思い立ったが吉日とは言うが、ずるずるとことを引っ張ってしまい、やっと橘家に遙が赴いたのは、思い立ってから約1カ月近く経ってからだ。
「出かけるぞ」
 左右を蓮と蘭とに陣取られ窮屈そうにしていた水希は、唐突かつ不十分な遙の言葉に当たり前だが首を傾げた。
 午前中に呼び鈴を鳴らした人間の顔を拝んでやればそれは幼馴染で、どうせ真琴に用だろうと思った水希は「ちょっと待ってて」と踵を返そうとしたのだが、遙の例の一声で、石化とまではいかないが、その場に佇む形になってしまったのである。
「水希兄ちゃん、出かけるの?」
 横から聞こえた幼い声で水希はハッとした。
 それから、えっとと返答に詰まり、助けを求めるが如く遙を見つめる。
 遙は一つ息を置いて「買い物」とこれまた少なすぎる単語だけをぽつりと落とした。
 あまり助けになっていないのは言うまでもない。
「あー……」
「……用事があるのか?」
「いや。ないけど……ちょっと待ってて」
 水希は遙を玄関に残したまま来た道を引き返した。
 弟妹もついて行くかと思いきや、彼らは遙を興味深そうに見つめている。
 うずうずとした様子は自分たちも出かけたい、と言っているのがよくわかる。
 遙はわずかに困った。
「ね、ね、蘭もついていっていい?」
「ずるいっ。僕も!」
「……水希に聞いてくれ」
 こんなにもあどけない笑顔をみせる彼らにまさかダメだと言えるはずがなく、判断を水希に委ねて(というより押し付けて)しまったのだがそれこそまずったかもしれない。
 あのブラコンが家で待っておきなさいと言うだろうか。
 考えれば考えるほど確率が低い。どうやったって高校生2人と小学生2人が仲良しこよしで手をつないでいる絵が浮かんでしまう。
 頭の痛い話である。
 今日はどうしても、2人で出かけたいのだ。
「真琴ー、出かけてくる」
「一人?」
「遙と」
 特段耳をそばだてているわけではないのだが、リビングの方から聞こえる会話に遙はいささか居心地が悪くなった。
 水希の方は何もわかっちゃいない様子だが(いや、わかっていたら逆に怖いのだけれど)真琴の方はあの妙な察しの良さから遙の目的を読んでしまっている気がしてならなかったからだ。
 つまり、なんだ。
 真琴がそれこそ親のような愛情深い目をして、自分たちを見守る笑みを浮かべているのが容易に思い浮かんだのだ。
 ああだこうだと思い悩んでいるうちにネイビーのショート丈のコートを羽織った水希が戻って来た。
 早速弟妹は彼を取り囲む。
「水希兄ちゃん、僕も行きたい!」
「へ?」
「蘭もー!」
 アイボリーの控えめなチェック柄の入ったマフラーを首に一周させながら水希は2人を見下ろした。
 キラキラとした眼差しに射抜かれ、水希はぐっと唸って困ったように目を泳がせる。
 遙は何も言わずその様子をじっと見ていた。
「……また今度な」
「えー!」
 2人そろって声をあげても、水希はまた今度と繰り返して靴を履きつま先を鳴らした。
 遙はいつものごとく口を三角に開いて、大層驚いた様子で水希を見ていた。
 その眼差しは、どちらかというと何か信じられないものを見たときのそれに近い。
 気づいた水希が「何?」と首を軽く倒す。
 なんというべきかと遙がもごもご口を動かすが、その小さな声なんてまだ納得のいっていない弟妹のそれらにかき消されてしまうのである。
「やだー! 蘭も行くのー!」
「っ、こら」
 ひしっと腰にしがみついた蘭に水希がわずかにふらつく。
 宥めようとしたところ、それに追い打ちをかけるように蓮までもが半ばタックルする形で抱きついて来たのでいよいよ水希はつんのめり、しまいには完全にバランスを崩してしまって前にいた遙にぽすりと倒れた。
「、悪い……」
「……いや」
 水希が気まずそうにしているが遙にしてみればラッキーなんちゃらなイベントである。
 こればっかりは橘家の双子の弟妹に感謝だ。
「……取り込み中?」
 さりげなく水希の背中に回そうとしていた遙の手は、そんな一言でピタリと止まってしまった。
 玄関までやってきて、水希が遙に抱きついているという現場を見た真琴がきょとりと目を丸くしていたのだが、水希が押すな押すなと騒いでいるのと、蓮と蘭が声を上げながら水希の腰にひしっとしがみついているのとを見て理解したのか、呆れた顔に変わって、こらこらと言いつつ弟妹を引っ張った。
「こら。水希が困ってるだろ?」
「やだー! 離して! 蘭もお兄ちゃんたちとお出かけするのー!」
「するのー!」
「だーめ、2人は俺とお留守番」
 やっと弟妹たちから解放された水希が安堵の息をつく。
 当然のようにすっと離れていった温もりに、遙はどこか物足りなさを感じた。
 弟妹はターゲットを真琴に変えたようで、なんでなんでと頬を膨らまして彼に言う。
 真琴はちらりと遙を見た。
 なんだろうかと遙が二度三度瞬きすると彼はなにやらこしょこしょと弟妹に耳打ちしたのだが、なんと言ったのだろう。
「兄ちゃんたち、デート?!」
