昼時の演練会場には人が殆どいない。
白藍はヒールをコンクリートの廊下に当てて音を鳴らす。
コッ、コッ、ココッ。
「アンタよくそんなの飲めるよな」
「んーん、まずいよ」
ぬるくなった珈琲を口に含み、嚥下する。光忠の珈琲に慣れてしまっているため、そこらの安っぽい缶珈琲では満足できない。空っぽになった缶をゴミ箱に入れて大きく息を吐く。
何事もないといいけれどーー。
「そろそろ行こっか」
「おう」
伊達メガネを掛け、襟元を整える。白藍色の桜ピアスが煌めく。それを指先でつつき、小声で呟いた。
「こちら白藍。抜き打ち本丸監査、再開する」
『了解です。どうかお気を付けて』
「白藍さん、和泉守さん、お久しぶりです!」
突然の訪問者にゲートを操作して対応したのは鯰尾藤四郎、この第4868本丸では3番目に顕現された最古参と言える脇差だ。連絡無しの来客に当てるには妥当だろう。
「…あの〜、もしかして主さん、何かやらかしちゃいました?」
白藍と和泉守を見上げて気まずげに眉を下げ、頬を掻くその様はただの中学生のよう。どうやら彼は本部から届いているはずの連絡を知らない様だった。
ぴょこんと空へ跳ねるアホ毛を巻き込んで和泉守がガシガシと頭を撫でる。
「いーや、ただの抜き打ちだ。主から何も聞いてねえのか?」
「ええっ、そんなことなんにも聞いてないですよー!」
「おーい鯰尾ーー!何だった、ってあああ!!白藍さん!えっなんで!?」
なかなか報告に来ない鯰尾に焦れたのか、審神者がゲートへと駆けた。白藍の姿を確認すると大きく驚き、刀剣どころか主さえも連絡を確認していないのかと頭が痛くなる。彼と、近侍と思わしき鶴丸国永の前には明らかに色の違う芝生。足元など見ずに走る審神者の数秒後は想像するに難しくない。
「おい主!まて!そっちはーーーっ、あ。」
「は!?あ、っうわぁああああ!!」
「ほんっとうにごめんね、白藍さん。主はもうすぐ出てくるから少しだけ待っててくれる?」
「はい、大丈夫です。少し縁側に座っていても?」
燭台切光忠はにっこり微笑んでいどうぞ、と促した。
太陽のあたたかな光が庭の草花に降り注ぎ、短刀たちの笑い声が聞こえる。
いい本丸だな、と思う。
この本丸に訪れるのはこれで2回目だ。前回来た時はたしか、太刀は燭台切一振り、本丸運営に困って泣き付いてきたことを思いだした。まだあれから一年しか経っていないけれど随分と成長したのを感じられる。
本部からの連絡をしっかり確認していないのはよろしくないけれど。
大きな足音が段々と近付いてくる。
部屋に駆け込んできた審神者は息を整えることもせずに頭を下げた。
「お、お待たせしました…!」
「待たせて悪かったな、まさか主があんなに綺麗に落ちてくれるとは!」
そう悪びれることなく陽気に笑う鶴丸国永に審神者が噛み付くが、背後から現れ説教をする燭台切光忠に2人はしぼんでいった。
「ふふ、構いませんよ。それでは、本丸を巡らせて頂いきますね」
「はい!お願いします!」
一通り全ての部屋を見て周り、出会った刀剣男士達に話を聞く。
まだ若い審神者だ。友達、家族のように接しているようで刀剣男士達との仲も良好。問題も無さそうだ。
「白藍と言ったな、監察官は普段どんなことをしているんだ?」
「そうですね…今日のようにいろんな本丸を異常がないか見て回ったり、刀剣の売買なんかの取り締まりや上層部の膿を取り除いたり。まあ、簡単に言えば悪い人を捕まえるお仕事をしています」
「こりゃ驚きだ、ずいぶん危ない仕事をしているんだな。やましいことをした審神者が刀剣達に命令して刃を向けてきたりしないのかい?」
