アパシーがーる。
おかしな姿を見た。
朝が弱い低血圧の幼馴染みが、俺が起こすわけでもなく自分で起き上がり、自分で朝食を作って食べている姿だった。
いつも起床するタイミングで勝手に鍵を開けて良いという約束の元、彼女を起こして大学へ引っ張っていくのだが、今日だけは違った。
服も着替え、登校の準備が整っている名前の姿を見るのは久しい。それこそ、小学中学の遠足の日くらいなのかもしれない。
そんな彼女が、今、俺の前で先に大学へと行かんばかりに靴を履いている。
「ごめん、先に行くね。あと、おはよー」
「……あぁ、おはよう。今朝は早いんだな」
「うん、ちょっとね」
玄関を開ければそんな状態なのだから、少しは戸惑ってしまうのも無理はないと思う。大学へと入学してからこの二年、彼女が自ら起き上がり率先して講義を受けに行くなんてことは無かった。
そう断言できる程、コイツは俺に頼りきりだったのだ。それが、いきなり、何故――?
「あ、しばらく朝ご飯もお弁当も夜ご飯も要らないから。んじゃ、お先ー。鍵閉めといてねー」
颯爽と自分の城から飛び出してアパートの階段を降りて行くその姿は、一見すれば普通の女学生の姿なのだが。目の前で目の当たりにしたのにも関わらず、半ば信じられない。
あの出不精の名前が、自ら動くなんて。
彼女の部屋の扉を閉め、鍵を掛ける。その後、隣にある自分の部屋に戻るなり、別の友人に連絡することにした。何か知っているかもしれない。
名前救済というSNSのグループを開き、今の数分間の出来事をそのまま連絡する。すぐに返事はきた。
そのほとんどが驚愕の心境を表すスタンプばかりだったが、その中で、一つ、気になったものを見つける。
後輩であり凛の妹である桜君のものだった。
弓道部の朝練なので、名前先輩が大学に来たら様子を伺ってみますね。――という内容だったが、友人達も名前の行動は気になっているようだ。普段の彼女と今日の彼女は明らかに何かが違う。
とりあえず連絡を待つことにして、作り過ぎてしまった朝食をどうしたものかを見つめること数分。
明日も同じとは限らない。
なるべく腐ってしまわないようにタッパーに入れて保存しておこうと決めた。
しかし、俺の予想は外れ、名前は翌日も、その翌日も俺の部屋へ来ることはなかった。
「おかしいわね」
「はい、おかしいです」
「桜のお弁当はおかしくないですよ」
「そういう事じゃないぞ、ライダー」
昼食時。食堂に集まる面々の中に、いつも居るはずの姿は無い。三日目、四日目と名前が現れる事もなく、講義以外で彼女に会う事は不可能だった。
サボりがちな講義もきちんと出席しているとは人伝いに聞いたのだが、まさか、何故、という疑問が自分の中を占めていく。
それは俺だけでは無いようで、学年の違うクー・フーリンやオディナ先輩でさえも疑問に思っているらしい。
全員でテーブルを囲みながら唸ること数秒。一人の来客が俺達の元へと現れた。
「首を傾げて何してるの?」
「ゲッ。なんでアンタがここに来てるのよ」
「私も居るよー」
「君まで、どうして……」
現れた来客――一学年上で俺の姉であるイリヤスフィールと、彼女と同じ学科の後輩の友達名前があたかも待ち合わせしていたように空いていた椅子へと腰掛けた。
話を聞くに、今日の音楽学科は実習ばかりでそれが長引き、今から昼食を戴きに来たようだ。既に注文済みのようで、手には料理が出来たことを知らせるための呼び出し機械が握られていた。
「で、何悩んでたの?」
「いやぁ、多分、イリヤは知らないと言うか……」
「もう! わたしの事はお姉ちゃんって呼ぶように言ったでしょー!」
「……姉さん達は知り得ない事だと――」
「士郎もシロウもお姉ちゃんって呼んでくれないんだから! でも、まぁ、いいわ。姉って呼んでくれたから許してあげる」
「どこに居ても平常運転なんだから。ある意味名前と存在感変わらないんじゃないかしら」
「まぁまぁ、姉さん。私、変わらないのは良い事だと思いますよ?」
複雑な思いになったが、それは黙っておいた。
イリヤ嬢――姉さんのが明るい性格なのは確かに認めるが、名前のそれとは違う。彼女の刹那主義の明るさと比べれば、姉さんの明るさは子供のように振る舞っているだけで本当の自分を隠す外壁みたいなものだと俺は思う。
凛の溜め息が漏れ、ガヤガヤとした食堂に消えていく。後から参加した二人の呼び出し機が鳴り、二人は席を立って行った。
「知ってるわけは、無いもんなぁ」
「芸術系学科がある棟と一般的な学科のある私達の棟とでは距離も離れてますし、何か特別な用がない限り、二人が名前の件を知ることは不可能でしょう」
「そうよねぇ」
セイバーがデザートとして食べていたプリンアラモードの器を空にし、口を開く。彼女の眼前には数枚に重なった皿が積まれているが、いつもの事なので気にすることはない。
「名前がどうしたの?」
