アパシーがーる。
「――というわけで、しばらく部活を休ませてもらいたいんです」
「仕方がないな。先生には俺から言っておくよ」
「ありがとうございます」
通話を終え、スマホをベッドに投げた。一気に襲い来る脱力感は慣れないことをしたからだろうか。
電話を掛けた相手は空手部の部長。急遽決まった配役が主役級との事もあり、本番が終わるまでは部活を休ませてほしい旨を連絡したのだ。
電話は基本的に苦手だ。相手の表情がわからない分、声色で心境を読み取らなければならない。学生演劇ではあるけれど、感情を汲み取って魅せる事をしているが、声色だけというのはなかなかに難しい。
アーチャーみたいに表情があまり変わらないポーカーフェイスと直接会話をする方が、幾分かはマシに思えてくる。
大学に持っていっているリュックがいつもよりも重く感じてしまったのは、多分、重責を背負ってしまった関係もあるのかなぁ、と。視界の端に映った台本を見て、溜め息を吐いた。
「こういう時に限って、お隣は静かなんだよなぁ……」
壁の向こうに居るかもしれない幼馴染みの、いつもの生活音が聞こえない。今日はバイトだったのだろうか。むしろ、アイツがバイトをしているなんて聞いたことも話してもらったことも無かった。
アイツはあたしの生活リズムを理解しているくせに、あたしはアイツの生活リズムを何も理解していない事実に気付いてしまう。
そういえば、大学に入学してからのアイツの交友関係を気にしたことが無かった。お互いの旧友である士郎とか凛とかはまぁ置いておいて、学部も違うわけだからその学部内で友達も出来ているだろう。講義が同じな友人とか、部活内の友人とか、色々居るはずだ。先輩であるけれど、クーさんとかオディナ先輩とも仲が良いわけだし、あたしにカレンやウェイバーという友人が居るように、アイツにも誰か居るはずなのだ。
――この間、友達名前ちゃんに話した事を思い出す。
あたしは過干渉が嫌いだ。だから、アーチャーにも、友人達にも普段から干渉するなんて事もしていない。自分が嫌な事を他の人にしたくない。
最近は、確かにちょっと、龍兄ちゃんの事もあってアーチャーと距離を取っていたかもしれないけれど、今までと変わらない関係で居ているつもりなのだが……ふとした瞬間に気にしてしまう。それはあたしだけなのかもしれないし、アーチャーはそう考えていないのかもしれない。
けど、演劇部が大変な今、相談や愚痴を聞いてくれる存在ですぐに思い付くのは、昔から互いを良く知っている存在なのだと気付く。
ベッドに投げたスマホを手に取る。時間は21時前。どうしよう。連絡しても、良いものだろうか。
待ち受けに設定しているゲームキャラクターと見つめ合うこと数秒。悩みに悩んだわけではないが、意を決して電話帳からアーチャーの欄を出して、通話ボタンを押し、た。
「――おっ……と」
それはいきなりの事だった。
彼女に何も話していない事を勘付かれたのかと危惧したが、そんなわけがないと頭を振る。
自分にしては珍しく、ひと呼吸置いてから、通話ボタンを押した。
「……もしもし、」
少しだけ、震えた声が聞こえてくる。何かあったのだろうか。この幼馴染みがこんな声を出すのは珍しい。
いつも気丈に振る舞い、なんだかんだと友人達の中心になっている彼女だからこそ、昔馴染みの自分にだけに聞かせる声色だと思った。
電話しても大丈夫かと問われたので、一旦作業を中断して、何事も無いように大丈夫だと答える。安心したような息遣いが聞こえた。
「あのね、んと、ちょっと、相談……いいかな?」
「どうしたんだ、珍しい。何かあったのか?」
「うん。あの、部活の事で、ちょっとね」
「気にせず話してくれ」
「……うん。ありがと」
大まかな経緯を伺う。要するに、演劇部でひと悶着あったらしい。ひと悶着という表現は合っていないかもしれないが、一年生が突如、部活のみならず大学も退学してしまうというのは、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。
しかし、彼女自身の悩みの根本は、そこだけではないようだ。
