アパシーがーる。
――好きって、なんだろう。
辞書には、相手に対して好意を抱く事、とか、なんかそれらしい事が書いてあったような気がする。
好きが転じて恋になる。ライクではなく、ラブ。異性に対する好き、は恋。
――じゃあ、恋ってなんだろう。
あたしが恋を意識したのは、中学生の時だ。
同じクラスの…誰だか忘れたけど、女の子がアーチャーに告白している所を見てしまった。
時刻は放課後。掃除当番だったあたしが率先してごみ捨て場へとごみを運んでいる時。
その相手は、あたしが相談されていた、アーチャーの好きな相手だった。
その時のセリフは……なんだったっけ。君が言う必要は無い、俺に言わせてくれ――だったっけな。
アーチャーのクセに何格好つけてるんだよって思った。
そこから普通にごみを捨てて、教室に帰って、荷物を持ったら帰宅して、そして、……――泣いた。
その日は初めて道場を休んだ日でもあった。
親にも心配されたし、無遅刻無欠席だったあたしがいきなり休んだものだから、師範が心配して来てくれたんだっけ。
「思春期だからな。そういう事もある。思う存分青春を謳歌したらいい」
そう言って、師範は父さんとお酒を飲んでいた。
これが、初めて恋を知った淡い記憶。あたしの初恋、だ。
この初恋は、つい先日に十年の時を経て玉砕してしまったのだけれど。
「笑い事じゃないよなぁ…」
ポツリ、と声が漏れた。
凛が、どうしたの? と聞いてくるので曖昧に返事をして、階下の様子に視線を戻した。
白熱した闘い。クーさんと会長の一戦。
どちらも真剣で、瞬きする事も惜しいくらいの攻防戦が繰り広げられている。
どちらが勝つなんて分からない。序盤はクーさんが押していたように見えたけど、体力面では会長の方が優勢だった。体力を削られれば冷静な判断が出来なくなっていくし、第一、頭が動いたとしても身体が動いてくれなくなる。
さて、どっちが勝つんだろう。
「……あ、」
友達名前ちゃんが小さく声を上げた。
会長が、自ら薙ぎ払った槍の横を抜けようとする。
竹刀で薙ぎ払われた事で体制を崩したクーさんは――目で、会長の動きを読んでいた。
「…わかっ、て、――んだよォ!!」
思わず、目を閉じてしまった。
別に血なまぐさいそんな闘いではない。
模擬戦でもあり、真剣勝負でもある、ただの学校行事なのに。あたしは、決着を見る事を止めてしまった。
静まり返る体育館。勝者を告げる声。
その瞬間、湧き上がる歓声。友達名前ちゃんの少ししょんぼりした声も聴こえてきた。
あたしは、目を開けてもいいのだろうか? まぁ、結果を知らなきゃ意味が無い。クーさんにああやって言われた以上、結果を受け止めなければいけないのだ。
「…――っしゃあああああああ!!!!!」
勝者の雄叫びをあげたのは、青い髪色をした槍兵だった。
優勝トロフィーを決勝で闘った相手である会長から貰い、満面の笑みを浮かべるクーさん。
まさか会長が負けるとは思っていなかった友達名前ちゃんは、途中まで気に食わない顔をしていたけれど、ちゃんとクーさんの事をお祝いしているようだった。
あたしは明日に向けてのウォーミングアップを兼ねて道場に行く事をアーチャーに告げ、授賞式を途中で抜けたけれど、体育館と道場はさほど離れていないのでエルキドゥ先輩のアナウンスが微かに聴こえてくる。
本当に、クーさんは会長に勝ってしまった。
思い出すのは決勝前のクーさんの言葉、だ。
優勝したら付き合ってくれ。――その言葉が本心なのか、実はまだわからなかったりする。そして、あたしがクーさんを好きなのかどうかも、イマイチ分からない。
非が無い人だとは思うけれど。付き合ったら楽しいとは思うけれど。あたしは、アーチャーに対する想いを捨てれるのだろうか。
今でさえフラれたのに想いをまだ捨てきれてないし、元の幼馴染という関係に戻れているのかも分からない。アーチャーはその努力をしてくれてはいるだろうけど。
「……ふぅ」
考え事をしながらだと練習に集中出来ない。