蜂蜜色の瞳をまんまるにして、鶴丸は問う。確かに危険な仕事だ、ブラック本丸で審神者の主命に従い向かってくる刀剣男士達も少なくない。
それでも、
「…私のこの仕事で救われる人が、刀が居ることを知っているので、辞めたいとは思えないんです」
別れる前に本部からの連絡はしっかり頭に入れておくことを念押しして第4868本丸を後にした。
審神者も刀剣男士達も、若々しくてエネルギーも貰えた気がする。白藍の刀剣男士達は顕現してもう何年も経っているため、皆老熟しどこか大人びているのだ。
「こちら白藍。第4868本丸は問題ないよ、第4869本丸へと移動する」
『4869本丸の担当役員から近頃様子が可笑しいとの連絡が入っています、何かありましたら連絡してください』
ーーー応答ありませんーーー
無機質な文字が画面に点滅している。
本丸コードを入力、移動を押して五分が経つが本丸側から開けられる気配が無い。基本的に、外からの開門要請が届いたら本丸内何処に居ても通知音が聞こえるようになっている。各本丸ごとで通知音を変更することは可能だが、気付かないほどに小さくしたり無音にすることはできない。
ため息を落として和泉守と顔を見合わせ、頷く。
赤く光るその文字をタッチして20の数字を打ち込んだ。この数字は人に教えることは勿論、メモや音声に残すことを禁じられている転送ゲートの特殊パスワード、相当の立場がある者しか知らぬものだ。
ーーー強制開門しますーーー
強制開門を知らせる大きな音が鳴り響いているが、辺りには審神者どころか刀剣男士の姿も見えない。この状況下で出てこないのは明らかにおかしい、異常だ。
和泉守の顔付きが険しく、いつでも刀を抜けるように刀へ手を添えている。雲に隠れた太陽、どんよりと重い空気。
「4869、強制開門した。いつでも来れるようにしておいて」
『了解です』
「どう思う?」
「…気配が薄い、資料見た限りじゃ30は居るはずなのにそれを感じられねえ。ブラック本丸によくある禍々しさもねえが、…気を付けろよ」
「わかってる」
担当者から提出された資料によれば、刀解は日課分されていたものの、破壊は無しだった筈だ。審神者が破壊報告をしていなかったとしても、襲撃も無かったのに数十本もの刀が対歴史修正主義者との戦いで折れることはないだろう。ここの審神者は若い女性だったが、刀のレアリティを意識しておらず無理な進行をするような審神者ではなかった筈だ。
といっても人間の心なんて弱いものできっかけさえあれば良いようにも悪いようにもすぐ変わってしまう。
自分以外に同性どころか人間が居ないこの閉じられた本丸。終わりが見えない戦争。まだ親に庇護されていても可笑しくない年で、現世に帰れるのは月に1度。何かあれば転げ落ちるのは一瞬だ。
ーしかし、殆どのブラック本丸は刀剣男士や審神者の負の感情が蠢いているものだが、ここにはそれがない。
「…考えてもしょうがないか、入ろう」
庭の生え始めの雑草も。畑には熟し過ぎて傷んだ野菜、ここ数日は手入れがされていないのが分かる。
「どなたか居ませんか!監察官 白藍です!」
反応は全くない。白藍が発した大声は数秒空気を震わせた後、よく磨かれた廊下の柾目に吸い込まれていった。…まるで空き家だ。
白藍の耳に入るのは2人の息遣い、衣擦れの音だけだが、和泉守には確かに審神者と数振りの存在を感じるようで、その口を開く。
「1箇所に固まってんな、…審神者の私室か。刀剣男士は2、いや3だ。……他の刀も全てそこにある。折れても刀解もしてないから還ってねえんだ」
折れていない、刀解していない。ならばななぜ三振りしか居ないのか。
ハッ、とある仮説を思い浮かべた。これだ、間違いない。
