鏡を見ながら薄く化粧を施し、胸の辺りまで伸びた髪に櫛を通す。
ちらりと視線を庭の巨木へと移せば、美しく咲き誇る桜。ここ1年はずっと春に設定してるため、出陣の無い酒飲み達は楽しそうに花見酒の毎日だった。そろそろ、夏に変えてもいいかもしれない。
髪を斜めサイドで結び、ねじって、Uピンを差し込んでいく。もうすぐ30になる捌宮がしていてもイタくない、シンプルで落ち着いたお団子スタイルだ。化粧の仕方は全く違うし眼鏡も無い、敬語も外れているため白藍らしさはまったく息を潜めている。今の彼女は歴史修正テロ対策本部陰陽院8人目の審神者、武蔵国の捌宮以外の何者でもない。捌宮として一般の審神者や職員の前に出ることも滅多に無いので、捌宮=白藍であることは対策本部設立時の上役や同じ仕事をする監察課の仲間達、それから弟子の数人しか知らないことだ。
最近は監察官の仕事が続きスーツばかりだったため、久しぶりの着物に気持ちが弾む。お気に入りの小紋は審神者に就いて一年の記念に初期刀から頂いたもの。
「主さま、おはようございます。おめざめですか?」
閉じられた襖の向こうから聞こえる少年の声。
もう1度鏡を見直して、身だしなみを確認。よし、今日も綺麗に着れている。入っていいよ 声をかければ、礼儀正しくしつれいしますと言い終えてから静かに開けられた。
「今日は今剣なんだね、おはよう」
「そうなんです!やーーっとぼくのじゅんばんがまわってきたんですよ。たんとうもずいぶん、ふえましたからこのお役目も よやくさっとうなんです。」
「予約殺到かなんだか人気者にでもなったみたいだね」
「主さまはにんきものです!」
「ありがとう。じゃあ、1日おねがいね」
そう伝えれば、一秒前には確かにそこに居たはずの今剣が消え、うつくしい一振りの刀とその声だけが残った。
「はい、しっかりおまもりします!」
今剣と交換するように懐から短刀を取り出し、畳へ。
「薬研、お疲れ様」
瞬間、あたりには薄紅の花弁が舞い艶やかな黒髪が揺れる。粟田口吉光が一振り、薬研藤四郎。
その儚い美貌とは裏腹に、くっと口角を上げて男らしく笑った。
「おう、次はまた暫く後だな。なんなら指名してくれてもいいんだぜ、たーいしょ」
「んんっ!」
兄弟達の所に行ってくる、ひらりと片手を上げて去っていくその姿はとても短刀とは思えない。1人になった捌宮はその頬を緩ませて大きく伸びをした、こんなにのんびりとできる朝は久しぶりだ。それでも普段本丸に居られる時間が少ないため、審神者としての仕事をきっちりとこなさなければならない。審神者と監察官、両方の仕事がない日など殆どない。全くなんてブラックな職場か。心の中で政府に毒づき、鼻をすん、と鳴らした。お出汁のいい匂いがするーー。
つやつやの白米に、大根おろしを添えられた焼き色の付いた鮭、ほうれん草のお浸しにはすり胡麻と鰹節がかかっていいる。お麸と三つ葉の入ったお吸い物、そして捌宮の大好きなだし巻き玉子。ほかほかと湯気が上がるその膳を眺めて感嘆の息を零した。
「おいしそう」
「今日のだし巻き玉子は特に自信作なんだ、楽しみにしてくれ」
ふわり目元を緩めた歌仙が自信たっぷりにそう告げるので、もう一度だし巻き玉子へと視線を向ける。焦げも無く綺麗な黄金色、ふわふわとしているそれ。歌仙が自信作というほどだ、さぞや美味しいことだろう。
広間に刀達が集まってきて、それぞれがお茶を入れたり膳を運んでいる。審神者の左側、その座布団に座ったのは7年間共に戦っている初期刀だった。
「今日は一日中本丸に居るんだったか」
「そうだね、何も問題が起こらなければだけど」
やれやれ、両手を広げて困った様な仕草をする彼に笑みが零れた。この7年間、何度も死にかけた。審神者制度が作られた当初は刀と共に戦場を駆けたし、本丸を襲撃された事も。折れた刀だって勿論あった。それでも、こうしてはじめの一振りが変わらずに隣に居てくれることに酷く安心する。
「全く、君は仕事のしすぎだ。たまにはゆっくり休んでも罰は当たらんさ」
「そうしたいのは山々なんだけどさあ、」
「まあ構わん、先ずは朝餉にしようじゃないか。今日の当番は歌仙達だったな、美味そうだ」
ぐるりと広間を見渡せば、もうさっかり配膳は終わっていた。確かにまだ温かい食事を冷ましてまでする話でもない。