今日はこのくらいにしておいて、明日何とかすればいいか。
「着替えよっと…」
道着は明日着るのでファブってロッカーに入れるとして、うん、まぁいいや。いつもは更衣室で着替えるけど…面倒だし。
意外と道着を着ていると暑いもので、真夏なんかインナーのTシャツが汗でびしょびしょになってしまうから、替えを何枚も用意しないといけなくなる。
明日は何枚必要だろうか、とか考えながら道着の上下を脱いだ。
「はぁ、涼しい」
並行して考え事をしていたからだろうか、いつもよりも身体が熱くなっていたような気がする。
しばらくは下着姿でいたい気分かもしれない。
まぁ、下着で畳の上をゴロゴロすると少し痛いのだけれど、この際気にせずにゴロゴロしよう。
今は部長も居ないし、自由に―――、あれ。いま、扉の開く音が、
「おい、名前! 捜したん、だ…ぞ……」
道場の扉を開けて現れたのは、本日の優勝者。
そして視線の先は下着姿で畳の上でうつ伏せになっている後輩。
傍から見れば、きっとこれは、ラッキースケベということになるのではないだろうか。
「あ、クーさん。着替えるので後ろを向いてくれません?」
「お、おう…悪ぃな」
「いえいえ」
ゆっくりと起き上がる。うん、我ながら平常心だ。
これはやっぱりアーチャーのおかげだな。下着姿で寝ているところをたたき起こされ慣れたせい。少し解せぬ。
脱ぎ散らかしていた私服に着替え、道着も畳んで、よし。
「あ、もうこっち見ても大丈夫ですよ」
「おう。――じゃねぇよ! お前ちゃんと女の役目を全うしろよ!」
「あたしが、きゃああああ! とか言って叫ぶと思います? 言ったとしても、ぎゃああああ! だと思うんですけど」
「……あー、そうだな。お前ってそういう奴だった」
観念したクーさんは、ゆっくりとこちらへ近付いてきた。そして、頭を勢い良く下げる。
「え? クーさん? どうしたんです?」
「いや、お前の気持ちを考えずにあんな約束しちまったし…もう1回、ちゃんとしようかと……だな」
「あぁ…なるほど」
つまり、クーさんは、約束は無しにして、告白をやり直したいと言っているようだ。
こちらとしては、まぁ、どっちでもいいのだけれども。それでクーさんの気が晴れるならしたらいいと思うし。
「わかりました。じゃあ、どうぞ」
「どうぞって……促すもんじねぇだろ」
「じゃあこう言ったらいい?」
「はぁ?」
「不束者ですが宜しく御願い致します」
「いやだからそうじゃ――って、は?」
「え? 違う? おっかしいなぁ…」
「いや! おかしくはない! おかしくはないし違わない!!」
ふむ、これは。テンパったクーさんを見るのは良くあるけれど、こんなテンパり方をしたクーさんを見るのは初めてだ。なるほどなるほど。そりゃあ、会長やオディナ先輩がクーさんをいじるわけだな。名前ちゃん、一つ勉強になった。
「で、クーさん的にはもう心変わりとかしちゃった?」
「してねぇし!!」
コホン、と咳払いをする目の前の先輩の横顔を見る。
まだ夕方ではないはずなのに、ほんのりと赤く色づいていた。
「まぁ、なんだ。その…不束者だけど、こんなオレだけど。よろしくな」
「あ、クーさんあたしの台詞パクった」
「パクってねぇよ!」
あたしが笑ったらクーさんも笑う。それが、あたし達の第一歩なのかもしれない。
「あ、忘れてた」
「なんだよ」
「優勝おめでとう、クーさん」
「……おう。サンキュ」
いつもは乱暴に感じるこの撫で方も、これから心地よく感じるのだろうと。そう思った。
ふと、昔の事を思い出してしまった。
今回の劇の台本が恋愛ものだったからかもしれない。
私達4回生の卒業公演って事もあるし、脚本家を目指している友人が構成を練って練って練りまくった内容だし、役に感情移入するのはいい事だと思う。
思うけれど、二年前の事を思い出すなんて私はどうかしてるのだろうか。
「そろそろ時間だし、配役オーディションはまた明日で! しっかり読み込んで演じたい役を選んできてね」