先程の発言を聞かれていたらしい。戻ってくるなり友達名前が問いかけてきた。
「最近一緒に居ないし、休み時間の度にこっちの棟で見かけるんだけど……。誰かと喧嘩でもした?」
「喧嘩では無い。彼女が一方的に――ちょっと待ってくれ。今、なんと言ったんだ?」
「え? 休み時間の度にこっちの棟で見かけるけど……って」
衛宮士郎、凛、桜くんの驚いた声が食堂に響き、生徒からの視線を集めた。
「ちょっと待って下さい友達苗字さん。名前先輩、芸術科の棟に居るんですか!?」
「そういえばそうね、来る時も見たわよ。あの方向は中庭かしらね。なんだかニヤニヤしてて気持ち悪かったけど」
「おいおい、待て待て。そりゃあどういう事だよ」
「先程から五月蝿いぞ雑種共。優雅に食事も出来んではないか」
野次馬が増える。ぞろぞろと名前に縁のある上級生が集まり、一応人気がある面々なのか、ちらほらと女子生徒の高い声が聞こえてきた。
「最近姿を見ないと思ったら、まさか別棟の方に行っていたとはな……」
「なんだよそりゃ。異常事態じゃねぇか」
「……そうなの? 別に大学の敷地内だし、普通じゃない?」
「友達名前、なぜ我様に黙っていた」
「黙ってたわけじゃないよ、ギル兄。聞かれてないし、なんか用事があるんだなぁと思ってたし」
「行くわよ、アーチャー」
勢い良く立ち上がったのは凛だ。何かの確信があるように、俺のあだ名を呼ぶ。
「あの子がゲームやアイス以外の事でニヤついてるなんて、何かある。絶対に」
その言葉に同意して俺も立ち上がった。
食事をしている情報源の二人は食堂に残すとして、増えた野次馬も含めてぞろぞろと移動し始める。傍から見れば異様な光景かもしれない。その一因を担っているのは、仏頂面を崩さない生徒会長のせいかもしれないが。
芸術学部が使用する棟へと向かうこと数分。芸術学部棟内の渡り廊下を抜けて歩けば、すぐに中庭へと辿り着いた。
何人かの生徒がベンチに座り食事をしている中、隠密行動のように木の影に隠れながら中庭を進んでいく。――見つけた。
やや広い中庭の端にあるベンチに、名前は座っていた。誰かを待つように、そわそわとした様子が見て取れる。
「あれ、待ち合わせよね?」
「どう見てもそうですね」
「誰を待っているんだ?」
「皆目検討もつかないな」
「名前に芸術学部のダチって居るのかよ」
「空手部……ではないだろうな。演劇部関連だろうか」
「いや、演劇部の生徒と会うなら部室を使うはずだ。今までも昼の時間に部室で昼食を食べると聞いたことがある」
だから演劇部関連ではない。自分で言っておきながら、相手の想像が出来ずに様々な思考を巡らしてみたが、相手なんて誰か分からなかった。
「待ち人が来たようだな」
その声に思考を止めて、その人物が本当に名前の待ち人かを確認するように顔を上げた。
瞬間、息を呑む。
「あれは、……アーチャーさん、どういう事なんですか?」
「――……だ」
「ちょっと、何? 知ってる人?」
「……めだ。あの男は、駄目だ……」
澄色の明るい髪色、優男の顔付き。その生徒と親しそうに話す名前の姿。
「ちょっと、駄目ってどういう事なのよ」
昔の記憶がフラッシュバックする。頭が揺れる感覚。思わず手で抑えた。
「あ奴は確か、美術科の生徒だな。なんだったかなー、我、あとちょっとで思い出せない。屈辱」
「ふざけてんじゃねぇよ。おい、あいつら弁当を食べ始めたぞ」
「苗字さんの手作りかな、あれは」
「そのようですね。とうとう春が来ましたか。季節外れですが」
「もうライダー! それどころじゃないでしょう!」
「アーチャー、いい加減に説明して下さい。……アーチャー?」
吐き気がする。また、名前に近付いてきた男に。何も知らない幼馴染みに。
嫌悪感と罪悪感と、この感情は、なんだ。
「士郎、とりあえずアーチャーをこの場から離れさせましょう」
「そ、そうだな。ほら、行くぞ」
衛宮士郎とクー・フーリンという惨めな姿を見せたくない二人に支えられ、名前に背を向けた。向けてしまった。
医務室へと連れて行かれるのかと思いきや、到着したのは生徒会室だった。目が痛くなるような装飾品の数々は、今の体調を尚更悪くさせてくるのは気のせいではないだろう。
ソファーに腰掛け、各々が適当に座り、これは昔話をしなければならない雰囲気だと悟る。
「アーチャーさん、お水、飲めますか?」
「……ありがとう、桜くん」
買ってきてくれたらしいミネラルウォーターを受け取り、口に含めば予想以上に自分の口内が乾いていたことに気付いた。
「――して、どういう事なのだ。なぜあの状況を見て貴様はそうなった?」
生徒会長らしく専用の椅子に座り、こちらを見据えるギルガメッシュ。とぼける余裕なんて無いので、ここは素直に話すことにしよう。
「あの男……雨生龍之介は、名前にとって最も危険な男だ」
(2019/09/19)