「待たせてごめんね、…いただきます」
結論から言うと、歌仙のだし巻きは今までで1番の出来だった。柔らかな口当たりに凝縮された出汁の香り、口の中に入れれば溶けるようになくなってしまった。
おいしい、最高、好き、おいしい、大好き、幼い子供のように瞳を輝かせて歌仙へ向けた言葉はまるで29とは思えないようなものであったが、当の歌仙はその飾らない言葉に耳を真っ赤に染め上げて狼狽えていた。全く雅も風流も無い。
はっ、と自我を取り戻し、こほんと小さく咳払いして空気を整える。
「では、今日もよろしくおねがいします」
むんむんと熱が籠る鍛刀部屋、捌宮は残り時間を示すパネルを見つめている。朝餉を終えてすぐに日課分の鍛刀は完了しているが、本部に送る報告書も書き終わり時間が空いたために思い付きで本日四回目の鍛刀を始めたのだ。
…3、2、1
出来上がった大振りの短刀は良く知っているものだった。霊力を注いでしまわないように気をつけながらその御刀に触れる。この刀は捌宮と7年間共に過ごした“平野“ではない。理解しているがーー、
「ああ、平野藤四郎か。…おいおい、君、何て顔をしている。呆れたぜ、まさかこれに彼を重ねているんじゃないだろうな。」
細められたそれは到底主を見る目ではなかった。目を逸らし、ポツリと零す弱音を彼は拾い上げて腕を組んだ。
「いくら寂しかろうと、それは平野に対する侮辱でしかないな。彼は君の為に更なる強さを求めて修行に出ていると言うのに、その間君は新しく鍛刀したこれに彼を投影して自分を慰めていた?笑い話にもならないぜ。」
ぐさぐさと突き刺さる言葉の刃は非常に鋭く、捌宮の心は血だらけだ。捌宮のはじめの一振り、鶴丸国永は非常に辛口である。先日監査に入ったにこやかな鶴丸国永とは似ても似つかない。
国永の言う通りだ、捌宮は唇を噛んで目を伏せた。己の平野藤四郎は彼だけ、唯一無二のものなのに寂しいからと余所見をした。きっとあの短刀は望む力を手に入れて帰ってくるだろう、両目をキラキラと輝かせて自信満々に捌宮の元へ。
ああ、恥ずかしい、平野に合わせる顔がない。
「泣くな」
「泣いてない」
「はあ、手のかかる主だな、少しは成長したかと思えばあの頃のままだ。…ほら、君に手紙が届いている。平野と、例の恋文だ」
懐から取り出した二枚の手紙を受け取り、封を開けた。主へ、から始まる文字は確かに見慣れた平野のもの。無意識に手に力が入るが、くしゃりと皺を作ってしまわないように慌てて持ち直す。彼から貰った初めての手紙だ、一字一句逃すことのないようにゆっくりと読み始める。
『本当に強くなれるんでしょうか』
筆先が震えたのか、いつも綺麗な文字を書く平野にしては珍しく乱れていて、彼の不安が読み取れた。不安が無いはずが無い、この“修行“は当本丸どころか歴史修正テロ対策本部初の試みであり、第0001本丸の乱藤四郎、第0002本丸の厚藤四郎、この第0008本丸の平野藤四郎、第0010本丸の五虎退の四振りだけにしか実施されていない、謂わばテストのようなものなのだ。この本部創設期時代に顕現された短刀達が無事帰ってきてから会議をし、微調整して各本丸で修行が実装されることとなる。
「…帰ってくるよね」
「君の懐刀だ、信じて待て。うんと強くなって俺達を驚かせてくれるさ」
心底楽しそうに目を細めて笑う国永は平野の帰りを確信していて、手合わせするのが楽しみだと零す。
もう先ほどまでの肌を刺す空気は無くなっていた。
「見てよ、これ。平野も私のことよく分かってるよね」
「ははっ、当然だろう。何年君の懐に入ってると思ってる。明日の手紙も楽しみだな」
こんな手紙貰って嬉しく無いわけが無い、こちらからも手紙が送れたら良いのに。季節はどうなんだろう、寒くないかな、暑くないかな。江戸城にちゃんと平野が寝る場所はあるのだろうか、食事はどうしているの。
心配事は尽きないし、今すぐ会って抱きしめたいけれど、平野の帰りを信じて待つしかない。
「国永も修行に行ったら手紙を書いてくれる?」
「そうだな、君をあっと驚かせるようなものを送ってやろう」
「それどんな手紙にするつもりなの」
国永と目を合わせて笑いあい、鍛刀部屋を後にする。
第一部隊の帰城を知らせる開門音が本丸に鳴り響いた。