午前9時過ぎ。
聞き慣れたインターフォンの音を鳴らし、待つこと数十秒。通い慣れた家に動きはない。
真琴の目線は自然と風呂場の窓へ向く。
やはり、あそこだろうか。
「はい……」
裏へ回ろうとした真琴の足がピタリと止まる。
突然からりと開いたドアから姿を現したのは、真琴が呼びに来た幼なじみだ。
「あっ、ハルちゃん」
「……」
真琴は若干驚きながら視線を遙に移した。
ハルちゃん、と呼ばれたことを快く思わなかったらしい。
遙は眉間にしわを寄せ、何事もなかったかのように引き戸を閉める。
「ああっ、いかないでハル!」
しまった扉に向かって真琴が叫ぶ。
するとからから音を立てて、肩幅程度扉が開いた。
そこから機嫌の悪い顔をした遙がジ、と真琴を睨む。
「……なんだ」
「初詣、行かない? みんなも来てるんだ」
「?」
ちょいちょいと真琴が手招き。
誘われるがままに家の外に出て石段の方を覗くと、見慣れた影が3つ。遙に背を向け座り込んでいる。
みんな私服だ。
水希は真琴がいつも世話する白猫の頭を撫で、その後ろで渚と怜が肩を揺らしている。
ぽかんとする遙の肩を真琴の大きな手が叩く。
「あけましておめでとう、ハル。今年もよろしくね」にっこり笑う真琴。
このタイミングか、と遙は呆れつつも、ああよろしくと。挨拶し返した。
♯
5人は電車に乗って大きめの神社に向かった。
陽気な人の話し声が溢れ、出店では半袖の男が白煙を立て定番の食べ物を作っている。
「人がいっぱいだねえ……」
渚はどこか楽しそうに辺りを見渡す。
「渚くん、今日のメインは食べ物じゃありませんよ?」
怜が呆れたように言うが、渚はわかってるわかってる、と返した途端に1つの出店へ駆けていく。
「焼きそば2つくださーい!」と、器用に人混みをくぐるので、怜はもはや追う気がしない。
「渚は元気だなあ」
「元気すぎますよ……」
肩をすくめる怜を真琴が慰める。
「水希は人混み、平気?」
「ん」
水希はこくりと頷いて、右手で目をこすった。
こう見えて水希は夜遅くまで起きるのが苦手だ。
真琴が今朝聞いた話によると、まだ眠気の残る彼は、昨晩、蓮が年越し番組を見るのに付き合って無理して0時過ぎまで起きていたらしい。
先ほどから反対から来る人と肩が当たりそうだし、放っておくと呆気なく人混みに飲まれてしまいそうだ。
その危うさに心配性の真琴は水希の手を見て――。
「おい。歩くか寝るかどっちかにしろ」
「寝る」
「ダメだ。歩け」
「なら選ばせるなよ」
お互いに蔑みの目を向け合う2人は新年早々歪みない。
水希の手はすでに遙が握っていた。真琴がやるよりも早く、真琴が気付くよりも先に、遙が気を利かせたのだろう。
真琴はくすりと笑った。
「たっだいまー!」
「ちょっ、なんですか渚くん! その、福袋をたくさん買ったかのような有様!」
「だってどれもおいしそうなんだもん! ほら、怜ちゃんも一口!」
「いりませっ、熱っ!!」
「こら渚!」
口にあつあつのたこ焼きを突っ込まれた怜は、はふはふ言いながらそれを消化しようとしている。
叱りつける真琴にも渚はたこ焼きを差し出した。まったく悪びれる様子もない。
「ほら、まこちゃんもあーん!」
「ちょっそれまだ熱、あっつ!!」
第2の被害者が誕生した。
遙と水希は自分たちは被害に遭わないようにと、極力渚を視界に入れず、黙って足を動かした。
その甲斐あってか幸せそうに頬張る渚は、2人をあつあつのたこ焼きの刑――刑と言っても渚に悪気はない――に処すことはなかった。
「手水舎ってどの辺だろ」
「あそこだ」
すっと遙の指差す方を、目を細めて見てみると、そこに近づく者の何人かが手袋を外している。
手水舎は結構遠く離れているので、見つけるには苦労するはずなのだが。
水の気配、つまり遙故、見つけられたのだろう。
「おまえ、水脈掘り当てられそうだな……」
遠い目をして、水希はフ、と笑った。
いつかつるはしを片手に温泉でも掘るのではないかと気が気ではない。
そんな水希の遙をバカにした胸中を感じ取ったのか、遙は肘で水希を小突いた。
手水舎で身を清めた後、遙はなにやら名残惜しそうにしていたが、こくりと喉を鳴らした遙に危機感をもった水希と真琴が彼を引っ張った。
新年早々脱がれてはたまったものじゃない。しかも神社。
「水希ちゃんは、なにをお願いするの?」
「家内安全」
「言っちゃうんですね……」
「えー、つまんない!」
他人の願い事にケチつけるなと水希は渚を睨む。
渚は物怖じせずに水希の正面に立つと、「他のことはいいの?」と首を倒す。
なにか頼まなければならないことがあっただろうか。
「他のこと?」
「うん。例えば……」
ちょっと背伸びをして、渚は水希に囁いた。