「お疲れ様でしたー!!」
今年の新入生は経験者も多くて助かる、と言っていたのは部長談。ちなみに、演出関係の仕事を目指しているらしい。
新入生達がガヤガヤと台本を見ながらお喋りする中、私達4回生はその光景を見ながらしみじみ思うのが恒例となっていた。
「お、もう終わったのか?」
部室のドアが開くなり、新入生の女子数人が黄色い声をあげた。黄色い声? と疑問に思うが、まぁそれは良しとしよう。
でも、だ。キャピキャピの若い女の子に囲まれて、質問攻めにあって、鼻の下を伸ばしている事に関してはあとで一発殴る。
「在校生なんですか?」
「いや、卒業して二年だな」
「OBなんですかぁ?」
「演劇はからっきし。やった事もねぇよ」
「今日は学校に用事があって来たんですか?」
「おう。まぁな」
「えー、先輩の名前知りたいなぁ」
「――クー・フーリン。ですよね? せ、ん、ぱ、い?」
会話をぶった切ったのはもちろん私で、どうして邪魔するのかという新入生達の視線と、呆れた顔の部員達の視線。どちらも受け止めながら、私は、にっこりと笑った。
「毎年毎年、新入生が入部した時に部室に来るのは止めて頂けませんかねー? そっっっこまでして可愛い後輩にチヤホヤされたいなら、もう二、三年くらい留年したら良かったのにー」
嫌味を思いっきり込めて言ってやった。
「殴るゾ?」
勿論、ハートを添えるのも忘れずに。
「はいはい。1回生はすぐに荷物をまとめる! 居残ってたら顧問に怒られるよー!」
「名前もほら、さっさと帰りな?」
「言われずとも帰りますー」
自分の鞄を持って、さっさと教室を出て行く。
青い奴の呼び止めには応えない。
今日という日は堪忍袋の緒が切れるっていうもんだ。……今日がなんの日か、知ってるクセに。
「フーリン先輩も名前をからかう事、いい加減止めてもらえますかね?」
「お? やっぱバレてた?」
「そりゃあ、毎年同じ事されてたらバレますって」
名前が居なくなった演劇部部室。オレを囲む1回生の姿は変わりなく、顔見知りとなった名前の友人が女生徒の壁を剥がしながら言ってきた。
「えー、フーリン先輩ってぇ、苗字先輩と知り合いなんですかぁ?」
巻き髪はまぁ良し。ただ化粧が濃いな。あと香水か? 結構くせぇし。アイツが嫌いなタイプだな、この1回生。
「知り合いも何も――」
「婚約してんのよ。名前と」
背後から声がする。振り返れば、また懐かしい顔ぶれがあった。
長く癖のある黒髪は二つにくくっておらず、一瞬、誰だったか思い出せずにいた。が、まぁ、隣に居た褐色で誰かは判断出来た。
「嬢ちゃんにアーチャーか。久しぶりだな」
「久しぶりじゃないわよ。これ以上迷惑事を増やさないでよね!」
「凛に同意だな。毎度の事ながらお騒がせな奴だよ、全く」
婚約、という言葉に、部員がざわついた。が、事情を知っているであろう名前の友人達は驚かない。
まぁ、アイツが隠せるわけも無いから、広まってるとは思っていたけどな。
「こ、婚約って……」
「オレがもう26になるからな。そろそろ、と思ってよ」
「彼女らが聞きたいのはそういう事じゃないと思うぞ、クー・フーリン」
「ん? そうなのか?」
「とりあえず、アンタは早く名前を追いなさい。私達は生徒会の用でここに来たんだから。アンタがいると話が進まないのよ、この駄犬」
「先輩に向かって駄犬とはなんだ、駄犬とは!」
「駄目な犬に駄犬って言って何が悪いのかしら?」
「もういい。会話が進まなくなる」
アーチャーの一言でオレと嬢ちゃんの会話が止まった。
まぁ、二年会っていないっつっても性格は変わらねぇな。喋らなければ美人なのによ。
お前は早く行け、と視線で促され、演劇部の名前の友人に手を振り、久しぶりの校内をゆっくりと歩きながら目的地へと向かう。
名前の行きそうな場所なんてハナからお見通しだしな。
落ち着くから、という理由で同じ場所に立て篭もるのはアイツの常套手段なわけで。ま、そういうわかりやすい所も変わってないし、オレがアイツを好いて居れる所でもある。
