アパシーがーる。


土砂降りの雨が降り続く渡り廊下からの景色を見て、ふと、童心に戻ってみたいと思うことはあるだろうか。あたしは、ある。断言しよう。
雨のシャワーを体中に受けて、キャッキャと騒げればそれはもう子供時代の、何も知らなかった自分とのご対面。否、融合だ。
ウズウズとする体に制止をかけてしまうのは、それは大人になってしまった証拠なのかどうなのか。
もしくは、隣を歩く褐色の存在が影響しているのかもしれない。

「あぁー……子供に戻りたい」
「いきなりどうしたんだ、君は」

衣食住の食的な部分を担ってくれている幼馴染に頭が上がらず、たまには買い出しについて行ってやろうと考えていたのだが。
大学から最寄りのスーパーへ行く前に降り出してしまったのなら仕方がない。今日の買い出しは無しだな、と話をしていたのだけれど。
思わず出てしまった本音止めることも出来ず、それを聞いてしまった彼は訝しげにこちらを見た。

「ほら、よくやったじゃん? 雨の中をダァーってかけっこしたじゃん?」
「君が傘を持ってくるのを忘れ、仕方なく私の傘を使った時の事なら忘れたな」
「バッチリ覚えてるよね!!?」
「挙げ句の果てに傘を電柱にぶつけて壊し、ずぶ濡れで帰宅して翌日お互い発熱してしまい、漢字のテストを受けれなかったなんて忘れてしまったな」
「恨み増し増しで覚えてますよね!? ごめんね!!?」

この褐色野郎、事細かに覚えてやがる……!!
恨み節をつらつらと聞くことになるとは思わなかった。思ったことを率直に言ってしまうのは悪い癖だな。治す気は全く無いけど。

「それで、この年齢になってまで雨に打たれたいのか?」
「いや、ふと思ってさ。あの頃は楽しかったなぁって」
「君が感傷に浸るなんて珍しい」
「あたしだって、感傷に浸ることくらいしますー」
「それで? 雨に打たれて帰るのか?」

まぁ、アーチャーからすると疑問に思うだろう。
突然降り出した雨。今日の天気予報は晴れだった。降水確率は0%だったわけだから、あたしが傘を持ち歩いているハズが無いのだ。
しかし、その幻想をぶち壊す!!

「ロッカーの中に! 折り畳み傘が! あるのだよ!!」
「なら君の傘に入れてもらおうか」

ふっふっふ。いくらあたしの事を気持ち悪いくらいに理解している幼馴染であっても、あたしが置き傘をしているなんて想像もつかなかったであろう。少しは成長していると、今後子供扱いしないと、母親面をしないとひれ伏すがいいさ!!――なんて?

「は、い? 今、なんて言った?」
「だから、君の傘に入れてもらおうかと言ったんだが?」
「は?」

この褐色野郎は何を言っているんだ?
あたしの、傘に、入る?

「な、――ななな、なんでこの歳にもなってアーチャーと相合い傘しなきゃいけないの!?」
「私は傘を持っていないからね」
「備えあれば憂いなしが座右の銘なのに!? どうした!? 雨でも降るのか!? だからいきなり雨が降ってるのか!!」
「落ち着け名前。いくら私でも忘れる時はある」
「そうだとしても何忘れてるの! あたしがドヤれないでしょ!?」
「君がドヤるのはともかく。帰る方向はもとより、同じ建物に住んでいるんだ。入れてくれと頼むのは間違いではないだろう」
「そうだけども!!」
「それで、入れてくれるのか? どうなんだ?」
「待ってろロッカーから持ってくる!!」

アーチャーの溜め息が聞こえた気がするが、あたしはロッカーまで走ることにした。
いやだが、頭の中は冷静に判断が出来ない。これは断る方が良かったのではないだろうか?
この歳になって、なんてただの建前。嬉しくないわけがない。心臓がおかしい。
ドヤれるどころか、好きな人と相合い傘なんて、こんなイベント発生聞いてない。
それでも、落ち着かなければならない。あたしとあいつはただの、一般的な、普通の、幼馴染で同級生。それを勘違いしてはいけない。
アーチャー自身も言っていたじゃないか。帰る方向も、建物も同じだから、あたしは仕方なく相合い傘で帰るんだ。そう、仕方なく。
平静を保ちつつ女子のロッカールームへと入る。誰もいない。深呼吸してから自分のロッカーを開ける。
目に入る折り畳み傘。アーチャーに口酸っぱく言われて、一応とロッカーに入れておいたのが役に立つとは。
いやいや、役に立つなんて思ってはいけない。あたしはアイツへの想いを断ち切らなきゃいけないのだから。落ち着け、落ち着け心臓。