「審神者の霊力不足で顕現が出来なくなった、か」
「たぶんな。だけどよお、なんで相談センターや担当者に相談しなかったんだ?自分だけで解決できるもんじゃねえだろ」
「さあね、そればっかりは聞いてみないと分からんないよ」
審神者の私室まであと数歩、という所で白藍の耳には少女の泣き声が聞こえた。声にならない言葉を吐き出そうとして、嗚咽に変わる。鼻を啜る音、刀剣男士達の心配気な声掛け。
報告を上げなかったのは頂けないが、罪を犯した訳では無い。他の審神者に迷惑を掛けていないし刀剣男士達への対応にも非は無い。
閉ざされた障子の前から静かに声を掛ける。いつにも増して、柔らかく優しい声色だ。
「監察官の白藍です、お話を聞かせてください」
その障子を開けたのは彼女の初期刀、加州清光だった。暗く落ち込んだ、そして疲れが隠しきれない表情。
「…白藍さん、わたし…もうどうしたら、」
審神者の少女は随分とやつれていた。不安、悲しみ、孤独、恐れ、全ての負の感情をごちゃ混ぜにして飲み込んだ様なその顔は、白藍に引き攣った微笑みを向ける。
「落ち着いて下さい、一体何が起こったのですか。初めて顕現が解かれたのはいつ?」
初めに顕現が解かれたのは最近来たばかりの獅子王で、畑仕事をしていたら突然刀へと戻ってしまった。審神者がどれだけ呼びかけ、霊力を入れても再び顕現されることは無く、その後獅子王に続いて蜻蛉切が。そうして物言わぬ刀に戻ったのがその日だけで十振り。パニックになって報告所では無く、その翌日にはまた十振り、報告すれば審神者を辞めさせられると恐れ敢えてしなかったと言う。三日目の今日、とうとう初期刀と初鍛刀、三本目の脇差を残して皆消えてしまった。
先月の健康診断では何も問題無く、霊力もそう変わらない、では何故ーー。
「…私はこういったことの専門ではないですが、その様に突然十振りもの顕現が解けるのは異常です。霊力不足だとしても、通常は1日に一振りずつくらいですから。何かいつもとは違う事があったはず、出撃先から何か持ち帰った、知らない郵便物が届いた…何か心当たりはありませんか。」
きゅ、と眉を寄せて思案する少女に彼女の初鍛刀、小夜左文字がぼそりと囁いた。
「…主の、友達。たしか贈り物貰ってたよね」
元々悪かった顔色が更に真っ青となり、震える手で口元を覆う。噛み合わない歯がガチガチと音を鳴らした。
「さよちゃん、やだ、やめてよ…あの子は審神者になる前からの友達で…!」
「何を貰ったんです?」
「…イヤリングだよ、現世に行った時に主に似合うものを見つけたから、ってね」
加州清光が少女の長い髪を優しく撫でて、耳を晒す。細く、しかし男らしい骨張った指が、淡いピンクのビジューイヤリングを取り外した。
「こりゃ相当力があるヤツじゃねえと呪具だとは気付かねえぞ、この俺でさえ今の今まで分かんなかったからな。練度上限突破かつ呪いごとに詳しい御神刀、平安からあるジジイ達ぐらいか。…はっ、随分と作りこんでるみてえだな」
目を細めてそのイヤリングを眺める和泉守の声は低い。白藍の刀剣男士はここ1年に新実装された者以外は全て練度の上限を突破しており、他の本丸の刀達とは比べ物にならない程の強さ、経験を持っている。その彼でも見抜けなかったとなると、相当厄介な品だ。
「これはこちらで回収させていただきます。……お辛いでしょうが、素早く解決する為、贈り主の審神者名だけでも教えて下さい」
和泉守にハンカチを手渡し包んでもらう。呪具が離れて少しは霊力も安定した様だが、相変わらず少女の顔は白い。ずっと黙っていた骨喰が今にも崩れ落ちそうなその体を支えていた。
「…万寿菊、私より半年程後に審神者に就いていて、元同級生でした…。なんで…、」
