒アルじゃなくても。高校のときの、父さんが見てみたい」
「?」
 俯きがちで、落ち着きのない手が腕をさすっている。少し照れたようなしぐさ。……親の昔の写真をみたい、なんて言いそうな子じゃないもんな。慣れないことをして恥ずかしがっているんだろう。
 高校生になった息子はますます遙に似てきたけど、たまには可愛いところもある。
 なんとなく愉快になりながらアルバムを探しに二階の部屋に入る。
 押入れを開ける横で期待した眼差しが向けられている。居間で待っててくれてよかったけど彼は俺についてきたようだ。
 卒アル……。あ、これの中に確か。……卒アル、ではないな。
「これでもいい?」
「ん。うん?」
 ダンボールを下ろし薄青色のアルバムを取り出して差し出す。
 よくわからない様子でそれを手にとって、彼の指が表紙の文字をなぞる。
「“For the team”……」
「水泳部のアルバム。マネージャーだった子が作ってくれたやつだよ」
「へえ。……」
 吐息交じりの関心。
 ダンボール、は。このままでいいか。あとでアルバムを直すし。
「居間に戻ろう。ここじゃ暑い」
「ん……」
 すでにアルバムを開いている彼は、心ここに在らずな返事をしつつも階下に向かう俺の後に続く。
 階段を下りる途中はさすがにアルバムは閉じたらしい。居間に着くなり座卓前に座って、机に置いたアルバムが開かれる。
 江が水泳部員ひとりひとりに手作りしたそれを見るのは随分久しぶりだ。元はと言えばこの子のために引っ張り出したわけだけど、俺も興味がある。
 横に腰を下ろす。
「……。これは?」
「? ふ、……」
 怪しむように眉をひそめ、見開きのページを指差す彼につい笑ってしまう。
 “美しき背筋”と文字の入ったそこには、角度に微妙な違いはあれど、首下から腰上までの肌色が6枚、配置されている。
 部員のものと、うち一枚は笹部さんの背中だ。当時江は「おまけです!」と自信たっぷりな様子で言っていた。俺たちからしてみれば全然嬉しくないサプライズだ。
 笹部さんは水着まで写っているけど、他は本当に背中しか写っていないので、真琴や渚はともかく、俺と遙、怜は特に見分けるのが難しい。部員から見ても全然わからないし、当の本人も自分の背中なんて見る機会がないため少しもわからない。
 江からしてみれば容易にわかる問題なようで、写真の周りには名前の一つもない。全く不親切だ。
 確か、左上が遙で、その横が俺、俺の横が怜……だったはず。今見ても違いがわからない。
「……。父さん、これだろ」
「えっ?」
 彼の指差した写真は遙の横。つまり俺だ。
 喫驚する俺から答えを察したのか、彼は嬉しそうに目を細める。
「当たり」
「……。すごいな。なんで?」
「これぐらいわかるだろ」
「ふうん……」
 さも当然のように言われたわけだけど。彼が江と同じ部類であるとは思えないし。口ぶりから当てずっぽうでもないようで。……子は親の背を見て育つ、とか言うし。まあ、ちょっと意味が違うけど……、彼からすれば簡単な問題だったのだろうか。
 次のページをめくる。ここからは、個人個人別物だ。このアルバムは遙のものだったようで、遙が写る写真がたくさん。
 もちろん俺のものだったら俺の写真だし、真琴のだったら真琴の写真。いつの間に撮ったのかとみんなして驚くと、江は「みなさん気づかなかったんですか? 意外と鈍いんですね」と笑っていた。
「……これ、父さんの?」
「ん。ごめんな、それは遙のだったみたい」
「うん……別にいいけど。……父さん、伯父さんか父さんとばっかり写ってる」
「ほんと?」
「ほら」
 俺にも見やすいようにと、少しアルバムをずらしてくれた。
 言われた通り、遙は大体真琴か俺と写真に写っている。真琴とのものは、真琴が喋るのをぼんやり聞いているふうな顔が多く、俺とのものは何やら不穏な啀み合いの様子ばかり。
 なんとなく覚えのある光景に自然と笑みが浮かぶ。
 写真の中の遙、今にも俺に「ブラコン」とか罵ってきそうなぐらい、いきいきしている。いつもぼんやりしているくせして、こういうときばっかり、威勢がいいんだよな。……ふん。腹が立つ……。
「高校のときの父さん、可愛いな」
「えっ。遙?」
「違う。……ときどきあるけど、父さんのそれってわざとなのか?」
「?」
 暫時無言。
 彼は恨めしげに俺を見て大きなため息をついた。
「もう、いい。……鈍感」
「はっ?」
 アルバムに視線を戻した彼は本当に俺に打ち合う気がないらしい。
 拗ねてる。……というか、鈍感って。こいつ、言動がすごく遙に似てきた。遙のは適当にあしらえるけど、息子にまで蔑まれるのは心が折れる……。
「……父さんたちってこの頃から付き合ってたの?」
「……。あ、うん。……まあ」
「ふーん。公認?」
「……、俺も遙もバレてないと思ってた、けど」
「バレるだろ。父さんたち、あからさまだし」
 あ、……あからさま……。
 なんかすごくショックだ。数日は引きずりそう。
「ここのコメントとか、マネージャーにからかわれてるな」
「どれ?」
「これ。“水希先輩と痴話喧嘩中”、“見てるこっちは胸焼けがします”だって」
「!」
 見ると何を揉めているのか、頬をつねり合う俺と遙の写真だった。下には痴話喧嘩云々、横に吹き出しがついて、後半に読み上げられた言葉が書いてある。
 制服を着ているし、背景からして屋上で弁当を食べていたときだろう。
 ……いつ撮ったんだ? 怖い。
 真正面。しかも結構な近距離。俺たちが鈍いとかじゃなくて、江の技術面に問題があるんじゃないか?