「だからさ、その、あたしがカムパネルラ演じても良いのかなって」
「それは、何故、そう思うんだ?」
「だって、その……」
彼女のその返答は、意外なものだった。
「だって、あたし、主役の子、喰っちゃいそうなの」
喰う。――それは、物理的な意味ではない。主役を差し置いて、目立ってしまいそうだ、と、この幼馴染みは言っているのだ。
毎年恒例の新入生公演は銀河鉄道の夜と決まっていて、昨年、電話越しで悩む彼女が演じたのは、主役のジョバンニ。その親友で準主役と称するカムパネルラは同級生が演じていた。その後、彼女が演劇部の公演で上級生を差し置き、主役を演じ続けるきっかけの作品にもなる。
つまり、レベルが違うのだと。演じる上で、自分の実力を下げて演じることは出来ないから、どうすれば良いのかを悩んでいる。という彼女をよく知らない人物が聞けば、何を天狗になっているのだと言われても仕方のない、幸せな悩みだった。
彼女自身が真面目に悩んでいるのは理解しているし、それを馬鹿にするつもりもない。だが、話を聞いたのがジョバンニを演じる新入部員だとしたら、本番前に自信喪失するだろうな。
「君らしい悩みだな」
「らしいって何さ。こっちは真剣に、」
「解っている。君が真面目なのは。何年の付き合いだと思っているんだ」
「なんで今日そんなに意地悪なの」
「そうだろうか? 俺はそんなつもりなんて無いのだがね」
「くっそ。本心なのがムカつく」
自分と話すことで、段々といつもの幼馴染みに戻っていくのが分かった。これならもう大丈夫だろうと判断する。
「なぁ、名前」
「……何さ」
不貞腐れた声色に笑うのを堪え、彼女の欲しかった言葉を伝えてやろう。
それでどうするかは、彼女次第なのだから。
「好きなだけ喰ってしまえばいい」
「えっ――?」
「君は演技が好きなのだろう? だったら、思う存分に、カムパネルラを演じればいいさ」
「……そっ、か……それで、いいんだ……」
「何を今更悩んでいるんだね、君らしくもない」
「なんだと。これでも悩める少女なのですが?」
「何処にそんな少女が居るんだ?」
「電話越しー。ほらー、今ー、喋ってるでしょー?」
「私はただの昔馴染みと話しているだけだ」
「くっそ。本当にムカつく。こんにゃろめ」
良い意味で蔑み合い、笑い合う。それが、自分達の関係だ。それでいい。
電話越しの彼女はスッキリした声色で、ありがとう、と言った。
「アーチャーに話したら、なんかスッキリした。こういう時のおかんだね」
「誰がおかんだ。私は母親になった覚えはないぞ」
「おかんだよ。シロウは、あたしの母親」
「……そうか」
確かめるように何度も呟くので、それに同意する。私達は、それでいい。
「いきなり電話ごめんね。家に帰ってきてないでしょ? 隣に居たら部屋に突ったんだけど」
「そうだな。今日は帰宅が遅くなる。夕飯は食べたのか?」
「コンビニで買ったー。作る気無くてさ」
「……あの男の居る、コンビニか」
「あの男? リューちゃんの事?」
「あぁ。……とやかくは言わないが、君も忙しくなるんだ。あまりコンビニ飯も体に良くないぞ」
「あー、うん。わかってますー。本当におかんなんだから」
「うるさい」
「はいはい。忙しいとこ、電話してごめんね。それじゃ、また明日」
「あぁ、また明日」
通話が切れたことを告げる途切れ途切れの電子音。スマホの画面が元のホーム画面に戻ったことを確認し、ズボンのポケットに入れる。
通話中というのに気を遣われていたのか、話し声が途切れたタイミングで様子を見に来たのは、義理の姉だった。
「もうっ、シロウったらサボってばっかり! 少しは士郎を見習いなさい!」
「別にサボっていたわけではないさ。珍しく悩んでいた昔馴染みからの電話だよ、……義姉さん」
「名前から? ……そう、なら許すわ。仕方がないもの。でも、サボった時間分、きっちりと働いてもらいますからね!」
「理解している。これも、彼女の為だ」
監視員となった義姉さんに見られながら、俺は、眼の前の積まれた書類をまた運び始めるのだった。
(2020/02/20)