三日間流し続けたせいか、もう涙は出ないようだ。
両手で顔を多い、大きく息を吸ったその直後、少女は気を失った。
「主!」
骨喰がくったりとした体を抱きとめ、白藍へと視線を向ける。どこか人形めいたその顔は不安げに眉を寄せていた。
「主は、」
「極度の緊張状態に気を失ったのでしょうね…、大丈夫、息もしているし脈も異常ありません。疲労も勿論、食事もまともに取れていなかった筈ですし。すぐに休養棟務めの医療班が来ますので、まずはしっかり休んで下さい。落ち着いたら担当者や本部の者、監察からも部下が行きますので、これからのことはその時に。勿論顕現が解けた刀も持って行って下さいね」
そこまで一息で告げて目を伏せる。問題はここから、だ。この本丸の最高練度は56、初期刀の加州清光。和泉守には遠く及ばないし、慣れていると言っても白藍は人間であるため神々の怒りにはひやりとさせられる。可能ならば避けて通りたいものだ。
ピンと弦を張られたような緊張感のなか、小夜左文字が小さな口を開く。その瞳はどんよりと昏い。
「万寿菊はどうするの」
ーーー来た。
「こちらで身柄を確保、その後動機や呪具の購入先、余罪等を全て調べ上げます。その罪に見合った判決が下されて、万寿菊は裁かれることとなります」
ちくちくと肌を刺すような怒りが、彼らは全く納得していないことを知らせる。
「主をここまで追い詰めてくれたこと、刀に戻された奴らの分も、お礼がしたいんだけど?」
「刀剣男士による制裁は許可できません」
「主に泣き寝入りしろって言いたいわけ?アイツにも味わせてやりたいもんだね、一年半一緒に戦ってきた仲間が次々と消えていく喪失感をさ」
「泣き寝入りしろとは言っておりません。こちらにお任せ下さい」
加州清光の口調に怒気が混じり、目元をさらに吊り上げた。基本的に刀剣男士が人間を害なす事があればその刀は良くて期限付き顕現解除、最悪刀解だ。相当特別な事情があれば処罰がないこともあるが、今回の件はそれに当てはまらないし、万寿菊への罰は本部と監察が話し合って決めることである。
こういった被害にあった本丸の刀剣男士達は自分で報復することを望む。毎回それを説得するのに時間が掛かるが、今回は医療班がタイミング良く到着してくれた。
訪問を知らせる音が鳴り、「開けてきますね」と一言告げて駆け足でゲートへと向かう。
「不満だろうが、まずは主の体調を最優先しろよ。」
「わかってる…!」
その後、医療班の指示のもと彼らは休養棟へと移動して、白藍と和泉守は抜き打ち監査を再開した。
予定通り10の本丸を回り終え、白藍が監察課へと帰る頃には疲れきっていた。
部下から手渡された書類をデスクに置き、大きな音を鳴らして椅子に座る。眼鏡は外してケースへと仕舞った。
「つっかれたー!」
「お疲れ様でした、こちら蘇芳さんからの報告書です」
同じく抜き打ち監査をしていた蘇芳はスムーズに仕事を終えた様で、書類を預けて帰ったらしい。パラパラとそれを眺めて本日何度目かのため息を落とす。
「万寿菊の件ですが、担当者に聞いた所2日後に現世へ行くようです」
「じゃあ身柄確保は現世でしよう、刀剣男士達に反抗されるのも面倒くさい。呪具はどう?」
「これまでに回収したものの中に同じものはありませんでした、今は専門に回してます」
「了解」
精密に作られた呪具。審神者になって一年ちょっとの少女に作れる訳がない。作った呪術師がどこかに隠れて居るはずだ、それを見つけ出さなければ。
明日、白藍は非番だ。本丸でも調べごとが出来るように必要な書類を纏めて帰る支度を始める。
「じゃあ、後は頼むね」
「はい、お疲れ様でした!」