「……。ほんと、痴話喧嘩だな」
「は? ……?」
「……はぁ」
 肩に重み。
「すごい、複雑な気分だ。……はぁ」
 俺に寄りかかる彼は、なぜかため息を連発している。
 なんだろう。情緒不安定か? 遙みたいだな。遙もたまにこうなる。
「何してるんだ?」
「ん。……アルバム鑑賞会?」
「はぁ?」
 俺なりに現状を伝えたけど、遙から返ってきたのは不機嫌な声。むかつく反応だ。
 風呂から上がったらしい遙が俺たちを見下ろし怪訝な顔をする。しかしそれも少しの間のことで、遙はアルバムの存在を認めると「ああ。水泳部の」そう言ってかすかに愉快そうに口に弧を描く。
「懐かしいな。この頃は水希もまだ可愛げがあった」
「はあ?」
「からかえばすぐ顔、真っ赤にしてただろ? なのに今は少しも照れないし、あしらうし……」
 若干恨めしげな視線に変わった。
 なんだこいつの全面的に俺が悪い、みたいな顔。理解できない。癪だ。
「……。愛想つかされてるんじゃないの」
「……」
 俺に凭れたままポツリと一言。
 遙の視線が彼に向く。瞳は依然、不機嫌なまま。むしろ悪化している。
「……ふん。特別に高校の頃の話を聞かせてやる。そこの“痴話喧嘩”なんかよりもっとすごい話だ」
「! いらない!!」
「遠慮しなくていい。そのまま水希の横にいろ」
「えっ、俺も聞くわけ?」
「いやだ! 父さんの惚気とか聞きたくない! ただの俺に対する嫌みだろ!!」
 俺の腹に頭をうずめて拒否。
 それを見る遙はとてもいい顔をしている。なんかよくわかんないけど、すごいな。水に触れるときぐらい爛々とした目じゃないか。
 遙がどの話を掘り返すつもりか知らないけど、……。“惚気”、ねえ。遙はそういうこと、するやつじゃなかったと思うんだけどな。時間の経過を感じる。
 ……ん。というより、どうしてこいつ、肌に直に触ってんの。くすぐったい。
「おいっ、どさくさに紛れてお前!」
「チッ」
 舌打ち。……。
 遙に怒鳴られて、彼は渋々と離れる。
「いたっ」
「バカ」
 遙に頭を叩かれた。……なんで? は?
「なんなの?」
「無防備」
「は?」
「鈍感。バカ。危機感がない」
「??」
 遙は思いつく限り俺を罵ってくる。
 眉を顰めて遙を睨みつけているともう一発叩かれた。痛い。
「父さん、最低だ。DVだろ」
「うわっ」
 急に抱きつかれ、そのまま畳に押し倒された。弛んだシャツから彼の鎖骨が覗いている。この子はもう一度俺が頭を叩かれないようにとかばっているみたいだ。多分。
 ……なんか。遙みたいにわけのわからない行動をするようになってきたな。
「……」
「……? どうしたの」
「……、あ。いや、…………うん。……」
 俺を見下ろす彼は頓にうろたえ出した。瞬きの回数も増えて、落ち着きがない。
「ほらな。お前にはまだ早い」
「わっ!」
 遙が彼の首根っこを掴んで俺の上から退けた。
 いそいそ居住まいを正し、遙に引っ張られる様子を見る。不満を言いながらも強い反抗は見せないあたり、なんていうか。仲良し、だよなぁ。ずっと昔の俺と遙を、それこそアルバムの中を見ているみたいで、少し。おもしろい。
 さ。俺も風呂に入ろう。

「バカだなお前。あそこで逃げ腰になったらダメだ、男として。俺だったら逃げなかった」
「……、……」
「かといって手出ししたら今頃家から追い出してたけどな」
「……。やっぱり俺、父さんのこと嫌いだ」
「ふん」