「ハルちゃんと、幸せな一年が過ごせますよう……」というところまで聞いて、水希は渚の頭を鷲掴みにした。
ガシッと。急にするのもだから、渚の声が届いていない他の3人は驚く。
「あは、あはは、痛いよう水希ちゃん……冗談だって、ジョーダン」
「2度目はないと思え」
どすのきいた声と一緒に、渚は解放された。あのままめしゃっと潰されて、危うく放送禁止のスプラッタ映像が流れるところだった。
怜と真琴はふらふらと水希から離れた渚を憐れむ目で見つめる。なにを言われたのかと聞く気はない。聞けば最後、自分も頭を鷲掴みされる。
……が、彼は違う。
「なんて言われたんだ?」
遙はある種勇敢だ。
真琴と怜は見て見ぬ振りをして彼らから少し距離をとった。
水希が明らかに表情を歪めて遙を見た。
「……絶対おしえねー」
ぷいっとそっぽを向いて、水希が遙から離れていく。
ぽかんとした遙は、やや慌ててその背中を追った。あの様子じゃ水希は答えてくれそうにないので、渚に聞こうと思いながら。
運がいいのか長い列に並ぶことはなかった。
5人は横一列に並んで神前に立ち、賽銭を投げる。
鈴は渚が代表して鳴らした。
二拝。
ふと水希は横の遙を見た。
脳裏によぎったのは渚の言葉だ。
遙との幸せな1年。2人だけで素敵な日々を過ごすことを自分は望むのだろうか。
……いや。
二拍手。
水希はそっと目を伏せた。
瞼にひっついているのは仲間たちの姿だった。
トラブルメーカーの渚。
理論バカの怜。
怖いものが苦手な真琴。
筋肉フェチの江。
涙もろい凛。
意外と優しい宗介。
無邪気な百太郎。
頑張り屋な愛一郎。
スキンシップ過剰な貴澄。
そして、口下手な遙。
みんな柔らかい表情であった。
不器用な自分に優しく手を伸ばしてくれていた。
みんなと一緒にいたいと思う。今年もまた、彼らと笑顔で過ごしたい。
そっと目を開け、一拝。
「……長かったな」
「うん」
水希より先に終えていた遙が、不思議そうに水希を見つめる。
てっきり、関係ないだろとか、そうでもないだろとか。そんな返事が戻ってくると思っていたのに。
「なにを頼んだんだ?」
「家内安全」
けろっと答える水希に遙の不信感は増す。本当に家内安全だけなのか。もしやこのブラコン、その称号に恥じぬ願いをしたのではなかろうか。
「そういう遙は?」
「……家内安全」
「あっそ」
ふっと水希が笑う。
遙もどうせ自分と似たことを祈ったのだろうと思った。
「てっきり『海に帰れますように』かと思った」
それでも口から出るのは憎まれ口だ。
ム、と眉を顰めて、遙が「水希は俺を何だと思ってるんだ?」と文句を言う。
「ハルちゃん、水希ちゃん! 早くこっちに来て、おみくじひこうよ!」
渚が2人に向かって声をかけなければ、真琴の頭痛の原因である小競り合いが始まったに違いない。
先に場所を移したらしい渚は、おみくじの販売所の前でぶんぶんと手を振っている。
怜と真琴も一緒に待っていた。
「……おまえと俺だけ随分長いお願い事だったらしいな」
水希は呆れたように言うと、渚の方へ歩き出す。
「……水希」
少しだけ離れた位置で水希が止まり、振り返る。
遙ははく、と口を動かして、すぐに困ったように目を泳がせる。
真琴の方には言えた。しかし弟の方には、どうしてかさらっと言えない。
今年もよろしくなんて。難しい言葉ではないのに。
「……遙、このあと暇?」
「は? ああ……」
「じゃあ、今年もよろしく。おいしいサバ」
ひらりと手を振って、水希がまた遙に背を向けた。
つまり、あとでサバを焼いてくれ、ということだろう。が、本当に言いたかったのはそんなことじゃないと遙にはわかった。
相変わらず不器用だと思った。余計な一言がなければ、素直に言えないのだ。
まあ、それも自分も一緒だ。
遙は小さく笑った。
あんなに長く願わなくたってよかったかもしれない。わざわざ祈らなくたって、きっとこの関係は変わらないのだ。
置いてけぼりにされまいと水希に駆け寄った。
「今年は好き嫌いがもっと減るといいな」
「サバしか食べないおまえに言われたくねーよ」
水希が遙を肘で小突く。
このつまらない言い合いもまた続くのだろう。
「もー2人とも早くー!」
ゆっくりと歩く遙たちに焦れた渚が声を上げる。
「水希、ハル、俺たち先に引いちゃうよー?」
「水希先輩、遙先輩! そんなにゆっくり歩いてないで早く来てくださいよー!」
まさか真琴と怜にも催促されるとは。
遙と水希はなんとなく顔を見合わせて、そっと息をつく。
「せっかちなやつら」とどちらともなく呟いた。
文句を言いつつ、目の前の顔は少しもうんざりしていなかった。むしろ――。
本当、素直じゃない。
思うことはお互い同じだ。
「ハルちゃん、水希ちゃん!」何度目かの催促。遙と水希はやっと走り出した。