とある昼。遙の前には一冊の分厚い本がある。サイズはA3のワイド。かなり大きな本だ。
収録されている写真はどれも美しい。
世界の海。本のタイトルはシンプルだ。
怜から、学校の図書館に海の写真集があるときいた遙の行動は早かった。話を聞いたのは今朝、登校中に偶然出会った時。そして遙は図書館にいる。今は昼休みだ。
図書室の奥でお目当の本を見つけた遙は、そいつを抱えて読書スペースを陣取り、真剣な目をして写真を眺めている。数ある水着を選ぶときと同じ目だ。
1ページをめくるのに4,5分はかかる。文字は一文程度。つまり遙は写真を1枚見るのに5分はかけているのだ。
その横で、水希が大きくあくびをこぼした。
「……、……」
水希は頬杖をついたまま、遙の虜となっている本を覗く。まだ数分前と同じページだ。確かに綺麗な写真だが、食いついて見るほどの興味はわかない。
(水キチの気持ちは理解しかねる……)
大きく息を吸って、ゆっくり吐き出す。
ぺらり。やっとページが変わった。
水希にとってこの状況は、予定外のことだった。
最初は、遙が図書室に行くとか言い出すから、珍しいこともあるものだと、皮肉の1つや2つ、言ってやろうと思ったのだ。しかし遙が「水希も行くか?」なんて聞いてくるから。あまりに不意打ちすぎて、頷いてしまったのだ。
ついてきたってすることはない。わかっていたことだ。
昼ごはんは午前の授業の合間に、俗に言う早弁というやつで少しは済ませているのでお腹はまだ鳴らない。そしてすることもない。図書室はひたすら静かだ。そこから導かれるのは眠気、である。
水希はまたあくびした。
「……おまえ、写真とかでも喜ぶんだな」
「ん……」
水希の言葉への遙の反応はいまいちピンとこない。
聞こえてないな、と判断した水希はゆっくりと目を閉じた。遙と言い合いをしないのなら頭は回らないし、眠気には勝てない。おとなしく身を委ねるに限る。
はらり。またページが捲られた。
「…………」
遙は不意に顔を上げる。本を3分の1ほど見終わった後のことだ。ここに来てからの時間はもちろん、水希が目を閉じてからもかなり時間が経っていた。
やけに静かな自分の隣を不思議に思った遙は、やっと水希が眠っていることに気づいた。
頬杖をついて、バランスを保ちながら。相変わらず水希は器用に眠る。
遙は自分からここに誘ったのに、すっかり水希を放置してしまっていたことに今更気づいて申し訳なくなった。
一度本に視線を落とす。透き通った青色の海が載っている。
遙は、水希をそばに置いておきたかった。自分が図書室に行っている間、水希にいつものように水泳部のメンツでお昼ご飯を食べられるのは何だか嫌だった。できるなら、自分の横にいて欲しかった。
一緒に写真を見て盛り上がりたかったわけではない。ただ、そばにいてほしかった。
その気持ちをどうせこのクソ生意気な幼馴染は察してなんかいないのだろう。けれども何を問い詰めるわけでもなく、何か文句を言うわけでもなく、こうやってそばにいることを選んでくれたのは、嬉しかった。
「…………」
遙はゆっくりと水希を見た。華胥の国に遊ぶ水希に、胸がポカポカと温まる感じがした。
本当、口を開かなければ、目を閉じていれば、彼はきっとモテるのだ。けれど遙はそれでは困る。水希の憎まれ口も、冷えた目も、遙は好きだ。時折それが優しいものに変わることを知っているし、なによりそれがなければ水希ではない。遙の好きな、橘水希では。
遙は、ふと、机の上に乗った水希の手を見る。手フェチの女子がかっこいいとか話していたのを耳にしたことがある、角ばった、男の手。
次に周りを見る。疎らに人がいる。
もう一度水希の手を見る。手は、空いている。
「……、…………」
遙は水希と肩がひっつくぐらいまで椅子を寄せた。それから空いた水希の手を引っ張って、自分の膝の上に乗せる。その上には、自分の手を重ねた。
水希は眠ったままだった。
(……水希って寝込みを襲われたら即アウトだな)
体の一部に触れられたって身じろぎひとつしなかった水希に、遙は心内呆れた。
最初のうちはにぎにぎと手を弄っていたが、それも飽きて、壁掛け時計でまだもう少し時間があることを確認する。
予鈴が鳴る少し前から水希を起こす作業に移るつもりだ。眠る水希を起こすのは少々梃子摺る。授業をサボるのは構わないのだけれど、ここにいたら司書教諭に小言を言われてしまうだろうから。
遙は再び本を見下ろした。
透き通った海の写真は数分前と変わっていないが、数分前と違って、膝の上が暖かかった。