「あぁー……静まってくれぇ……」

何度も深呼吸をする。嬉しくて苦しい。あのドンファン、何を考えているんだ。
……何も考えていないんだろうな。あたしが恋愛対象にお眼鏡に叶うなんてあるわけがない。
そうだ、アイツは友達名前ちゃんが好き。だから、あたしが気にしてはいけない。うん、大丈夫。

「よし、今からアーチャーはジャガイモだ。褐色だし。洗ってない泥だらけのジャガイモ。大丈夫、大丈夫」

本人に失礼過ぎる暗示を自分自身にかけ、平静を保ったままロッカールームから出る。
そのまま曲がり角を曲がれば、暇を持て余した幼馴染が居るだろう。
そしてあたしはドヤ顔するんだ。待たせたな、って。

「……あー、」

まぁ、それは、叶わなかった。

「すまない、名前」

謝るなよ。そりゃ、折り畳み傘よりも大きい傘の方が濡れないのはわかってるよ。
あたしとは違う、でもあたしと同じ気持ちなのもわかってるよ。

「気にしないで。濡れないように気をつけてね」

それに、あたしは空気が読めないわけでもない。自分を優先させるべきではない事もわかっている。
バイバイ、と自分の耳に入ってくる、今は耳障りでしかない声を無視するわけも出来ない。
にこやかに振られる手に、また明日、と振り返す。笑顔、笑顔。
不快感や嫌悪感を少しでも表に出してはいけない。笑え、笑え。
貼り付けた笑顔で二人を見送る。正門から出て行く背中が見えなくなるまで、笑うんだ。

「あーあ。幸運無さ過ぎでしょ」

漏れた自嘲は本音でもあり、自分の気持ちに楔を打ち込むには充分だった。

「アレは運命以外の何物でもないね」

グサリ。と、もう一つ。

「鈍感ドンファンも理解しろよなー」

グサリ。グサリ。
沢山の楔を打ち付けて、気持ちが出ないように。

「早く付き合っちゃえば良いのに」

グサリ。グサリ。グサリ。
この気持ちが割れてなくなってしまうように。

「……もう、やだなぁ…」

早く割れてしまえ。壊れてしまえ。こんな感情なんて要らない。
雨音で泣き言は消えてしまうから、この際全て消してしまおう。
手に持った折り畳み傘を握りしめる。ピキ、と音がなった。
同じように音を鳴らし続けるこの気持ちは、どんだけ楔を打ち込んでも割れてくれない。
傘を持っていない生徒が走り抜けていく足音。そのまま勢い良く踏んでいってほしいと願う。
――パキ、と音が鳴った。
何が壊れたのかはわからない。
それでも、その音は、呆然と立ち尽くすあたしを正気に戻してくれた。

「帰ろう」

もうあの二人には追いつかないだろう。姿を見なくて済むだろう。
しっかりしなくては。二人はあたしを信用して胸の内を告白してくれたのだから、裏切っては駄目だ。
演技は得意だろ? なら、得意なそれで良い友人を演じるべきだ。
空手は得意だろ? なら、得意なそれでこの気持ちを粉砕しよう。
何度そう決めた? なら、今度こそそれを貫かなければならない。

「今日限り、だ」

演技に自分の感情は要らない。必要なのは空想上の感情。
空手に相手の温情は要らない。必要なのは打ち勝つ感情。

「馬鹿野郎」

歩き出す。一歩、一歩。地面を踏みしめる。
パキ、パキ、とその度に音が鳴る。その音は自分にしか聞こえない。

「傘、壊れちゃった」

雨の中を、ひたすら歩く。体に当たる雨粒が少し痛い。
子供の頃は、雨に濡れると何故か楽しくて、嬉しくて、悪い事をしている気分になっていた。
あの楽しかった童心は、いつの間にか無くなってしまっていて。
今となっては惨めなだけだった。


(2019/08/29)