要するに分かりやすいって事だ。
名前は俺よりも三つ下だし、何しろ若い。あと、年々綺麗に、と言うよりも、女性らしくなってきた。
だからっつーのもアレだが、邪魔な虫はこれから年々と増えて寄ってくるだろう。
そうなれば、アイツも選り取り見取りになるし、オレみたいな先に老けていく男よりも他に好きになっちまう男だって出てくるかもしれない。
それが嫌だから、オレはアイツにオレを追わせたい。――ってのは、ガキみたいなワガママだ。
実際は、昔っからオレの方が追ってるんだけどな。
空手道場へと辿り着けば、中から聞こえてくるのは鈍い音。八つ当たりでサンドバッグを殴っているのは容易に想像出来た。
バレないように扉を開けて、こっそりと中の様子を拝見する。
ドス、ドスと鈍い音。殴るじゃなく蹴っていた。そこは予想外だな。
道着に着替える間も無かったのか、それとも感情を抑えきれなかったのか。私服で、しかもスカートのまま蹴りを連発するのはオレでも良くないと思う。
チラチラと見える下着の色を確認して、からかう内容を決めた。
「今日はピンクか。かわいーねぇ」
「っ!!?――あ、うわっ」
驚いて視線をこちらに向けたままバランスを崩すところまでも想定済みだ。
すかさず駆けつけて抱きかかえれば、時間が一瞬だけ止まったように思えた。
「なっ、な、何しに来たんですかー?」
「動揺してんの丸分かりなんだけど」
「うるっさい! 誰のせいでっ、」
「はいはい、ストップ。ちゃんと下ろすから。ちょっと待てって」
暴れる名前を制して、忘れてた、と一言告げ、額にキスを1回。顔が赤くなるのを見届けてから今度は目元にもう1回。
ずるい、とポツリと聞こえた言葉に、ニヤリと笑ってしまったかもしれないが、御愛嬌ってやつだ。
「何照れてんだ? これ以上の事、いつもしてンだろ?」
「なっ! うるさい! もう! クーの馬鹿!」
「どうとでも言えよ」
ぎゃーぎゃーと喚く口を塞げば、連れてこられた猫のように押し黙った。本人には言わないが、こういう所は本当に可愛いと思う。
「嫉妬させた事は悪かったよ。謝る」
「……なんか、素直で気持ち悪い…」
「オレはいつも素直じゃねぇか」
「素直っていうか、馬鹿正直だと思うんですけどー」
「うるせぇよ」
馬鹿。とまた言われたが、気にせず何度も口を塞いだ。
「……早く」
「ん? なんだ? ここでシたいとか?」
「違うってば! 早く下ろして!」
「へいへい。……さっきまでの可愛い反応はどこいったんだかなぁ」
「どうせ、可愛くないし」
返答はせずに頭を撫でてやる。少し嫌がる素振りを見せられたが、本当は嫌ではない事を知っているから気にしない。
コイツは昔から変わらない。それがオレにとっては心地良い。
「……焼肉」
「あ?」
「悪いと思ってるなら、今日は焼肉食べたい」
「泰山で勘弁しろよ」
「やだ。言峰せんせ居るし。焼肉がいい」
「オレ給料日前だっての」
「じゃあ、金輪際あんな事しないで」
「ったく。しゃあねぇな」
ワガママな彼女を持つと困りものだ。というのは、きっとオレの惚気なのだと思う。
二人で道場を出て駐輪場へと向かえば、夕日が適度に道を照らしていて赤かった。
ふと、二年経った今でも考える事がある。
――オレが、あの時、ギルガメッシュに勝っていなかったら、と。
勝っていなくても名前の事だから、友人の一人としては仲良く出来ていただろう。だが、多分、オレは最大のチャンスを逃してしまっただろうから、その後のアプローチは無かったんだろうな。
そう考えれば、分岐点で最善を選べたのかもしれない。
もし、なんて話をしてしまうと、その時に勝てなかったオレ自身に申し訳なさがあるのだが、そこはもう、勝ってしまったオレが充実しているのだから気にしても仕方が無いのは理解しているつもりだ。
だからこそ、オレは――、
「クー? どうかしたの?」
「いや、なんでもねぇよ」
この掴み取った幸せを思う存分楽しみたいと思う。
(2017/08/24)