「あっ。こら!」
「真琴!」
 蓮の大きな声に真琴が慌てて彼の口を塞いだが時すでに遅し。
 変なことを教えるなと怒鳴った水希に「逃げろー!」と声を上げて真琴がリビングに走っていった。
 それを真似て、弟妹たちも「逃げろー!」と同じことを叫びながら真琴の後を追う。
 玄関にぽつんと残された遙と水希は、シンと静まり返ったそこでしばらく突っ立っていた。
 真琴のあれは蓮たちの気をそらすための策略だったのだろうが、随分手荒なまねにでたなと遙は呆れた。
 だってほら、遙の前にいる水希の機嫌が右下がりなのが見て取れる。
「……遙。行こう」
「……ああ」
 俯いているので不機嫌になっているのだろうと思ったが違ったらしい。
 眉間に寄ったシワなんか、見る人の大半が機嫌の悪さを示すものだと思うだろうが、今回のこれは恥ずかしさからきているものだと遙は知っていた。
 時と場合によって違う、というやつだ。
 見分けるのはひどく困難だが遙にとっては容易いものである。
 遙はほんの少し気分が良くなった。

 家の外に出ると、忘れていた寒さが身に沁みる。
 慌ててポケットに手を突っ込んだがあまり効果はない。
 遙がふるりと身震いすると、水希がそれに目を細めた。
「マフラーも、手袋もなし?」
「……来たときはここまで寒くなかった」
「ばーか」
 ムッとして水希を睨む。と、同時に遙の上着の左ポケットにするりと水希の右手が入り込んで、遙の左手に絡まる。
 え、と驚いている間にもその温かみは手先からじんわりと伝わってくる。
「買い物って何の? 水着?」
 しかも混乱しているのは遙だけのようで、水希は至って普通に会話を続けた。
 変なところで何の羞恥ももたない水希には、遙の方が恥ずかしくなってくる。
「水着じゃない」
 水希は意外そうに遙を見た。
 遙をなんと思っているのか水希の中では「遙の買い物=水着」という方程式が成り立っているらしい。
 かろうじて他に思い浮かんだ「食料調達」も遙にあっさり否定されてしまったので口を噤むしかなかった。
 他には、と水希が思惟する中、遙は不意に視線を感じて振り返り、後ろには誰もいないことがわかると上を見た。
 するとどうだ。
 二階の窓辺になにやら黒い影がサッと動いたのが認められた。
 小さい影が2つと大きい影が1つ。
 それがなんであるかなんて考えずともわかってしまって遙は呆れた顔をした。
 なにやってんだ、真琴のやつ。
「遙?」
「いや、なんでもない」
 上に何かおかしなものでもあるのかと遙に倣って視線をあげた水希を、遙は引っ張って橘家を後にした。
 水希は気になるものは気になるものでいささか名残惜しそうに家を見ていたが、諦めたのか歩調を遙にあわせた。
「それで買い物ってなに?」
 並んで石段を下る際、結局自分では謎が解けなかった水希が遙に質問を繰り返した。
 遙が水希に一瞥を投げ「布地」と呟く。
 水希の口からこぼれた間抜けな声は、何も遙の言葉が聞こえていなかったための聞き返しではない。
「布地って……」
 一体何に使うためのものなのかと水希は続けて聞いた。
 素朴な疑問であったが、遙にとってはあまり聞かれたくないものだった。
 存外言いづらそうにする遙に無理には聞くまいと思った水希が話を変えようとしたのだが「エプロン」と遙が言うので出かけた言葉は飲み込んでそちらに耳を傾けた。
「水希、この間誕生日だっただろ」
「まあ」
「……何も渡せなかったから」
「え、気にしてたの? そんなことに気ぃ遣わなくていいのに」
 水希が真琴にイヤホンをあげた誕生日の話だ。
 水希は苦笑して頬をかいた。
 そりゃもらえるかもらえないかで言えば、もらえる方が嬉しいのだけれど、そこまで気に病まないでほしい。祝ってもらえただけでも十分なのだから。
「……気を遣ってるわけじゃない」
「?」
「俺以外にプレゼントをもらって、嬉しそうな顔をしてたお前にあまりいい気がしなかっただけだ」
 水希は意外そうに遙を見た。
 遙はすぐにそっぽを向いてしまっていたが、それでもその横顔を、しつこいぐらいに眺めていた。
 つまり、なんだ。嫉妬か。
「……おまえ意外と可愛いな」
「うるさい」
「ごめん」
 一言しか喋ってないのに理不尽だと思ったが、それが遙の照れ隠しであることぐらいよくわかったので、水希は素直に謝った。
 とは言っても、その声は笑いで震えていた。
「ま、でも俺はおまえにおめでとうって言われたときが1番嬉しかったけど」
「…………」
「え。なんで睨むわけ」
「……はあ」
 またからかいにきたのかと思えば、まさかの素だ。遣る瀬無い。
 遙の重たいため息に水希はひたすら首を傾げる。
 遙はポケットの中の手に思いっきり力を込めた。「痛い痛い!」と割と本気で水希が騒ぐので、ちょっとだけ心が晴れた気がした。

 数日後、遙が日頃身につけているエプロンと色違いでそっくりのものを身につけてお菓子を作る水希を見た真琴は、感極まってその場に崩れ落ちたとか、違うとか。